都市空間の公共ディスプレイを介したアート・社会メッセージ・市民参加の展開
はじめに
現代の都市では、ビル壁面の巨大LEDスクリーンやメディアファサード、プロジェクションマッピング、デジタルサイネージ端末といった公共ディスプレイが到る所に設置されている。従来は広告や商業情報を流すための装置とみなされてきたそれらが、近年ではアート作品の展示や社会的メッセージの発信、さらには教育プログラムや政治的主張、民主的な市民参加のプラットフォームとして活用される事例が世界各地で生まれている。本稿では、北米・欧州・アジア・中東・南米・アフリカなど各地域の代表的な事例を取り上げ、都市空間におけるデジタル公共ディスプレイの芸術的・社会的活用の現状と、その公共性や表現の自由、権力構造との関係、技術的意義、教育・地域社会への効果について考察する。議論を進めるにあたり、以下の類型に分類して事例を概観する。
(1) 建築外装に組み込まれた大型メディアファサード
(2) 都市広場・交差点・駅前に恒常設置された大型スクリーン
(3) 仮設的・移動式のプロジェクションや可搬型スクリーン
(4) インタラクティブ技術を用いた市民参加型ディスプレイ
各セクションで具体例を示しつつ、都市空間とアートの公共性や表現の自由の保障、商業的・政治的権力とアートのせめぎ合い、デジタル技術の活用意義、教育的・社会的効果について論じる。
建築外装に組み込まれたメディアファサード
ビルの外壁そのものを巨大な表示画面に変えるメディアファサードは、都市景観と一体化した公共ディスプレイの典型である。ヨーロッパではオーストリア・グラーツのクンストハウスGraz美術館に設置された「BIXファサード」がその初期の代表例として知られる。2003年の開館以来、この有機的形状の建物外装には直径40cmの円形蛍光灯約930個が埋め込まれ、解像度56×25ピクセルの低解像度ながら文字や映像を走らせることが可能となっている (下図参照)。BIXファサードは都市中心部に向けて光のパターンやメッセージを発信し、美術館の展覧会と連動した作品表示やアーティストによる実験的インスタレーションに用いられてきた。設計者である建築ユニットRealities:Unitedのヤン・エドラーは「当時のメディアファサードは経済的制約に強く晒されており(※商業広告用途に高解像度・フルカラーを求められる)、クンストハウスではあえて色も高精細度も捨てた旧式技術を採用した。それはこの建築において経済論理とは異なる次元でメディアファサードを実現するためである」と述べている。つまりBIXは、商業優先のテクノロジーではなく公共的・芸術的目的に最適化した媒体として設計されたのである。実際、開館以来20年にわたり国内外のアーティストやキュレーターによって、このファサードが都市空間との対話に活用されてきた。
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アジアに目を向けると、中国・北京では2008年のオリンピック開催に合わせて「グリーンピックス (GreenPix)」と呼ばれる巨大メディアファサードが登場した。これは遊興施設のガラスカーテンウォールに太陽光発電パネルとフルカラーLEDを組み込み、日中の太陽光エネルギーで夜間にファサード全体を発光させるという世界初の試みであった。グリーンピックスは当時「世界最大のカラーLEDディスプレイ」と謳われ、北京の中心部における初のデジタルメディアアート専用スペースとして企画された。商業ビルの外壁をそのまま都市のアートスクリーンに転用し、開幕時には中国・欧州・北米のメディアアーティストによるビデオインスタレーション作品やパフォーマンスが上映された。解像度よりも巨大スケールゆえの抽象視覚効果を重視しており、「従来の商業ファサードの高精細映像とは対照的な、アート固有のコミュニケーション形態を目指した」と設計者は述べている。ここでもまた、経済性より創造性・公共性を優先したメディア建築の志向が見られる。
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さらに欧米では、美術館や研究機関が主体となってメディアファサードを市民に開かれた公共メディアにしようという動きもある。オーストリア・リンツのアルスエレクトロニカ・センター(AEC)はビル全面に1万個以上のLEDを配した大規模ファサードを持ち、アート作品上映のほか一般来訪者が簡単なプログラムで映像を「上映できる」実験的仕組みを提供してきた。例えばファサードに外部機器を接続するだけで誰でも表示を制御できるプラグ&プレイ型の公開インターフェースも試みられている。AECは欧州の文化機関やメディア芸術祭と連携し、「Connecting Cities」プロジェクト(2013–15年)などを通じて世界各都市のメディアファサードをネットワーク化し、社会的メッセージ性のあるコンテンツを同期表示する試みにも参加した。このように建築組込型のメディアファサードは、都市空間に常設されたデジタル公共キャンバスとして機能し得る基盤であり、経済的制約の少ない文化施設発のプロジェクトでは、表現内容も自由度が高く市民参加や多都市連携といった先進的取り組みが実現している。
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都市空間に常設された大型スクリーンの芸術利用
都市の広場や繁華街の交差点など、人々が集まる場所に恒常設置された巨大スクリーンも、近年アートや社会的メッセージの発信地へと姿を変えつつある。代表的なのがニューヨークのタイムズスクエアである。タイムズスクエアの高層ビル群に取り付けられた無数のLED広告ビジョンは、世界最大級の商業スクリーン集合体であるが、2012年よりその一部が毎晩わずかな時間ながら現代アートの巨大キャンバスに姿を変えるようになった。「ミッドナイト・モーメント (Midnight Moment)」と題されたこのプログラムでは、毎晩23時57分から午前0時までの3分間、約92面に及ぶ電子看板が一斉に協調し、一人のアーティストによる映像作品を表示する。タイムズスクエアは年間数千万人が訪れる観光名所であり、その人々に向けて世界最大かつ最も継続的なデジタル公共アート展示が行われていることになる。2012年の開始以来2025年までに100名以上のアーティストが参加し、毎月作品が入れ替わっている。この試みはタイムズスクエア広告看板協会の協力のもと実現しており、通常は高額な広告枠が美術のために定期的に無償開放されている点で画期的である。商業資本の只中にあって短時間とはいえ純粋な芸術表現が許容されている背景には、「街のイメージ向上」や「公共空間としてのタイムズスクエアの価値づけ」を目的とした地元ビジネスコミュニティの戦略もうかがえる。しかし結果的に、この毎夜のアート上映は市民・観光客に新鮮な驚きを提供し、都市の視覚環境に文化的余白を生み出す貴重な機会となっている。
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ロンドン中心部のピカデリーサーカスにある巨大広告スクリーン「ピカデリーライツ」でも、近年アート作品や社会メッセージの投影が行われるようになっている。特に2020年以降、ロンドンの非営利団体「CIRCA」は毎日夜8時(20時)台の数分間を買い取り、美術映像を上映する試みを続けている。2024年10月にはアイスランド出身の著名アーティスト、オラファー・エリアソンがピカデリーの大スクリーンをジャックし、高精細な広告映像を排して意図的にピンぼけで抽象的な映像作品《Lifeworld》を映し出した。エリアソンは「普段は完璧に最適化された広告スクリーンのピクセルをあえて漂わせ、不確かさを提示する。公共空間で人々に『これは美しいものだ』と語りかけ、立ち止まらせたい」という趣旨を語っている。この作品は単に広告を芸術映像に置き換えるだけではなく、周囲のリアルな街並みをカメラで撮影してその場の人々の姿を取り込みつつ、それを歪んだ映像に再構成して再投影するというメタ的仕掛けになっていた。観客は自分たちが立つ公共空間の情景を巨大スクリーン上で抽象化された形で目撃し、都市とメディアの関係を自覚的に捉え直す体験を得る。興味深いことに、この《Lifeworld》プロジェクトはロンドンだけでなく、ニューヨークのタイムズスクエア、ベルリンのクアフュルステンダム、ソウルのK-POPスクエア(COEXビジョン)という世界4都市の大型スクリーンで同時期に上映された。CIRCAがグローバルに連携して各都市の夜空を共通のアートで染めた例であり、ネットワーク化された公共スクリーンの可能性を示すものだ。
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日本でも同様の動きが始まりつつある。東京・渋谷の宮下公園に併設された商業施設「RAYARD宮下パーク」では、2025年に施設内の42面におよぶデジタルサイネージ広告スクリーンをアーティストや一般市民に開放し、誰もが参加できるデジタルアートギャラリーへと転用する実験的展示が行われた。このプロジェクトでは「街角のディスプレイを文化創造の場として再定義する」ことを目標に掲げ、広告媒体として使われてきた空間に芸術体験を持ち込んでいる。特に強調された価値は「参加の開放性」であり、アーティストからクリエイター、一般市民に至るまで誰もが作品投稿や企画に関われるボトムアップ型の文化プラットフォームを目指したという。わずか1ヶ月強の期間限定ではあったが、都市空間の至る所に点在する電子看板ネットワークを連動させ、大勢の来街者に一斉にアート作品を提示するというスケールメリットを活かしつつ、文化的文脈を感じさせる新たな都市体験を提供した。日本では法制度上、屋外広告塔の芸術利用には厳しい規制や調整が伴うが、この事例は行政・企業と文化団体の協働によりそのハードルをクリアし、商業空間の文化インフラ化を実現した点で画期的である。広告一色だった都市スクリーンを公共の芸術媒体へと書き換える試みは、今後国内各地にも波及する可能性がある。
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オーストラリア・メルボルンのフェデレーションスクエアもまた、大型スクリーンを公共アート用途に転用した先進例として注目に値する。2018年、同広場のメインビジョンは大規模改修によって「世界初のデジタル・キャンバス」に生まれ変わったと言われている。建築ファサードに一体化したマルチLEDスクリーンは、単なる映像表示ではなく天候や観客の動きに反応する双方向プラットフォームとして設計され、地元スタジオRamus主導のもと、常時更新されるキュレーションプログラムによって様々な映像アート作品が上映されている。この「デジタルキャンバス」は新進アーティストの作品発表の場であると同時に、一般市民が自らのビジュアルコンテンツを投稿・参加できる仕組みも組み込まれており、街の利用者に自らの都市環境に介入するエージェンシー(主体性)を与えることを狙っている。実際、地元コミュニティや先住民アーティスト、学生たちとの協働制作が重視されており、大学研究機関や地域団体との連携を通じて市民がコンテンツ制作に関与する教育プログラムが実施された。単に完成作品を見せるのではなく、市民がプロセスから参加し、自分たちの声やビジョンを巨大スクリーンに表現できる仕組みとなっているのである。このような包括的アプローチにより、フェデレーションスクエアのスクリーンは創造性と多様性の象徴として都市アイデンティティに組み込まれ、年間一千万人以上が訪れる公共空間に文化的価値を付与している。
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以上のように常設大型スクリーンの芸術活用事例を見てくると、それぞれの地域・都市文脈の中で、商業スクリーンがいかに公共的用途へ開放されうるかという工夫が凝らされていることがわかる。ニューヨークやロンドンでは広告主やオーナー企業の協力・許可を得て時間帯限定でアートを割り当て、メルボルンや東京では文化機関やクリエイティブ企業が行政・事業者と連携してインフラ自体をアップグレードし市民参加型の枠組みを築いている。こうした取り組みは商業とアート、プライベートな所有物と公共の使途との微妙な境界を乗り越える挑戦であり、実現には多くの調整が必要だが、そのインパクトは大きい。都市中心部の巨大スクリーンが広告や宣伝だけでなく、多様な表現や対話の場になり得ることを実証したこれらの例は、他都市へのインスピレーションとなりつつある。
仮設・移動型プロジェクションによる表現
恒久的な設備だけが公共空間での映像表現の手段ではない。プロジェクションマッピング機材や可搬型スクリーンを用いることで、一時的に建物の壁面や公共施設をキャンバスに変容させることも可能であり、こちらはより市民やアーティストが自発的に行いやすい手法である。とりわけ深夜に建築物に映像を投影する行為は、1980年代以降アートと社会批評の文脈で世界各地に広がってきた。先駆的なアーティストであるクシシュトフ・ウォディチコは1980年代よりスライド投影によって歴史的建造物や記念碑に社会的に訴えるイメージを重ね合わせるプロジェクトを数多く行ってきた。彼の代表作の一つ「ブンカーヒル戦勝記念塔へのプロジェクション」(ボストン、1998年)では、犯罪多発地区の戦争記念塔にその地域で殺された若者の母親たちの手や顔の映像を投影し、彼女らの悲痛な肉声の証言をその場に響かせた。伝統的には英雄を讃える威圧的な石碑が、突如として現実の悲劇に苦しむ市民の声を映し出すスクリーンへと変貌したのである。この作品は地域社会に大きな衝撃を与え、普段は静まり返った記念碑前が市民の集う対話と追悼の公共空間へと変わる契機となった。同じくウォディチコは2012年、ニューヨーク・ユニオンスクエアのリンカーン像に戦場から帰還した退役軍人たちの証言映像を投影し、都市の只中に戦争のトラウマを可視化する試みも行っている。彼の一連の活動理念は「公共空間は本来、社会的弱者や声なき者が自由に語る権利を持つ場である」という信念に基づいており 、権威の象徴である建築物を一時的に市民の生々しい声のメディアへと転用することで、都市の公共性とは何かを問い直している。
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テキストを使った投影も社会的メッセージの発信に効果的な手法として発達した。米国のジェニー・ホルツァーは1970年代から公共空間における文字メッセージの介入で知られ、1990年代以降は建物外壁への大型プロジェクションを多用している。例えば2004年のワシントンD.C.では政府建築の壁面に「検閲されたアメリカ兵の書簡」から抜粋した文章を次々と投影し、戦時下の真実を街に浮かび上がらせる作品《For the City》を発表した。ホルツァーの投射する格言や詩的フレーズは、広告看板のコピーと視覚的フォーマットを借用しながら内容を完全に転換することで、日常空間に不意の思考を促す政治的アートとなっている。彼女の近年のプロジェクトでは、気候変動や女性の権利など社会問題に関する活動家の言葉を世界各地のランドマークに投影する試み(例:「HURT EARTH」プロジェクションシリーズ)が行われており 、グローバルな問題提起を夜の都市景観に溶け込ませるユニークな実践となっている。
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こうしたゲリラ的プロジェクションは、しばしば市民運動の現場でも威力を発揮する。象徴的なのが2011年のニューヨークで起きた「Occupy Wall Street(OWS)運動」における一件だ。デモ隊がマンハッタンのブルックリン橋を行進する夜、突然隣接する超高層ビルの壁面に巨大なサーチライトで「99%」の文字が浮かび上がった。これは匿名の活動家グループが高輝度プロジェクターを用いて敢行したもので、まるでバットマンの呼び出し信号(Bat-Signal)のようだと形容され、人々の士気を大いに鼓舞した。さらに「我々は始まりに過ぎない」「周りを見よ、あなたも世界的蜂起の一部だ」「我々は止められない、別の世界は可能だ」「99%」「マイクチェック!」等々、矢継ぎ早に映し出されるメッセージはデモ参加者の歓声に迎えられ、抗議空間を一夜限りの祝祭へと変えた。この「99%バットシグナル」事件 は瞬く間に世界のメディアで報じられ、デジタル技術を駆使した新たな抗議の象徴となった。ビルの管理者や警察当局から許可を得ない非合法な投影ではあったが、逮捕者は出ず、むしろ市民の創意による平和的かつ創造的な抵抗として肯定的に評価する声が多かった。この成功以降、ニューヨークではプロジェクターを用いた社会運動が活発化し、以後も市民グループ「The Illuminator」による政府ビルへの抗議メッセージ投影(原発反対や富裕税を求めるスローガン投影など)が度々決行されている。
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他地域でもプロジェクションを用いた政治的表現は広がっている。中東の権威主義体制下では公共スクリーンの自主利用は困難だが、例えばイランの反政府デモでは、市民が「女性・生命・自由」といったスローガンを建物に投影する試みが報告されている。またアフリカ・南アフリカ共和国では、ヨハネスブルクの高速道路沿いに立つ企業広告ビルボードをアーティスト集団が借り上げ、そこに社会詩的メッセージを掲出するプロジェクトが2020年に実施された。南アを代表する現代美術家ウィリアム・ケントリッジの主導によるこの試みでは、「あらゆる涙の重さを量れ (WEIGH ALL TEARS)」「呼吸せよ (BREATHE)」といった短い言葉が巨大看板に表示され 、パンデミック下の社会不安に対する芸術からの問いかけとして話題を呼んだ。参加した詩人や美術家たちは「広告だらけの都市空間にこそ本質的なメッセージを投げかけ、人々の思考を促したい」「ビルボードという企業の道具を一時的に乗っ取り、市民のための媒体にすること自体が象徴的だ」と語っている。このヨハネスブルクの事例では将来的に電子看板(デジタルビジョン)も利用してニューヨークのミッドナイト・モーメント同様に動的なアート展示を行う構想もあるとされ 、グローバルな都市スクリーン芸術の潮流が南半球にも波及していることがうかがえる。
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以上のような仮設・移動型のディスプレイ活用は、多くの場合公式な許可手続きを経ずゲリラ的に行われるか、あるいは一時的なイベントとして企画される。前者は表現の自由の観点で極めてラディカルな手段であり、国家権力や商業権益が掌握する都市空間に風穴を開ける象徴的行為と位置づけられる。もっとも物理的・法的な制約も大きく、投影のための機材準備や安全な投影場所の確保、当局からの妨害リスクなど課題は多い。一方、後者の公式イベント型(例えばライトフェスティバルでのプロジェクションマッピングや行政主催の野外上映会など)は当局の許可の下で行われるため安全だが、その分内容面では中立的・観光的な演出に留まり、政治的メッセージ性は抑えられがちである。いずれにせよ、プロジェクターやLEDトラックといった可搬技術の普及により、誰もが都市の「壁」を仮設スクリーンに見立てて発言できる可能性が開かれたことは重要である。21世紀の街頭において、かつてのスプレー落書きや掲示ビラに代わり、光と映像による新たな表現形態が市民の手に獲得されたと言えるだろう。
インタラクティブ技術を用いた市民参加型ディスプレイ
デジタル技術ならではの特徴として、インタラクティブ(対話型)のメディアアートを公共空間で展開し、市民が直接作品生成に関与できる事例も各地で生まれている。大型スクリーンや投影空間が単に映像を映す受動的な「画布」ではなく、センサーやネット接続を通じて周囲の人々の入力に反応し変化する媒体となることで、街ゆく人々が自ら都市のメディアに参加できるようになる。
その代表例の一つが、メキシコ出身のアーティスト、ラファエル・ロサーノ=ヘメルによる《Body Movies (身体の映画)》というプロジェクション作品である。これは2001年にロッテルダム(オランダ)で初公開されて以来、世界各都市で上映された大型インタラクティブインスタレーションである。夜間、建物の壁面(約1,200㎡にも及ぶ広大な空間)に何台もの高出力プロジェクターで予め撮影された数千人分のポートレート写真が投影される。しかし強力な投光機が同時に壁面を照らしているため、写真は明るすぎて人間の目には見えない。そこで広場を通行する人の体が光を遮り巨大な影を壁面に落とすと、そのシルエットの中にだけ隠れていた写真が浮かび上がる。人々は自分や他人の影によって写真像を次々と炙り出すことができ、すべての写真が露わになるとセンサーが検知して新たな写真セットに切り替わる。こうして観客自身の動きが映像を出現・消滅させるインタラクティブな仕組みになっている。ロサーノ=ヘメルはこの作品の狙いを「都市におけるスペクタクル(商業的大画面広告など)の技術を転用して、人々に親密さと共犯意識を生み出すこと」と述べている。実際、広場では見知らぬ通行人同士が協力して大きな影絵を作り、笑いや会話が生まれる光景が見られたという。監視カメラや投光器といった本来は権力の監視や商業宣伝に用いられるテクノロジーが、ここでは市民同士のコミュニケーションを促進する道具に「誤用」(misuse)されている点が興味深い。《Body Movies》は都市の匿名の人々の肖像写真を素材とする点でも市民参加型ポートレートの性格を持ち、地元住民に自分たちの街の顔を再発見させるという効果もあった。
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他にも市民が直接メッセージを書き込める対話型スクリーンの試みとして、ドイツのグループが開発した「SMSスリングショット」が挙げられる。木製のパチンコ型デバイスに小さな携帯画面とキー入力が付いたこの装置では、ユーザーが打ち込んだテキストメッセージが建物壁面にカラフルなペンキ弾のようなグラフィティ風に投影される。いわばデジタル落書きを遠距離から「発射」するガジェットであり、都市の壁に誰でも手軽にメッセージを残せるようにするアートプロジェクトであった。2010年代初頭から欧州のメディアアート・フェスティバル等で公開され、参加者に評判を呼んだ。このような試みに触発され、街頭で市民が意見表明や投票ができるパブリック・データ表示の実験も各地で行われている。例としては公共スクリーンに街の課題についての二択質問を表示し、歩道に設置したフットパネル(「Yes」「No」ボタンの巨大版)を踏んでもらうことで、その場を行き交う人々の投票結果をリアルタイムに可視化する装置などがプロトタイプとして研究されている。これにより、通りすがりの市民がちょっと足を止めて自分の意見を表明でき、集まったデータが刻一刻とディスプレイに反映されるという超ローカル世論調査が可能になる。
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またインターネットやSNSと連動した公共ディスプレイも普及しつつある。大都市の屋外ビジョンでは、特定のハッシュタグの付いた一般投稿をモデレーションを経て表示する仕組みや、視聴者がスマートフォンで投票・投稿できる双方向イベントが増えている。これらは商業キャンペーンの一環であることも多いが、市民参加型アートにも応用され始めている。例えば先述のメルボルンのフェデレーションスクエアのデジタルキャンバスでは、気象センサーによって映像の色調やパターンが変化したり、SNS経由で市民から投稿された写真やメッセージがキュレーションを経て上映プログラムに組み込まれたりする仕掛けが実装されている。その場にいなくともオンラインから公共スクリーン上の作品づくりに関われるという点で、新たな遠隔参加の形と言える。またAI(人工知能)技術の進展も見逃せない。生成AIを用いて市民から提供されたテキストや画像をリアルタイムでアート映像に変換し、公共スクリーンに映し出すプロジェクトも実験段階にある。AIは巨大データセットを学習しているため、そのアウトプットはある種集合知的であり、多数の市民の声を凝縮した映像ともみなせる。こうしたAI生成コンテンツの公共表示は、表現の新境地であると同時に著作権やデマ拡散のリスクも孕むため慎重な運用が求められるが、技術の発達とともに増えていくことが予想される。
おわりに
都市空間における公共ディスプレイを利用したアート展示・社会メッセージ発信・市民参加の実践について、世界の多様な事例を検討してきた。それらはいずれも、デジタル技術が高度に発達した21世紀の都市において、電子的な「光の壁面」が新たな公共フォーラムとして機能し得ることを示している。巨大スクリーンに映る映像は単なる娯楽や広告に留まらず、ときに人々を立ち止まらせ考えさせ、見知らぬ者同士をつなぎ、埋もれていた声を掘り起こし、社会課題への意識を喚起する力を持つ。 この力を健全に育てるためには、公共ディスプレイを真に公共のものとしていく取り組みが欠かせないだろう。メディア建築の研究者らは、行政や企業が建物ファサードやスクリーンを図書館の本のように市民に「貸し出す」制度を作れないかと提案している。まさに都市の情報インフラをコモンズ(共有地)とみなし、誰もが創造的にアクセスできるようにするビジョンである。実現には課題も多いが、既に各地の事例が示すように、小さな時間枠や部分的スペースからでも市民に開放する余地は十分に存在する。技術面でも、人々が簡単に映像制作・発信できるツールが増え、オープンソースコミュニティも発達している今、それらを公共目的に活かさない手はない。
同時に忘れてはならないのは、どんな先端技術も最終的には人々の意思と関与によって意味づけられるということである。スクリーン上のアートやメッセージが一過性の消費に終わるのか、それとも人々の心に残り行動を促すのかは、送り手と受け手双方の姿勢にかかっている。今回取り上げた実践群は、いずれも送り手側に強い問題意識と創意工夫があったからこそ成立した。そして受け手である市民もまた、それに応答し自ら参加することで初めて公共空間の意味が更新される。都市は絶えず変化し人々も入れ替わる生きた空間である。公共ディスプレイ上のアートと社会表現も、そのダイナミズムの中で継続的に問い直し進化していく必要があるだろう。本稿で示したような様々な試みを糧にしながら、より開かれた創造的な都市公共圏が各地に広がっていくことを期待したい。