身体装着型ロボティクスとメディアアート:1990年代以降の代表作と技術動向
身体装着型ロボットによる新たな表現の台頭
1990年代以降、美術とテクノロジーの融合領域で身体装着型ロボティクス(ウェアラブルロボット)を用いた実験的な表現が台頭している。人間が身に着けるロボット技術は、身体機能の拡張や他者による制御といったテーマを通じ、芸術家たちに新たな創造の可能性を与えてきた。機械学習やAIを組み込んだインタラクティブ技術も加わり、観客との対話や参加型要素を含む作品が多様に展開している。以下では、1990年代から現在に至る代表的なパフォーマンスアートやインスタレーション事例を紹介し、それぞれの芸術的意図、観客インタラクション、技術的特徴を述べる。また、それらの作品に関連する人間の動作支援・制限技術(ウェアラブルデバイス、エクソスーツ、ソフトロボティクス、ハプティクス等)の現状について、主要プロジェクトや研究動向、技術課題を整理し、メディアアートとの接点および技術と表現の相互作用を考察する。
メディアアートにおける身体装着型ロボティクスの代表事例
サイボーグ的身体拡張パフォーマンス:ステラークの実験
オーストラリアのパフォーマンスアーティスト、ステラーク(Stelarc)は人体と機械の融合を追求する先駆者である。1980年代から自身の肉体に第三の手や外骨格を取り付ける試みを行い、「第三の手」「6本足の歩行マシン(Exoskeleton)」などの作品で知られる。中でも1998年初演の《Exoskeleton》は、重量約600kgの六脚歩行ロボットにアーティスト自身が搭乗し、腕の動きでロボットの脚を操作するパフォーマンスである。六本脚の外骨格ロボットは空気圧駆動で前後左右への歩行やその場旋回、屈伸動作が可能であり、上半身にも小型の外骨格(拡張腕)が装着されている。操作者であるステラークはプラットフォーム上で身体を回転させながら腕を振ることでロボット脚の動きを生み出し、人間の四肢動作を拡張した昆虫的な動きを実現している。芸術的には、人間の身体能力の限界を機械によって拡張・変容させることで「人体とは何か」という問いを投げかける表現である。観客は、人間が巨大なロボットの一部となって「操縦しつつも機械に翻弄される」ような光景を目撃し、人間とテクノロジーの関係性について考察を促される。ステラーク自身「生身の身体はもはや十分ではなく、技術の粋で拡張し生物の限界を超えるべきだ」と述べており、このビジョンを先取りしたパフォーマンスが《Exoskeleton》と言える。
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Exoskeleton
観客が操る他者の身体:Marcel·lí Antúnez Roca《Epizoo》
スペイン出身のメディアアーティスト、マルセル・リ・アントゥネス・ロカは、テクノロジーによる身体制御とインタラクションをテーマに独自のパフォーマンスを展開してきた。その代表作《Epizoo》(初演1994年)は、観客がパフォーマーの身体を遠隔操作できる参加型の機械仕掛けパフォーマンスである。舞台上のアーティストの体には空気圧式のボディロボット(外骨格)が装着されており、観客は会場に設置されたコンピュータのインターフェース(ビデオゲーム風の画面)をマウスで操作することで、パフォーマーの身体各部を動かすことができる。この外骨格には金属製の枠やベルト、ヘルメットが備わり、内蔵した空気圧アクチュエータがパフォーマーの鼻、尻、胸筋、口、耳といった部位を強制的に動かす。アーティストは舞台上で直立したまま回転台に乗り、観客のクリックに応じて身体が奇妙に歪められたり引っぱられたりする。観客は同時にスクリーン上のCGで対応部位の動きを確認でき、音響や照明も連動して変化する。芸術的意図として、この作品は他者が自分の身体を好き勝手に操作するというテクノロジー時代のヴォイヤリズム(覗き見)と支配の構図を露わにし、身体の主権やアイデンティティに関する問いを提示する。観客は一種の加害者/共犯者としてインタラクションに参加しつつ、その行為自体が不快さと興奮を伴うジレンマを生み出す。技術的には、パフォーマーの体に装着した外骨格デバイスとコンピュータ制御の空圧機構、マルチメディア演出を組み合わせた先駆的事例であり、観客がステージ上の人間の身体をリアルタイムにリモート操作できる初のパフォーマンスと評されている。
https://gyazo.com/2c200951470ec2597cf6b9aab3448060
Marcel·lí Antúnez Roca – Epizoo
強制される機械仕掛けの舞踏:《Inferno》
カナダのアーティスト、ルイ=フィリップ・ドゥメルスとビル・ヴォーンによる《Inferno》(初演2015年)は、観客自身が装着型ロボットの被験者となる没入型の参加型パフォーマンスである。ダンテの『神曲』になぞらえられた地獄をテーマに、テクノ・インダストリアル音楽に合わせて“罪人”役の参加者たちの身体が機械によって操られるというコンセプトが特徴的である。会場では募集した観客ボランティア(各回最大24名)が腕や脚に小型の外骨格デバイスを装着され、ステージ上で他の観客が見守る中、機械による半ば強制的な振り付けに参加する。これらデバイスは人体を外側から拘束・駆動する簡易エクソスケルトンで、作家らは総数25台の着用型ロボット構造を制作したと述べている。パフォーマンス中、音楽やプログラムに同期して各参加者の腕が強制的に持ち上がったり、身体が揺さぶられたりし、参加者は自らの意思に反して「機械に踊らされる」状態となる。一方で場面によっては機械の拘束が緩み、参加者自身が自由に動ける瞬間も織り交ぜられる。このように自由と拘束が交錯する演出により、観客=参加者は身体の主導権を巡る心理的葛藤を体験することになる。芸術的には、人間がテクノロジーに支配される悪夢的ビジョンを体感させつつ、同時にそれに快感や連帯感を見出してしまう現代社会のテクノロジー受容を風刺している。技術面では、ウェアラブルロボットと集団参加型インタラクションを融合させた点で特異である。制作者は「制御の主体を作者からコンピュータ、観客、装着者へと移行させていき、コントロールの本質を問う試み」と述べており、観客とテクノロジーの関係を再考させる実験的作品となっている。
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Louis-Philippe Demers & Bill Vorn – Inferno
パーソナルスペースを守るドレス:AnoukWipprecht《SpiderDress》
オランダのファッションテックデザイナー、アヌック・ウィップレヒトは、電子工学とクチュールを融合させた未来的なウェアラブル作品を多数発表している。その代表作のひとつ《SpiderDress》(初版2015年)は、女性用ドレスにクモの脚のようなロボットアームを搭載したロボティック・ドレスであり、着用者のパーソナルスペースを守るために自律的に動作する。このドレスには距離センサー約20個と呼吸センサー、生体信号検出器が組み込まれており、小型コンピュータ(IntelEdison)によって周囲の人の接近を検知・解析している。プログラムされたアルゴリズムにより、誰かが急激に近づき過ぎると機械仕掛けの脚が鋭く持ち上がり威嚇姿勢を取る。一方、穏やかに近づく相手には滑らかで誘うようなジェスチャーを見せ、相手の挙動に応じて防御と誘引という両極の反応を示す。この振る舞いは、あたかも着用者の感情がドレスを通じて増幅・表出しているかのような効果を生む。芸術的な意図として、《SpiderDress》はデジタル時代における身体的境界とプライバシーの問題を視覚化している。ネット上で常時接続し距離感が希薄になった現代人が、リアルな場では逆に機械の力を借りてまで他人との距離を守ろうとするアイロニーも指摘されている。観客(周囲の人々)とのインタラクションは、ドレスに不用意に近づけば思いがけない反応を受けるという形で生じ、テクノロジーを介した社会的エチケットの再考を促す。技術的には、ウェアラブルセンサーとロボットアクチュエータ、無線通信を統合し、生体信号に反応するファッションとしてのロボット工芸を実現した点が革新的である。
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Anouk Wipprecht – Spider Dress
身体を拡張する余剰肢デバイス:MetaLimbsと自在肢
近年では、学術研究とメディアアートの交差領域から人間の四肢を増やすウェアラブルデバイスも登場している。日本の研究者・アーティストによる《MetaLimbs》(メタリムス、2017年発表)はその代表例で、バックパックのように背負うと2本のロボットアームが自分の腕に加わる装置である。使用者は足の動きでこのロボットアームを直感的に制御でき、左右の膝の曲げ伸ばしで対応するロボットアームを動かし、足の指先でロボットハンドの指を操作するしくみになっている。さらにロボットハンドには触覚センサーが内蔵され、ロボットの手が触れた物体の感触が足へフィードバックされるため、あたかも自分の第三の腕で物を掴んでいるような感覚が得られる。この装置は当初、身体所有感覚の拡張に関する研究(ラバーハンド錯覚の多腕版の検証)として開発されたが、発展して人間の能力を実用的に拡張する試みともなり、2018年には文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門新人賞を受賞した。実際に舞台芸術家がMetaLimbsを装着して即興のダンスを試みる場面もあり、余剰の手足が加わることで新たな身体表現が生まれる可能性を示している。一方、東京大学・慶應義塾大学の研究チームによる《自在肢(JIZAIARMS)》(2023年発表)は、着脱可能なロボットアームを最大6本まで胴体に装着できるシステムである。モジュール式の端末により複数本の腕を自在に付け替えでき、装着者自身が操作することも、他者が遠隔操作することも可能な設計になっている。装着者はこのロボットアームによって生身の身体では不可能な動きや表現を実現でき、さらにロボットアームが自律的に動くことで装着者に新たな身体表現のインスピレーションを与えることも報告されている。これら余剰肢デバイスは、メディアアート作品として展示・公演されると同時に、人間拡張工学の研究プロジェクトとして位置付けられており、まさに技術と芸術の融合を体現するものと言える。
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人間の動作を支援・制限するウェアラブルロボット技術の現状
上記の作品群の背景には、人間の動きを支援またはあえて制限することを目的に開発された様々なウェアラブルロボット技術の進展がある。ここでは、そうした周辺技術について、主要な研究開発やプロジェクト、動向を概観し、技術的課題やメディアアートとの接点を示す。
パワードスーツ・エクソスケルトンの進展
人間の筋力や身体能力を補助・増強するパワードスーツ型エクソスケルトンは、1990年代以降、軍事・医療・産業用途で研究開発が進み、近年ようやく実用化段階に入ってきた。例えば、日本のCYBERDYNE社が筑波大学と開発した「HAL(HybridAssistiveLimb)」は、世界初の装着型サイボーグとも称されるロボットスーツである。HALは皮膚表面に装着したセンサーで脳から筋肉へのわずかな電気信号(生体電位信号)を検出し、装着者の意思に沿ってパワーユニットを駆動することで、歩行や動作を補助・訓練する。装着者が「歩きたい」と思うとき、脳信号が筋電位として検出され、HALは即座に関節を駆動して意図通りの動作を実現する。また信号が得られない場合でも内蔵プログラムにより人間らしい歩行パターンを再現できる「自律制御」も備える。このようにAI的な制御を組み合わせることで、リハビリ患者から健常者の労働支援まで幅広い適応が図られている。欧米でも、米EksoBionics社の歩行支援スーツやイスラエル発のReWalkなど、下半身麻痺者の歩行自立を助けるエクソスケルトンが商用化され始めている。さらに軍事分野では、重量物運搬や兵士の負荷軽減を目的にDARPA主導の強化外骨格(真のパワードスーツ)開発も試みられてきた。現在のパワードスーツ技術の技術的課題としては、まずデバイス自体の重量と動力源の問題が挙げられる。十分な駆動力を得るには大型のアクチュエータやバッテリーが必要となり、装着者の負担増や駆動時間の制約(バッテリー寿命)につながっている。また人間が長時間身に着けるには、関節の適合性や装着の快適性(エルゴノミクス)を高める必要がある。さらに制御インタフェースの直観性(人が意識せず操作できること)や、万一の誤作動時の安全性確保も重要な課題である。近年はこれら課題に対し、軽量素材の採用や省エネ駆動方式の研究、脳波・筋電など生体信号によるインタフェース改良、AIによる動作予測と適応制御の導入などが進められている。例えばハーバード大学のConorWalshらの研究では、着用者の動きを機械学習で学習し個人に最適化された支援を行うソフトウェアを開発、利用者の動作意図を高精度に判別してアシストの強弱を自動調整することに成功している。これにより使用者ごとの歩行・動作パターンの差異に対応し、従来は難しかったオーダーメイド的支援が可能になると報告されている。総じて、パワードスーツ型エクソスケルトンは着実に進歩を遂げつつあるが、人間との円滑なインタラクション(HRI:Human-RobotInteraction)や安心して使える設計を追求する点で、引き続き多分野の知見を要する領域である。
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Hybrid Assistive Limb
ソフトロボティクスと余剰肢の新潮流
近年注目されるソフトロボティクスの発展も、ウェアラブルロボットに新たな可能性をもたらしている。従来の硬質フレームではなく、柔軟な素材や空圧人工筋肉を用いたソフトエクソスーツは、軽量かつ装着者の体に沿うようなしなやかな補助具として開発が進められている。ハーバード大学Wyss研究所のソフトスーツは、衣服に近いハーネスにケーブル駆動やエアバッグを組み込み、歩行時の脚の振り出しや腕の持ち上げをアシストするものである。前述の機械学習による適応制御も組み合わせ、ストローク(脳卒中)患者や筋力低下を起こした高齢者への実験で、有用性が確認されつつある。ソフトロボットの利点は装着快適性と安全性だが、一方で出力不足や応答速度の遅れといった課題も残る。柔らかいがゆえに大きな力を出すと変形・破損しやすく、制御も複雑になるため、今後は材料工学や制御工学との連携で解決が求められる。
また、人体に余剰の四肢を追加するコンセプトも工学研究として広がりを見せている。MITの研究陣は「スーパーニューマナリリム(SRL)」と称し、作業支援用に人間に第3の腕をつける研究を行ってきた。日本においても先述のMetaLimbsや自在肢のようなプロジェクトが進められており、工学・デザイン・認知科学の協働によって装着者が違和感なく増設肢を扱えるインタフェースの模索が続いている。技術課題としては、装着者の脳・神経系が増えた人工の手足をどのように認識・制御するか(身体拡張における身体像の適応)が大きなテーマである。センサーや動作検出、フィードバック手法の工夫に加え、AIを用いて装着者の意図を推定補完するような研究も始まっている。自在肢の開発者らは、装着者本人の操作だけでなく他者やAIが動作をリードする「リーダー・フォロワー制御」により、人が機械から新たな動作を学ぶ可能性にも言及している。これは人間の身体能力拡張を超え、身体表現拡張としての芸術応用にも通じる発想であり、今後の発展が期待される。
触覚ハプティクス技術と身体フィードバック
ハプティクス(触覚)技術もまた、ウェアラブルデバイス分野で重要な位置を占める。力触覚フィードバック付きの外骨格グローブやスーツは、VR/ARにおける触感提示や遠隔作業のフィードバック、リハビリテーションに活用され始めている。たとえば触覚グローブを装着すればバーチャル空間で物を掴んだ感覚を指先に伝えたり、リモートロボットを操作しながら実物に触れているような抵抗を感じることができる。これらはユーザーの没入感を高め、微細な作業訓練などにも有用である。しかし高精細な触覚提示には多数のアクチュエータが必要でデバイスが複雑化・大型化するため、如何に軽量で簡便なシステムでリアルな触感を生成するかが課題である。ソフトロボティクスと組み合わせ、薄い空気圧パッドで皮膚に圧力や振動を与える技術なども研究されている。
一方、敢えて人間の動きを制限・強制する技術も登場している。電気刺激デバイスはその一例で、装着者の筋肉に微弱電流を与えて意志と無関係に手足を動かすことが可能になりつつある。大学や企業の研究では、この技術を音楽演奏の練習支援(正しい指使いを覚えさせる)やゲームへの応用(ダメージを受けた時に身体を硬直させるなど)に利用する実験が報告されている。装着型電極によって他者の身体を操作する手法は、芸術の領域でも新たな表現を生み出している。日本のメディアアーティスト真鍋大度は、音楽信号に合わせて自身の顔面筋に電気刺激を与え表情筋を強制的に動かすパフォーマンスを行い、テクノロジーが身体と知覚に及ぼす影響を探究した例がある。また前述の《Inferno》のように外骨格で他人の体を直接制御する手法も、広義のハプティクス(機械から人へのフィードバック)の一種と言える。これら人に干渉する技術は倫理面の議論も伴うが、それゆえに芸術において人間性を問い直す装置として活用されている側面がある。技術的には、安全性の担保(過剰な力や刺激を与えない制御)、使用者の受容性(不快感や恐怖心への配慮)、装置の信頼性と精度などが課題となる。適切に設計されたシステムであれば、人間の知覚や行動を繊細に操り、新しい創作や訓練の可能性を開くツールとなるだろう。
技術と表現の相互作用:メディアアートにおける実践から
以上見てきたように、身体装着型ロボティクスは人間の能力を高める方向にも、あるいは制御する方向にも応用され、その発展は芸術表現と密接に影響を及ぼし合っている。メディアアートの領域では、アーティストたちが最新技術を素材に取り込みつつ、その社会的・文化的含意を作品という形で提示してきた。一方で、こうした作品から得られる知見やビジョンが技術開発側にフィードバックされる例もある。
まず、身体拡張の思想に関しては、ステラークのようなアーティストが示した未来像を技術者が追認する形が顕著だ。ステラークは1970年代から余剰の手足や第三の耳といったラディカルな試みで「人体を再設計する可能性」を示したが、当時はSF的奇抜さとして扱われていた。しかし21世紀に入り、人間拡張工学(AugmentedHuman)は学術的にも真剣に研究され始め、現在では大学の研究室で余剰肢やサイボーグ技術が追究されている。これは芸術家のビジョンに技術が追いついた例とも言え、実際ステラーク自身「30〜40年前には真面目に受け止められなかった人体拡張が、今や明らかに必要とされている」と語っている。メディアアート作品は時に技術の先行実験として機能し、社会受容性や哲学的問いを先取りして提示することで、技術者に新たな視座を与えている。
逆に、技術の進歩が芸術表現を押し広げる場面も多々ある。機械学習やAIの導入はその好例で、従来はプログラム通りにしか動かなかったウェアラブルデバイスが自律性や即興性を帯び始めた。例えばAIロボットが自ら語りかけるオルランの《ORLANoïde》や、観客の振る舞いを学習して応答を変化させるインタラクティブインスタレーションなど、作品自体が成長・変容する要素が生まれている。また、観客が作品に参加する手法もテクノロジーとともに深化した。Epizooでは一人の観客がマウス操作でアーティストを動かしたが、現代ではネット経由で多数の観客が投票し結果的にパフォーマーの動きを決定する作品や、参加者各自がデバイスを着け群衆全体が作品の構成要素となるような《Inferno》のケースも現れている。通信技術やセンシング技術の発展がマルチユーザ参加型アートを可能にしたのである。
さらに、人間とロボットの協調関係に関する芸術的検証も技術へフィードバックを与えている。ロボットとのインタラクションデザインやユーザ体験を重視するHRI(Human-RobotInteraction)研究では、単に作業効率だけでなく使用者の心理的受容や感情的反応が重要視される。これはアートの文脈で長く問われてきた「機械が人に与える感情・意味の作用」を、エンジニアリングに取り込む動きとも言える。インタフェース設計での直観性・美観、フィードバックの心地よさ、安全安心感の創出など、まさに芸術家が観客体験を演出するのと類似の観点がロボット設計に持ち込まれている。言い換えれば、技術と表現の相互作用が人間中心設計を洗練させているとも言えるだろう。
メディアアート作品自体も、最新技術の批評的鏡像となっている。身体装着型ロボットの芸術利用は、その技術が持つ社会的意味を映し出す。身体補助スーツは「障害や老いを克服し得る希望」として肯定的に描かれる一方で、機械への過度な依存や身体性の喪失といった負の側面も表現のテーマとなる。制御技術にしても、「他者を文字通り動かすテクノロジー」は権力や個人の尊厳の問題を想起させ、それを作品化することで警鐘を鳴らす役割を担う。こうしたテクノロジーへの批評性は、開発者が見落としがちな倫理や社会課題を炙り出し、健全な技術進歩に資するフィードバックとなり得る。
総括すると、1990年代以降の身体装着型ロボティクスとメディアアートの関係は、単に芸術家が新奇なガジェットを用いるという次元を超え、互いの発想と成果を取り込み合う共進化の関係にある。芸術家は技術によって表現の地平を拡大し、技術者は芸術的実験から人間と機械の関係性に関する洞察を得ている。身体に装着されたロボットは、人間の能力を拡張し新たな経験を創出すると同時に、人間らしさとは何かを再定義させる鏡でもある。そこに生まれる創造性と問いこそ、テクノロジーとアートが交わる領域の醍醐味である。今後もこの相互作用が続くことで、我々の身体表現と身体技術はさらに豊かな進化を遂げていくであろう。