万物の黎明 - デヴィッド・グレーバー/デヴィッド・ウェングロウ 読書メモ
p71 「テュルゴーの事例は、わたしたちが啓蒙思想の核心と考えている、文明、進化、進歩といった観念が、実際には批判的伝統のなかでは比較的後発のものであることをあきらかにしている。なによりも重要なのは、これらの観念の展開が、先住民による批判の力への直接の応答としてあったということである」
文明4段階といった使い古された社会進化論もせいぜい18世紀頃から使われ始めたにすぎない
ヨーロッパの啓蒙主義思想家が既存の教会権力への批判としてこういった先住民の武器を使った
p78「アメリカ独立革命の時代には「左翼」や「右翼」という用語自体が存在していなかった」
ルソー以降フランス国民議会の民衆派、貴族派の席の位置からこの用語が生まれた
p91「名詞、動詞、形容詞を持たない人間の言語は存在しない~」
人間というくくりでは物理的な差異はほとんどなく差異とみなすべき実質的根拠はない
「先史時代のほとんどの時間をかけてアフリカで起きていたように思われることに比べればまったく取るに足らない」
p121 「旧石器時代における同様の季節的パターンの存在が示唆しているのは、ことの発端から、あるいはすくなくともその痕跡を追尾することが可能な範囲で、人類は自覚的にさまざまな社会的可能性を試していたということである」
p127 「本当の問題は、「社会的不平等の起源はなにか」ではなく、「どのようにして閉塞したのか」である」
p132 「このような祝祭で本当に重要な点は、政治的事故意識の古くからの火種がそこで保持されていたことにある。そうした祝祭は、既存のそれとは 異なる社会の組織法が実現可能であること、社会総体ですらいまとは異なる組織方が可能であることを人に想起させていた。」 p141 「隣人との差異を示すために膨大なエネルギーを注ぐよう、わたしたちに促すメカニズムとはなにか?これは重大な問である」
p153 「つまり、テクノロジーの進化は、人々を物質的必要性から解放したわけではないし、人々の労働時間も現象していない。すべての証拠は、ほとんどの人間にとって仕事に投入している時間の総体は、人類史の過程でむしろ増大傾向にあることを示している」
p156 「農耕を拒絶することが自覚的な選択であるならば、農耕を受け入れるという行為も自覚的な選択である」
ルソーが言う「自分を縛る鎖にやみくもに飛びついた」のではなく、農耕革命を起こした人類も同程度に自覚的であり自覚的な狩猟採集民と違いはない
「すなわち原罪に対する罰は、無限に再生されるわたしたちの欲望なのだ」
「労働と豊かさに関していえば、あたらしい技術的ブレイクスルーのたびに、わたしたちはさらに墜ちていくようにも見えるのだ」
p165 唐突な縄文文化とブレワイの関連性への言及があって面白い
p167 「そして土地収奪の根拠はすべて、その土地の現在の住民が実質的には働いていないという考えにあった。この議論はジョン・ロックの統治二論第荷論文にまで遡る」
「そこでロックは所有権は必ずや労働から派生すると主張した」
「土地を耕すことで、人は自らの「労働を土地に混ぜ合わせる」。こうして、ある意味で土地はじぶん自身の延長になる」
大分無理のある主張だ
p168「ある最近の研究は、オーストラリアの一部の地域におけるこのような先住民の土地管理技術については、「採集」という言葉を完全に放棄し、それとは別種の農耕とみなすべきであるとしている」
木の伐採や焼畑、除草、施肥、剪定…労働集約的で狩猟採集と農耕と何が違うのかというところが問われる
p199 「農耕を取り入れるかどうかの判断は、たんにカロリー計算や、ランダムな文化的好みの問題ではなく、価値観にかかわる問い、すなわち、人間とはなにか(そしてじぶん自身をどう考えているか)、そして人間とはなにかそしてじぶん自身をどう考えているか)、そして人間同士はどのように関係すべきかといった問いを反映しているという可能性があるのだ」
「社会はたがいに借用しあって生きているが、借用を受け入れることよりも拒絶することでみずからを定義している」とモースは述べている。
なぜ人類がこれほどまでに苦労して差異を求め、アイデンティティを確立しようとしているかという問題が関わっている
p263 「ところが考古学的な証拠によると、そのはじまりは逆のようなのだ。中近東の人間は、穀物が食生活の主要な部分を占めるようになるずっと前から、定住型の集落に住み始めていた」
→農耕=定住というわけでもない
まず藁を生活の道具のために利用して(敷物や家、かご、衣類、屋根等)大量に必要になった。野草の収穫を強化したことによって根こそぎにするなどをして自然の種子散布システムを喪失させる要因にもなった
p264「最新の研究では、肥沃な三日月地帯で植物の栽培化が完全に完了したのはかなりあと、野生の穀物の栽培がはじまって3000年も経過してからということがわかっている」
→たった3000年ではなく3000年という現代からすれば途方もない時間をかけて完了している
「農耕革命というには長すぎるし、農耕にいたる過渡的状態とみなすにも長過ぎる」p265
p266「初期の耕作者たちは、食の必要と労働のコストのバランスをとるべく、植物の栽培化のきざしとなる形態変化を忌避するようなやりかたを戦略的に選んだ可能性すらあるのだ」
氾濫農耕(季節ごとに氾濫する湖や川の周辺で後に残った肥沃な土壌で栽培をする)が初期の農耕では重要だった
「初期の栽培/耕作システムは私的所有の発展にはむすびつかなかった。現実には、どちらかというと氾濫農耕は、土地の集団的所有、すくなくとも柔軟な再割当てのシステムに向かう傾向があったのだ」
p306 「アマゾニアが示しているのはこの「農耕への参入と退出」というゲームが、一過性のものではないことである」
作物や家畜を育てるのに必要な生態学的スキルをすべて所持しているにもかかわらず(家畜化への)境界線を超えることなく、狩猟採集民と農耕民の間で慎重にバランスを取っていた
分裂生成という用語が本書ではよく出てくる
ある集団間ないし個人間が自己を定義するために相手と異なる点を強調していく過程で、再帰的にお互いの差異が強調されていくプロセス
他者と違うということになぜ価値を置きはじめたのか?