Right Click Saveを読む ――デジタルアートの倫理・市場・身体をめぐる批判的分析
序論
デジタル技術の発展に伴い、美術表現の領域は急速に拡大し、多様な論点が浮上している。オンラインマガジン「Right Click Save」は、NFTアートやブロックチェーン、美術とテクノロジーの交錯に関する批評的対話を牽引する媒体であり、掲載された記事群から現代デジタルアートの動向と思想を包括的に俯瞰することができる。本研究では、同誌の全記事を精査し、取り上げられた人物(ビジュアルアーティスト、批評家、キュレーター、技術者など)を網羅的に抽出した上で、それらをテーマごとに分類・整理する。また、記事全体を通じて浮かび上がる主要なテーマ的切り口を特定し、それぞれについて思想的背景、美術史的文脈、テクノロジーとの関係性を踏まえた批評的分析を行う。主要な検討テーマとして、(1)生成芸術とAIアート、(2)NFT美学と新たなアートマーケット、(3)ポスト・インターネット的文化とデジタル美術史の継承、(4)アートにおける分散化とコミュニティ、(5)身体性・ポストヒューマンの表現、(6)デジタルアートを取り巻く倫理・制度的課題を設定する。以上を通じて、デジタルアート領域の現在地をアカデミックな視座から批評し、新たな知見を提示することを目的とする。
方法論
本研究は質的メタ分析の手法を用い、「Right Click Save」掲載記事(インタビュー、評論、レポート等)を一次資料として収集・分析した。まず、サイトの記事アーカイブを網羅的に確認し、記事タイトルや概要に登場する人物名を抽出した。スノウフロウ(エリック・カルデロン)、マリサ・オルソン、ヴューク・チョシッチ、オーリア・ハーヴィー、リビー・ヒーニー、マリナ・アブラモヴィッチ、ケヴィン・アボッシュ、Refik Anadol、ダミアン・ハースト(暗喩的言及)、さらには批評家のコリイ・ドクトロウやキュレーターのハンス・ウルリッヒ・オブリストなど、多数の人物が確認された。抽出した人物は関与するテーマによってグルーピングし、例えば「生成芸術とAI」「NFTと市場」「ポスト・インターネット」等のカテゴリーに分類した。その上で各テーマについて記事内容を精読し、議論の焦点や共通する論調を整理した。加えて、美術思想・美術史・メディア論などの副次資料にもあたり、記事で示唆される論点を学術的文脈に位置づけることを試みた。分析に際しては記事内の直接的記述のみならず、筆者・インタビュイーらの発言に含意された思想的立場を汲み取り、批評的に検討した。なお記事引用は文末注形式で示し、出典の明確化に努めた。
アーティストおよびテーマの整理
抽出された人物をテーマ別に整理すると以下のようになる。
生成芸術・AIアート領域: ジェネラティブアートのパイオニアやAI技術を用いる作家が多数該当する。例えば、コンピュータ芸術創成期のヴェラ・モルナー、フリーダー・ネイケ、マンフレッド・モーアといったレジェンド的存在から、現代のジェネラティブアーティストであるスノウフロウ(エリック・カルデロン) 、マット・デスローリアーズ、ウィリアム・マパン、Refik Anadol、ジェシー・ダミアーニ(批評家としてAIと芸術の対話に参加)まで幅広い。彼らは生成アルゴリズムによる造形や機械学習の創造性などを探究し、AI時代の芸術の在り方を問い直す立場にある。
https://gyazo.com/3973e21a6f9e3fc175c2970079536a4d
Vera Molnár — Structure de Quadrilatères (1974)
NFT美学・クリプトアート領域: NFTアートの文脈で言及される人物としては、CryptoPunks等を生み出したラルヴァ・ラボ(マット・ホール&ジョン・ワトキンソン) 、アートブロックス創設者のスノウフロウ、NFT評論家のジェイソン・ベイリー(筆名Artnome)、女性クリプトアーティストのOSINACHI、さらに収集家視点としてリチャード・キムやコルボーン・ベル等のNFTコレクターが挙げられる。批評的には、美術批評家イザベラ・ウィルキンソンが挙げる「NFT空間のシュルレアリスム的傾向」 や、ブロックチェーン研究者のヤヨイ・シオノイリ&アラナ・クシュニールによる「コードは法ではない」との指摘 など、NFTの美学・制度を論じる人物も含まれる。
ポスト・インターネット文化・デジタル美術史: ネットアートからポストインターネットを経て現代に至る系譜に関与する人物がここに分類される。90年代ネットアートの旗手ヴューク・チョシッチやオーリア・ハーヴィー、ポストインターネット概念を提唱したマリサ・オルソン、そしてCryptoArtを定義したジェイソン・ベイリーなど 、複数世代にわたるアーティスト・理論家が対話する構図が確認できる。またキュレーターのジャシア・ライカード(1968年「サイバネティック・セレンディピティ」展の企画者)や、コンピュータ美術史研究者のニック・ランバートなど、美術史的視点から現在のデジタルアートを捉える人物もいる。
分散化・コミュニティ形成: Web3時代の新たなコミュニティや分散型組織に焦点を当てる人物群。例えば、DAOを美術に導入する試みを語るルース・カトロー&ペニー・ラファティ 、クリプト美術館(MOCA)を共同設立したコルボーン・ベル、またBright Momentsやfx(hash)といったコミュニティ主導プラットフォームの関係者(ファニー・ラクーベイ、ciphrdことティエリー・フォレス他)である。彼らは地理的・文化的包摂を重視し、ケニア・ナイジェリアのアーティスト共同体 やNFT Asiaのグローバル性 などを通じ、中央集権的な旧来制度の打破を模索する立場に立つ。
身体・ポストヒューマン表現: デジタル時代の人間身体やアイデンティティを問い直す文脈で登場する人物。具体的には、パフォーマンスアートの巨匠マリナ・アブラモヴィッチが自身のNFT作品について語り 、メディアアーティストのステファニー・ディンキンスとハーム・ヴァンデン・ドープルが対談しテクノロジー時代の身体性を論じる。さらに「ポストヒューマンな身体」を作品主題とするオーラン(ORLAN)やOONA(AI的存在)に関する記事、拡張現実で生体情報を扱うナンシー・ベイカー・カヒルの言説など、人間と非人間の境界を探る芸術実践に関与する人物が含まれる。
制度・倫理・知的財産: デジタルアートを取り巻く法制度や倫理問題に関わる人物も一群をなす。著作権とAIの問題を論じるコリイ・ドクトロウ 、NFTの法的側面を議論する弁護士のヤヨイ・シオノイリやアラナ・クシュニール、またアーティストのブライアン・L・フライ(証券法とNFTの関係を訴訟で問う) 、クリエイターの権利擁護を唱えるマウデ・ウィルソン&サマンサ・アルトシュラー等が該当する。環境サステナビリティの観点からは、デジタル技術の環境負荷を問題視するアレクサンドラ・デイジー・ギンズバーグやダイアン・デュルベイらが挙げられる。彼らは新たなルール作りや倫理的基盤の確立を提唱し、制度改革やガバナンスモデルの刷新にも言及している。
以上のように、「Right Click Save」の記事には多種多様な人物が登場するが、各人は往々にして複数のテーマ領域にまたがる活動や言説を持つ。次章では、これら人物群を含む議論から抽出される主要な切り口について、各テーマの背景と意義を批評的に分析する。
切り口の批評的分析
1. 生成芸術とAIアート:アルゴリズムは芸術を拡張するか
思想的背景: コンピュータによる自動生成を用いた芸術は1960年代からの歴史を持つが、近年の機械学習ブームにより「AIアート」が改めて脚光を浴びている。生成芸術の旗手たちは、アルゴリズムに美的判断を委ねることで人間の創造性の境界を押し広げようとしてきた。だが同時に、AIが創作主体となることへの抵抗感や、人間の芸術家の労働が軽視される懸念も生じている。こうした葛藤は労働権やオリジナリティの哲学的問題と結びつき、AIアートをめぐる議論は単なる技術論を超えた社会・倫理的次元を帯びる。
美術史的文脈: ジェネラティブアートは、過去の前衛芸術(ダダイズムや概念芸術)の系譜にも連なる。ブライアン・イーノが提唱した「生成音楽」に端緒を持つように、システムにゆらぎを組み込み予測不能な結果を得る手法は、20世紀後半の芸術思想とも共鳴する。また初期のコンピュータ芸術家(ネイケやモルナーら)は、当時は評価されにくかったが、NFT隆盛により再評価が進んでいる。Right Click Saveの記事でも、「世代を超えた対話」としてネットアート世代とCryptoArt世代の対話が組まれ、生成芸術の言語の変遷が論じられた。これは、美術史の中でAI/生成芸術を位置づけ直す試みといえる。
テクノロジーとの関係性: 生成芸術とAIアートはまさにテクノロジーと不可分である。アルゴリズムは絵画や彫刻のような伝統的メディウムとは異なり、汎用性と自律性を持つ。例えばスノウフロウの作品「Chromie Squiggle」はシンプルなアルゴリズムで無限の変異を生み出し、そのゲーム的創造性が評価された。一方、ディープラーニングを用いた生成モデルは既存イメージの模倣と新規創出の境界にあり、著作物の大量学習というプロセスが知財制度に緊張をもたらしている。コリイ・ドクトロウは「AIアートに関して創作者の労働権と表現の自由、そして著作権法の例外規定のバランスを取る微妙な立場」が必要だと説き、現行の著作権ではAIによる作品生成を適切に規制できない可能性を指摘する。彼は新たな著作権規制よりも労働法の整備を主張し、AI時代におけるクリエイター保護を図るべきだと論じている。この提言は、テクノロジーがもたらす既存制度への揺さぶりに対し、法制度側のアップデートを求めるものだ。総じて、生成芸術とAIアートのテーマでは、「人間と機械の役割分担」と「オリジナリティ」の再定義が根本的論点となっており、芸術観の転換を迫る問いかけとなっている。
2. NFT美学と新たなアートマーケット:価値と所有のパラドクス
思想的背景: 2017年のCryptoKittiesやCryptoPunks以降、NFT(非代替性トークン)はデジタルアート市場を急拡大させ、美術の価値概念に問いを投げかけた。NFT美学とは、一面では絵画的・彫刻的伝統に囚われないデジタルネイティブな視覚文化を指す。ピクセルアートの復権や、プログラムによる自動生成作品の人気などはその典型例である。一方、NFTバブルと呼ばれる市場熱狂は、美術作品に対する投機的態度や、コレクション行為のゲーム化を促した面もある。この二面性──創造的解放と市場至上主義──がNFT美学を語る上でのパラドクスであり、Right Click Saveの記事群でも度々指摘された。
美術史的文脈: NFTアートを歴史に位置づける試みもなされている。例えば美術批評家イザベラ・ウィルキンソンは、NFTアートに見られるシュルレアリスム的要素(デジタルミームやナンセンスの氾濫)を20世紀初頭の芸術運動と比較し、暗号資産時代の不条理な熱狂を分析した。またジャック・リュドゥフやヴィト・アコンチら概念芸術家が追求した「芸術と貨幣」「価値記号としてのアート」という命題が、NFTによって具体的に具現化したとの指摘もある。事実、NFTはアートを資産化する極端な形態とも言え、作品価値と金銭価値の関係を露わにした点で美術史的インパクトを有する。
テクノロジーとの関係性: NFTの技術基盤であるブロックチェーンは、「唯一無二性」「所有証明」「二次流通でのロイヤリティ」等、従来のデジタル作品が抱えていた課題を技術的に解決する可能性を示した。しかし、それは同時に新たな問題も提起する。例えば、「コードは法ではない」との前提に立つ法曹関係者は、NFTプラットフォーム上での規約やスマートコントラクトが社会的正義を担保しないと警鐘を鳴らす。また、著名な作家ブライアン・L・フライは、自身のアート作品をNFT化して敢えて証券と見なす挑発行為により、証券法による芸術規制の不当さを訴えた。これらはNFTという技術が制度的グレーゾーンに位置し、法的概念の再定義を迫っていることを物語る。一方で、NFTコミュニティ内部では、価値の源泉としての「コミュニティ感」や「ミーム(模倣可能な文化要素)」が重視される傾向がある。Kyle WatersとAlex Estorickの対談では、NFT市場が初期の投機熱から成熟へ移行しつつあると分析され、デジタルアートの真の価値が投資対象としてではなく文化的資産として問われ始めたとされる。総じて、NFT美学と市場のテーマでは、美の基準と経済価値の交錯が中心にあり、芸術作品とは何か、その価値とは何によって担保されるのかという根源的問いに立ち戻らせる契機となっている。
3. ポスト・インターネット文化:デジタル・アートの連続と断絶
思想的背景: 「ポスト・インターネット」とは、インターネット以後の現代美術を指す用語であり、2000年代後半にマリサ・オルソンらによって提唱された。これはインターネットが日常化した状況を前提に、オンライン・オフラインの区別なく展開する美術や文化現象を指す。Right Click Saveでは、この概念を再検討する文脈で、ネットアート・ポストインターネット・CryptoArtという三世代の用語が並置された。オルソン自身はポストインターネットを「インターネット以後に作られた美術」と定義し、美術世界への包含を意図したと述べているが、一部には「従来の美術体制への迎合」との誤解もあった。対照的に、ネットアートとCryptoArt(NFTアート)は反体制・分散化を志向する点で共通すると指摘される。つまり、ポスト・インターネット文化の議論には、インターネットを介した美術の制度批判性がどの程度維持・変容したかが本質的に横たわる。
美術史的文脈: 1990年代のネットアート草創期、ヴューク・チョシッチらはギャラリーや美術市場からの自立を標榜し、ネット上にオルタナティブな芸術空間を築こうとした。彼らは純粋な自治と共有を理想とし、「自分たちだけの大陸を走り抜ける」感覚を謳歌したが、それは長く続かず批評と理論の装置を必要としたと回想されている。2000年代になると、ポストインターネット世代の一部はむしろ美術館・ギャラリーと積極的に関わり始め、市場とも一定の協調関係を築いた。Right Click Saveでの円卓討論では、この世代間の姿勢の差異が率直に語られている。チョシッチは「我々は美術システムから距離を置くことに価値を見出したが、次世代(ポストインターネット)はそれほど対立的ではなかった」と述べ、CryptoArt世代については「むしろ市場との柔らかな関係を持っている」と分析した。この発言は、各世代が置かれたテクノロジー状況と経済環境の違いを反映する。すなわち、ネット黎明期はユートピア的実験が可能だったが、Web2.0以降はプラットフォーム資本主義が台頭し、美術もそれに巻き込まれた。そしてWeb3.0(ブロックチェーン)によって再び脱中央集権の夢が語られている点に、歴史の巡回が見出せるのである。
テクノロジーとの関係性: ポスト・インターネット文化では、インターネットという基盤技術が日常インフラとなったこと自体が前提となる。したがって、その上に展開する美術はもはやメディウムの新奇性に頼らず、コンセプトやコンテクストで勝負する傾向が強まった。例として、インターネット・ミームを素材にした作品や、SNS上の自己表象をテーマにした作品が挙げられる。また、NFT以前にもデジタルファイルの希少性を保証する試み(ケビン・マッコイのNamecoin利用など)があり、技術とアートの接点は常に更新されてきた。Right Click Saveの記事「On net.art, postinternet, and CryptoArt」で強調されるのは、デジタルアートを単線的な進歩史観で分類することへの抵抗である。編集部はあえて分類可能な史観を拒み、「競合するヴィジョンの混沌としてデジタルアートを祝福する」立場を示した。この姿勢自体、ポスト・インターネットの思想を体現している。つまりインターネット以後の文化は、一元的な物語ではなく複数の語りが交錯する場であり、テクノロジーもまた多義的な意味を孕む。総じて本テーマの分析から浮かぶのは、分断と連続の弁証法である。デジタル技術は古い構造を壊すが、同時に新たな権力構造を生む。その中で芸術はいかに自律性を確保し得るか──ポスト・インターネット文化の問いは今なお進行形で展開している。
4. 分散化とコミュニティ:アートの民主化か新たな集権か
思想的背景: ブロックチェーン技術に内在する思想は「中央管理者を置かない信頼の仕組み」、すなわち分散化(decentralization)である。これは美術の領域にも新風を吹き込み、これまで美術館・ギャラリー・オークションハウスといった権威的ハブが支配していた流通構造を変革しうると期待された。実際、Right Click Saveの記事でもBright Moments(物理空間と連動したNFTコミュニティ)やfx(hash)(オープンなジェネラティブアート市場)の事例が紹介され、分散型コミュニティによる包摂性の向上が強調される。例えば「The Art of Radical Inclusivity」の記事では、ジェネラティブアートプラットフォームfx(hash)の新バージョンがいかにコミュニティ主導でより開かれた場を実現したかが論じられ、「ジェネラティブアートはこれまでになくオープンになった」と主張される。ここには美術の民主化という理想が色濃く投影されている。
美術史的文脈: コミュニティ主導の芸術実践は決してWeb3時代に始まったものではない。20世紀には前衛芸術家たちが集団を結成し、既成制度への対抗を試みてきたし、1960〜70年代にはアーティスト主導のオルタナティブスペース運動も各地で展開された。しかし、グローバルなネットワーク技術がこうした活動に直接的なインフラを提供したのはインターネット以降である。分散型コミュニティの理想は、一種のデジタル・ネオアナーキズムとして位置付けられる。Right Click Saveでは、ケニアやナイジェリアのNFTアーティスト共同体に注目し、国家や中央組織への不信という文脈からコミュニティの意義が説かれていた。それはポストコロニアルな観点とも結びつき、テクノロジーが地理的境界を超えて連帯を生み出す可能性として評価される。一方で、コミュニティ内でのヒエラルキーや排他性といった問題も看過できない。例えば「NFT Asia」の事例では、アジア出身アーティストの声を西洋中心のNFT界隈に届ける努力が語られるが、その裏には依然としてグローバル市場の力学が存在する。歴史的に見て、新たなメディアが登場する度に「より民主的な芸術」の夢が語られてはきたが、現実には新たな権威層が形成されることも多かった。
テクノロジーとの関係性: 分散化の理念はDAO(分散型自律組織)やスマートコントラクトといった技術で具体化される。Right Click Saveの記事「DAOs in the Art World」では、ルース・カトローとペニー・ラファティがDAOによるプルーラルな(多元的)Web3の可能性を論じている。彼らはWeb3を単にテクノロジーではなく、従来の中央集権的制度を克服する社会的実験と捉えている。しかし興味深いのは、そのDAO自体も運営には人間の意思決定が絡むため、完全なフラットネスは理想論に留まり得る点だ。アートの分散化において重要なのは技術そのものよりも、それを運用するコミュニティの文化である。Right Click Saveはコミュニティ文化の醸成にも言及し、「ユーモア(ミーム)や共有体験がNFTコミュニティの結束を生む」という趣旨の論考も見られた。これは芸術作品の価値が必ずしも単体で完結せず、周囲のコミュニケーションによって付加されることを示唆する。また、美術の経済モデルとしても、一次販売より二次流通時のアーティストロイヤリティ確保が議論され、ノエリア・ガマロによる「ロイヤリティこそアート界の未来」との主張も紹介された。こうした新モデル提唱はブロックチェーン技術の特徴(トレーサビリティと自動分配)を活かしたものであり、テクノロジーと経済設計が交差する論点だ。総合すると、分散化とコミュニティの切り口では、「誰のための芸術か」という民主主義的問いと、「テクノロジーで何を実現すべきか」という設計論的問いが融合している。そしてその答えは、一足飛びに得られるものではなく、現実のコミュニティ実践を通じて模索され続けている。
5. 身体性とポストヒューマン:デジタル時代の人間の拡張
思想的背景: ポストヒューマニズムの思想は、人間中心主義を相対化し、人間と非人間(動物・機械・環境)の関係を問い直す。デジタルアートにおいて身体性を扱う作品群は、この思想と響き合いながら、テクノロジーが人間のアイデンティティや身体観をどう変容させるかを探究している。Right Click Saveの記事には、バーチャルリアリティで他者の身体を疑似体験するプロジェクトや、生物学的データを可視化する作品などが登場する。例えば「Bodies On The Blockchain」では、トランスメディアアーティスト達に触発され、私たち自身の生物学的データの主権を如何に取り戻せるかという問いが発せられる。これ自体、個人の身体情報がテクノロジー企業に握られる現状への批判でもあり、身体を巡る権力関係の問題を露呈している。
美術史的文脈: 身体を素材とする芸術(ボディアート、パフォーマンスアート)は20世紀後半に隆盛し、マリナ・アブラモヴィッチはその象徴的人物である。彼女が2020年代に自身のパフォーマンスをNFT化したことは象徴的事件であり、肉体を使った時間芸術がデジタル上で資産化され得ることを示した。Right Click Saveのインタビューでアブラモヴィッチは、ヒーローの新時代が到来したと語り、ジェネシスNFTへの取り組みを明かしている。ここから浮かぶ論点は、身体性のデジタル転化である。従来一回限りだった身体的出来事が記録・売買可能になることで、身体表現の位置付けが変わる。オーランとOONAの対話記事もまた、ポストヒューマン的身体観を示唆する。オーランは1960年代以来、自身の身体改造を通じてアイデンティティを問い続けてきたが、その彼女が現代のデジタル身体観(VR上のアバターなど)にどう向き合うかは興味深い。
テクノロジーとの関係性: VRやAR、ブロックチェーンは身体性に新たな地平を与える。ARアーティストのナンシー・ベイカー・カヒルは、拡張現実空間でプライバシーやケアの経済圏を作り出すことを試み、公共空間を再定義している。また、AIを用いて人間の動作を模倣・拡張する作品(例:モーションキャプチャデータから振付を生成するなど)も現れ、人間の創造性と機械の生成力の境界が曖昧になりつつある。さらに、Right Click Saveではメタバース上での身体表現についても論じられる。ステファニー・ディンキンスとハーム・ヴァンデン・ドープルの対談では、Web3における身体性について意見が交換され、「テクノロジーはデジタル状況を再人間化しうるか」という問題提起がなされた。この問いは、デジタル世界で失われがちな身体的実感や共感を回復する試みに通じる。もう一つの側面は、生物データと芸術の融合である。DNA情報や心拍データなど個人の生体情報を作品に取り込む例もあり、前述の「Bodies On The Blockchain」では生体データの自己決定がテーマ化された。テクノロジーは人間の身体を客観データとして扱う一方、そのデータの帰属と活用方法は倫理的課題を孕む。ポストヒューマン芸術家たちはしばしばテクノロジーに対し批判的愛着を持つ。つまり利便性だけでなく危うさも理解しつつ、それでもなお技術を人類の精神的進化に統合できないか模索している。総じて、身体性とポストヒューマンの切り口からは、「人間とは何か」という芸術の根源的問いが再浮上する。それにテクノロジーがどう答えるかは未知数だが、芸術は常にその問いを投げ続け、時に先駆的な仮説を提示するだろう。
結論
Right Click Save全記事を通観することで、デジタルアートが孕む複層的なテーマが浮き彫りとなった。AIと生成芸術の領域では、人間と機械のクリエイティビティの境界が再交渉されており、創作の意味そのものが変容しつつある。NFT美学と市場の領域では、芸術作品の価値構造が根底から揺さぶられ、経済と美のせめぎ合いが続いている。ポスト・インターネット文化の分析からは、美術の歴史における連続と断絶が読み取れ、新旧世代の理念の違いがテクノロジー環境の変化と相まって明確に現れていた。また、分散化とコミュニティの台頭は、美術の民主化という理想を掲げつつも、新たな権力関係への眼差しを必要としている。身体性とポストヒューマンの議論は、デジタル時代において人間の在り方そのものを再定義し、身体・アイデンティティ・プライバシーといった根源的問題に芸術が挑み続けていることを示す。
総じて言えるのは、デジタルアートはもはや周縁的存在ではなく、美術史・社会・テクノロジーの交点で主導的な役割を果たし始めているということである。Right Click Saveの姿勢も、「デジタルアートを単一の進歩史観に閉じ込めず、競合するヴィジョンの混沌として祝福する」点にあり 、それ自体が現代の複雑な文化状況を反映している。学術的批評の役割は、この混沌に秩序を押し付けるのでなく、そこから生まれる問いを丹念に掬い上げ、思想的文脈に位置付け、より深い理解へと導くことにあるだろう。本研究はその一端を担う試みとして、デジタルアートの主要論点を整理・批評した。今後さらに各テーマの深層を探ることで、新たな芸術原理の確立や制度設計への示唆が得られると期待できる。デジタルとアートの融合が進む現代、人文学的省察と技術革新の対話はますます重要性を増すであろう。
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