G・M ワインバーグ「スーパーエンジニアへの道」読書メモ
MOIモデル
問題解決型リーダーに共通する特徴
Motivation (動機づけ)
Organization (組織化)
Innovation, Idea (技術革新、アイデア)
を備えているとされる
それぞれどれか一つというわけでもなく、バランスよく備えている
第三部 動機づけ
p109 自分がほかの人々に及ぼす効果を確実に知ることが出来ない以上、最良の戦略は自分が時に笑いものになることを受け入れられるようになることなのだ。
p117 コミュニケーションの90%は不整合である
p117 彼らの問題に注意を集中するための一つの方法は、私自身の問題に対してあけすけにすることなのだ。〜彼らの問題の多くは、私に対して何とか対応しようとすることから、またさらにいえば、一体何で私があんなに気違いじみたことをしているのか理解しようとするところからきているのだ
彼らは、私があけすけにしない限り、私の内部で起こっている事象の系列について知ることは出来ない。だから私についての整合性のある説明は、彼らにとって助けとなるのである。
自分自身がコミュニケーションの問題系に組み込まれていることからまず自分の情報を開示して不確実な部分を潰していくということ
p118 「彼らに自分が何を知覚しているか、知覚したものに対してどう感じているか、そしてもし可能なら、その感じについて自分がどう感じているかを告げなさい」
いわゆる自己開示の手法
「自分を人目に晒すことと危険に晒すことは同じではない」
欠点を隠そうとすればするほど、愚かな部分は目立ちやすくなる
欠点を隠すなら森に隠せ
第11章
仕事中心主義からの教訓
1. 生き残りがかかっているときには、人優先にするほか方法がない
2. もし仕事が高度に技術的でないなら、リーダーは有能である必要はなく、恐怖によってリードするということが可能である
3. 強い技術的素養を持っている人は、どんな仕事であれやりたくない仕事から、それを技術的な仕事に変換することによって逃れることが出来る
4. 人に気を配らないリーダーには、リードされる方が選択の余地を持っていない場合を除き、リードすべき相手など誰もいはしない
5. 人についていくら気を配っても何も差し出すものがなくて、ただその振りをしているだけであるなら、人をつなぎとめておくことは出来ない
6. 仕事中心主義のリーダーは、自分の手柄をとかく過大評価する
7. われわれがする仕事の中には、働く人の将来の可能性をそのために犠牲にしてよいほど重要なものは、実はほとんどない
「人を食い物にしなければやれない仕事は、多分やってはいけない仕事なのだ」
8. 複雑な仕事の場合は、計画が決して崩れないと革新できるリーダーはいない
9. 問題解決型リーダーとして成功するためには、人々が人間であることを常に全面に出しておかなければならない
「もし我々が人と仕事の間の選択が問題なのだと信じているとすれば、我々は真の選択、すなわち人のあるグループと別のグループの間の選択を否定し、または歪曲しているのだ」
「株主と同僚」、「社の会長と同僚」、「上司と部下」といった人のグループ間の選択を「人と仕事」の選択というように歪曲してしまうことは、問題を正しく定義するチャンスを奪ってしまう
「仕事か人かという二律背反を信ずることは、人に動機づけを与える上での第二の大障害である」
10. もしあながたリーダーなら、人々こそあなたの仕事の対象である。それ以外にする値打ちのある仕事はない。
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人か仕事かという二律背反が存在すると仕事では信じてしまいがちだが、仕事というのは人が存在しなければ存在しない以上全ての仕事は人を相手にするケアリングに関わる労働ともいえる。(グレーバーがブルシット・ジョブで語ったように)。結局のところ私達は人を相手に仕事をしている(技術的になにかをインターフェイスとして使っているかどうかに関わらず)
一人で何かを成し遂げるにしろ「自分」という「人」を相手に仕事をしている
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第12章
助力についての教訓
1. 人々を助けたいと思うというのは、気高い動機かもしれないが、そう思ったからといって助けることが楽になるわけではない。
2. もし人々がこちらの助力を欲していないのなら、いくらこちらが頭のいい、素晴らしい人間だったとしても、われわれは決して彼らを助けることには成功しない
どこかで見た素直でない人間は助けることが出来ないという言説に近いかもしれない
3. 助力が効果的であるためには、問題の明確な定義に関する相互の合意が必要である
お互いに問題の定義について異なる認識を持っている状況では、一方の助力が侮辱と取られたり誤解が生じる
4. 彼らがこちらの助力を望んでいるかどうか、いつも確認しよう
自分自身ならその助力を望むかと考えてみる。だが結局のところ100%の自信を持って助力を望んでいると確信出来るということは自分は彼らではないためありえない。
5. たとえ人々が助力を欲している、ということに同意したとしても、その同意は生涯に渡る契約ではないのがふつうである
6. 他の人々を助けたいと望む人は、自分では気づいていないかもしれないが、一般に自分自身も何かを得ることを期待しているものだ
100%の自己犠牲を持って人に何かをするという生き仏のような人はそういるものではない
7. たいていの人は、助けようというほうも利己的だ、ということを理解する。だが彼らは、自分たちはその規則の例外だと考える。
8. 助力への試みは、しばしばじゃましてやろうという試みと解釈される
9. どんなに奇妙に見えようとも、たいていの人々は実は親切にしようとしているのだ