民主主義の次世代戦線:2025年におけるZ世代抗議運動
序論:世界的に拡大する「Z世代」抗議の波
2025年、世界各地で若者(いわゆる「ジェネレーションZ」)が主導する大規模な抗議運動が相次ぎました。これらの運動はいずれも国ごとの具体的な不満を契機に発生しましたが、その根底には政治指導層の汚職や縁故主義、経済的不平等や将来への不安など共通する世代的な怒りが存在しています 。参加者の多くはインターネット世代であるZ世代(1990年代後半~2010年前後生まれ)であり、組織の明確な指導者を持たない「リーダーレス」な形態が特徴です 。彼らは従来の政治制度が自分たち世代の声に応えていないとの失望感から、街頭デモやSNSを通じた発信など新たな形で政治参加を模索しています 。以下では、2025年に各地域で注目された若者主導の革命・体制変革・大規模運動の事例について、それぞれ政治的成果、用いられた戦術、テクノロジーやSNSの果たした役割に焦点を当てて論じます。
南アジア:ネパールの「Gen Z」蜂起とその影響
ネパールの首都カトマンズにある政府中枢(シンハ・ダルバール)前で、若者たちの抗議により政府庁舎が炎上した様子(2025年9月)。ネパールでは、2025年9月に若者主導の大規模抗議(いわゆる「Gen Z」蜂起)が発生し、政変に至りました 。引き金となったのは政府による突然のソーシャルメディア一斉停止措置でした 。9月4日、ネパール政府は国内外26のSNSプラットフォーム(Facebook、Instagram、YouTube、WhatsApp、X〔旧Twitter〕、WeChatなど)を「登録未遵守」を理由に停止し、人々のオンライン言論を封じようとしました。この措置は若者層に「政府が批判を抑え込むための弾圧」と受け止められ、ただちに全国的な抗議デモの火種となりました 。
ネパールの若者たちは、SNS遮断にもかかわらずVPN(仮想プライベートネットワーク)や暗号化メッセージアプリを駆使して情報共有・動員を行いました 。実際、Reddit上では「オンライン上の怒りを現実世界の行動に移そう」という呼びかけが広まり、政府が主要SNSを遮断した9月4日から数日後には何千人もの若者が首都カトマンズの議事堂前に集結するに至りました。この抗議行動の準備段階では、フィリピンで人気化していたハッシュタグ「#NepoBaby」(ネポベイビー、※有力者の子弟=コネによる恩恵を受ける「縁故子女」への批判)が参考にされ、ネパールでも政治家の子どもたちの贅沢な暮らしを暴露するオンライン・キャンペーンが展開されました。TikTokや(停止前の)Redditには、政治家一族が汚職で蓄えた資金で豪華な生活を送っているという告発動画や書き込みが相次ぎ、こうした「ネポティズム(縁故主義)」への怒りが若者世代の不満に火に油を注いだのです。
9月8日、カトマンズの議事堂付近に集まった制服姿の高校生・大学生を中心とするデモ隊と治安部隊が衝突し、警官隊は催涙ガスや放水銃、ゴム弾にとどまらず実弾の発砲にまで踏み切りました。デモは激化して政府庁舎や各省庁にも延焼し、9日には国会議事堂や複数の官公庁が炎上する事態となりました。この混乱の中、抗議運動の要求を受けて9月9日についにKPシャルマ・オリ首相が辞任し、政府はSNS停止措置の撤回を余儀なくされます 。しかしそれでも怒りは収まらず、治安当局は9月10日に全国夜間外出禁止令を発動してデモ鎮静化を図りました 。9月12日、抗議指導部は最高裁長官経験者のスシラ・カルキ氏(ネパール初の女性首相となる)を暫定首班に推すことで軍当局と合意し、カルキ氏が暫定首相に就任しました 。9月下旬までに騒乱で少なくとも74名が死亡、2,100名以上が負傷する悲劇となりましたが 、腐敗した政府トップの退陣という大きな政治的成果が若者デモによって勝ち取られた形です 。
ネパールのこの「Gen Z」蜂起は南アジアの若者革命ドミノの一環として位置づけられます 。2022年のスリランカでは若者を含む大衆運動が経済破綻に抗議して大統領を国外逃亡に追い込み 、翌2024年にはバングラデシュで若者主体の民主化デモが数十年続いたシェイク・ハシナ政権を打倒しました。特にバングラデシュでは、学生による公務員採用の定員枠(クオータ)撤廃要求デモが発端となり全国的な反政府蜂起へ発展、8月にはハシナ首相が辞任し国外へ退去する事態に至りました。この革命の過程で治安部隊との衝突により1,400人以上が命を落とす弾圧もありましたが 、最終的にノーベル平和賞受賞者ムハマド・ユヌス氏が率いる暫定政府が樹立され、長期独裁体制の崩壊という劇的な成果を上げました。バングラデシュの若者たちは流血を伴う革命の後も政治参加を継続しており、2025年2月にはデモの中核メンバーが中心となって「全国市民党」という新政党を結成し、第2共和制を目指す新憲法制定など大胆な改革構想を掲げています 。ネパールの若者デモ参加者たちは「スリランカ(2022年)やバングラデシュ(2024年)の成功例に触発された」と語っており 、こうした近隣諸国の世代交代的な革命の連鎖がネパールでの行動の原動力となりました。
ネパールのケースでは、抗議戦術として街頭デモとオンライン活動が緊密に連携していた点も特筆されます。若者たちは政府の情報統制をかいくぐり、TikTokなど代替プラットフォームで抗議の呼びかけ動画を拡散したり、VPNで遮断を迂回してリアルタイムでデモ情報を共有しました。またデモ隊は黒地に麦わら帽子のドクロが描かれた日本の漫画『ONE PIECE』の海賊旗をシンボルとして掲げましたが、この旗は**「腐敗した政府に立ち向かう」象徴**として各国の若者抗議で共有されるようになっており、ネパールでも政府庁舎の門に掲げられるなど象徴的な光景が生まれました。このように伝統的な抗議の手法(デモ行進や政府施設の占拠)とデジタル時代の新手法(SNSでのキャンペーン、ポップカルチャーの記号の拡散)を融合させたことが、ネパールの若者運動成功の一因といえるでしょう。
東南アジア:経済的不満と縁故主義に対する若者抗議
東南アジアでも2025年に若者世代による体制批判運動が顕著になりました。インドネシアとフィリピンでは、それぞれ異なる契機から政治エリートの特権や腐敗への怒りが爆発しています。
インドネシアの議員特権抗議と体制改革
インドネシアでは2025年8月、国会議員の厚遇に対する国民の怒りをきっかけに全国規模の抗議行動が発生しました。国会議員に毎月支給される住宅手当(約500万円相当)や休会中の高額手当が報じられると、学生団体や人権団体が呼応しジャカルタをはじめ全38州中32州に抗議デモが波及しました 。デモには何千人もの若者や市民が参加し、当初は平和的でしたが、デモ隊に対する治安部隊の強硬措置の中でバイク配達員の青年(21歳)が装甲車に轢かれ死亡すると状況は一変します。この事件を契機に抗議は激化し、一部が暴徒化して各地で騒乱が発生しました。8月末から9月初めにかけての混乱で少なくとも10名が死亡、5,000人以上が逮捕され、東南アジア最大の経済国インドネシアで20年以上見られなかった大規模な騒乱となりました。
インドネシアの抗議運動の主な要求は、国会議員の特権是正にとどまらず「経済苦境の改善」「公正な税制の導入」「治安部隊や議会の改革」など多岐にわたり 、新大統領プラボウォ・スビアント政権(2024年就任)にとって就任以来最大の挑戦となりました 。この若者主導の圧力に対し、政府・議会はまず議員への住宅手当支給を一部撤廃して国民の怒りを和らげようと試みました 。さらに9月にはスビアント大統領が突然の閣僚改造を行い、長年経済政策の舵取りを担ってきたムリヤニ財務相や治安担当相など主要5閣僚を更迭しました 。これは抗議デモの要求に応え、経済失政や不公正への責任をとらせる意味合いがあると受け止められています。このようにインドネシアでは、若者を含む国民の抗議によって議員特権の一部見直しや政府高官の交代といった具体的な成果が引き出されました。
インドネシアのデモ戦術は、大学生や労働組合による街頭デモとネット上での世論喚起が組み合わさっていました。大学キャンパスやソーシャルメディアを通じてデモの日程・場所が共有され、多くの若者が一斉に行動を起こすことが可能となりました。各地のデモ現場では、ネパールなど他国同様に『ONE PIECE』の海賊旗が掲げられ「我々は同じ戦いをしている」との連帯が示されました。またデモの中で犠牲となった若者たちを悼む動きもオンラインで広がり、ハッシュタグを使った追悼や警察暴力への抗議が後続の行動を促すという循環が見られました。結果としてインドネシア政府はデモ隊の要求を完全には容れなかったものの、若者世代の圧力によって一定の制度改革(特権縮小)と人事刷新が実現し、社会に対話の必要性を認識させた点で大きな意義があったと言えます。
フィリピンの「ネポティズム」告発運動
一方、フィリピンでは2025年に表立った政権崩壊こそ起きていないものの、若者による腐敗・縁故主義への告発運動がオンライン発で盛り上がりを見せました。マルコス政権下のフィリピンでは、政界や官界での「世襲」や「コネ」が横行しているとの批判が根強く、若者世代がTikTokやX(旧Twitter)、Redditなどを駆使して**「ネポベイビー(有力者のボンボン)糾弾キャンペーン」を展開しました。政治家や高官の子弟が不当に優遇され、豪華な生活を送っている実態を暴露する動画や投稿が次々に拡散し、ハッシュタグ「#nepokids」や「#PoliticiansNepoBaby」がトレンド入りしました。これは単なるSNS上のムーブメントに留まらず、一部は学生グループや若手ジャーナリストによる調査報道や路上での抗議集会にも発展しました。例えば、2025年にはフィリピン人の若手インフルエンサーや動画クリエイターが連帯し「政治家一族の資産公開と説明責任を求める」新たなオンライン連合体を立ち上げ、SNS上で得た情報をもとに政府高官の親族の不正蓄財疑惑を告発しています。また各地の大学では教育予算の削減や歴史教科書の改訂に反対する学生デモが発生し、その背景には現政権を担うマルコス一族やドゥテルテ一族への反発(=長年の権力世襲への批判)があると指摘されています。こうしたフィリピン発の「ネポティズム」批判は前述のネパールの抗議者にも共有されており、ネパール蜂起の参加者が「フィリピンで広まったネポキッズ運動が自国の不満を代弁しているように感じた」と証言するなど 、国境を越えて若者世代が問題意識を連帯させる現象も生まれました。
フィリピンの事例では直接的な法改正や政権交代といった成果はまだ出ていません。しかし、政府要人もこの若者のオンライン世論に無関心ではいられず、一部の官僚が自らSNSで釈明を行ったり、マルコス大統領が汚職撲滅をアピールする施策を打ち出すなど、若者世論の圧力が政治アジェンダに影響を及ぼし始めています。さらに、この動きは他国の運動にもインスピレーションを与え、腐敗や縁故への糾弾は各国の若者運動における共通のテーマとなりました。フィリピンにおけるSNS発の告発運動は、既存の権力構造に風穴を開けるデジタル時代の新しい社会運動の形として注目されます。
アフリカ:マダガスカル政変とモロッコ「GenZ212」運動
アフリカでも、地域ごとに異なる文脈で若者主導の抗議運動が顕在化しました。特に2025年はマダガスカルとモロッコで、若者世代が中心となった大規模な社会運動が政権を揺るがしました。
マダガスカル:若者デモが導火線となった政権崩壊
インド洋の島国マダガスカルでは、2025年秋に政権崩壊につながる重大な政治変動が起きました。発端は電力・水道の度重なる供給停止という国民生活に直結する問題でしたが、それに抗議するデモが瞬く間に全国に広がり、既存政権への不満の噴出へとつながりました 。デモの主体は若者たちで、自らを「Gen Z Madagascar(ジェンジー・マダガスカル)」と称するリーダーレスの若者集団が各地で抗議行動を牽引しました 。当初、アンタナナリボなど主要都市での街頭デモから始まったこの運動は、政府の腐敗や無策への怒りも背景にあって日増しに勢いを増し、数週間にわたって大規模な反政府集会が続きました。
マダガスカルの首都アンタナナリボで、若者デモの参加者が治安部隊に殺害された犠牲者を追悼する式典の際に、兵士たちを市民が出迎える様子(2025年10月12日) 。この国では長年、政治エリートの汚職や経済停滞に対する不満が蓄積していましたが、若者世代はそれまで政治的には沈黙を強いられてきました。それが2025年になって一気に噴出した背景には、近隣諸国での成功体験から勇気を得たことがあります。先述のネパールやスリランカの例に加え、マダガスカルの若者たちは「自分たちと同じような島国であるスリランカや、同じ旧フランス植民地のニジェールで起きた政変」に注目し、「我々にも変革は可能だ」という認識を深めたとされています。また、ネパールのデモ隊が掲げた**麦わら帽子の海賊旗(ONE PIECE旗)もマダガスカルに持ち込まれ、首都の群衆がそれを振りかざして「我々は腐敗政権と戦っている」とアピールしました。
デモに対し、当初はラジョエリナ大統領が強権的に鎮圧を図りましたが効果はなく、次第に治安部隊内にも動揺が広がりました。ついに10月中旬、若手将校らがクーデターを起こしラジョエリナ大統領を国外へ退避させるという軍部の実権掌握(ミニ政変)が発生します 。クーデターの首謀者は「国民の声に応えるため」として自ら大統領職を引き受けると宣言し、マダガスカルは事実上の軍政下に入りました 。この一連の流れは、一見すると「軍事クーデターによる政権奪取」に見えますが、その背景には明らかに若者主導の民衆デモの圧力がありました。実際、国軍内の反乱グループは「腐敗した政権に若者がノーを突き付けた結果だ」とデモ隊に理解を示し、デモ参加者から「自分たちが望んだ変革だ」と歓迎する声も上がりました。こうしてマダガスカルでは大統領が失脚して軍事評議会が権力を握るという劇的な転換が生じましたが、これは決して軍部単独の行動ではなく、長年疎外されてきた若者世代の不満が臨界点を超えたことが直接の契機でした。政治的成果としては不透明な軍政移行という複雑な結果を迎えたものの、若者たちが既存支配層を追放し得る力を持つことを証明した点で歴史的な出来事となりました。
モロッコ:公共サービス改善を求める「Gen Z 212」運動
北アフリカのモロッコでも、2025年9月末から10月にかけて若者世代の不満が爆発した抗議運動が展開されました。モロッコでは近年、失業や物価高など経済面の不安に加え、教育・医療など公共サービスの脆弱さに国民の不満が高まっていました 。とりわけ2023年に同国が2030年サッカーW杯の共催国に決定して以降、政府が競技スタジアム建設など派手なプロジェクトに巨額を投じる一方で、地方の病院で妊産婦が次々死亡する(2025年8月に地方病院で帝王切開中の妊婦8人が相次ぎ死亡する事件が報じられた)など国民生活に直結する分野が軽視されていることが明らかになり、怒りが広がりました 。こうした中でSNS上に匿名の若者グループ「GenZ 212」(212はモロッコの国際電話国番号)が結成され、2025年9月末よりオンラインで呼びかけてラバト、カサブランカ、アガディールなど各地で抗議デモを行うようになりました。
「GenZ212」が掲げた主な要求は、教育や医療への予算拡充、汚職の根絶、失業対策の強化など、極めて現実的かつ政策志向のものです。彼らは「豪華スタジアムではなく病院を」「王族や政府高官ではなく庶民の暮らしを見よ」といったスローガンを掲げ、王制の是非そのものよりも具体的な社会改革を訴えました。こうした生活重視のメッセージは共感を呼び、デモはリーダー不在にもかかわらずSNSでの呼びかけのみで数千人規模に膨れ上がりました。デモの組織にはオンラインゲームのチャットプラットフォーム「Discord」が活用されており、「GenZ212」のDiscordチャンネルには20万人以上のフォロワーが集まっています 。このチャンネルや他のSNSを通じ、参加希望者への注意事項伝達や現場からの実況報告、次回行動予定の調整などが行われ、従来型の政党や労組に頼らない新しいデジタル時代の運動形態が出現しました 。
しかし、モロッコ当局はこの若者運動に対して極めて強硬な弾圧策を取りました。各都市でのデモは治安警察によって即座に解散させられ、多数の逮捕者が出ました。開始からわずか6日間で500人以上が拘束され、南部の町クリアでは10月1日に警官隊の発砲で24歳の若者を含む3名が死亡する惨事も起きています 。当局は逮捕者に対し「デモの背後に外国勢力がいる」「暴動の首謀者だ」と厳しい罪状を適用し、10年を超える懲役刑を科す判決も相次ぎました 。一方、こうした強権的対応に対して国内外から批判の声が上がり、10月中旬にはモハメド6世国王が議会演説で「迅速な社会改革の必要性がある」と述べ、政府に対し雇用創出策など若者支援策を講じるよう促しました 。ただし国王は演説でデモ隊が求める汚職追及や拘束活動家の解放については言及せず、若者たちは「要求が聞き入れられていない」と反発しています 。そのため抗議運動は沈静化せず、2025年10月現在も週末ごとに散発的なデモが計画されている状況です。
モロッコの「GenZ212」運動は、直接的な政権交代こそ起こせていないものの、長年安定していたモロッコ王制に若者世代が初めて大きな揺さぶりをかけた点で歴史的と評されています。SNSを駆使した若者たちの組織力と、全国同時多発的に起こった抗議行動は当局にとって想定外であり、国王をして社会改革に言及させるだけの影響力を持ちました 。もっとも、当局の強権も依然強く、運動の先行きは不透明です。しかし中東・北アフリカ地域(MENA)において、アラブの春(2011年)以降停滞していた民衆運動をZ世代が改めて巻き起こしたという意味で、モロッコの事例は各国の活動家から注目されています。他のMENA諸国でも小規模ながらSNS世代の抗議は散発しており(例:チュニジアでの若者失業デモ、レバノンでの汚職抗議など)、モロッコの動きがこの地域全体の民主化要求の再興につながるかどうか、世界が注視しています。
欧州:セルビアにおける学生運動と民主化への希求
欧州でも2024年末から2025年前半にかけて、バルカン半島のセルビアで学生を中心とした大規模な反政府運動が展開されました。その規模と継続性は「1968年以来、欧州最大の学生運動」とも評され 、オーソドックスな民主主義国が多い欧州において異例の出来事となりました。
セルビアでは、2012年以来セルビア進歩党(SNS)のアレクサンダル・ブチッチ氏が大統領・首相の座を行き来し権力を掌握、野党やメディアを抑え込む権威主義的統治が続いてきました 。この間、市民の間では度々デモが起きていましたが、いずれも一過性に終わり政権の体制は揺るぎませんでした 。しかし2024年11月1日に起きた Novi Sad の鉄道駅屋根崩落事故(16名死亡)を契機に状況が変わります 。この駅は改修を終えたばかりでしたが、手抜き工事疑惑が浮上し、その背後にブチッチ政権与党の汚職があるとの批判が噴出しました 。政権側が改修工事に関する資料を隠蔽し責任を否定する対応を取ったため、市民の怒りは拡大しました 。
こうした中、ベオグラードの演劇大学の学生たちが立ち上がり、2024年末に学部校舎の占拠(封鎖)抗議を開始しました 。この学生行動は他大学にも瞬く間に波及し、セルビア全土の主要大学で次々と学生による学部封鎖と授業ボイコットが行われるようになりました 。封鎖は100日以上に及び、2025年前半には全国400以上の市町村で抗議集会が開催されるまで運動が広がりました 。この学生運動には教職員や法律家、医療従事者、農民組合など他世代・他階層も合流し、セルビア社会にかつてない大規模な世代横断的連帯が生まれました。例えばセルビア弁護士会は「司法が政権に掌握され公正な裁判ができない現状では業務を続けられない」として1か月にわたり業務停止ストライキで学生を支持し 、ベオグラードのタクシー運転手たちは徒歩で地方都市のデモに参加した学生を自発的に無料送迎するなど、各界から物心両面の支援が提供されました 。ITコミュニティの有志は専用のオンライン寄付プラットフォームを立ち上げ、給与を差し押さえられたスト中の教師たちへの資金援助が行えるようにするなど、デジタル技術を活用したサポートも登場しました 。このようにセルビアの学生運動は全社会的規模へと発展し、草の根の水平的ネットワークによって支えられる持続的な運動となりました 。
運動の要求は一貫して法の支配と民主主義の回復でした。学生らは汚職と縁故主義、メディア統制にまみれた現政権の総辞職と、自由で公正な選挙の実施を求めています。デモのスローガンの一つ「No, you leave.(出て行くべきなのは我々ではなく君たち〔政権側〕だ)」は、将来に希望を持てず国外移住を考えるしかないと言われてきたセルビアの若者たちが、「自分たちは祖国に留まり戦う。腐敗した権力者こそ国を去るべきだ」という決意を示したものです 。このフレーズに象徴されるように、運動には愛国心やナショナル・プライドも込められています。ただしそれは他民族排斥的な旧来型ナショナリズムではなく、「真の法治と人権が守られる民主国家を自分たちの手で作る」という前向きな国家観に基づいており、若者たちは国家の将来を憂うあまり国外脱出を選ぶのではなく、国内に踏みとどまって民主主義を取り戻すという意思を鮮明にしました。
セルビア政府はこの運動に対し、当初「背後に西側の策動がある」「カラー革命を煽っている」と非難し、参加者を買収された偽物だと攻撃しました 。しかし運動の規模拡大と平和的性格(全般に非暴力を貫いた)の前に強硬弾圧には踏み切れず、むしろ国営放送が最大規模デモの日(2025年3月15日)に職員に出勤しないよう命じデモ報道を避けるなど、情報操作に汲々とする状態でした 。結局、ブチッチ大統領は野党との対話に応じる姿勢を見せ、2024年内ないし2025年初頭の議会の解散・早期選挙実施を示唆しました。2025年4月時点でセルビアは政府が事実上機能停止し、新たな選挙の実施が現実味を帯びる政治的空白状態に陥っており 、長年強権を振るったブチッチ政権が退陣に追い込まれる可能性が高まっています。これは紛れもなく若者・学生たちの粘り強い抗議の成果です。欧州連合(EU)は当初この動きに冷淡で支援を控えていましたが、セルビア国内の民主勢力は逆に「EUが当てにならないなら自分たちで国を変える」と決意を固め、運動を一層強靭なものとしました。
セルビアの事例は、「若者は政治に無関心で怠惰」と揶揄されがちな見方を覆し、欧州の民主主義再生における若者世代の役割を再認識させました。また、この運動はリーダーを特定の政党に持たず、既成野党とも一線を画した草の根の市民運動として行われた点で、かつて1990年代末のミロシェビッチ政権打倒に貢献した学生運動「オトポール(抵抗)」に通じるものがあります。50年以上前のパリ五月革命(1968年)以来と言われる大規模学生運動から生まれる変化に、欧州各国の社会運動家や研究者も注目しており、セルビアは「欧州民主主義の盲点」で若者が歴史を動かしつつある例として語られています。
中南米:ペルーにおける世代交代運動と政治変革
南北アメリカ大陸では、2025年現在、中南米ペルーの事例が若者主導による政治変革として際立っています。ペルーは2020年代に入ってから政治的混乱が続き、2022年末に大統領職に就任したディナ・ボルアルテ氏の下でも抗議が頻発してきました。特に地方の貧困層や先住民コミュニティによるボルアルテ政権への抗議(前任者カスティジョ氏の解任への反発など)は断続的に発生し、治安部隊との衝突で2022~2023年に50名以上の死者が出ています 。こうした中で2025年、都市部の若者層が中心となった新たな抗議運動が勃発しました。それが「Generación Z(ジェネラシオン・Z)」と自称する若者たちによる一連のデモです。
2025年に入ってからのペルーでの抗議の直接的きっかけは、議会が可決した年金制度改正法でした 。この法案は一部で「年金への政府の介入が強まり、将来世代の負担が増える」と受け止められ、都市部の労働者や学生が不満を募らせました。とりわけ労働組合と大学生団体が連携し、リマ市内で年金法に反対するデモ行進を繰り返すようになります。徐々にその要求は拡大し、治安の悪化対策や政府高官の汚職追及などペルー社会全般の課題にまで及ぶようになりました 。2025年半ばにはリマの中心部サンマルティン広場で毎週のように集会が開かれ、参加者の若者たちは例によって麦わら帽子の海賊旗を掲げて「我々は世界中のZ世代と共に腐敗政権と戦っている」と訴えました。デモには電気工や運転手など働く若者の姿も目立ち、彼らは「我々の場合は犯罪の横行と汚職への怒りだ」とインタビューで述べています 。首都のみならず地方都市でも追随する抗議が発生し、学生ストや道路封鎖なども行われました。
ペルー政府と議会は当初この動きを軽視していましたが、やがて無視できなくなりました。ボルアルテ大統領自身に汚職疑惑や2022年のデモ弾圧に関与した人権侵害の嫌疑がかかっていたこともあり 、政権の求心力は低下していきます。抗議を受けて議会は問題の年金法の施行を凍結し、政府も一部治安対策予算の増額など小出しの譲歩を示しました。しかし若者たちは「焼け石に水」として更なる改革と政権の総辞職を求め、デモの規模は衰えませんでした。ついに2025年10月上旬、リマ中心街での大規模行進の最中に議会がボルアルテ大統領の辞任要求決議を可決し、ボルアルテ氏は大統領職を追われました 。急遽招集された国会によりホセ・ヘリー前国会議長が暫定大統領に選出され、ペルーではわずか2年足らずで再び国家元首が交代する事態となりました 。
このペルーのケースは、若者主導の継続的な抗議が最終的に政権交代という具体的成果に結びついた点で注目されます。デモ隊は主にSNSとインターネット上の動画中継を通じて支持を拡大し、在外ペルー人の若者コミュニティもX(旧Twitter)やInstagramで連帯メッセージを発信するなど、グローバルな支援も取り付けました。特に、上述の海賊旗をシンボルに据えたことでネパールやマダガスカルの運動との共鳴が生まれ、各国のZ世代活動家同士がオンラインで意見交換をする場面も見られました。またペルーでは大学生と公共交通労組が協力して抗議を組織するなど、異なる社会集団を若者世代がまとめ上げる役割も果たしました 。治安部隊との衝突はありましたが比較的抑制的で、運動は大部分が平和的なデモ行進として行われたため、中産階級の市民からも「支持できるデモ」として広範な共感を得たことも成功の一因です。
ペルーの新体制(ヘリー暫定大統領)は2026年初頭までに新選挙を行う方針と伝えられており、Z世代の抗議運動は同国の民主主義プロセスに直接影響を与えた形です。もっとも、ペルーの例からも明らかなように、単に政権を倒すだけでは根深い腐敗や治安問題は解決しないという指摘もあります 。実際、暫定政権下でも汚職構造や経済の低迷はすぐには改善しておらず、民主化運動の成果を定着させるには長い努力が必要とされています 。それでも、「政治に失望した若者は無関心になるより他ない」という従来の見方に対し、ペルーの若者たちは粘り強い運動で体制を動かしうることを証明してみせました。中南米では他にもキューバでの民主化要求運動(「クーバ・デシデ」)にZ世代の活動家が関与していたり 、2024年グアテマラ選挙で若者有権者が腐敗政党を退け改革派大統領を当選させるなどの動きも見られます。ペルーの事例は、ラテンアメリカで新たな世代が政治変革の鍵を握り始めていることを象徴するものと言えるでしょう。
テクノロジー・SNSが果たした役割と共通する戦術
2025年に世界各地で見られた若者主導の社会運動には、戦術面と技術(テクノロジー)面でいくつかの共通点が指摘できます。
第一に、戦術面では大規模な街頭デモを基軸としつつ、それを補完する多様な手法が組み合わされました。学生による学校や大学キャンパスの占拠・ボイコットはセルビアやバングラデシュなどで顕著に見られ 、伝統的な労働組合によるストライキ(例:セルビア弁護士会の業務停止 )や、市民による非協力・ボイコット運動(例:納税拒否の呼びかけや政府系メディア視聴ボイコットなど)が各国で散発しました。また、象徴的空間の占拠も頻出し、ネパールでは政府庁舎の門に抗議旗を掲げ 、セルビアでは主要都市の広場に数十万人が集結して国営放送局前で抗議するなど、権力の象徴を平和的に包囲する戦術が取られました。さらに興味深いのは、共通のシンボルやスローガンの共有です。海賊漫画の旗を掲げる行為はその最たる例で 、各国のZ世代が互いにインスピレーションを得ながら**「戦いは一つ」という連帯意識を醸成していきました。他にも「Gen Z won’t be silent(Z世代は沈黙しない)」といったスローガンが各国で共通して用いられた例もあります 。これらの戦術は大半が非暴力**の枠内で行われ、既存権力による弾圧に対しては最大限の抑制的対応を引き出すよう工夫されていました(実際にはネパールやモロッコのように流血の事態も起きましたが、それは主として当局側の強硬姿勢によるものです )。
第二に、技術・SNSの活用はこれらの運動になくてはならない中核的役割を果たしました。Z世代は生まれながらにインターネットが身近にあった世代であり、彼らの抗議はオンラインとオフラインが渾然一体となった新しい形態となっています 。まず情報共有と動員にSNSがフルに活用されました。FacebookやX(Twitter)、Instagramといった主要プラットフォーム上でデモの呼びかけが拡散し、TelegramやSignal、WhatsAppのグループチャットで具体的な行動計画が議論・周知されました。モロッコの「GenZ212」のDiscordチャンネルに20万人もの若者が集ったのは典型例で 、匿名で自由な議論ができるプラットフォームは実質的な作戦会議の場ともなりました。また、ネパールやバングラデシュでは政府がネット規制を敷きましたが、若者たちはVPNで検閲を迂回し、加えてTikTokなど当局の想定外の媒体でメッセージを広めました。TikTokの短尺動画やミーム(ネット上のユーモア画像)は国境を超えて流通し、フィリピン発の「ネポベイビー」批判がネパールの若者に伝播するといった現象も生まれています 。このようにデジタル技術は検閲逃れと国際連帯の両面で威力を発揮し、かつてなら各国で孤立していたであろう抗議運動が互いに学び合い連帯する下地を作りました。
さらに、SNSは国際世論に訴える広報手段としても機能しました。多くの若者活動家は英語でハッシュタグを付けて情報発信し、海外メディアに現地の動画や証言を直接届けました。例えばイランの女性人権デモ(2022年~)ではペルシャ語に加えて英語での発信が功を奏しましたが、2025年の運動でもネパールやモロッコの若者が海外の有力紙やNGOと直接コンタクトを取る場面が見られました。こうしたデジタル時代の連帯により、民主化を求める若者たちは孤立無援ではなくなったのです。
もっとも、テクノロジーの光の面に対し、影の面にも留意が必要です。EPD(欧州民主主義パートナーシップ)の分析によれば、同じデジタルツールは権威主義体制側にも利用され始めており、政府が逆にSNSで偽情報を流布したり若者世代のナショナリズムを煽ったりする事例も増えています。例えばインドでは与党系の青年組織がSNSでヘイトスピーチを組織的に拡散したり、欧州でも極右系の若者団体が移民排斥キャンペーンをオンラインで展開するといった動きが報告されています。つまり、インターネットとSNSは両刃の剣であり、若者が民主化のために使うか、反動的イデオロギーのために使うかで社会の行方が左右される面もあるのです 。2025年の各国運動ではおおむね民主的・平和的な目的にSNSが使われましたが、今後も若者がネットを使って声を上げ続けられる環境(ネットの自由)が維持されるかは、国際社会の支援にかかっています。
結論:若者が切り拓く政治変革の可能性
2025年に各地域で噴出した若者主導の革命・社会運動の事例から浮かび上がるのは、「未来は若者のもの」という月並みな言葉が現実の政治変革として具現化しつつあるという構図です。ネパールやマダガスカル、ペルーのように即時的に政権交代や指導者辞任という成果を勝ち取ったケースもあれば、セルビアやモロッコのように長年固定化した体制に亀裂を生じさせた段階のケースもあります。しかしいずれの場合も共通するのは、従来は傍観者になりがちだった若者世代が主体的に動き、既成の反対勢力(野党や既存市民団体)とは異なる新しい枠組みで社会を変えようとしている点です。彼らの多くは、自分たちが直面する気候変動や経済格差、政治腐敗といった問題に対し、「既存の制度内チャネルでは声が届かない」と感じています 。だからこそ制度の外で連帯し、創意工夫を凝らした抗議方法で変革を迫っているのです 。
この潮流に対し、各国の支配層や国際社会がどう応えるかも重要です。民主的な国々では、若者の抗議を一過性の「青春のガス抜き」と軽視せず、政策決定プロセスへの実質的参加を拡充することが求められます 。権威主義体制下では、暴力的弾圧で沈黙させる手法には限界があることを2025年の事例が示しました。むしろ包摂的な対話と改革によって若者のエネルギーを建設的に取り込むことが安定への近道でしょう。いずれにせよ、世界の民主主義の未来は若者抜きには語れない段階に来ていると言えます。2025年に各地で巻き起こったZ世代の運動は、そのことを如実に証明しました。若者たちはもはや「将来のリーダー候補」として舞台裏に控える存在ではなく、今この瞬間に社会を動かす原動力となっているのです。彼らが要求しているのは、単に「若者の声」を聞けということではなく、自らが等しく政治の担い手となること、そのための制度変革だと言えます。これに応えてゆけるかどうかが、各国の政治の行方と民主主義の行く末を左右すると言っても過言ではないでしょう。
参考文献:
• Associated Press・Sheikh Saaliq「Gen Z protesters lead global wave of generational discontent」(2025年10月16日) 他
• Encyclopædia Britannica「2025 Nepalese Gen Z Protests」(2025年10月7日更新) 他
• Business Standard (India)「Nepal’s social media ban protest brings to light ‘Nepo babies’ debate」(2025年9月9日)
• European Democracy Hub (EPD)・Carlotta Magoga「Misunderstanding Youth Activism: How Young People Are Rewriting Democracy」(2025年) 他
• EPD・Emma Quaedvlieg「Serbia: Past the Point of No Return?」(2025年4月9日)
• Reuters・Ananda Teresia「Indonesian lawmakers get allowance hike after protests against perks」(2025年10月13日)
• Arab News・Sheany Yasuko Lai「Indonesian president fires key ministers after deadly protests」(2025年9月9日)
• The Guardian・Renée Boskaljon「‘This generation is defiant’: Gen Z protests set to resume in Morocco despite deaths and arrests」(2025年10月14日)
• Hindustan Times・Aarish Chhabra「Anger over ‘Nepo Kids’ fueled Nepal Gen-Z rage」(2025年9月8日) 他