日本におけるオープンソース調査(OSINT)の実践と課題
要旨
本稿では、日本国内におけるオープンソース・インテリジェンス(OSINT)活用の現状を分野横断的に概観し、その具体例、技術、背景、影響について研究する。福島第一原発事故後の放射線量マッピングや、災害情報の市民による地図化、防衛分野での艦船動向追跡、選挙時のデマ情報検証など、国内外の事例を分析する。また、NHKや新聞社など国内メディアや独立系調査者によるOSINT手法の採用状況、日本人の国際OSINTプロジェクトへの関与についても触れる。さらに、日本におけるプライバシー観や公文書文化、メディア構造とOSINTの関係性を考察し、情報検閲や開示制限、信頼性、情報リテラシーなど社会的影響と課題を論じる。以上の考察から、OSINTが日本において情報収集・検証の新たな潮流として広まりつつある現状と、その発展のための課題を明らかにする。
序論
インターネット上で誰もが入手できる公開情報を収集・分析し、知見を得る手法は「オープンソース・インテリジェンス(OSINT)」と呼ばれる。OSINTは本来、軍事・情報機関での諜報活動の一形態として発展してきたが、デジタル技術の普及に伴い、ジャーナリズムや市民調査にも広がっている。世界各地では、互いに顔も本名も知らぬまま緩やかに連携した人々が、SNS投稿や衛星画像、地図データなどの公開情報から地道に証拠を集め、しばしば国家や権力者の隠蔽する“不都合な真実”を暴いてきた。代表例として国際調査集団「ベリングキャット」が挙げられ、ウクライナ紛争や中東情勢においてOSINTによる独自調査を発信し、世界的な注目を集めている。
近年、日本においてもOSINTは従来の報道や調査の枠組みを越えた新たな手法として注目され始めた。本稿では、まず日本国内でOSINTが活用された具体的な事件・調査事例を複数紹介する。次に、国内メディアや独立系の調査者によるオープンソース検証の実践状況を述べ、日本人が関与した国際的OSINTプロジェクトについても触れる。さらに、OSINTで用いられる代表的な技術要素を整理し、日本固有の制度的・文化的背景との関係性を考察する。最後に、OSINTがもたらす政治的・社会的インパクトと課題について議論し、結論とする。
OSINT活用の具体的事例
福島原発事故後の放射線可視化
2011年3月の東日本大震災と福島第一原発事故は、日本における市民参加型OSINTの端緒の一つとなった。政府発表の放射線データへの不信が広がる中、有志が「自分たちで測定しよう」と立ち上げた放射線量モニタリングプロジェクトが「Safecast」である。Safecastは震災発生から1週間後に設立され、参加者はGPS受信機能付きガイガーカウンターを自作・配布して環境放射線量を測定し始めた。国内外のボランティアが自動車や徒歩で各地の空間線量を継続的に計測し、蓄積した約1800万地点以上のデータをオープンデータベースに集約している。そのデータをもとに誰でも閲覧可能な放射線量マップ「Safecast Map」が公開され、福島県内外の線量分布や時間経過による減衰傾向が可視化された。例えば事故直後から半年間(2011年3月~9月)の福島周辺では高線量地域が広範囲に及んでいたが、5年後には線量の高いエリアが減少している様子が地図上で一目で分かる。このように、市民が収集したオープンデータを活用して放射能汚染状況を「見える化」したSafecastの取り組みは、官に頼らない市民主体のOSINT実践例として国際的にも評価されている。
災害情報の市民マッピング
東日本大震災ではもう一つ、SNSと地図を用いた市民主体の災害情報共有プロジェクト「sinsai.info」も立ち上げられた。これはケニア発のオープンソース・プラットフォーム「Ushahidi」を用いて震災当日の2011年3月11日夜に開設されたものであり、Twitter上でハッシュタグ「#tohokueq」「#miyagi」等を付けて投稿された被災情報・救援要請をリアルタイムに地図上にプロットして共有した。OpenStreetMapコミュニティの技術者や有志約200名が集まり、サーバ構築やソフト改良を夜通し行うとともに、投稿された数万件のレポートをモデレーターが内容確認し、位置情報の付加やデマ情報の排除を経て掲載した。震災から1ヶ月で位置付き投稿が1万件以上、閲覧者50万人以上に達し、「どこで何が起きているか」をマップで可視化することで支援活動や報道に資する新たな情報基盤となったと評価されている。このsinsai.infoの経験は、災害時に公式発表やマスメディアに限らず、一般市民が持つ情報を集約・検証して活用する「危機マッピング」型OSINTの有用性を示した。以降、日本では台風や水害など各種災害時にSNS上の被害情報を地図化する動きが広まりつつあり、行政・防災機関も参考にするケースが出てきている。
防衛分野における艦船追跡と分析
安全保障の分野でも、公開情報による分析が威力を発揮している。世界中の商船や軍艦はAIS(船舶自動識別装置)の電波を発し、位置や航路データがリアルタイムで追跡・公開されている。これを活用し、民間の分析者や報道機関が北朝鮮や中国の船舶動向を監視・解析する事例が増えている。例えば北朝鮮籍タンカーによる洋上での瀬取り(制裁逃れの物資積み替え)は、日本政府も海上自衛隊機で監視し国連に通報しているが、市民OSSINTコミュニティも衛星画像や航行データから不審な航路を独自に突き止め、国際的報道に寄与した。CNNは公海上でミステリアスな行動をとる北朝鮮船をAIS記録から特定し、制裁逃れの実態を報じた。また中国海軍の艦艇が日本周辺海域に出没した際には、衛星写真や公開情報を分析するOSINT系のSNSアカウントが航路を特定して発信し、防衛省もその情報を踏まえ公式発表を行う場合がある。実際、米軍イージス艦が中国空母を追尾している場面を衛星画像解析で捉えた海外OSINT情報がSNS上で拡散され、日本の防衛専門家やメディアが注目するといった現象も見られた。防衛省自身も近年はOSINTの重要性に言及し、国外の紛争分析におけるBellingcatらの追跡調査を安全保障上有益なものとして報告書で紹介している。このように、防衛・軍事領域では機密情報だけでなく公開情報を駆使した“市民諜報”が補完的役割を果たし始めている。もっとも、安全保障分野のOSINTでは分析精度の担保や誤情報への注意も求められ、慎重な検証が欠かせない点は言うまでもない。
選挙におけるデマ情報の検証
政治分野、とりわけ選挙時にもOSINTは有用な手段となっている。近年の選挙ではSNS上で様々な虚偽・誤情報(いわゆる選挙デマ)が飛び交い、有権者の判断を惑わせる問題が顕在化した。典型例として、「期日前投票は不正の温床で票がすり替えられる」「投票用紙に鉛筆で書かせるのは後で書き換えるため」といった陰謀論が、選挙の度に根強く拡散される。これらは事実無根であり、実際には期日前投票の投票箱は厳重に封印され、開票作業も複数立会人の監視下で行われるため不正は困難である。また投票用紙に鉛筆が支給されるのは紙質上ボールペンでは書きにくいためであり、鉛筆書きでも大量の書き換えは現実的に不可能と検証されている。こうしたデマの検証には、公的機関の資料(例:開票機器メーカーの株主構成、公選法手続)や報道機関の取材映像など公開情報を収集し、ファクトチェックするOSINT的手法が用いられる。実際、2025年参院選では日本の新聞・テレビ各社が横断的にファクトチェックに取り組み、選挙デマの類型や出所を分析して結果を報じた。これは日本で初めての本格的な試みで、複数メディアや有志団体が協力して公開情報を検証し、有権者に正確な情報を提供した意義は大きい。選挙デマ検証の取り組みは、OSINTを用いたファクトチェック文化が日本にも定着しつつあることを示している。
国内メディアと独立調査者によるOSINTの実践
近年、日本の報道機関もOSINTの手法を調査報道に積極的に取り入れ始めた。公共放送NHKはその先駆けであり、2020年にはBS1スペシャル「デジタルハンター ~謎のネット調査集団を追う~」を放映して世界のOSINT最前線を紹介した。さらに2021年のミャンマー軍事クーデター発生時には、取材班が現地に入れない制約下でOSINTチームを結成し、SNS投稿動画や衛星画像解析によって軍の弾圧の実態を暴く報道番組を制作した。NHK取材班はBellingcatが主催するOSINT研修にも参加し、ジオロケーション(位置特定)やデジタル鑑識の技法を習得して番組制作に活かしたという。実際に放送されたNHKスペシャル「混迷ミャンマー 軍弾圧の闇に迫る」では、市民が密かに撮影した動画の場所・時間を徹底的に解析し、散発する銃撃の発砲位置を地図上に特定するなど、従来は海外メディア頼みだった国際事件の証拠検証を日本の報道チームが独力で成し遂げた。またNHKはBS1で「デジタル・アイ」というシリーズ番組を立ち上げ、人工衛星データやSNS情報を駆使して北朝鮮など「見えざる現実」に迫るドキュメンタリーにも継続的に取り組んでいる。このようにNHKはOSINTを「新しい取材手法」と位置付け、社内の少人数プロジェクトで実験的に活用する動きを見せており、日本の既存メディアにOSINT革命をもたらす先鞭となっている。
新聞各社でもOSINTの導入が進みつつある。朝日新聞は国際面の特集でヒギンズ氏(Bellingcat創設者)への長時間インタビュー記事を掲載し、OSINTの概念やその革命性を読者に紹介した。毎日新聞は2020年、「オールドメディアに押し寄せるOSINTの波」と題する連載を組み、Bellingcatの衝撃とNYタイムズなど海外報道機関の事例を引き合いに、国内メディアの意識改革を促した(八田浩輔「ベリングキャットの衝撃」)。また、日本ファクトチェックセンター(JFC)やファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)など報道・IT関係者が参加する新組織も立ち上がり、新聞・テレビ各社と連携して政治発言やネット上の噂の検証記事を公開している。例えばJFCは古田大輔氏(元BuzzFeed Japan編集長)ら独立系ジャーナリストが中心となり運営され、参院選に合わせて各メディアの検証結果を横断的に集約・発信するプラットフォームとして機能した。こうした動きから、従来は政府発表や当事者取材に依存しがちだった日本の主流メディアも、公開情報を自ら収集分析する調査報道へと舵を切り始めたことが読み取れる。
一方、独立系の調査者によるOSINT実践も徐々に存在感を増している。前述のSafecastやsinsai.infoは市民主体の成功例であるが、それ以外にも、防衛・軍事に詳しい有志がSNS上で衛星画像解析や専門知識を駆使して分析結果を発信するケースがある。例えば、匿名の軍事ブロガー「JSF」氏はTwitter上で海外の公開資料を丹念に調べ、日本周辺での米軍艦の動向や装備情報を紹介してフォロワーを得ている。また民間有志が集まる「OSINTジャパン」のような勉強会コミュニティも生まれ、ネット上で知見を共有しあっている。加えて、海外で活躍する邦人ジャーナリストが日本語でOSINT解説書を出版する動きもある(例えば高木徹『デジタルハンター』講談社現代新書)。このように独立系のOSINT実践者はまだ限定的ながらも存在し、国内メディアには載らない情報検証を独自に行って発信することで一定の社会的役割を果たしている。
日本人の国際OSINTプロジェクトへの関与
OSINTはグローバルな協調作業であることが多く、日本人も国際的プロジェクトに関与してきた。象徴的なのは、国際調査集団Bellingcatとの接点である。前述のNHKディレクター陣はBellingcatの研修を受講し、その経験をもとに日本国内でOSINTを広める書籍や番組制作に携わった。Bellingcat自体に正式所属する日本人メンバーは公には確認されていないが、Bellingcatが呼びかけるオンライン調査に日本からボランティア参加したケースはあるとみられる。例えば、BellingcatがSNS上で募集する衛星画像の分析や動画の位置特定チャレンジに、日本在住のOSINT愛好家が参加し成果を報告するなど、国境を越えたコラボレーションが行われている。事実、Bellingcat創設者ヒギンズ氏は朝日新聞の取材に対し「世界各地の人々が緩やかにつながりながら調査を行っている」と述べており、そのネットワークには日本の有志も含まれている。
他にも、日本人が関与した国際OSINT的プロジェクトとしては、Safecastの例が挙げられる。Safecastは米国に活動拠点を置きつつ主な計測地域は日本というグローバルな体制であり、共同創設者には伊藤穰一氏など日本人も名を連ねている。また、ハイチ地震での人道支援OSMマッピングに参加した日本のOSMコミュニティメンバーが、そのままsinsai.infoに移行する形で東日本大震災の支援に当たったように 、災害分野のオープンデータ国際ネットワークに日本人技術者が積極的に貢献してきた経緯もある。防衛分野でも、海外の軍事フォーラムで活動する邦人が英語情報を発信・分析し、それが逆輸入されて日本メディアで引用されるケースも散見される。このように、日本人は必ずしも表立ってはいないものの、様々な国際OSINTコミュニティにユーザーやコントリビューターとして参加し、その知見を国内にも持ち込んでいる。今後、日本からBellingcatのような組織に正式参画する人材や、国際共同調査プロジェクトを主導する事例が生まれる可能性も十分にある。
OSINTで使用される技術と手法
OSINTの実践には多様なオープン技術が駆使される。主要なものの一つが衛星画像解析である。商用衛星による高解像度画像が近年低廉に入手可能になり、軍事基地の構造や環境変化、船舶や航空機の位置まで把握できるようになった。例えば前述の北朝鮮ミサイル関連では、衛星写真を判読して洋上で接舷する2隻のタンカーを発見し制裁違反の証拠とすることが可能になった。日本の研究機関もリモートセンシング技術センター(RESTEC)のように衛星データ分析でNHK番組に協力するケースがあり 、衛星画像OSINTの専門知識が国内でも共有され始めている。
SNSクローリングとデジタル鑑識も重要な技法である。TwitterやFacebook、YouTubeなどに投稿された写真・動画・テキストから、有用な断片情報を収集し、その真正性を検証する手順だ。具体的には、投稿者の他の書き込みやExifデータの分析、画像に映り込んだ看板や風景から撮影場所を割り出すジオロケーション、太陽影の角度から撮影時刻を推定する手法などが含まれる。Bellingcatの記事では調査過程が公開されることも多く、例えばウクライナ紛争下で拡散したクラスター弾頭の写真に対し、映像内の建物や地形をGoogle Earth上で照合し発射地点と方角を逆算する、といった高度な分析が展開された。日本のファクトチェック記事でも、SNSで拡散する画像について「それは過去の別事件の写真ではないか」「映像内の看板の電話番号から中国地方の店舗と判明」といった検証報告が増えており、デジタル鑑識のテクニックが活用されている。
オープンストリートマップ(OSM)や各種地理情報システムもOSINTの基本ツールである。OSMはユーザー参加型の世界地図で、震災時の被災地マッピングなどに活躍した。例えばsinsai.infoではOSMベースマップにユーザー投稿情報を重ね合わせることで、地図上で被害状況を可視化することができた。防衛面でも、OSM由来の地図で船舶の航跡をトレースしたり、Google Earth上で地形断面を確認するなど、地理空間データの活用はOSINTに不可欠となっている。一方で、公的機関がGoogle Earth等のオープン地図に過度に依存しミスを犯す事例もあり(例:防衛省が秋田でのレーダー配備候補地調査でGoogle Earthの高度データを誤用し住民反発を招いた件 )、正確性の担保には注意を要する。
人工知能(AI)による解析もOSINTで活用が広がる領域だ。AI画像認識を使えば大量の衛星写真から目標物を自動検出でき、例えば日本企業も衛星SARデータをAIで分析して不審船舶の夜間出入港を検知する試みを始めている。またSNS上の数百万件の投稿を自然言語処理でクロールし、デマ情報の拡散ネットワークを可視化するといった研究も進む。ディープラーニングにより偽画像(ディープフェイク)の発見も技術的には可能になりつつあり、2024年の選挙を見据えメディア各社が生成AI由来の偽情報検知に取り組んでいる。もっとも、AIは万能ではなく誤検出のリスクも伴うため、人間のアナリストが結果を検証し補完するプロセスが重要である。
そのほか、企業登記簿や飛行機のADS-B信号(フライトレーダー)、暗号通貨のブロックチェーン台帳、公開特許データなど多種多様なオープン情報源がOSINTの素材となる。要はインターネット上や公開データベースでアクセス可能な情報はすべて分析対象となり得る。重要なのは、それらを単独で見るのではなくクロスオーバーに関連付けることである。例えば、一つの事件を解明するのに、SNS動画のジオロケーション→衛星写真との照合→周辺住民のSNS証言収集→登記簿による土地所有者の特定、といった複数ソースを組み合わせることで初めて真実に迫れる。この意味で、OSINTは多角的なデータ融合と分析眼がものを言う総合知的作業といえる。
日本の制度的・文化的背景とOSINT
日本社会においてOSINTが浸透する上では、制度・文化面の特性も考慮する必要がある。まずプライバシー観である。日本人は他国と比べ個人情報の公開に慎重で、肖像権や個人データ保護に敏感な社会である。OSINTは公開情報の活用が前提だが、法律や倫理に反してプライバシーを侵害してはならない。例えば他人のSNS投稿を調査に使う場合でも、その人権への配慮が求められる。欧米のOSINT調査では、犯罪容疑者の住所や顔写真をオープンデータから突き止め公開する例も見られるが、日本で同様のことを行えば名誉毀損やプライバシー侵害に問われる可能性が高い。実際、日本のOSINTコミュニティ内でも「ストーカー的な個人特定行為との一線」をどう画すかが議論となっており 、プライバシーを尊重した上で公益性の高い情報を扱うことが求められる。
次に公文書文化との関係である。日本は行政機関の情報公開請求制度(日本版FOIA)を有するものの、実際の行政文書管理や公開範囲には限界が指摘されている。森友・加計学園問題などでは公文書の改竄・廃棄が社会問題化し、公的記録への信頼が揺らいだ。他方で、古くから紙ベースの記録に頼る官僚文化もあり、デジタル公開データの整備は欧米に比べ遅れている。このため国内調査報道では、必要な情報が公的には存在しないかアクセス困難な場合も多い。そうした文脈でOSINTは、公的開示に頼らずとも民間の公開情報から事実を組み立てる代替手段として重要性を増す。例えば前述の選挙デマ検証では、総務省や選管の公式見解に加え、市民有志が公開した投票所の現場映像や海外選挙制度の調査レポートなど、多様なオープン情報が参照された。また防衛省がGoogle Earthに頼りすぎてミスを犯した例 は、逆に言えば政府もオープンソースに頼らざるを得ない状況を示している。官の情報独占や秘匿体質が強いほど、市民側で利用可能な公開情報を極限まで使い倒すOSINTの価値が相対的に高まると言えよう。
日本のメディア構造もOSINTとの関係で特徴的である。新聞・テレビ中心の「オールドメディア」は記者クラブを通じた政府・企業との密接な関係を持ち、取材源もプレスリリースや記者会見、リーク情報が主だった。そうした伝統構造の中では、ネット上の未確認情報を掘り下げる文化が育ちにくく、長らくOSINT的アプローチは主流ではなかった。しかしデジタル時代の到来とともに、旧来メディアも生き残りをかけて調査報道やファクトチェックに注力し始めている。前述のようにNHKや大手紙が相次ぎOSINT事例を報じ、専門部署を立ち上げる動きはメディア構造転換の兆しである。ただし、大手メディアでOSINTを扱える人材はまだ限られており、社内教育や海外とのネットワーク構築はこれからの課題だ。また、日本では多くの独立系ジャーナリストが経済的・組織的に脆弱で、大規模なOSINT調査を継続するリソースを欠くという問題もある。結果としてOSINTの潜在力が十分発揮されず、大手メディアによる断片的な活用に留まっている面は否めない。メディア構造上の制約を乗り越えるには、報道機関と市民調査者の協働や、大学・シンクタンクとの連携など新たなエコシステムづくりが必要だろう。
OSINTの政治的・社会的影響と課題
OSINTの普及は、社会に様々なインパクトを与えつつある。まず情報検閲や隠蔽への対抗という点で、OSINTは非常に有効な武器となり得る。権威主義的な国家では政府が報道を統制し都合の悪い情報を隠すが、衛星画像やSNS情報まで完全に隠すことは難しい。日本は表現の自由が保障された社会ではあるものの、公権力や企業が不祥事を隠蔽する事例は後を絶たない。そうした際、OSINTで独自に事実を突き止め公表すれば、公式発表と食い違う真実が明るみに出る可能性がある。実際、福島原発事故当初に政府は「直ちに健康に影響はない」と強調したが、Safecastの市民測定網は高線量ホットスポットを示し続けた。これは一種の「草の根検閲回避」であり、市民が自らデータを握る意義を示した。また2022年のロシアのウクライナ侵攻では、日本国内でもSNS発の戦争映像が飛び交ったが、NHKや有志がそれらを検証・分析して流布する偽情報を打ち消す動きを見せた。国家機密や安全保障に関わる領域ではなお制約があるものの、少なくとも公開情報に基づく限り表現規制には抵触しないため、OSINTは情報検閲への健全な対抗軸となりうる。
情報公開・開示制度との関係においては、OSINTの進展が制度改善を促す可能性もある。市民がオープンソースから得た知見で政府説明の誤りを指摘するといった事例が積み重なれば、行政側もより積極的にデータを公開し透明性を高めざるを得なくなるだろう。現状、日本の情報公開請求は時間と労力がかかり、開示されても黒塗り文書ということも多い。しかしOSINTコミュニティが先に事実を掴んで公表してしまえば、政府も隠し通せなくなる。防衛省のイージス・アショア配備計画に関する誤った調査報告(Google Earthの高度データ誤用)は地元紙の指摘で発覚し撤回に追い込まれたが 、今後はこうしたチェックを市民側も行えるようになるだろう。反面、一般人には誤解されやすい高度な分析結果をどう伝えるか、といった信頼性の課題も出てくる。OSINTの調査結果は、その手法や出典を明示して再現可能性を示すことが望ましい。海外ではBellingcatが「調査過程の可視化」を重視して信用を勝ち得てきたが、日本でも同様に、結果だけでなくプロセスを開示する文化を根付かせる必要がある。
また、メディア・リテラシーの向上も大きな課題である。大量の情報が飛び交う現代、一般市民には真偽を見極める力が求められる。災害時や選挙時は特にデマが拡散しやすく 、これに踊らされないためには受け手側のリテラシー強化が急務だ。OSINTで検証したファクトチェック結果をせっかく公表しても、それが届かなければ無意味である。日本ファクトチェックセンターのような枠組みは、有権者への「情報ワクチン」として機能させる意図がある。同センターは選挙デマの類型を整理し注意喚起する記事を出したが、これは事前に知ってもらうことでデマに騙されにくくする狙いがある。今後、教育現場でもOSINT的な情報検証の手法を教え、若年層からデジタルリテラシーを涵養することが重要になろう。逆に言えば、OSINTが広まらないとデマに流されるリスクが高まるばかりであり、社会全体でその重要性を共有する必要がある。
最後に、心理的・倫理的課題にも触れておく。OSINT調査者は膨大な暴力的映像や悲惨な証拠に向き合うことも多く、その精神的ケアが国際的にも問題提起されている。実際、日本のOSINT関係者でもショッキングな画像検証の反復でPTSDのような症状に陥る危険が指摘され始めている。また調査対象が個人に及ぶ場合、プライバシーとの境界や捜査機関との役割分担といった倫理面のガイドライン整備も必要だ。これらの課題に対し、国内外の事例から知見を集め、コミュニティ内で対策を講じていくことが望まれる。
結論
オープンソース調査(OSINT)は、日本において従来の情報収集・報道の手法を補完・拡張する革新的なアプローチとして台頭しつつある。本稿では福島原発事故後の市民放射線モニタリング、震災時の情報マッピング、防衛分野での船舶追跡、選挙デマの検証といった具体例を通じて、OSINTが幅広い分野で実践され成果を上げていることを示した。NHKを始めとする国内メディアもOSINT手法を採用し始めており、独立系調査者やファクトチェック団体の活動も活発化している。日本人が国際的OSINTプロジェクトに参加する動きも芽生え、グローバルな知見が国内に取り込まれつつある。衛星画像やSNS解析、AIなど多彩な技術を駆使するOSINTは、情報公開度合いの低い日本社会において特にその価値が高い。
しかし同時に、日本固有のプライバシー意識や公文書慣行、メディア環境を踏まえた運用上の配慮も求められる。情報検証の信頼性確保や倫理ルール整備、成果を社会に浸透させるためのリテラシー向上といった課題も山積している。要するに、OSINTは万能薬ではなく、正確な分析と慎重な判断があって初めて力を発揮する「道具」である。その道具を使いこなす人材育成とコミュニティ構築が今後の鍵となろう。
総じて、OSINTは既存の情報秩序に風穴を開け、市民と権力の力関係を再構築しうるポテンシャルを秘めている。日本におけるOSINTの実践例はまだ草創期にあるが、ここで紹介したような地道な取り組みの積み重ねが、よりオープンで透明性の高い社会への一歩となるだろう。その発展のためには、公開情報へのアクセス環境整備、法制度のアップデート、国際連携の深化など包括的な支援が必要である。OSINTの可能性と課題を正しく認識し、その健全な発展に社会全体で取り組むことが求められている。
参考文献
1. Safecast公式サイト「Safecastマップ」
2. GIGAZINE: 香月啓佑「ボランティアで作る放射線量マップ『Safecast Map』」(2024年3月30日)
3. Hal Seki「sinsai.infoからの10年」(note, 2021年3月11日)
4. 報道実務家フォーラム(GIJN日本語訳)「船行中の船舶を追跡するには」(2021年7月2日)
5. 日本ファクトチェックセンター「『期日前投票は不正し放題』『鉛筆だと書き換えられる』? 選挙のたびに拡散」(2025年7月7日)
6. 講談社現代新書編集部「NHKスペシャル取材班の新しい手法=『オシント』が暴く真実」(講談社BOOK倶楽部, 2022年)
7. 一般財団法人リモート・センシング技術センター「NHK BS1スペシャル『デジタル・アイ 北朝鮮 独裁国家の隠された“リアル”』取材協力のお知らせ」(2023年9月27日)
8. 高木徹「謎の調査集団ベリングキャットの正体とOSINTとは」(SlowNews, 2022年10月3日)
9. 朝日新聞GLOBE+「OSINTの先駆者ベリングキャット、創設者が明かす誕生秘話」(2022年11月8日)
10. Qiita「OSINTとは?ストーカーとの違いから学ぶ“正しい情報収集”入門」