Right Click Saveを読む ―全記事の要約①
本資料は、デジタルアート専門誌「Right Click Save」に掲載された全記事について、アーティストの主張、理論的背景、批評的争点の観点か要約したものである。
AI Art
The Interview | Lawrence Lek
https://www.rightclicksave.com/article/the-interview-lawrence-lek
アレックス・エストリックによるローレンス・レックへのインタビューでは、AIがもたらす未来像について芸術的観点から論じられる。メディアアーティストのレックは、自身の作品を通じて「エンパシー(共感)」に基づくAIの未来を想像し、人間とAIの関係を再考することを主張する。理論的背景には、シミュレーショニズムや仮想現実アートの文脈、シンギュラリティに関する議論があり、レックは東洋と西洋のSFや神話から着想を得ているという。批評的争点として、AIによる創造性と作家性の拡張、デジタル空間におけるアイデンティティの再構築、そして高度技術社会で失われがちな人間性(共感や倫理観)の価値が語られる。レックはまた、美術館やアート市場においてAIアートが直面する制度的課題にも触れ、テクノロジーと人文知の橋渡しの重要性を示唆している。
https://gyazo.com/21798623a7f08f14244ee5cdd480eb68
Lawrence Lek - AIDOL (2019)
Can we Prove we are Human in a World of Machines?
https://www.rightclicksave.com/article/can-we-prove-we-are-human-in-a-world-of-machines-krista-kim-tenbeo-interview
クリスタ・キムによる本記事では、機械の世界(AIやアルゴリズムに支配される社会)の中で人間性を証明・回復するために、アーティストや技術者が模索する戦略が論じられる。個人のデータ主体性や「データ身体」(data body)の概念に焦点を当て、中央集権的プラットフォームに奪われた自己決定権を取り戻す方法として、ブロックチェーン技術や分散型アイデンティティ(DID)の活用が提案される。理論的背景には、ジェネティック・コードからデジタル・コードへの人間観の変化や、ポストヒューマン的状況での自己証明問題(チューリング・テストの現代版のような問い)がある。批評的争点として、価値の所在(人間の創造性 vs. AI生成物)、美学と倫理(人間らしさとは何か、機械に美は創れるか)、社会制度(プライバシー法や著作権法の整備)の課題が議論され、テクノロジー時代における人間のアイデンティティと権利の再定義が模索されている。
AI “Art” and Uncanniness
https://www.rightclicksave.com/article/ai-art-and-uncanniness
コリー・ドクトロウによる寄稿記事で、生成AI時代の著作権と労働の問題が論じられる。ドクトロウは、AIが既存作品を学習して新たな「アートもどき」を大量生産する状況において、著作権法を強化することはクリエイター保護に無力であり、むしろ新しい労働法によってクリエイターの権益を守るべきだと主張する。彼はこの文脈で、「不気味の谷(Uncanny Valley)」の概念を引き合いに、AI生成物が人間の創作物に酷似しつつも創作者の意図や魂が欠如している不気味さを指摘し、それが法制度の隙間を突いていると論じる。理論的背景には、デジタル時代の知的財産論争(コピーレフト運動など)や、プラットフォーム労働論(ギグエコノミー下での労働搾取問題)がある。批評的争点として、芸術作品の経済的価値と報酬配分、クリエイターのアイデンティティと著作者人格権、AIによる模倣と独創性の境界線などが含まれる。ドクトロウの議論は、文化産業がテクノロジーに翻弄される中で、法と制度のアップデートが不可欠であることを示唆している。
Is AI Art Sustainable?
https://www.rightclicksave.com/article/is-ai-art-sustainable
ダイアン・ドルーベイが司会する専門家3名の討論記事で、ジェネレーティブAIアートの環境負荷問題にアーティストがどう向き合えるかが議論されている。討論では、AIモデルの学習・推論に必要な電力消費やハードウェア製造過程の負荷が詳細に語られ、持続可能な創作のための実践(例:低炭素クラウドサービスの利用、オフセット策)や政治的アクション(グリーンNFTの推進など)が提案された。理論的背景には、メディアアートとエコロジー研究の累積(マシンの見えない環境コストを可視化する試み)や、環境倫理学における世代間責任の議論がある。批評的争点として、芸術における持続可能性の評価基準、テクノロジーの発展と環境保護のトレードオフ、制度的介入の必要性(例えばプラットフォーム側の規制・支援)が挙げられた。総じて記事は、AIアートが単なるビジュアル上の美学だけでなく、その制作基盤となるエネルギー・資源問題にも自覚的であるべきこと、そしてそうしたメタ視点自体が新たな批評的美学を形作りつつあることを示唆している。
Can Art and Tech Giants Shape Education with AI?
https://www.rightclicksave.com/article/can-art-and-tech-giants-shape-education-with-ai
テート美術館で開催された新プログラムを報じる本記事では、アートとテック大企業がAIを用いて教育を変革し得るかという問いが検討されている。執筆者ロビン・レバートンは、同プログラムが技術に対する批判的かつ創造的アプローチを育むことを明らかにしつつ、美術教育におけるビッグテック企業の影響力と課題を論じている。理論的背景には、STEAM教育(科学技術と芸術の融合)や創造性の自動化に関する議論があり、AIがもたらす学習のパーソナライズ化と画一化の両義性が指摘される。記事はまた、美的価値と教育価値のバランス、制度的枠組みの変革といった批評的争点に踏み込み、AI時代の芸術教育が直面する倫理や公平性の問題を浮き彫りにしている。
The Future of Creative AI
https://www.rightclicksave.com/article/the-future-of-creative-ai-machine-learning
ルーバ・エリオットによる本記事では、機械学習分野のリーダー2名が登場し、創造的AIの未来について展望している。対談では、AIが芸術やデザイン領域にもたらす進歩(プロセス効率化、新スタイル創出)と、それによる人間クリエイターの役割変化が論じられる。専門家らは、AIは人間の創造力を代替するのではなく補完するとし、反復作業の自動化で人間はより高次の創意に集中できると肯定的に捉える。一方でAIによるコンテンツ氾濫や画一化の懸念も共有され、教育カリキュラムの刷新や倫理規範の策定の必要性が挙がった。理論的背景には、創造性の認知科学や人間と機械の協調理論(センタウルス型創造など)があり、議論はアートに限らず科学研究や日常創作にも及ぶ。批評的争点として、オリジナリティの概念再考(学習データから生成されるものの新規性評価)、AI産物の著作権と社会受容性、クリエイティブ産業の労働構造転換などが含まれ、AI時代における創造の価値基準と経済モデルの進化について示唆が得られている。
The Interview | Libby Heaney
https://www.rightclicksave.com/article/the-interview-libby-heaney
元物理学者でアーティストのリビー・ヒーニーへのインタビューでは、量子コンピューティングの芸術的可能性とハイブリッドな世界観について論じられる。ヒーニーは量子計算の原理(重ね合わせやエンタングルメント)を作品に応用し、既存のデジタル技術では表現し得ない不確定性や多義性を取り込む手法を探求している。彼女の制作意図は、科学と芸術の境界を溶解させ、新たな認識論的視座を提示することにあり、量子現象を通じて現実の複雑性や非二項性を可視化しようとしている。理論的背景には、量子力学の哲学やポストヒューマニズム、またメディアアートにおけるインタラクティブ性の議論が含まれる。批評的争点として、テクノロジーがもたらす世界観の変容(決定論的な観点から確率的・多世界的観点へ)、高度科学技術を巡る倫理(誰が理解し利用できるのか)、そしてアイデンティティや身体性が量子的視点で再解釈される可能性などが取り上げられ、ヒーニーの作品は科学知と人文知の融合による新たな価値創出を示唆する。
https://www.youtube.com/watch?v=tK-TzChvmFA&t=5s
When We Became Posthuman
https://www.rightclicksave.com/article/when-we-became-posthuman
著名な学者(認知科学者)であるスーザン・シュナイダーへのインタビュー記事で、彼女は人類が「ポストヒューマン」へと移行する可能性について再考している。シュナイダーはAIやブレイン・マシン・インタフェースの発達により、人間の認知や存在が機械と不可分になる未来像を描きつつ、それに伴う哲学的・倫理的問題を提起する。理論的背景には、トランスヒューマニズムの思想やマインド・アップロード論、延いてはデカルト以来の心身問題があり、彼女はこれらを踏まえて「人間であること」の定義が拡張・変容する様を論じる。批評的争点として、意識の本質(機械は意識を持ちうるか)、倫理(ポストヒューマン社会での権利や価値観)、アイデンティティ(生物学的身体を捨てたとき自己は維持されるか)などが深く検討される。記事はまた、現行の社会制度(法律や経済)がポストヒューマン状況に適応できるかという実践的問いも含み、人類の未来像について読者に思索を促している。
AI | ALTERNATIVE INTENTIONS
https://www.rightclicksave.com/article/ai-alternative-intentions
本記事は「AIのオルタナティブな意図」と題し、複数の著名アーティストと言論人が集い議論したAIアートの論点をまとめている。参加者たちは、生成AIの台頭によって芸術の創造意図が人間から部分的に独立しつつある現状を踏まえ、AI時代におけるアーティストの役割や著作権の再定義を主張した。特に、「AIによる創作物への著作権保護は創作者を守れず、新たな労働法規こそ必要」との意見が示され、これはAIがもたらす経済構造の変革を示唆する。理論的背景には、意図性の哲学(誰の意図が作品を形作るのか)や、オートメーションが雇用・労働に与える影響に関する社会学的議論がある。批評的争点として、芸術のオリジナリティと倫理(AIは盗作か創造か)、価値評価の変化(人間が作ったから価値があるのか)、制度的対応(法律・教育の整備)が取り上げられており、AI時代に芸術文化を持続させるための多角的視点が提示されている。
Art Theory & Criticism
The Art of the Game
https://www.rightclicksave.com/article/the-art-of-the-game-snowfro-mitchell-f-chan-interview-alex-estorick
Erick Calderonは新作ゲーム「LIFT (a self portrait)」の発表に際し、ゲームが現代アートと日常生活の両方をいかに「ゲーミフィケーション(遊び化)」しているかを論じている。彼は、プラットフォーム経済によって人生がゲーム化される現状を背景に、ゲームを社会批評のための安全な場として活用できると考える。本作では日々のデジタル労働を要求する人生を耐久テストに見立て、自身の生活を映し出す試みとして位置づけている。Erick Calderonは作品内に自身の分身であるピクセル化キャラクター「リトルマン」を登場させ、「すべてをユニークにしたい」という理念のもと無個性な大量生産に抗しつつ、コードとソフトウェアが生み出す創造性を追求する。理論的背景には、ビデオゲームが現代美術で果たしてきた役割や、テクノスタルジア(懐古的技術嗜好) への着目、そしてプラットフォーム経済下で消費文化がゲーム化する状況への批判がある。こうした文脈の中で彼の作品は、デジタル社会における個人の主体性や労働の価値といった批評的争点を浮き彫りにしている。
The Artist as Comedian
https://www.rightclicksave.com/article/the-artist-as-comedian
Mitchell F. Chanは、壁にダクトテープで貼られたバナナ(マウリツィオ・カテランの作品)が高額で取引された事件と、NFT市場の価値観の共通点を論じ、「コンセプチュアル・アートと暗号資産は共にジョークを真剣に扱う文化だ」と指摘する。彼は伝統的な観念芸術の文脈で、美術作品の価値が物質的実体ではなくアイデアやコンセプトにあることを示したカテランの例を引き合いに、NFTアートもまた「ジョーク(ミーム)的要素)」によって価値を共有しコミュニティを形成していると主張する。理論的背景には、デュシャン以来のダダ・ユーモアの系譜や、金融商品としての芸術作品の歴史があり、チャンはこれらが現代のNFT熱に通底すると見る。批評的争点として、美の基準と文脈依存性、マーケットとコンセプトの相互作用、制度がジョークを受容する力(美術館がミームアートを所蔵するか否か)などが含まれる。彼の議論は、高額なバナナ作品もNFTも「価値とは何か」という問いを投げかけ、現代アートと暗号文化が共有する挑発精神を明らかにしている。
The Lumen Prize | Yuqian Sun
https://www.rightclicksave.com/article/the-lumen-prize-yuqian-sun-carla-rapoport-award-ai
RCS編集部による本記事では、カールラ・ラポポート賞の初代受賞者、Yuqian Sunへのインタビューを通じて、彼女の新作が提示する「機械の言語」の再解釈が論じられる。SunはAIやプログラミングを駆使しつつ、作品中に独自のビジュアル言語を構築しており、これは人間の言語と機械言語の境界を曖昧にする試みと位置づけられている。理論的背景には、情報アートやオートマタによる詩的実験の伝統があり、観客は作品を通じて解読を迫られる。Sun自身、テクノロジーが生成する「非人間的」コードに美を見出し、それを人間の感性に訴える形に翻訳することを目指しているという。批評的争点として、アルゴリズミックな美学の可読性(機械生成の意味を我々は理解できるか)、作家性とツールの関係(AIが書いた詩に作者の声は宿るか)、グローバルな審美眼の形成(デジタル世代に共通する視覚言語の可能性)などがある。彼女の作品は、技術と芸術の協働により生まれる新たな「言語」が、人類の認知の幅を広げうることを示唆している。
How Digital Art Found its HEFT
https://www.rightclicksave.com/article/how-digital-art-found-its-heft
アミーシア・マロルドによる本記事は、ニューヨークのHeftギャラリーで開催されたデジタルアート展覧会を通じて、デジタルアートに「重量感(HEFT)」がもたらされ、伝統的美術界への本格的受容が進んでいる状況を論じている。キュレーションの工夫や物理展示によって、これまで無形で軽視されがちだったNFTアート作品に存在感と歴史的文脈が与えられていると指摘する。理論的背景には、デジタルアートと物質性の問題、ならびに美術史におけるメディウム論がある。批評的争点として、デジタル作品の価値と永続性、美術館など制度との関係性、そしてデジタル時代における「オーラ」の再定義などが扱われ、デジタルアートが従来の芸術概念を再編している様が浮かび上がる。
Living Artwork | Alexandra Daisy Ginsberg
https://www.rightclicksave.com/article/living-artwork-alexandra-daisy-ginsberg-interview
アレクサンドラ・デイジー・ギンズバーグへのインタビュー記事では、AIの環境コストが問題視される中で、デジタルアートが自然生態系の再生に貢献し得る可能性が論じられる。ギンズバーグは人工生命や合成生物学の概念を作品に取り入れ、絶滅した花の香りをデータから再現するプロジェクトなどを通じて、人間のテクノロジーが環境と調和しうる未来像を描いている。彼女はまた、生成AIの電力消費やカーボンフットプリントへの批判に触れつつ、自身の作品ではそうした問題提起を組み込み「環境への思いやり」を表現していると語る。理論的背景には、アートとエコロジーの交差領域(エコ・アート)や、ポスト自然(Post-Nature)の哲学があり、自然を模倣・再設計する行為の倫理が問われる。批評的争点として、テクノロジーの環境倫理(AIアートの環境負荷と価値の比較衡量)、芸術の社会的責任(環境問題への意識喚起役としてのアート)、生命の定義(人工的に作られた生命体も「生きたアート」と言えるのか)などが議論され、ギンズバーグの実践はテクノロジーと生態系の関係に新たな視座を与えている。
On net.art, postinternet, and CryptoArt
https://www.rightclicksave.com/article/on-net-art-postinternet-and-cryptoart
アレックス・エストリックが司会し、ネットアート黎明期の著名作家ヴク・コシック、ポストインターネット世代のマリサ・オルソン、VRアーティストのオーリエ・ハーヴェイ、NFT評論家のジェイソン・ベイリーが参加した座談会記事である。彼らはデジタルアートの言語がウェブ1.0(net.art)、ウェブ2.0(postinternet art)、ウェブ3.0(CryptoArt)と進化する中で何が変わり何が不変かを議論した。理論的背景には、それぞれの運動のマニフェストや美学(例えばnet.artの反商業主義、postinternetのネット文化批評性)がある。討論では、CryptoArtは経済基盤こそ新しいが、90年代のネットアートが掲げた自由精神やDIY精神を継承しているとの見解が出され、また違いとしては分散型所有と投機性の高さが指摘された。批評的争点として、技術プラットフォームと芸術思潮の相互作用(テクノロジーが表現形式を規定する度合い)、アーティスト主体性(初期は無償発表、現在は市場直結)、文化のリミックス可能性(ネット時代から固有のミーム文化)などが論じられる。座談を通じ、デジタルアートの「言語」そのものはネット時代から連続しており、CryptoArtもその文脈上で理解すべきという結論が導かれている。
The Art of DIY Education
https://www.rightclicksave.com/article/the-art-of-diy-education-interdisciplinary-goldsmiths
アレックス・エストリックによる本記事では、デジタルアート分野におけるDIY(自主)教育の重要性が、複数の研究者らの討論を通じて強調される。専門分野横断的な学習アプローチが旧来の知識体制を撹乱しうるとの観点から、プログラミング・美術・デザイン・批評理論を横断的に学ぶ実践が紹介されている。理論的背景には、オルタナティブ教育運動やハッカースペース/メイカースペース文化があり、伝統的美大教育のカリキュラムでは追いつけない急速な技術革新に対処するためコミュニティ主導の学習が機能していると論じられる。批評的争点として、教育の民主化(誰もが教師であり学習者となるモデル)、制度批判(大学や美術館が果たす役割の再検討)、知識共有の経済(オープンソース精神と学習成果の収益化のバランス)が取り上げられる。記事は、ジェネラティブアートなど新領域では自主的かつ協働的な学習コミュニティが革新的アイデアを生み出す土壌となっている現状を伝え、教育制度への示唆を与えている。
The Interview | Sara Ludy
https://www.rightclicksave.com/article/the-interview-sara-ludy
サラ・ルーディはポストデジタル時代の絵画表現について語り、自身の作品を通じ「ポストデジタルのレンズ」で世界を見る方法を追求していると述べる。彼女はVRや3DCGといったデジタル技術を用いながら、絵画の伝統的概念(構図・色彩・質感)を再検討し、物質性のない仮想空間においても絵画的体験が可能であることを示そうとする。理論的背景には、デジタルとフィジカルの境界が融解した「ポストインターネット・アート」や、グリッチ美学などがあり、ルーディは物理的キャンバスの代替としてのスクリーンを新たな表現領域と捉える。批評的争点として、オーラの希薄化と再創出(ウォルター・ベンヤミンの議論に連なるテーマ)、アイデンティティのデジタルな再構築、そして伝統的芸術教育と新興メディア技術の断絶をいかに橋渡しするかが含意される。ルーディの対話からは、デジタル表現における主観性と触覚性(タクタリティ)の問題や、絵画の本質が時代と技術によってどう変容するかといった問いが浮かび上がる。
Embracing the Intelligent Age
https://www.rightclicksave.com/article/embracing-the-intelligent-age-world-economic-forum-ai-digital
ジョセフ・ファウラー(世界経済フォーラム芸術文化部長)による寄稿で、グローバル規模での倫理的イノベーションのビジョンが語られている。ファウラーは「知性の時代(Intelligent Age)」を迎えた世界において、アートが人々に創造的思考と倫理的洞察をもたらす役割を強調する。彼は具体的に、AIやビッグデータが社会を変える中で、芸術文化プログラムが多様なステークホルダーを結びつけ、新たな価値創造を行っている事例を紹介する。理論的背景には、ソーシャル・イノベーション論や倫理的デザインの概念があり、テクノロジー政策に芸術的視点を組み込むべきだという提言がなされる。批評的争点として、テクノロジーのグローバル・ガバナンスと文化多様性の維持、イノベーションにおける人文知の軽視への警鐘、持続可能性(環境・社会面)と技術開発の両立などが論じられ、経済フォーラムという政策の場で芸術が果たし得る実践的役割が検討されている。
The Aesthetic of a Protocol
https://www.rightclicksave.com/article/the-aesthetic-of-a-protocol
ジョルジュ・バックによるDistributed Galleryへのインタビュー記事で、Web3における「プロトコルの美学」について探求される。Distributed Galleryはブロックチェーン技術を用いた分散型ギャラリーの実験であり、メンバーはスマートコントラクトやP2Pネットワークそのものを作品の一部と捉え、鑑賞者がプロトコルに参加することで芸術体験が成立するモデルを提示している。彼らは、従来のギャラリーの空間美学ではなく、通信プロトコルやアルゴリズムに宿る透明性・公共性に美学を見出そうとする。理論的背景には、構造主義的な美学論(作品を成立させる見えない構造への注目)や、ネットワーク・アートの歴史があり、本プロジェクトは美術を制度ではなくコードとして組織する試みとも言える。批評的争点として、芸術の所有と参加(作品は鑑賞者の行動で部分的に生成されるため所有の概念が希薄)、制度的な権威からの脱却(ブロックチェーン上の自主キュレーションと美術館の役割比較)、美学と倫理の融合(プロトコル設計の価値観がそのまま美的評価につながる)などが議論され、Web3時代の先鋭的アートフォームが紹介されている。
Crypto Artists Invest in Themselves
https://www.rightclicksave.com/article/crypto-artists-invest-in-themselves
ニーナ・クナークは本記事で、暗号アートの世界で起きているアーティスト自身による自作品の買い戻し傾向に注目し、その背景と意義を分析している。多くのNFTアーティストが、自ら以前発行したNFTを二次市場で買い戻したり、版数をコントロールする動きを見せている理由として、クナークは2つの要因を挙げる。一つは投機的バブルへの反省から自作の価値を適正に保つため、もう一つは自己の市場イメージを管理し長期的評価を高めるためである。理論的背景には、美術史上のアーティストによる自作管理の事例(ピカソが市場から絵を引き上げた話など)や、金融市場の自己株式取得のアナロジーがあり、暗号市場特有の透明性の高さ(取引履歴が誰でも見える)がこの現象を特徴づけていると指摘される。批評的争点として、芸術作品の商品化に対する作家主体の抵抗(作品を株式のように扱うことへの内在的批判)、市場倫理(投資家との関係性、価格操作とみなされるリスク)、アートの価値本質(需要供給から離れた作家性の保障)などが議論され、暗号アートの成熟過程における自己制度化の一側面が明らかにされている。
More Than Human Conversation
https://www.rightclicksave.com/article/more-than-human-conversation-interview-merlin-sheldrake-helen-knowles
ヘレン・ノウルズ(アーティスト)とマーレン・シェルドレイク(菌類学者)による異分野対談記事で、アートと自然(特に菌類)の対話を通じた再生的力が論じられる。ノウルズは菌類ネットワークの有する相互扶助や情報共有の仕組みに着想を得て、人間中心主義を超えた「モアザンヒューマン(人間以上の)」な視点で作品制作を行っていると述べる。理論的背景には、エコクリティシズムやポストヒューマニズムの思想、さらに近年注目される菌糸圏(マイコリアル・ネットワーク)の科学研究があり、シェルドレイクは菌類が示す非ヒエラルキー的ネットワーク原理を解説する。批評的争点として、環境倫理(人間と他生物との関係性の再構築)、美学(自然のプロセスを取り入れたアートの価値)、制度(科学と芸術のコラボレーションが既存の専門分野区分に挑戦すること)などがある。対談は、芸術が科学知と結びつき生態系の回復や新たな価値観の醸成に寄与しうることを示唆し、人新世以後の文化における芸術の役割を問い直している。
REPORT | ART FOR TOMORROW
https://www.rightclicksave.com/article/report-art-for-tomorrow
ポール・ゴーゲル・マッソンによる本記事は、「Art for Tomorrow」というアートとテクノロジーの未来に関する国際会議の主な論点を報告している。スター建築家やテック起業家、アーティストらが参加したこの会議では、AIやNFTがもたらす美術市場や創作手法の変化、メタバース上の新たな表現空間、そしてデジタル時代の美術教育など多岐にわたる議題が討論された。理論的背景には、芸術の民主化と技術革新に関するグローバルな視点や、ポストパンデミック期における文化政策の課題がある。記事はまた、テクノロジーが芸術の価値体系や倫理(データ所有権、著作権、環境負荷など)に投げかける課題を整理し、制度(美術館・市場)側の対応の必要性と、美術と科学技術の協調がもたらす可能性と緊張関係といった批評的争点を提示している。
Art and Resilience at the World Economic Forum
https://www.rightclicksave.com/article/art-and-resilience-at-the-world-economic-forum
ミア・スターン執筆の記事では、世界経済フォーラム(ダボス会議)におけるアーティストの存在意義と、その政策的インパクトが検証されている。年次総会に招聘された現代アーティストたちが、気候変動やテクノロジー倫理といったグローバル課題について作品や討議を通じ発言する様子が描かれ、アートが専門家や政治家に「異なる物語」を提示する力が強調される。理論的背景には、アート・アクティビズムやカルチュラル・ディプロマシー(文化外交)の概念があり、スターンは芸術がレジリエンス(回復力)の物語を紡ぐことで政策対話に寄与できると論じる。批評的争点として、芸術の社会的効能と政治利用の境界(芸術家は体制の飾りか変革者か)、制度側の受容度(エリート会議で芸術的知見がどこまで影響力を持つか)、価値の測定(芸術的介入の成果をどう評価するか)などが浮かび上がる。記事を通じて、現代におけるアーティストは創作だけでなく社会対話の触媒としての役割を担い始めていることが示唆されている。
The Interview | john gerrard
https://www.rightclicksave.com/article/the-interview-john-gerrard-crystalline-work
メディアアーティストのジョン・ジェラードへのインタビューでは、新作クリスタル状作品の背景にある「デジタル生態系の再生」について語られる。ジェラードは仮想環境シミュレーションを用いて環境問題をテーマにした作品で知られるが、本作では結晶成長のプロセスをデジタルに再現し、人間と自然の協調を象徴する試みを行っている。インタビューでは、デジタル技術が現実世界のエコロジーに影響を与えうるという信念が示され、アート作品を通じて環境への意識喚起だけでなく具体的行動(例えば炭素削減)のインセンティブを埋め込む構想も語られる。理論的背景には、エコロジカル・アートやシステム思考の芸術があり、またデジタル・ツイン(仮想環境に現実のモデルを構築)の概念も応用されている。批評的争点として、シミュレーションと現実の関係(仮想での変化が現実の行動を促せるか)、芸術の社会実効性(作品が啓発以上の何をもたらすか)、デジタル作品の物質性(結晶という有形の比喩を用いる意義)などが浮かび、ジェラードの作品はデジタル表現を通じて地球環境という究極の現実に働きかける野心を示している。
https://gyazo.com/43bb4ee6e5a6e9c2dae859beae4e4033
john gerrard - Flare (Oceania) (2022)
Mint Once, Display Everywhere
https://www.rightclicksave.com/article/mint-once-display-everywhere
リック・マネリウスによる提言記事で、NFT作品のメタデータ標準化と一元管理の必要性を主張した「一度ミントしてどこでも表示」モデルが提案されている。彼は現在のNFTエコシステムでは作品ごとに異なるプラットフォームにメタデータが散在し、作品表示や保存に不具合が生じると指摘する。そこで一度ブロックチェーン上で統一フォーマットのメタデータを確定すれば、あらゆるギャラリーやSNSで同じ情報が参照されるという、Web標準に沿ったNFT運用を提案する。理論的背景には、Web2.0時代のオープン標準(例:RSSやHTTP)の成功と、現在のWeb3の断片化の比較があり、インターネット技術者的視点からの批判となっている。批評的争点として、技術標準化の利点と中央集権化リスクのバランス、クリプト界の各企業の競争(囲い込み戦略)とユーザー利益、将来のデジタル美術品の保存(永続的に真正性を保つ方法)などが論じられ、提案は単なる技術論に留まらず芸術作品の永続性・可アクセス性という倫理的問題を含んでいる。
The Pixel Universe | Yosca Maeda
https://www.rightclicksave.com/article/the-pixel-universe-yosca-maeda-interview-afterglows-neort
別名maeとして活動する日本のデジタルアーティスト、前田陽司(Yosca Maeda)へのインタビューでは、デジタルアートが記憶を呼び覚ます力について語られる。maeはピクセルアートの技法を用い、過去のゲームやデジタル文化の断片を作品に編み込むことで、観る者の中に眠る郷愁や個人的記憶を喚起しているという。理論的背景には、レトロゲーム文化の再評価や、ピクセルアート特有の制限された美学(低解像度による抽象性)がある。また日本の「物語消費」的文化に通じる、見る者各自が断片から物語を再構築する仕掛けについても触れられる。批評的争点として、デジタル世代のアイデンティティ形成(幼少期のデジタル体験が文化記憶となる)、美術におけるノスタルジアの価値(単なる懐古と異なる創造的契機か否か)、グローバル市場でのローカル要素(日本的ピクセル美学)の位置づけなどが議論される。maeの作品世界からは、ピクセルという最小単位のイメージが普遍的な感情と結びつき、新旧文化を橋渡しするメディウムとなっている様が浮かび上がる。
Decentering the Human | Kadine James
https://www.rightclicksave.com/article/decentering-the-human-kadine-james-interview
没入型スペースのキュレーターでアーティストでもあるカディーン・ジェイムズへのインタビューで、彼女はデジタルアイデンティティの動的な性質について語っている。ジェイムズはVRやAR技術を使った没入型展示を手掛け、人間中心主義を脱却し複数の視点が共存する空間づくりを目指している。彼女の主張では、デジタル空間では自己は一つに固定されず、アバターやデータを通じて流動的に変化し続ける存在であり、その意味で「人間を中心に据えない(脱中心化)」デザインが必要だとする。理論的背景には、ポストヒューマニズムやネットワーク社会論(マニュエル・カステル)などがあり、またゲーム文化における自己変容の実践からも影響を受けているという。批評的争点として、仮想環境での自己表現とリアルなアイデンティティの関係、テクノロジーとジェンダー・人種の交差(現実で抑圧される属性をデジタルで変容させる意義)、制度面ではメタバースにおける権利やコミュニティ規範の構築などが議論されている。インタビューからは、ジェイムズの活動がデジタル時代の「私とは何か」という根源的問いに挑むアート実践であることが読み取れる。
Pattern Anarchy and the Promise of Old Media(Corinna Kirsch)
https://www.rightclicksave.com/article/pattern-anarchy-and-the-promise-of-old-media
本記事では、Corinna Kirschが提唱する「パターン・アナーキー(pattern anarchy)」の概念を通じて、アーティストが装飾(ornament)やアナログ技術との接続を介して知覚のパラダイムを再編している様相が分析される。アーティストの主張として、LoVidやTravess Smalley、Tauba Auerbachらによる作品を例に、彼らがデジタルとアナログ、滑らかさと手触り、秩序とカオスの宙吊り状態を統合し、「手作り感」と「生成性」を両立させる表層を構築している点が挙げられる。これにより観者は「firstness(直接体験)」を技術的メディアに介在することなく取り戻す契機と見なされている。理論的背景では、Giuliana Brunoによる「イメージは常に物質的表層であり、その関係性は時とともに揺れ動く」という思想が引用され、装飾的パターンが視覚と触覚の境界を曖昧化する力をもつことが示唆される。また、アナログ信号操作の歴史(1970年代のビデオアートなど)や、ナバホ族女性の半導体工場での貢献といった、ジェンダーや文化的記憶の痕跡を呼び起こす歴史的文脈も紹介され、技術と社会が交差する深層の連鎖を照らす。批評的争点として、スムーズで没入的なメディア環境への批判として、反滑らかさ・雑音・触感を介在させることで知覚を再編する美術の役割が論じられる。また、Web3時代の“直接性”への渇望は実は多層的な媒介を通じて成立するものであり、「メディア」に対する単純な解放よりも、その歴史的・社会的構造を意識した介入こそが革新を生むとする視点が提示されている。
Digital Art History & Aesthetics
EZTV and LA’s Digital Underground
https://www.rightclicksave.com/article/eztv-and-las-digital-underground
カリフォルニアのラディカルな包括性の歴史を辿るこの記事では、Dina Changが映像作家マイケル・J・マスッチへのインタビューを通じて、1980年代のロサンゼルスにおけるメディアアートコミュニティ「EZTV」の足跡を記録している。EZTVは当時まだ高価だったビデオ技術を用いて、女性やマイノリティ、LGBTQ+といった多様な人々が参加できる創作プラットフォームを築き、デジタルアートの民主化に寄与した。理論的背景には、アンダーグラウンド・アート運動やシチュエーショニスト的実践の流れがあり、公的支援なく自主的に運営されたこのコミュニティの理念はWeb時代のオープンソース文化にも先駆する。批評的争点として、芸術の包摂性とアクセシビリティ(テクノロジーの門戸開放)、制度からの自立(権威的美術館やギャラリーへのアンチテーゼ)、ネットワーク文化の原点としての地域コミュニティの役割などが浮かび上がる。記事はまた、現代のNFTアートにおける「誰もがクリエイターになれる」という風潮との歴史的連続性も示唆し、テクノロジーと包括性の関係を再評価している。
On Painting’s Digital Ruins
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クリス・ドーランドへのインタビュー記事では、デジタル時代における「絵画の廃墟」とも言うべき美学について論じられる。ドーランドはアナログテレビのノイズや破損したデジタル映像など、技術的失敗の美学を作品に取り入れ、壊れたシステムを再想像する創造性を強調する。理論的背景には、グリッチ・アートの思想やポストデジタル時代の美術論があり、デジタル技術の不完全性が新たな表現領域を開くという考えが示される。ドーランドはまた、絵画という古典的メディウムとデジタル技術の交錯について語り、美術史の継承と革新のバランスを検討する。批評的争点として、技術インフラへの依存と脆弱性、視覚文化におけるエラーやノイズの価値、美的判断基準の拡張などが挙げられ、現代において「絵画」とは何かを再定義する試みが読み取れる。
NFTs and the Revenge of Surrealism
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この記事では、美術批評家Isabella WilkinsonがNFTアートに潜む「シュルレアリスム的傾向」を取り上げ、現代のデジタル文化を20世紀初頭の前衛運動と比較する。アーティストやコレクターの言説を参照しつつ、NFT空間には荒唐無稽なイメージ、非合理な価値付け、偶然性や夢の論理が氾濫しており、これはシュルレアリスムがかつて目指した「無意識の解放」のデジタル版と位置付けられる。理論的背景には、アンドレ・ブルトンらが提唱した自動記述や夢の美学があり、NFT市場での突発的高騰や「ジョーク的」プロジェクトの隆盛と重ねられる。批評的争点は、第一に「価値と非合理」の関係である。NFTバブル期の過剰な価格形成は非合理の美学を体現しており、それを単なる混乱とみなすか、文化史的運動の継承とみなすかが論点となる。第二に「制度との対立」である。シュルレアリスムが既存美術制度を揺さぶったように、NFTもまた従来の美術館・市場に不安定な影響を及ぼしている。記事は、NFTアートを通じて、かつての前衛が蘇生しつつある現状を描き、非合理や偶然を許容することが現代文化の批評性を豊かにすると結論付けている。
Patterns of Flow | Revisiting Hiroshi Kawano
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コンピュータアートの先駆者・河野洋(Hiroshi Kawano)の再評価をテーマに、研究者のHasaqui Yamanobeが執筆した記事である。河野は1960年代から計算機による造形理論を追求し、日本のデジタルアート黎明期に重要な足跡を残した人物だ。記事では河野の作品と思想を振り返りつつ、現代日本のデジタルアーティストたち(例えば落合陽一ら)の活躍に触れ、両者を「流れのパターン」という観点で結びつけている。理論的背景には、日本の具体美術や読売アンデパンダン展の流れ、欧米の情報美学との交流史があり、河野の理論(計算美学)が若い世代に再発見されているという。批評的争点として、地域固有のデジタルアート史の位置づけ(日本の事例は西洋中心史観にどう絡むか)、世代間で変容する価値観(戦後の技術楽観と現代のテクノロジー批判との対比)、そしてメディアが異なっても連綿と続く表現上の課題(ランダム性と秩序の美など)が論じられる。記事は、過去と現在のアーティストの対話を通じて、ジェネラティブアートの思想的系譜を明らかにしている。
Alternative Evolution | William Latham
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コンピュータグラフィックスの先駆者ウィリアム・レイサムへのインタビュー記事で、彼の新作「Mutator Infinity」シリーズを契機に、その驚異的キャリアを振り返りつつジェネラティブアートの進化が語られる。レイサムは1980年代から有機的形態の生成アルゴリズムに取り組んでおり、最新作ではVRやAIを導入して自身の過去作品を無限展開するプロジェクトに挑んでいる。彼は進化論から着想を得た「交配/突然変異」による形態生成手法を提唱しており、今回も過去作のDNAを持つビジュアルが次々と変容する様をMutatorソフトで表現している。理論的背景には、進化的アート(進化アルゴリズムの芸術応用)や、生物美学(生命体に由来する審美概念)があり、インタビューでは当時前衛と見なされた彼の試みが現代では広く受容されている点が強調される。批評的争点として、作者と生成物の関係(自ら設計したシステムが産んだ形態は誰のものか)、技術進歩による表現拡張(30年前は不可能だった計算が今可能になり彼のビジョンが結実した)、そして人間のクリエイティビティの定義(アルゴリズムに委ねた創造行為は人間の創造と言えるか)などが議論される。レイサムの語りからは、ジェネラティブアートの黎明期から現在までの「進化」の系譜が示されている。
Dancing with Computers | Analivia Cordeiro
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ジェネレイティブ・コレオグラフィ(生成振付)の先駆者であるアナリビア・コルデイロは、人間の身体がテクノロジーの中でいかに自由を見出せるかを探求している。彼女は1970年代初頭からコンピュータコードを用いてダンスをデジタル体験へと翻訳し、「規則と自由の対話」を生み出すことに注力してきた(ラバンの運動分析法や具体芸術などから影響を受けつつ)。ブラジルの軍事政権下で生まれた初期作品では、機械的規則の中に即興の余地を残し、男性優位の技術幻想への異議を唱えた。近年、暗号資産アートの台頭に伴い再評価された彼女の作品は、アルゴリズムが人間行動を形成する時代において、人間の身体が技術的システム内で主体性と人間性を維持できる可能性を示す。技術と身体の関係を「対立ではなくフィードバックループ」と捉える彼女の哲学は、フェミニズム的視座や植民地主義への批判とも響き合い、データ社会における倫理やアイデンティティの問題を提起している。
Painting and the Personal Computer | Samia Halaby
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パイオニア的な抽象画家でありデジタルアーティストでもあるサミア・ハラビーが、コンピューターがいかに「抽象の究極の道具」となり得るかを語ったインタビュー記事である。ハラビーは1948年の離散後、抽象画家としてアメリカ中西部で学び、女性画家としての境遇にも抗いつつ制作活動を続けてきた。その後、芸術世界がデジタル・ハイブリッド形式を包含する現在、彼女の経歴はクリプトアート時代に必要とされる「ラディカルな包括性」の手本とされる。1980年代半ばに初めてパーソナルコンピューター(Commodore Amiga 1000)と出会い、C言語やBASICを使って「キネティック・ペインティング(Kinetic Paintings)」と名付けた、幾何学的な形態に動きと音を組み合わせた生成芸術作品を制作した。この試みは、彼女が20年以上追究してきた抽象絵画の延長線上にあり、同時にアナログとデジタルを横断する自然な流れとして位置付けられている。インタビューの中で彼女は、コンピューターを「視覚言語を拡張させる素材」として評価し、キャンバスが「夢想のための白い空間」であるのに対し、コンピューターの画面は“生きているような存在感”と“記憶を呼び戻す能力”を内包していると語る。これは、視覚経験における空間と時間の統合、そして静的構図から動的生成へと移行する抽象絵画の可能性を示している。ハラビーの美術的道程は、コンピューターというメディアが単なるツールではなく、抽象芸術の未来を開く言語であることを実証しており、テクノロジーと視覚芸術を交差させる彼女の位置づけが現代において非常に示唆的である。以上のように、本記事はデジタル技術との早期からの協働によって抽象表現の地平を拡張し続けるアーティストの軌跡と哲学を鮮やかに描き出している。
On Electric Dreams
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ブロナク・フェランとヴァル・ラヴァリアの対談記事では、テート・モダンで開催されたプレ・インターネット時代の芸術家たちによる画期的展覧会を振り返り、現代におけるその意義を考察している。ラヴァリアはキュレーターとして、1960~70年代にコンピュータや電子技術を用いた先駆的作品を再評価することで、デジタルアートの歴史的系譜を示したと述べる。理論的背景には、インターネット以前の実験的メディアアート(例えばナム・ジュン・パイクやコンピュータ・アートの黎明期)の研究があり、当時のアナログ技術に対する楽観と不安が論じられる。フェランは、技術的失楽園(electric dreams)とも言える初期デジタル作品群が、現代のデジタル文化にもつ教訓について言及する。批評的争点として、歴史の忘却と想起、美術館の収蔵・再展示の課題、技術革新に伴う文化的記憶の継承などが取り上げられ、デジタルアート史をいかに構築・維持するかという問題意識が示唆されている。
The Metamagic of Mathematics
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ブロナク・フェランによる記事で、コンピュータアート黎明期の先駆者たちが数学の持つ創造的力について語ったディスカッションの模様が紹介される。参加したのは人工知能や生成芸術に携わる先駆的アーティストらで、彼らは数学的思考が芸術に与える魔術的(メタマジック)な影響について議論した。例えば、アルゴリズムが生む予期せぬ美や、フラクタル幾何学がもたらす新しいパターン認識などが取り上げられ、数学が単なる道具に留まらず美の源泉であると結論づけられる。理論的背景には、マックス・ベンゼらの情報美学、あるいはカオス理論の芸術応用などがあり、デジタルアート史を横断するテーマとなっている。批評的争点として、科学と芸術の二分を超えた知の統合(ルネサンス的人文と理の再結合)、芸術教育におけるSTEMと美学の融合、さらにアルゴリズムが自律的創造者となることへの哲学的問い(作者性の問題)などが議論された。記事は、世代を超えた芸術家たちが数理的真理と美的真実の関係を語ることで、デジタル時代における芸術創造の根底に数学が宿ることを浮き彫りにしている。
On China’s Digital Art Ecosystem
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中国・上海を拠点とするMUDギャラリーの創設者へのインタビュー記事で、中国におけるジェネラティブアートの隆盛とデジタルアート生態系について論じられている。インタビュイーは、中国の若手アーティストたちが新技術を積極的に取り入れ、地元の美術シーンに独自の活力を与えている現状を紹介する。理論的背景には、中国の前衛芸術史(毛沢東後の実験芸術やNew Media Artの潮流)とグローバルなCryptoArtブームの交錯があり、中国市場特有のSNS文化やコレクターコミュニティの形成についても触れられる。批評的争点として、中央集権的管理が強い中国におけるクリプトアートの展開(検閲や規制との関係)、伝統的美学(例えば水墨画や漢字芸術)とジェネラティブ技法の融合、デジタルアートに対する国内外の価値認識の差異などが議論されている。インタビューからは、ローカルな文化資源を下敷きにしつつグローバル技術を活用するという「グローカル」な創造戦略が浮かび上がり、中国デジタルアートの未来像が描かれている。
Art on the Move | Jasia Reichardt
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伝説的キュレーターであるヤシャ・ライハルトへのインタビュー記事で、彼女が1968年に企画した「サイバネティック・セレンディピティ展」(ロンドンICA)の遺産や、日本のアヴァンギャルドがジェネラティブおよびAIアートに与えた影響が語られる。ライハルトは当時から芸術における計算技術の潜在力を認識し、また日本の実験映画・コンピュータアートの動向に注目していたことを明かす。理論的背景には、キュレーション論(革新的展示が文化受容を変える力)や、東西芸術交流史がある。彼女は日本の前衛(具体美術協会やコンピュータ・グラフィックス大会など)の国際的意義を強調し、それが現代のAIアートにも連なると指摘する。批評的争点として、美術のグローバル化とローカル性のバランス(日本発の動きがどう世界に影響したか)、キュレーターの役割(新技術芸術を世に問うパイオニアとしての使命)、芸術と科学の協働の未来などが語られる。インタビューを通じ、過去のビジョナリーな試みが現在のテクノロジーアートに脈打っていることが浮き彫りになり、歴史的文脈の中で現代デジタルアートの意義が再確認されている。
The Power of The Paintbox
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本記事では、1980年代に登場した画像編集機Quantel Paintboxの遺産が現代デジタルアートおよびポップカルチャーに与えた影響が、複数の著名アーティストへのインタビューを通じて語られる。ペイントボックスは初期のデジタル画像処理ツールとして、TV放送や映像制作に革命をもたらしたが、記事ではそれが現代のクリエイターにとって創造性の源泉かつレトロなインスピレーションになっていることが示される。理論的背景として、アナログからデジタルへのメディウム転換期の歴史や、ツールが芸術表現の様式を形作るというメディア論がある。アーティストたちはペイントボックスの精神を、今日のPhotoshopやProcreateなどにも通じる「アーティストによる技術ハック」の伝統として位置づけ、技術と芸術家の関係性を語る。批評的争点として、ツールに内在する美学(ハードエッジなビジュアル、制約から生まれる創意工夫)、技術の商業利用と芸術利用の境界、デジタル文化におけるノスタルジアと革新の交錯などが議論されている。
Art After Artists
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本記事はアシュリー・リー・ウォンの新刊『Art After Artists』を紹介しつつ、デジタル時代におけるアートのエコロジーとエコノミーの変容について論じている。ウォンの著作は、アーティスト不在でも作品が自己増殖・自己展開し得る状況(生成的アート、AIアート、ブロックチェーン上の契約など)を分析し、従来の作家中心主義から脱した芸術生態系の可能性を提示する。理論的背景には、作者の死(ロラン・バルト的意味)やオープンソース文化、プロシューマー的参与型アートなどの議論があり、芸術の主体が拡散する現象を捉えている。批評的争点として、価値の創出者が誰か(作家、観客、アルゴリズム)、芸術作品の所有や収益配分の新モデル(DAOやスマートコントラクト)の模索、芸術の制度(美術館・市場)がこれら新潮流にどう適応するか、といった点が論じられ、NFT以後のアートの経済と文化的価値観のシフトが展望されている。
Generative Art
Herndon, Dryhurst, and Hobbs on Liquid Images
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アレックス・エストリックの対談記事では、世界的に活躍する3名のジェネラティブ/AIアーティスト(ホリー・ハーンドン、マット・ドライハースト、タイラー・ホブス)が一堂に会し、「リキッドなイメージ」と称される新たな美学について議論する。彼らは、AIによって生み出されるイメージが固定的な作品ではなく絶えず変容し続ける流動的性質を持つと指摘し、それが音楽やプログラム可能アートと結びつく未来像を描く。理論的背景には、グラムシアリティ(液状化する近代性)の社会学や、ジェネラティブデザイン理論があり、作品の一回性と生成過程そのものの価値が見直されている。批評的争点として、美術作品の所有と体験(変化し続ける作品を誰がどう所有・展示するのか)、アーティストの役割(AIシステムの設計者としての作家性)、美学と政治の相関(アルゴリズムの偏りやプラットフォーム資本への批判が作品に内包される)などが議論された。対談からは、アートが静的オブジェクトではなくシステムや関係性として捉え直される潮流が読み取れ、デジタル時代の創造観に一石を投じている。
The Interview | Agoria
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デジタルアーティスト兼DJとして著名なアゴリアへのインタビューでは、彼が音楽とビジュアルアートを横断しながら作品に「生命」を吹き込む方法が語られる。アゴリアはジェネラティブアート作品に自作音楽を組み込み、観客とのインタラクションを通じて作品が有機的に変化する仕組みを探求している。彼の制作意図は、テクノロジーを用いてアートと音楽の境界を解体し、鑑賞体験に没入感と動的な生命性を与えることにある。理論的背景には、オーディオビジュアル・アートの歴史や、ライブコーディング/ジェネラティブミュージックの文脈があり、さらにデジタル生成物に擬似生命を感じさせるアルゴリズム美学(人工生命的アート)の思想も含まれる。批評的争点として、複数分野の融合による新たな価値創出(制度的には音楽と美術の市場・評価軸の違いをどう統合するか)、観客参加型作品における作者性の揺らぎ、リアルタイム生成される芸術に対する評価基準などが議論され、デジタル時代の総合芸術としての可能性が示唆されている。
The Interview | Bjørn Staal
https://www.rightclicksave.com/article/the-interview-bjorn-staal
ビョルン・スタールへのインタビューでは、新技術とコミュニティを絡め取るジェネラティブアートの可能性が語られる。スタールは自身の作品制作においてブロックチェーン技術や生成アルゴリズムを活用しながら、オンライン上のコミュニティ形成に重点を置いている。彼の主張によれば、ジェネラティブアート作品は単にコードから生まれるだけでなく、周囲に集う観客やコレクターとの相互作用によって進化する「生態系」のようなものだという。理論的背景には、ジェネラティブアート黎明期の芸術家(ヴェラ・モルナーやマンフレッド・モーア)の思想、ならびにクリプトアートにおけるDAO(自律分散型組織)の試みなどがある。スタールはまた、デジタル作品が観衆の参加を得てリアルタイムで変容するインタラクティブ性についても触れ、アート作品の境界がコミュニティによって拡張される様を示唆する。批評的争点として、作家と観客の役割再編(共同創造の台頭)、技術プラットフォームへの依存(特定ブロックチェーンやツールが創作の在り方を規定する可能性)、グローバルなネットワーク時代の芸術の価値基準などが議論され、アートとテクノロジーと社会が交差する最前線の姿が浮かび上がる。
https://gyazo.com/4503af05840d69cd6cff898d42a90eb8
Bjørn Staal - Entangled
Cure³ Unites the Art World to Cure Parkinson’s
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ボナムスで開催されたパーキンソン病治療支援のためのチャリティ展「Cure³」の最新エディションについて、アレックス・エストリックとフォテイニ・ヴァレオンティが報告している。今回の展示ではデジタルアーティストが初めて主要な位置を占め、物理作品とデジタル作品が並列的に紹介された。この記事は、美術界が難病治療のため一丸となる姿を描くと同時に、デジタルアートが社会貢献の文脈でいかに受容され価値づけられるかを検証する。理論的背景には、芸術と社会福祉の連携(ソーシャリーエンゲイジドアート)や、NFT慈善(NFTオークション収益寄付)の潮流があり、伝統的に物質的なオブジェを好む慈善オークションの場にデジタル作品が組み込まれる意味が問われる。批評的争点として、美術作品の価値(市場価値と社会貢献価値の交錯)、制度の開放性(伝統的美術館・オークションハウスが新媒体を受け入れる度合い)、倫理(慈善を標榜したマーケティングとの境界)が論じられ、アートが社会課題解決に寄与するモデルケースとしてデジタルアートの役割が評価されている。
Caring Code | Marcelo Soria-Rodríguez
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マルセロ・ソリア=ロドリゲスはジェネラティブアートを人間と機械の双方に対する共感の媒体として位置づけ、その社会的役割を強調する。彼の主張は、コード(プログラム)によって生成されるアート作品が、人間の感情や価値を反映しうるだけでなく、機械に対する新たな感情移入(例えばAIに対する思いやりのような感覚)を喚起し得るという点にある。理論的背景には、ジェネラティブアートの黎明期から語られてきた「作者と生成システムの協働」思想や、近年のAI倫理(AIに人格や権利を認めるべきかといった議論)がある。ソリア=ロドリゲスは、自身の作品制作プロセスで人間のストーリーや感情をコードに織り込み、鑑賞者に両者のつながりを感じさせることを試みている。批評的争点として、ジェネラティブアートにおけるオリジナリティと自律性の問題、アートが倫理的思考実験として機能しうる可能性、そして機械生成物にも共感を覚えるような価値観の変化などが浮かび上がる。彼のアプローチは、デジタルアートが社会やコミュニティに癒やしや共感をもたらす「ケアのコード」となり得ることを示唆している。
The World’s Largest GIF
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メディアアーティストのジェイソン・サラヴォンが、データ駆動型アートとジェネラティブアートの違いについて語ったインタビュー記事である。インタビュアーのマリウス・ワッツは、サラヴォンの新作が「世界最大のGIF」だと形容されることに触れつつ、彼がデータビジュアライゼーションの手法からジェネラティブな美へと進化させた過程を探る。サラヴォンは、大量の統計データを元にした作品で知られるが、本作では純粋抽象形態の自動生成に挑戦し、データアートとジェネラティブアートの境界を融解させたという。理論的背景には、20世紀の情報デザインと現代の生成モデルとの連続性があり、またGIFというインターネット文化の象徴的メディアへの言及は、古典的アニメーションとプログラムアートの架橋として示唆的である。批評的争点として、データの意味性vs. 視覚性(情報伝達と純粋審美の緊張関係)、作品のスケール(最大のGIFという物量が美に与える効果)、アートとテクノロジーの協働体制(プログラマーとアーティストの役割分担)が論じられる。記事は、サラヴォンの試みを通じて、データに基づく現実世界の反映から自律的なデジタル美の創出へと向かう現代アートの一側面を照らし出している。
The Interview | Jacek Markusiewicz
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ヤツェク・マルクシェヴィッツはデジタル建築とジェネラティブアートの融合に取り組むアーティストであり、カルフ(Kaloh)によるインタビューでその創作哲学が語られる。彼はパラメトリック・デザインの手法を取り入れ、デジタル上で自己増殖・自己変容する建築様式を探求している。制作意図としては、固定的な建築物ではなく、見る者の入力や環境データによって形状を変える動的建築空間を創造することで、人間と空間との関係性を刷新することにある。理論的背景には、建築におけるモダニズムからポストモダンへの転換(形態の脱自律)や、生成デザインの計算幾何学があり、またポーランド出身の彼は東欧の美学的文脈(構成主義や具体芸術の影響)も受けているという。批評的争点として、作者と利用者の共同創造(建築物が利用者によって完成する概念)、デジタル空間の所有と権利(NFT建築の可能性)、美的評価の流動化(毎瞬変わる形をどう評価するか)などが挙げられ、デジタル技術が建築芸術にもたらすパラダイムシフトが論じられている。
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Jacek Markusiewicz - in osculari 1
NFT Market & Community
Whatever Happened to NFTs?
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カイル・ウォーターズとアレックス・エストリックの対談形式で、NFT市場の発展と変容が分析されている。二人はNFTブーム以降のマーケット動向を振り返り、市場の成熟に伴い投機熱が冷めたこと、しかし同時に熱狂に淘汰された後に真に価値あるデジタルアート・コミュニティが残ったことを指摘する。理論的背景には、バブル経済の興亡や美術市場史における投資と芸術価値のせめぎ合いがある。彼らは、NFT黎明期に見られた過剰な収益至上主義を批判しつつ、現在はより多様なプラットフォームやブロックチェーン(例えばTezosやSolanaなど)にアーティストが分散し、地域コミュニティやテーマ別コミュニティが形成されていると論じる。批評的争点として、デジタルアートの真正性と持続可能性(技術変化に耐えるか)、マーケットの再中央集権化の危険(大手取引所や企業参入による影響)、NFT文化の社会的インパクト(新たなメセナや公共圏の誕生)が議論され、単なる流行現象に終わらないNFTの次章が展望されている。
How Inclusive is the NFT Space?
https://www.rightclicksave.com/article/how-inclusive-is-the-nft-space
この記事では、NFT市場における多様性と包摂性の課題が焦点化される。アジアやアフリカ、LGBTQ+アーティストらの実践を取り上げ、グローバルな市場構造が依然として欧米中心に偏っていることが問題視される。アーティストの証言によれば、NFTは本来、国境や制度を超えた参加を可能にするはずであったが、現実には西洋的審美眼や英語圏ネットワークが評価基準を独占している。理論的背景には、ポストコロニアル研究やフェミニスト批評、インターネット文化の地政学的格差の議論があり、NFT空間の「自由市場」神話が批判的に検証される。批評的争点としては、第一にアクセス格差(技術インフラや金融手段への不平等)、第二に表象の不均衡(マイノリティの作品が消費的エキゾティシズムに利用される可能性)、第三に制度的対応(NFTプラットフォーム運営者が多様性をどう制度化するか)が挙げられる。記事は、NFTが掲げる包摂性の理想と現実の断絶を指摘し、より公正な制度設計を促す批評的視座を提供している。
The United Community of Crypto Art
https://www.rightclicksave.com/article/the-united-community-of-crypto-art
この記事は、Crypto Artにおける国際的コミュニティ形成の歴史と現在の活動を記録している。とりわけ、Crypto Art Museumの共同設立者であるColborn Bellや、早期からのアーティストたちの実践を通じて、地理的・文化的境界を越えてアーティスト同士が連帯してきた経緯が語られる。彼らの主張は、NFTを単なる投機対象としてではなく、グローバルなネットワークを育む文化的触媒と見なす点にある。理論的背景には、20世紀の前衛芸術に見られた「インターナショナル」志向や、アナーキズム的なオルタナティブ・スペース運動があり、それがブロックチェーン上のDAOやDiscordを介した自律的な集団運営に重ねられる。批評的争点は、第一に「コミュニティの真正性」である。市場の過熱と沈静を経てもなお継続する交流は、資本的価値を超えた共同体的価値を持つと強調される。第二に「包摂性と排他性」の問題である。自由でオープンなネットワークでありながら、特定の文化圏や言語に偏りがちであることも事実であり、真の普遍性が問われている。記事は、Crypto Artの価値は単に作品や価格にではなく、共同体そのものの存在にあると結論づけ、アートの社会的基盤の変化を示唆している。
What the Punk!
https://www.rightclicksave.com/article/what-the-punk
ジェイソン・ベイリー執筆の記事で、新しいCryptoPunksのドキュメンタリー映画の制作チームとの対談を通じ、NFTカルチャーの象徴である「CryptoPunks」の歴史とその文化的影響が語られる。制作陣はCryptoPunks誕生当初のコミュニティの熱気や、2017年当時は無価値に思われたピクセルキャラクターがいかにして数百万ドルの価値を持つに至ったかを映画で描こうとしている。理論的背景には、サブカルチャーが主流化するプロセスの研究や、ポップアートにおけるアイコンの消費などがあり、記事ではNFTアートがAndy Warholのキャンベル缶のように時代精神を映すアイコンとなったことが示唆される。批評的争点として、匿名制とアイデンティティ(Punkの所有者の匿名性とステータス)、著作権と二次創作(Punkの派生プロジェクト乱立の是非)、マーケットの狂騒と真正な文化価値の区別などが議論されている。ベイリー自身NFT文化の第一人者として、映画が単なるバブルの記録ではなくデジタル時代の新たなアートムーブメントとしてCryptoPunks現象を位置づけている点を評価し、NFTの持つ社会・美学上の意義を改めて提示している。
The Digital Art Mile at Basel
https://www.rightclicksave.com/article/digital-art-mile-at-art-basel
ジョニー・ディーン・マンによる一人称レポートで、2024年のアート・バーゼルにおけるデジタルアートの存在感が克明に描写されている。著者は現地取材を通じて、バーゼル市内に出現した「デジタルアート・マイル」と称する一角で、伝統的な現代美術ファンとNFT愛好家が交わり、新旧のアートシーンが融合する様子を報告する。理論的背景には、ハイ・アートとロー・アートの境界や、美術市場の適応過程(ギャラリーがNFTを扱い始める動き)があり、フィジカル展示とオンライン販売のハイブリッドモデルが検証される。批評的争点として、権威ある美術フェアにおけるデジタルアートの受容(質的評価や価格形成の動向)、コミュニティ主導のイベントの意義(公式イベント周辺での自由な創造)、そして場所性の再定義(デジタル作品にも地理的文脈が与えられることの意味)が挙がる。マンのレポートは、伝統と前衛が交錯する現場の空気を伝え、デジタルアートが確実にアートワールドの一部として定着しつつある実情を示している。
Where Royalties are the Future of the Art World
https://www.rightclicksave.com/article/why-royalties-are-the-future-of-the-art-world-artists-resale-rights
ノエリア・ガマロは、アーティストの持続可能性を保障する仕組みとして二次流通におけるロイヤリティ制度の重要性を論じている。彼女によれば、ロイヤリティは単に芸術家の生活を補助するものではなく、創造的多様性を維持するための基盤であり、ひいてはコレクターや市場全体に安定的な価値をもたらす契機となる。記事では、1971年の「Artist’s Reserved Rights Transfer And Sale Agreement」や2001年のEU Resale Rights Directiveといった歴史的制度の系譜が振り返られ、芸術と市場の公平性を担保する試みが論じられる。NFT市場において10%ロイヤリティという慣行が生まれたことは、新しい技術が制度を再設計し得る例とされるが、現実には多くのプラットフォームがロイヤリティ支払いを回避する方向に進んでいる。ここには、NFT技術がアーティスト保護ではなく市場の便宜に利用される逆説がある。さらに、米国での制度撤退と対照的に、メキシコやニュージーランドでの再販売権導入が進展している点も紹介され、制度の不均衡が国際的に浮かび上がる。批評的争点としては、芸術を商品とする市場論理と創作者の権利との緊張、技術的解決と法的保障の補完関係、そして文化の持続をいかに制度化できるかという課題が指摘される。ガマロは結論として、NFTのような新しい技術に過剰な期待を寄せるのではなく、法制度と市場倫理の両輪によってアートエコシステムを支える必要があると訴える。
Bridging Worlds | Digital Art Beyond Borders
https://www.rightclicksave.com/article/bridging-worlds-digital-art-beyond-borders-christies-unhcr
レイラ・カザネによるこの記事では、クリスティーズ主催で国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)を支援するデジタルアートオークション「Bridging Worlds」の試みが紹介される。本オークションは難民支援を目的に国境を越えたデジタルアーティストの作品を集め、売上を寄付するものだ。キュレーターのミコル・アープは、デジタルアートが物理的制約を超えてグローバルな連帯を形成できると強調し、作家たちもまた自身や他者のアイデンティティ(亡命経験や多文化背景)を作品に投影しているという。理論的背景には、ボーダレス・アートの概念(デジタルによる地理的距離の克服)や、社会変革におけるアートの役割論があり、記事は芸術が外交・慈善と結びつく事例としてこのオークションを位置づける。批評的争点として、美術の公益性(アートは社会問題解決に直接寄与しうるか)、デジタルプラットフォームの倫理(NFTの環境負荷と社会貢献の両立)、異文化理解と表象の問題(難民の語りを誰がどう表現するか)などが議論されている。
The Meaning of Memecoins
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著者マナイは、しばしば「シットコイン」と揶揄されるミームコイン(DogecoinやPepe等のジョーク暗号通貨)にも実は文化的価値が内包されていると論じている。彼は、ミームコインが単なる投機対象ではなく、インターネット世代のユーモアとコミュニティ形成の媒体であり、ひいては従来の金融・美術の価値観を問い直す存在だと主張する。理論的背景には、貨幣の記号論(お金の価値は社会的合意に基づくという視点)や、ポストモダン的シミュラークラの概念(ミームとしての通貨)があり、ミームコイン文化を俗悪と切り捨てず社会現象として分析する。批評的争点として、価値と信頼の構造(なぜジョークが資産価値を持つのか)、美学と金銭の関係(ミームコインはアートか、パフォーマンスか)、制度的対応(規制や美術マーケットへの影響)がある。マナイはまた、ミームコインが草の根的な創造性と集合的アイデンティティを育む様を示し、中央集権的権威とは異なる形での文化価値生成の可能性を示唆している。
Why I Sued the SEC
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法学教授でアーティストでもあるブライアン・L・フライが、米国証券取引委員会(SEC)を相手取って起こした訴訟について、自身の視点を述べている。彼はNFTアートが証券(セキュリティ)と見なされ規制対象となる可能性に異議を唱え、「たとえNFTを売っても芸術は証券ではない」という法的立場を主張している。理論的背景には、証券法の範疇(Howeyテストなど)と芸術の法的特性の議論があり、フライは芸術作品には投資契約ではなく鑑賞価値が本質であると強調する。彼の訴訟は、規制当局が新たな技術と市場に過度に干渉することへの警鐘として位置づけられる一方、逆にアートを隠れ蓑にした証券ビジネスへの線引き問題も提起する。批評的争点として、芸術の経済化と法的扱い(美術品は金融商品かどうか)、アーティストの表現の自由と規制の均衡、伝統的美術市場と暗号市場の規制格差などが論じられている。フライの行動は、NFT時代における芸術の定義と法制度の在り方を問い直す試みとして注目される。
The Art of Money
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本記事では、アシュモレアン博物館(英国)で開催された「お金の歴史におけるデジタルアート」という新展示を紹介し、芸術作品としての貨幣の文化的側面と、NFTアートが貨幣史にどう位置付けられるかが論じられる。記事は、古代硬貨から近代の紙幣デザインに至るまで、貨幣が常にその時代の芸術や権力を象徴してきたことに触れ、現在ではNFTが「プログラマブルなお金」として美術と金融の境界を揺さぶっていると指摘する。理論的背景には、貨幣の美学(例えばユートピア的紙幣デザイン)や貨幣制度の社会学があり、展示ではビットコイン論やデジタル通貨と芸術作品の差異も解説されている。批評的争点として、価値の担保(従来は国家が、今はブロックチェーンが担う価値信認)、芸術作品としてのマネー(作者のある通貨 vs. 匿名分散の仮想通貨)、制度(博物館)がこれら新概念をどう教育的に伝えるかが挙げられる。記事は、デジタルアートが歴史的貨幣の系譜に位置づけられることで、NFTの文化的位置が再評価される契機となっていることを示している。
DAOs in the Art World
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本記事は、Ruth CatlowとPenny RaffertyによるDAO(分散型自律組織)の芸術界への応用をめぐる論考を紹介する。彼女たちは、DAOを単なる投資クラブや効率的な意思決定ツールとしてではなく、アートにおける協働と多元性の実験装置として捉える。制作や流通をアーティスト・コレクター・観客が共同で担う仕組みによって、従来の美術館やギャラリーが独占してきた制度的権威を解体しうると彼女たちは主張する。理論的背景には、アナーキズム的文化実践やネットワーク社会論、さらにはフェミニスト的経済理論があり、DAOが中央集権的構造を回避しつつ包括的な参加を可能にする可能性が論じられる。批評的争点は、第一に「ガバナンスの美学」である。投票やスマートコントラクトを介して意思決定が行われるとき、そこに宿るルールや可視性自体が美的体験に転化する。第二に、DAOが真に民主的であるか、あるいは熟練した少数者に実権が集中する危険があるか、という制度的限界である。記事は、DAOをアートの未来を形作る試金石として提示しつつ、その理想と現実の乖離を批判的に見つめている。