現実とフィクションを交錯させるメディアとしての代替現実ゲームの文化的・社会的可能性
序論
代替現実ゲーム(Alternate Reality Game; ARG)とは、現実世界をプラットフォームとして用い、トランスメディア・ストーリーテリングを駆使して展開されるインタラクティブなネットワーク型物語であり、プレイヤーの発想や行動によって物語展開が変化し得る現代的なゲームジャンルである。ARGは日常の現実空間と架空の物語空間を交錯させる点に特徴があり、参加者は「これはゲームではない(This is Not a Game)」という合言葉のもと、あたかも現実世界そのものが物語の舞台になったかのような没入体験を味わう。こうした特性から、ARGは単なる娯楽に留まらず、マーケティングや教育、社会運動、都市空間での体験型イベント、参加型アートなど様々な領域で応用され、その文化的・社会的可能性が注目されている。実際、ARGは2000年代以降欧米で急速に普及し、特に英語圏では企業のプロモーションから公共啓発まで幅広く利用されてきた。一方、日本国内においては商業エンタテインメント(例:SCRAP社のリアル脱出ゲーム)や一部のプロモーション企画(例:「名探偵コナン」や「バイオハザード」のキャンペーン)で導入例がみられるものの、学術研究の対象としては十分に開拓されておらず 、その社会的活用の可能性は模索の途上にある。本稿では、ARGという現実とフィクションを交錯させるメディア形式のもつ文化的・社会的可能性を包括的に検討する。まずARGの理論的定義や関連概念(パーベイシブゲーム、マジック・サークル等)について整理し、次に欧米を中心とした代表的プロジェクト(例えばThe Beast, I Love Bees, World Without Oil, Urgent Evokeなど)や先行研究を概観する。さらにARGが社会運動、教育実践、都市空間でのプレイ体験、参加型アートなどにおいて具体的にいかなる試みを生み出してきたか事例分析を行い、最後にそれらを踏まえてARGのもつ構造的特徴(没入と現実関与の両立、プレイヤーコミュニティ形成、情報リテラシーやナラティブ実践への影響など)および課題・展望について考察する。
理論枠組み:ARGの定義とゲーム的特徴
ARGは「現実で展開される遊び」であり、「日常的な生活環境自体がゲームの舞台となる」点を最大の特徴とする。参加者は現実世界の中で与えられた謎やミッションに挑み、物語の断片を集めて全体像を解明していく。八重尾(2010)はARGの要素として、「日常環境へのゲーム情報の紛れ込み(インターネット、電話、テレビ、新聞等あらゆるメディアに手がかりが散在する)」、「プレイヤー同士のコミュニケーションと協力(多人数が協力し情報交換しながら進行する)」、そして「現実世界を舞台としたコミュニケーションによってゲーム体験が拡大していくこと」などを指摘している。実際、ARGでは参加者がインターネット上の情報検索から現実空間での探索・対話まで動員し、断片化された謎を解読し物語を再構築するプロセス自体がゲームプレイとなる。ARGはしばしば「トランスメディア実践の新たなジャンル」と位置付けられ 、物語や手がかりが複数の媒体・現実世界にまたがって提示される点に特徴がある。例えば、ゲームデザイナーのジェーン・マクゴニガルはARGを「調査的な遊び場」と呼び、プレイヤーがネット上の情報や現実のヒントを収集・組み立て・解釈して問題解決に当たる協調的知能ゲームと位置付けている (※参考:“Why I Love Bees: A Case Study in Collective Intelligence Gaming”)。
ARGとパーベイシブゲーム:魔法円の拡張
ARGは広義には「パーベイシブゲーム(浸透型ゲーム)」の一形態とみなすことができる。パーベイシブゲームとはデジタル技術等を活用してゲーム体験を日常の現実空間にまで拡張したゲームを指し、その定義として「プレイの契約的な魔法の円(マジック・サークル)を空間的・時間的・社会的に拡張する顕著な特徴を一つ以上備えるゲーム」であると説明される。ここで言う「魔法円」とはホイジンガの提唱した概念で、ゲームが成立する特別な時間・空間の境界を指す。伝統的なゲームではプレイ空間と日常世界が明確に区切られているのに対し、ARGではその境界が意図的に曖昧化・拡張される。例えばARGの参加者は、現実の日常生活の最中に突如ゲームの手掛かりとなる電話やメールを受け取ったり、街角で偶然見かけたポスターや広告に隠されたメッセージを発見したりする。こうした手法により、「ゲームの時間・空間」が日常生活の中へ染み出し、現実と虚構の境界(魔法円)が解体されるのである。ARG制作者はまさに観客参加型の「インビジブル・シアター(見えない劇場)」を現実世界上で演出し 、プレイヤーには自分がフィクションと現実のどちらに足を踏み入れているのか一瞬判別がつかなくなるような感覚、いわば現実に対する哲学的懐疑に近い体験すら生み出し得る。このようにARGは、ゲームデザイン上「これはゲームではない」と暗に主張しつつ参加者を物語に引き込み、日常世界そのものをプレイグラウンドへと作り変える点に独自の没入構造がある。
没入と現実関与の構造
ARGでは従来の物語体験とは異なる没入と現実関与の構造が現れる。プレイヤーはフィクションの登場人物になりきって物語世界に没入する一方で、実際に現実世界で行動し問題を解決することが求められる。この「二重の没入」はARGの重要な特徴であり、従来のデジタルゲームのようにスクリーン内の架空世界に閉じこもるのではなく、プレイヤーを現実の社会・環境の中へと積極的に参加させる。例えばARGの一部は重大な社会問題をテーマに据え、プレイヤーに架空の危機状況を「疑似体験」させつつ、その中で現実世界に即した解決策を考案させるという形を取る。これは後述する『World Without Oil』や『Urgent Evoke』といった事例で顕著である。また、ARGの物語はしばしばオープンな形で提供され、参加者自身のアイデア投稿や行動によって物語の一部が生成・変容する。すなわちARGではプレイヤーが共創者となり、物語世界への没入と現実世界への介入とが交錯するインタラクティブな物語体験が生まれる。このような構造は、メディア論・ゲーム研究の観点から「マジック・サークルの脱構築」と表現でき、フィクションへの没入(immersion)と現実世界への関与(engagement)のハイブリッドな関係性として分析されている。特に文化研究の立場からは、ARGがプレイヤーに現実社会の問題を遊びの文脈で体験させることで、新たな気づきや批判的思考を促すメディア実践となり得る点が強調される。
プレイヤー・コミュニティと集合知
ARGにおいて物語解明やゲームクリアのためには、往々にしてプレイヤー同士の協力が不可欠となる。ARGの謎解きは非常に複雑で多岐にわたるため、個人の力では解決困難な場合が多い。そのためインターネット上のフォーラムやSNSを通じて参加者コミュニティが形成され、情報共有・役割分担・協働解析が行われる。この現象は「集合知(Collective Intelligence)」の発現とも評され 、ARGを通じて大規模な共同問題解決コミュニティが生まれる点は重要な社会的側面である。初期の代表例として、史上初期のARGと言われる**『The Beast』(2001年)では、オンライン掲示板上に愛好者グループ「Cloudmakers」が結成され、数千人規模の参加者が協力してゲーム内の40以上ものウェブサイトや手掛かりを解析した。同様に『I Love Bees』(2004年)では、世界中から延べ300万人以上ものアクセスが公式サイトに集まり、数千人のプレイヤーが自発的にネットコミュニティを形成して複雑なパズルの数々に取り組んだ。こうしたARGコミュニティでは、プレイヤー各自の専門知識や技能(暗号解読、プログラミング、考古学的知識など)が持ち寄られ、分散した断片情報をリアルタイムで集約・分析するダイナミックな協働が行われる。この協働過程で参加者間には強い連帯感や目的意識が芽生え、ARG終了後もファン・コミュニティとして持続する場合もある。プレイヤー・コミュニティ形成の力学はゲーム研究・社会学において注目されており、大規模集団による問題解決やナラティブ創発のモデルとして研究が進みつつある。
情報リテラシーとナラティブ実践
ARGへの参加は、プレイヤーに高度な情報リテラシーや物語理解・創造の実践を要求し、同時にそれらの能力を磨く機会ともなる。米国の研究者グループによれば、ARGは21世紀型スキルの習得プラットフォームとして有望であり、情報を「収集し、取捨選択し、意味付けし、管理し、問題を解決し、創造し、敬意を払い、協働する」という一連のリテラシー技能を楽しみながら訓練できる可能性があると指摘されている。実際、ARGのプレイヤーは断片的な情報群から真偽や関連性を見極め、大量のデータを整理・共有し、創造的に仮説を立てて検証するプロセスを経験する。また物語の断片(例えば登場人物のブログ記事やニュース映像、暗号化されたメッセージ等)を読み解き、それらを繋ぎ合わせて全体のストーリーを再構築する作業は、一種のナラティブ実践とみなせる。プレイヤーは受動的な「物語の消費者」ではなく、能動的な「物語の共同制作者」として振る舞い、物語世界に存在する情報を批判的かつ創造的に扱うスキルを身につけていく。教育学的観点からは、ARGへの参加経験がデジタル時代のメディア・リテラシー教育に資する可能性も議論されている。以上のように、ARGの理論的枠組みには複数の学問領域(メディア論、ゲーム研究、教育学、アート論など)が関与し、現実と虚構の関係性や参加者の学習・創造プロセスについて横断的な議論が展開されている。次節では、こうした理論的知見を具体化する事例として、ARGが様々な文脈で実践された代表例を分析する。
事例分析:ARGの多領域での実践
本章ではARGの代表的プロジェクトや応用事例を、エンターテインメント(マーケティング)、社会運動・教育、都市空間・アートという観点から概観する。欧米圏で展開された先駆的ARGはその多くが物語性と参加者コミュニティの力を活用し、新たなメディア実践の地平を切り開いてきた。また近年では教育現場や地域社会でARGの手法を取り入れる試みも散見される。以下、各分野における主要事例を取り上げる。
• エンターテインメント・マーケティングにおけるARG: ARGは当初、その独特の没入体験が企業のマーケティング・キャンペーンに利用された。先駆けとなったのは映画『A.I.』(スピルバーグ監督, 2001年)のプロモーションとしてマイクロソフト社が開発したARG『The Beast』である。『The Beast』は映画の世界観と連動した架空の殺人ミステリーを題材に、40以上もの偽装ウェブサイトや隠しメッセージ、電話録音、新聞広告など多彩な媒体に手掛かりが散りばめられた大規模な謎解きゲームであった。プレイヤーたちはオンラインフォーラム(Yahoo! Groupsの「Cloudmakers」)に集い、協力して断片情報を解析し物語を解明していった。その盛り上がりは制作者の想定を超え、当初予定の期間を越えてゲームが延長されるほどであった。『The Beast』は「ハリウッドの基準から見ても前例のない」斬新な試みと評され、後続のARGに多大な影響を与えた草分け的作品とされる。この成功以降、ARGは映画やゲームのファン層を巻き込むバイラルマーケティング手法として注目され、『Halo 2』発売前に展開された『I Love Bees』(2004年)など数々の大型ARGが制作された。『I Love Bees』は一見ハッキング被害に遭った養蜂サイトを装い、その裏で進行するSFストーリーの断片をプレイヤーが解読していく内容で、全世界から延べ300万人以上がサイトを訪れ数千人が実際に謎解きに参加した。プレイヤーはGPS座標と時刻のリストから公衆電話の場所と鳴動時間を割り出し、ハリケーン接近中にもかかわらず指定の電話を受けに行く者まで現れるなど 、極めて高い熱意と協働精神によってゲームを完遂した。『I Love Bees』は革新的キャンペーンとして多数の賞を受賞し、その成功を機に他のビデオゲーム作品にもARG手法が取り入れられるようになった。以降も映画『ダークナイト』(Why So Serious?キャンペーン, 2007年)や音楽アルバム(ナイン・インチ・ネイルズのYear Zero, 2007年)などでARGが話題を呼び、日本でも「名探偵コナン」や「バイオハザード」といった人気コンテンツのプロモーションにARG的な謎解きゲームが利用されている。エンターテインメント分野におけるARGはファンの熱狂的参加を促し、作品世界への深い没入とコミュニティ醸成をもたらす新たなマーケティング/ファン・エンゲージメントの手法として定着した。
• 社会運動・教育におけるARG: ARGのもつ現実巻き込み型の物語構造は、社会的課題への意識啓発や教育にも応用されてきた。代表的な例の一つが環境問題をテーマに据えたARG『World Without Oil』(2007年)である。これは「現実に直面する前にプレイせよ(Play it – before you live it)」というスローガンのもと、近未来の世界的石油危機をシミュレートするシリアスゲームとして企画された。ゲームでは石油が突然枯渇し始めた想定のもと、プレイヤーは各自が住む地域でどのような事態が起きているかをブログ記事や動画・写真などの形で報告し合い、その情報は逐次ゲームの公式ストーリーにも組み込まれていった。プレイヤーたちはまさに架空の危機を「体験」しながら、生活を維持するための創意工夫や地域コミュニティで協力する方策を考案・共有した。制作者側はこうした参加者の集合知を公式ブログ等でまとめ、日々更新される物語として提示することで、参加者自身が環境変動への適応策を創造していく流れを作り出した。『World Without Oil』はわずか32日間の期間限定ゲームであったが、結果として膨大な市民視点の物語アーカイブを生み出し、それは教育者や政策立案者にも有益な記録となることを目指していた。この試みは大きな評価を受け、2008年のSouth by Southwestインタラクティブ部門でActivism賞を受賞するなど社会貢献的ゲームの先駆例となった (さらに十数年後の2022年にはデジタルストーリーテリング部門でピーボディ賞を受賞している )。もっとも分析によれば、本作では全参加者の中のごく一部の熱心なメンバー(およびゲームマスター)が物語展開を主導し、提示された解決策も「交通手段の工夫」や「地産食料の利用」等比較的凡庸なものに留まったとの指摘もあり 、参加者層の広がりやアウトプットの質には課題も残した。
教育分野でARGの手法を全面的に採り入れた例としては、世界銀行が若者の起業支援・啓発を目的に実施した『Urgent Evoke』(2010年)が挙げられる。これはゲームデザイナーのジェーン・マクゴニガルが手掛けたオンラインARGで、アフリカを中心とする世界の若者に飢餓、貧困、気候変動などの課題解決に取り組む創造力を養ってもらう狙いで企画された。ゲームは近未来(2020年)の架空の危機を描くコミック仕立てのストーリーが毎週オンライン公開され、それに対応した「ミッション」が提示される形式で10週間進行した。参加者は各ミッションに対しブログ記事の投稿や写真・動画のアップロードという形で解決策やアイデアを提出し、互いにコメントし合うことで学びを深めていった。全期間で世界150か国から約1万9324人が登録し、投稿されたブログ記事は2万3500件、写真4700枚、動画1500本にも上ったと報告されている。優秀な提案は実際にクラウドファンディングで資金調達が行われ、上位プロジェクトには追加資金が与えられるなど 、ゲーム内の活動が現実世界の社会起業につながる仕掛けも用意された点が特徴的である。また参加者は所定のミッションをこなすと世界銀行研究所からの認定証を取得でき、成績優秀者はワシントンD.C.で開催されたサミットに招待されるなど 、ARGとしての遊びと実社会でのキャリア育成とが接合するデザインとなっていた。『Urgent Evoke』は教育目的のARGの好例として評価され、その後公式サイト上で高等学校教員向け教材として公開され継続利用できるようになっている。さらに教育・学習科学の観点から、本作のようなARGが21世紀の学習者に必要なリテラシー(情報収集・批判的思考・協働作業など)を実践的に鍛える場となったとの分析もなされている。
他にも、ARG的手法を学校教育に組み込んだ例として米国MITとスミソニアン博物館が開発した『Vanished』(2011年)が挙げられる。『Vanished』は11~14歳の中学生を対象に、失踪した架空の惑星の謎を解明するという科学ミステリーARGである。オンライン上のパズルやミニゲーム、実際の博物館へのフィールドワーク、現実空間で採取した手がかりの分析などを組み合わせ、参加者は科学者になりきって協力しながら物語の真相に迫るよう設計されていた。生命科学、考古学、地質学など幅広い学術分野の知識が謎解きに関連付けられ、プレイヤーはゲームを通じてSTEM分野のキャリアを疑似体験することができる。加えて、ゲーム内で現役の科学者や大学生メンターとの対話機会を設けるなど教育的配慮もなされていた。『Vanished』は博物館や大学と連携した学習ARGの好例であり、その成果は教育界でも注目を集めた。このようにARGはエンターテインメント以外の文脈でも、人々の主体的な学びや社会参画を促すツールとして機能し始めている。
• 都市空間・参加型アートにおけるARG: ARG的なゲーム手法は、都市の公共空間におけるプレイフルな介入やアートプロジェクトとしても実践されている。現実の街そのものを盤面に見立て、市民が巻き込まれる形で展開するARGやパーベイシブゲームは、「都市という日常空間を舞台に物語的体験を誘発する」試みといえる。例えばイギリスのアート集団ブラスト・セオリー(Blast Theory)は2003年の作品『Uncle Roy All Around You』において、ロンドン市街を歩き回る参加者たちとオンライン参加者とが連携して物語上の人物「アンクル・ロイ」を追跡するという体験型ゲーム/performanceを実施し、現実空間を演劇的に拡張する先駆的試みを行った。こうした作品は従来の劇場や美術館の文脈を超え、都市を舞台にした参加型アートとして評価されている。同様に、米国シカゴ大学のPatrick Jagodaらはキャンパス全体を舞台にARG『The Project Labyrinth』(2017年)を展開し、学生コミュニティの連帯感醸成や物語体験の創出を図った。さらに、コミュニティの歴史や社会問題をテーマに市民参加型のARGを制作するアーティストも現れている。例としてアレクサンドリナ・アグロロが2014年に米国プロビデンスで手掛けた『The Resisters』は、有色人種コミュニティの公民権運動の歴史を題材に地域住民と学生が参加するARGであり、ゲームデザインを通じて地域の記憶やアイデンティティの再発見を促す芸術実践となった。アグロロは本作を大学の市民エンゲージメント活動と位置付け、ゲーム開発過程自体をコミュニティとの協働プロジェクトとすることで、単なるゲーム作品に留まらない社会対話のプラットフォームを構築したと報告している。日本国内でも、地域振興や観光振興を目的にARG的な周遊ゲームが導入されつつある。中村仁ほか(2014)の研究では、観光地にARGを応用して「物語性のある宝探しや謎解き」を観光ルート上で展開することで、訪問客の回遊動線を工夫し地域への愛着や滞在時間の向上を図る試みが紹介されている。例えば実際に福岡市天神地区で行われた「ツイットハンティング」というARG風イベントでは、参加者がSNS上の手掛かりを元に市街地を探索しながら物語の謎解きを楽しむことで、街歩き自体がエンターテインメント化する効果が報告された(天神ツイットハンティングの事例 )。このようにARG/パーベイシブゲームは都市空間への「プレイアブルな介入」として、場所の新たな意味付けや人々の関わり方の変容をもたらすアート的実験にもなっている。
以上、ARGの多様な実践例を概観すると、マーケティングから社会運動、教育、都市アートまで実に幅広い領域でARG手法が応用されてきたことが分かる。それぞれの事例は固有の目的や文脈を持つものの、共通して見出せるのは「現実世界に物語と遊びの回路を開き、人々に協働的で創造的な体験を提供する」というARGの本質的な機能である。次章では、これら事例を踏まえてARGがもたらす文化・社会的影響と課題について考察する。
考察:ARGの可能性と課題
前章で見たように、ARGは現実とフィクションの境界を越境することで新たな体験価値を生み出し、様々な領域で活用されてきた。その文化的・社会的可能性を整理すると以下のような点が挙げられる。
1. 物語体験の拡張と主体的参加の促進: ARGは受動的な物語消費から一歩進み、参加者自身が物語を発見し紡ぐ主体となる体験を提供する。プレイヤーは謎を解き現実世界で行動する中で物語世界に深く没入しつつ、自らの選択や発想が物語展開に影響を与える醍醐味を味わう。このような「物語への参与感」は伝統的な小説・映画・ゲームでは得難いものであり、ARGは物語体験の在り方を拡張したと言える。文化的視点からは、ARG的手法が現代の物語消費者を物語共同制作者へと転換し、ファン・カルチャーやコミュニティ文化の新たな形態を生み出している点が注目される。例えば『The Beast』や『I Love Bees』のコミュニティは単なるファン集団を超え、集合知によって物語を解読・補完する創造的集団となった。このような参与型物語の潮流は、その後のトランスメディア・ストーリーテリング作品やファンコミュニティ活動(考察Wikiの作成や二次創作など)にも影響を与えている。
2. 社会的メッセージと没入体験の融合: ARGはエンターテインメント性を保ちながら現実の社会問題を扱うことが可能であり、シリアスゲームや市民参加型キャンペーンとして有用である。『World Without Oil』や『Urgent Evoke』に見るように、仮想の危機や課題をゲーム内で提示し、参加者にその解決策を考えさせることで、楽しみながら社会問題への意識喚起やアイデア創出が図られた。これは単なる講義やキャンペーンよりも高い当事者意識を生み、問題を「自分ごと化」させる効果があると考えられる。一方で、ゲームと現実問題の取り合わせには倫理的留意も必要である。深刻なテーマを遊び化することへの抵抗感や、ゲーム参加者と非参加者(一般社会)との認識ギャップが引き起こす混乱の可能性など、ARGならではの課題も指摘される。実際、『The Beast』開発当時にはゲーム内の架空事件を本物と誤認した人々から問い合わせが殺到したり、ARGの「現実と虚構の曖昧さ」がトラブルを招くケースも報告された(例えばゲーム中の不審物が現実の脅威と間違われる等)。このためARG制作者は、ゲームの安全設計や現実社会への配慮(例えばゲーム内で明示的・暗示的にフィクションであることを伝える手掛かり=ルディック・マーカーを適切に配置する等)に細心の注意を払う必要がある。総じて、ARGは社会的・政治的メッセージを浸透させる強力な媒体となり得るが、その影響力ゆえに倫理的ガバナンスも伴わねばならない。
3. 協働・コミュニティの力: ARGが生むプレイヤー同士の協働関係とコミュニティ形成は、デジタル時代の新たな集合行動のモデルとして興味深い。ネット上で匿名の人々が知恵を持ち寄り巨大な難題を解決していく様は、インターネット時代のポジティブな集合知活用の一典型である。そこではメンバー各自が得意分野を発揮し、相互に教え合い補完し合う学習共同体としての側面もある。ARGコミュニティの一部はゲーム終了後もオンラインフォーラム等で存続し、別のARGや派生プロジェクトに自発的に取り組むケースもみられる。例えば『I Love Bees』参加者の中核メンバーは後に他のARG開発に招聘されたり、ARG情報サイト(ARGNetなど)のスタッフとなる者もいたと言われる。このようにARGは一種の**「コミュニティ創発装置」**として機能し得る。参加者に強い共有体験を与えることから、企業ブランドのファンコミュニティ醸成や、教育現場での協働学習グループ形成などにも応用できる可能性がある。ただしコミュニティの閉鎖性や内輪化にも注意が必要である。高度に物語に没入したコミュニティは外部からは近寄りがたくなる傾向もあり、新規参加者の障壁となり得る。ゲームデザイン上、様々なレベルの参加者が共存できる工夫(ライト層でも楽しめる要素の配置、情報共有の仕組み整備など)が求められる。
4. 教育的効果と課題: ARGへの参加体験は前述の通り情報リテラシーや問題解決能力の涵養に寄与し得る。一方で、ARGを教育目的で設計・運用する際には乗り越えるべき課題もある。第一に制作コストと運営の問題がある。ARGはマルチメディアに渡る膨大なコンテンツ作成やリアルタイム運営が必要で、商用プロジェクト並みの予算や人員が求められる場合が多い。教育現場で単発のARGを企画してもリソース不足で継続できない例も報告されている。第二に評価・学習効果の測定が難しい点がある。ARG参加による学習成果(例えばリテラシー向上)がどの程度あったかを定量的に評価するのは容易ではなく、教育効果をエビデンスとして示すにはさらなる研究が必要である。第三にスケーラビリティ(規模拡大)と持続可能性の課題がある。小規模では成功した教育ARGも、大人数参加や長期間継続では熱意が続かず尻すぼみになることがある。『Urgent Evoke』も第2シーズンの試みがなされたが初回ほどの盛り上がりを見せられなかったとの指摘もある。このため、教育・社会分野でARGを活用するには、ゲームデザインと学習目標の整合、外部支援の確保、参加動機の喚起と維持といった観点で周到な設計が必要となる。
以上のような可能性と課題を踏まえると、ARGは「現実世界を媒介に人々を巻き込み、共同で物語体験と問題解決を行う新しいメディアフォーマット」として確かな意義を持ちながらも、そのデザイン・運用には高度な専門知見と倫理的配慮が求められることが分かる。文化研究的には、ARGはポストモダン的な虚構と現実の混淆を体現し、受け手の主体性を刺激する表現形式として評価できる。一方、社会実践的には、遊びの力で人々を結集し現実課題に創造的に取り組ませる手法として期待が持てる。同時に、現実との境界を曖昧にするリスクと向き合い、誰もが安心して参加できる設計思想(インクルーシブで安全な遊びの場作り)を確立することが、ARGの今後の発展には不可欠であろう。
結論
代替現実ゲーム(ARG)は、現実とフィクションの交錯する独自のプレイ空間を創出することで、21世紀のデジタル文化に新風をもたらした。序論で述べたようにARGは定義上リアルな世界を舞台とする物語ゲームであり、その理論的特徴として魔法円の拡張、没入と現実関与の二重構造、協働的なプレイヤーコミュニティ形成、高度なリテラシー実践などが挙げられる。本稿では欧米を中心とする代表的ARGプロジェクトの展開を追い、ARGがマーケティング、社会運動、教育、アートといった多様な領域で実践されてきたことを示した。ARGは企業プロモーションにおいてファンの熱狂的参加を促し、物語世界への深いエンゲージメントを創出した。また社会課題をテーマに据えたARGは、ゲームの枠組みで人々に危機意識と創造的思考を喚起し、新たな市民参加のモデルとなり得る可能性を示した。教育分野ではARG的手法が体験学習やSTEMキャリア啓発に活用され、その有効性と課題が浮き彫りとなった。さらに都市空間や芸術領域では、ARGは公共空間への遊びの介入やコミュニティの物語再発見といった実験的試みを可能にした。
総合して言えることは、ARGはゲーム・物語・現実行為の融合によって生まれる強力な没入体験と協働体験を、人々の文化的・社会的活動に結びつけるプラットフォームとなり得るという点である。従来分断されていた娯楽と啓発、遊びと学び、フィクションと現実参与の境界線を横断し、新しい形のコミュニケーションと創造性を引き出す媒体――それがARGの本質であろう。もっとも、その設計運用には高い専門性と倫理性が要求され、誰もが気軽に成功させられるものではない。日本においてはARGの社会活用はまだ緒に就いたばかりであり、欧米の先行事例から学べる点は多い。今後、国内でも地域振興や教育現場でARGを試みる動きが進めば、それぞれの文化圏に適合したデザインや参加手法が蓄積されていくだろう。学術的にもARGはメディアミックス研究やゲーム研究の新たなフロンティアであり、現実社会へのインパクトという観点から批評的検討が求められる。ARGがもたらす体験は、人々に現実世界の捉え直しや共同創造の喜びを提供し得る反面、虚実混淆への戸惑いや設計の不手際が現実社会に波及するリスクも孕む。ゆえに今後は、安全で包摂的で有意義なARGを設計する理論と実践を深化させ、文化的価値と社会的有用性を両立させたプロジェクトを増やしていくことが重要である。本研究の包括的検討が、ARGの持つ多面的な可能性と課題を明らかにし、今後のより良いARG実践と研究の一助となれば幸いである。
References:
• 八重尾昌輝「ARG(Alternate Reality Game)」『デジタルゲームの教科書』ソフトバンククリエイティブ, 2010.
• 中村仁・小山友介・堀内和哉「ARG(代替現実ゲーム)の観光・まちづくりへの応用に関する基礎研究」『自治体学』27巻2号, 2014, pp.36-37.(第27回自治体学会発表資料)
• Jane McGonigal, “Why I Love Bees: A Case Study in Collective Intelligence Gaming,” in The Ecology of Games: Connecting Youth, Games, and Learning, MIT Press, 2008.
• Elizabeth Bonsignore et al., “Alternate Reality Games as Platforms for Practicing 21st-Century Literacies,” International Journal of Learning and Media, vol.4 no.1, 2013 .
• Seung-A Jin, “’This Is Not a Game’: Immersive Aesthetics & Collective Play,” Communication, Culture & Critique 4(3), 2011. (ARGの没入美学と共同プレイに関する研究)