ウェルベック「滅ぼす」読書メモ
上巻
p230 「なんのかの言って、アメリカ人は一世紀近く世界を支配していたのだ。何かしら知恵をつけていなければ、救いようがないというものだ。」
p238「この戦争では、みんながみんなの敵なんだ」
p305「それは別次元の体験、正確には体験ですらなく、企てなのだ」
p307「写真を眺めるうちに昔のことを思い出して、急に落ち込んだ。写真はいつもこうだ。楽しくなるか悲しくなるか、見る瞬間までわからない。」
下巻
p139「突然、十五歳のときに衝撃を受けたクローデルの詩の一節を思い出した。「僕は知っている、罪が満ちているところには、あなたの慈悲も、満ち満ちていることを」満ち満ちているという語はかなり醜悪だが、こんな語はクローデルの詩以外ではまずお目に掛かれないし、幸いにも次の一節で埋め合わせされていた。「祈らなくてはならない、いまはこの世の王の時」」
p140「完全に決定論的な世界は、キリスト教徒だけでなく、誰にとっても、多少とも不条理に見える」
p141「家に着く直前、誰もいないベルシー公園のベンチに腰掛けた。自分は休職中だと何度も口にした。彼はこの言葉を気に入った」
p146「しかし、理由がなくても生きることはできるし、それはごくありふれたことでもある」
p150「人生はいつだって多かれ少なかれ終末期であると、彼は考えた」
p151「彼が耐えられなかったもの、それは生きることの本質的条件のひとつにほかならなかった」
p164「長い目で見れば、合理性と幸福が両立するとは思わなかったし、合理性はどのみち絶望に至ると、彼はほとんど確信さえしていた。」
p184「ある場所において幸せであったことが、その場所を去ることをつらいものにするのではない。単にそこを去ること、人生がどれほど陰鬱で不愉快なものであっても、その一部を自分のあとに残して、崩れ去って無と化すのを見ることが、それをつらいものにするのである。別の言い方をすれば、それは老いることである。」]
p271「かわいそうなプリュダンスと、彼は思った」
p272「翌日の午後、こんなにも早く自分の人生を忘れて、天才探偵の推理とモリアーティ教授の暗躍に夢中になれることに、驚かされた。本の他には何がこのような効果を生み出せるだろう?」
p272「何が何でも物語作品が必要である。自分以外の誰かの人生が語られていなければならない。〜語られる人生が、彼の人生と同じくらい、陰鬱でつまらないものであっても、不都合はない。それが他の人生(ルビ)でありさえすればいいのだ。その一方、もっと謎めいた理由により、その人生は創作されたものでなければならない。伝記や自伝はダメだった」」
p273「要するに、彼は生きたのだ」
p284「結局、彼が好んでいで、これまでもずっと好んできたのは、横向きで眠ることだった。横向きになって体を休めれば、胎児の姿勢という、いくつになっても癒しがたい懐旧の情を呼び起こす、あの姿勢を取り戻せた。」
p306「森は、生命の本質であり、闘いも痛みも知らない、穏やかな生命である。永遠を思い起こさせることはなく、それは問題ではなかったが、我を忘れてじっと眺めていると、死はそれほど重要ではないと思われてくるのだった。」
p329「わたしたちは生きることにはあまり向いていなかったね」
感想
テロや政治、選挙の話は終盤ではいつのまにか消えているが終盤での展開に持っていくためにあえて謎めいた話を入れていたとしたら改めてよい手腕
結局最後はテロだの政治、選挙、大統領といったことは、死の前には些事になってしまうということをポールの心情を通して体験出来る構成のための導入だった
ウエルベックの他作品だとただ悲惨に暗く終わるという作品も多いけど、今回はひたすらに優しい終わり方のように思える
ケアの話でもある
ウエルベックは絶望していた中年が性愛で希望を得てから結局社会に奪われて希望を失うという作品が多いけど、今回は死の直前に極めて私的なプリュダンスという救いを再度得て終わる
救いは何も遠いエキゾチックな異国にあるのではなく身近にあったという再発見の物語でもある
死の直前には社会が出来ることなどほとんど何もないという単純な事実を描いてもいる
最後に父親に会いに行き何も喋ることもなく何時間も並んで風景を見て、その後また帰る直前に思い出したかのようにまた会いに行き結局何も言葉を交わすことなく、終わるというシーンが印象的
父親は障害で喋ることが出来ないので言葉を交わすことはそもそも出来ないのだが、死の前ではもはや言葉が意味をなすこともない、という事実を淡々と描いている
ある意味障害で目以外動かすことができなくなった父親というのもその象徴だったのかもしれない
マドレーヌという幸せな伴侶がいたことで死の直前でさえ幸せで-完璧な-生活になった父親と、おそらく父親より先に死んでしまうが同じく死の直前に救いを再度得たポールの生活の対比
ウエルベック最高傑作と評する人もいるが確かに気持ちは分かる(そもそも表紙に最高傑作という宣伝文句がある)
これまでの厭世的なウエルベック節はサービスとしてありつつ、ただ絶望だけでない死への回答を用意している
化学治療や放射線治療の苦痛を忘れさせてくれる他人の人生を語る物語作品の必要性をホームズを読むポールを通じて語りかける
自分の人生を忘れさせてくれるという効果では本以上に効果的なものはない。音楽や映画でさえも忘れさせるには不十分だ
ウエルベック自体死に近づいて、死への向き合い方というのが変わったのかもしれない
昔のウエルベック作品は描写の露悪さやあざとさがあったので人に勧めづらいというか人を選ぶ感はあったけど、これは比較的人に勧めやすい