情動を介したアルゴリズム統治:ソーシャルメディアと国境管理におけるアフェクティブ・コンピューティング
はじめに
アフェクティブ・コンピューティング(affective computing)とは、人間の感情や情動状態をコンピュータが検出・解析し、それに応答・適応する技術を指す。近年、この技術はソーシャルメディアのニュースフィード設計や広告推薦システム、さらには空港の入国審査など国境管理の制度的サービスにも組み込まれつつある。本稿では、こうした文脈においてアフェクティブ・コンピューティングが果たす機能を分析する。具体的には、(1) FacebookやX(旧Twitter)において情動の推定・誘導がフィードアルゴリズムや広告推薦にどのように実装されているか、(2) 国境管理(特に入国審査)で感情解析技術がリスク判定や人物評価にどう用いられているか、(3) それらの技術がユーザー/市民の行為をどのように方向づけ、従属・適応・抵抗といった行動傾向をもたらすか、そして (4) 情動を媒介とした調整がフーコーの統治理性(governmentality)概念やアルゴリズムによる管理社会といかに関係するかを論じる。
アフェクティブ・コンピューティングの台頭は、人々の感情がデータとして計測・活用されうる時代の到来を示している。これは単にマーケティングの効率化やセキュリティの向上に留まらず、人間の行動や思考様式そのものを情動経由で調整し、ひいては新たな統治の形態を生み出していると批判的に論じられている。以下、ソーシャルメディアと国境管理という二つの領域でのアフェクティブ・コンピューティングの具体例とそれによる影響を概観した上で、そうした技術実践が示唆する統治的機能について考察する。
ソーシャルメディアにおける情動解析とフィード/広告アルゴリズム
ソーシャルメディア企業はユーザーの関心とエンゲージメントを最大化するために、投稿に対するユーザーの感情反応を分析しフィードのランキングに組み込むようなアルゴリズムを開発している。Facebookでは、ユーザーが「楽しい」「有益だ」「怒りを感じた」といった投稿への情動反応を予測するモデルをニュースフィードランキングに導入し、パーソナライズ精度の向上を図った。Dwivedi-Yuら(2022)の研究によれば、Facebookのエンジニアはユーザーのエンゲージメント指標(リアクション、シェア、クリック、コメント等)を手掛かりに投稿が引き起こすであろう感情を分類・予測する機械学習モデルを構築し、それを既存のレコメンデーションシステムに統合している。この「情動予測信号」を組み込むことで、フィード上でユーザーにとって価値あるコンテンツの露出が統計的に有意に増加し、有害情報の露出は減少したと報告されている。言い換えれば、アルゴリズムが各ユーザーに「ポジティブな体験」をもたらす投稿を選好的に選び取ることが可能となりつつある。
一方、ソーシャルメディアのアルゴリズムがユーザーの情動を積極的に「誘導」しうることも実証されている。有名な例として、Facebookが2012年に約68万人を対象に実施した実験では、ニュースフィードに表示する投稿を操作しポジティブな内容の割合を増減させたところ、ユーザー自身の投稿内容も影響を受けた。この研究は**「感情の伝染」(emotional contagion)現象を立証するもので、フィード上のポジティブ情報が多い群は自らの投稿もポジティブに傾き、ネガティブ情報が多い群はネガティブな表現が増える傾向が観察された。重要なのは、被験者となったユーザーはいかなる自覚もないままアルゴリズムによって感情状態を操作され、行動が変容していた点である。この実験は論文公表後に倫理的批判を招いたが、ソーシャルメディア企業がユーザーの情動に与える影響力の大きさを示す一例といえる。
さらにFacebookは2016年頃から「いいね」に加えて「超いいね」「悲しいね」「怒り」などのリアクション絵文字を導入し、これをアルゴリズムのシグナルに用いた。内部資料によると、2017年当時Facebookのニュースフィードは「怒り」のリアクションを通常の「いいね」の5倍重み付けして評価しており、その結果ユーザーの怒りや驚きといった強い情動を掻き立てる挑発的コンテンツがより多く配信される傾向にあった。これは「エンゲージメント(関与)の高い投稿ほどユーザーを引きつけ、滞在時間を延ばす」というビジネス上の論理によるもので、実際、リアクションを多く集める投稿ほどユーザーの注目を集める傾向がデータ上確認されていたためである。しかしFacebook社内の研究者は早い段階でこの方針に警鐘を鳴らしていた。情動を煽る「怒り」リアクションの多い投稿には有害な誤情報や攻撃的内容が多く含まれることが2019年までの分析で確認され、実際アルゴリズムがそうした投稿を優先表示したことがヘイトスピーチやフェイクニュースの拡散につながったとの指摘がなされている。Facebookは2020年にかけてリアクション重み付けを見直し、「怒り」などの係数を1.5倍程度に引き下げたとされるが、エンゲージメント最優先のアルゴリズム設計がユーザーの感情を増幅させ社会的分断を助長しうることが内部告発者の証言などから浮き彫りになった。こうした現象はFacebookに留まらない。研究者による2023年の実証的な分析では、Twitter(現X)の推薦アルゴリズムもユーザーの「怒り」や対立的感情を喚起する投稿を過剰に増幅する傾向があることが示された。アルゴリズムによってパーソナライズされたフィードでは、時系列順の素のフィードと比べて怒りや嫌悪感情を表すツイートの露出が増え、結果として利用者のネガティブ情動や政治的敵対心を高め社会的亀裂を深める可能性が指摘されている。要するに、ソーシャルメディアのアルゴリズムはユーザーの情動データを活用して「好ましい体験」を提供しようとする一方で、収益モデルとの相乗効果で刺激的・扇情的なコンテンツを押し上げ、集団的な感情環境を変容させているのである。
広告分野でもアフェクティブ・コンピューティングは重要な役割を担う。ネット広告ではユーザーの心理状態や感情に合わせて内容を最適化する「感情ターゲティング」が追求されている。例えばMIT発のスタートアップであるAffectiva社は、ウェブカメラで取得したユーザーの表情変化から喜び・驚き・困惑・嫌悪などの感情をリアルタイム推定し、その反応データを基に広告クリエイティブを調整するサービスを提供している。同社の「Affdex」は視聴者が動画広告を見て示す笑顔や眉の動き、視線の固定など微細な表情パターンを機械学習で解析し、広告のどの場面で感情的に「惹きつけられた」かを特定できる。広告主はこのフィードバックを元に内容を編集し直し、よりエモーショナルな訴求ができるよう改善を図っている。感情解析による広告効果の最適化は実際に売上指標にも影響を及ぼす可能性が示唆されている。Deloitteの報告によれば、100本の広告を対象にした調査で視聴者の感情反応が平均以上に高かった広告は売上が23%も向上したとの結果が得られたという。こうした背景から、大手広告主の7割が感情AI技術を利用して消費者の反応を測定し広告のROIを最大化しているとも報告されている。ソーシャルメディア企業もユーザーの投稿内容や反応傾向から感情トレンドを分析し、広告配信のターゲティングやコンテンツレコメンデーションに活用している。例えばTwitterではユーザーのツイートを処理した感情分析(sentiment analysis)がマーケティング向けに提供されており、ブランドに対する世論の感情的評価(ポジティブ/ネガティブ)を測定するツールが存在する(※Markey書簡の記述より推察)。総じて、ソーシャルメディアにおけるアフェクティブ・コンピューティングは「ユーザーを惹きつけ離さない」ためのエンジンとして機能しており、ニュースフィードから広告まで情動データに基づく最適化が進行していると言える。
国境管理におけるアフェクティブ・コンピューティングとリスク評価
感情解析技術は国家の安全保障や入国管理の場にも導入されつつある。特に注目されるのが、入国審査時の虚偽申告を検知するために旅券審査に感情認識AIを組み込む試みである。EUが資金提供したiBorderCtrl(Intelligent Portable Border Control)というプロジェクトはその代表例だ。iBorderCtrlは入国者にアバターが事前インタビューを行い、その際の顔の微表情(micro-expressions)を高解像度カメラで捉えて分析し、嘘をついている兆候(いわゆる「欺瞞のバイオマーカー」)を検出しようとするものである。具体的には、Ekman心理学に由来する基本感情理論に基づき、顔の一瞬の筋肉の動きや眼球運動などから「不安」「恐れ」「動揺」といった内的情動状態を推定し、それが渡航目的等について嘘をついている可能性を示すと判断されれば、追加の精査を促すシグナルとする仕組みだった。この技術は2016–2019年にハンガリーやラトビアなどでパイロット実験が行われ、被験者に簡単な質問(「持ち物に武器はありますか?」等)をさせてシステムの正答率を検証したとされる。
しかし、iBorderCtrlの有効性には強い疑問が呈されている。Sánchez-Monedero & Dencik (2020) は公開情報を精査した上で、統計的には真に有効な嘘発見はほぼ不可能であり、iBorderCtrlの前提は重大な誤謬を孕むと結論づけた。例えば、1%の旅行者が嘘をついていると仮定した場合、仮にAIが「73%の精度」で嘘検知できるとしても、真に嘘をついている人よりも多くの無実の旅行者を誤って陽性と判定してしまい、現実には陽性的中率が極めて低くなる(大半が冤罪)ことをベイズ統計の観点から示している。実際パイロット段階でも、高精度とされた内部評価値は実験環境で限定的条件下のもので、実運用で信頼できる水準には遠かったとされる。欧州司法裁判所も2022年にiBorderCtrlに関する透明性の欠如を問題視する判決を下しており、この技術を「SFじみたプロジェクト」として批判する声も上がった。人権団体のEuropean Digital RightsやArticle 19は、感情認識による人間評価は差別的バイアスや疑似科学に基づく危険な試みだとしてEUのAI規制法案において禁止すべきと訴えている。彼らは、表情や声から内面の感情を「読み取る」技術は心理学的に裏付けが乏しく、民族や文化による表情表現の多様性を考慮しないシステムは特定の集団に不利益を与える可能性が高いと指摘する。また、この種の技術を国境で用いること自体、人々に恐怖と萎縮をもたらし基本的人権を脅かすと強く批判している。
類似の試みは米国や他国でも見られる。米国土安全保障省(DHS)は過去に「異常行動検知プログラム」(SPOT: Screening of Passengers by Observation Techniques)を展開し、空港職員が旅客の挙動や表情から不審者を見抜こうとしたが、科学的実証に乏しく人種プロファイリングの温床になるとして監察機関(GAO)から批判され予算縮小に至った。また、DHSは音声のストレスや心拍の変化等を検知する生体センサーによる嘘発見システム「FAST」の研究も行っていたと報じられるが、こちらも有用性の証拠がなく実用化されていない。カナダ・米国ではアリゾナ大学が開発したAVATARと呼ばれる自動面接キオスクが試験導入され、顔の動揺や声の震えを検知して嘘の兆候を判定する技術検証が行われた。こうした文脈で、「緊張していれば嘘をついているはずだ」という仮説に基づき情動を監視する手法が各国の国境管理当局に魅力的に映っている現状がうかがえる。
一方で、感情AIをセキュリティ目的で活用することへの慎重な姿勢も広がっている。2023年の米上院議員によるGAO(会計検査院)宛て調査要請書簡では、司法省やDHSが顔表情や身体動作、ソーシャルメディア上のテキスト内容から個人の危険度や意図を推定するAI技術を利用していることに懸念が表明された。この書簡は、そうした技術の多くがアフェクティブ・コンピューティングや感情認識、嘘発見AIといった物議を醸す応用分野に属し、科学的妥当性や人権・プライバシーへの悪影響が深刻だと指摘する。実際、感情AI研究者の多くも「外面の表情や音声からその人の真の感情状態を断定することはできない」と述べており、AIが捉えられるのはせいぜい「その瞬間に表出された表情が周囲にどう知覚されうるか」程度であると注意喚起している。このように、国境・治安分野におけるアフェクティブ・コンピューティングの導入は、技術的限界や誤判リスク、倫理的問題を孕んだ両刃の剣であり、その有用性については賛否が大きく分かれている。
興味深いことに、一部の軍事・治安機関は感情解析の有効性を主張する事例も報告している。Deloitteの事例紹介では、米特殊作戦軍(SOCOM)が志願兵の音声を分析する感情コンピューティング技術を使って数百人の候補者を短時間でスクリーニングし、95%以上の精度で危険人物を排除したとしている。公開情報では詳細不明だが、声のトーンや話し方から敵対的意図や嘘を検知するアルゴリズムを活用したとされ、2.4%の誤検知と0%の見逃し(false negative)という驚異的な成果が謳われている。この数字の信憑性には慎重な検証が必要だが、もし事実であれば特定環境下で感情コンピューティングが補助的なセキュリティ検査ツールとなりうる可能性を示唆する。しかし大規模運用で同等の成果を維持できる保証はなく、対象者が技術に気付き対策を講じれば精度低下も避けられない。実際、先述のSPOTプログラムでは訓練を受けた捜査官自身が「使えない」と評価する状況だった。総じて、国境管理領域のアフェクティブ・コンピューティングは実験的段階を出ておらず、その効果は限定的である一方、監視社会化や人権侵害への懸念が強まっているのが現状である。
以下では、ソーシャルメディアと国境管理それぞれの文脈で、こうした感情AI技術が人々の行動様式に与える影響について掘り下げる。
情動を通じた行動の調整:従属・適応・抵抗の力学
アフェクティブ・コンピューティングの浸透により、人々(ユーザー/市民)は自らの行為や心理を情動面から「知らぬ間に方向づけられる」状況が生まれている。これに対し、従属(何も疑わず従う)、適応(環境に合わせ行動を変える)、抵抗(意図的に反発する)といった様々な反応様式が引き起こされていると考えられる。
ソーシャルメディア利用者の従属と適応
ソーシャルメディアの文脈では、ユーザーはアルゴリズムがもたらす情報環境に日常的に晒される。ニュースフィードはユーザー個々人にカスタマイズされた「情動の流れ」となっており、知らず知らずのうちにユーザーの注意と感情を特定の方向に誘導する。その結果、多くのユーザーはアルゴリズムが提示するコンテンツに従属的になり、エコーチェンバー(共鳴室)の中で提示された感情に共振していく傾向が指摘される。たとえば、フィードに怒りを掻き立てる記事や投稿が増えればユーザー自身も怒りの感情で反応しがちになり、逆にポジティブな投稿が多ければ安心感や多幸感に浸る、といった具合である。アルゴリズムはユーザーのクリックやリアクションデータを即座に学習し、さらにユーザーの興味関心に沿った(時に過剰適合した)内容を押し出すため、ユーザーは半ば受動的に「自分が見たいもの(実際にはアルゴリズムが見せたいもの)」に囲まれる。この状態は一種の「情動的従属」と呼べるもので、ユーザーは自身の情報摂取がアルゴリズムに制御されている事実を忘れ、結果としてプラットフォームへの依存を深めていく**。
同時に、積極的な適応行動も観察できる。特に情報発信者(インフルエンサーや一般ユーザー問わず)は、アルゴリズムの傾向を学習し**「バズりやすい」感情表現を戦略的に用いるようになる。怒りや驚きを煽るセンセーショナルな言葉遣いや、逆に共感や感動を呼ぶポジティブな物語など、アルゴリズムが評価する情動パターンに合わせてコンテンツを最適化するユーザーもいる。Facebookのリアクション重視アルゴリズムが導入されて以降、一部のメディアは「怒り」リアクションを稼げる政治記事や誇張見出しを増やしたとの報道もあり、Twitterでも過激な言説や煽動的ハッシュタグがアルゴリズムによって拡散されやすいと知るや、それを利用して注目を集めようとする動きがあった。つまり、ユーザーがアルゴリズムの情動的偏好を内面化し、それに迎合する形で自己表現を変容させる「適応」が起きている。このような適応は個人レベルでは自己の発信力強化という合理的動機に基づくが、集合的にはコンテンツ全体がより刺激的・両極化しやすい偏りを帯びる結果を招きうる。
しかし、すべてのユーザーが無批判に従属・適応するわけではない。アルゴリズムへの抵抗も存在する。抵抗の形態の一つは、プラットフォーム提供のアルゴリズムから離脱しようとする動きである。例えばTwitterでは、エンゲージメント最優先の「おすすめツイート」フィードではなく時系列順表示を選択するユーザーもいる。また一部のユーザーはブラウザ拡張機能等を用いてタイムラインを人為的に加工し、アルゴリズムの影響を弱めようとする。さらに根本的な抵抗として、Facebookからの「脱退」(#DeleteFacebook運動)や代替プラットフォームへの移行(例:分散型SNSへの関心)も見られる。もっとも、こうした抵抗は現状マイノリティであり、大半のユーザーは利便性や習慣を優先してアルゴリズムによる最適化を受け入れているのが実情だ。アルゴリズムへの不信や嫌悪感を覚えつつもプラットフォーム利用をやめられない状態自体、いわばユーザーの内面での葛藤(抵抗したいが従属してしまう)を生んでおり、これもまた情動を介した支配力の現れと言えるかもしれない。
国境における被査問者の行動変容
国境管理の場では、感情解析技術の導入が入国希望者の行動様式に直接影響を与える可能性がある。仮に旅行者が入国審査で感情AIによる監視が行われていると知れば、何とか「疑われない」よう振る舞おうと自己の情動表現を制御しようと試みるだろう。具体的には、緊張や不安を顔に出さないよう平静を装ったり、笑顔を作って見せたりといった自己呈示戦略が取られる可能性がある。これはフーコーが論じたパノプティコン的状況にも通じ、「見られているかもしれない」という意識が主体に内面化され、自己規律(セルフ・ディシプリン)が働く一例である。たとえ無実であっても、不機嫌そうな顔や挙動不審に見える態度は入国審査で不利に働くかもしれないと考え、過度に愛想笑いをしたり毅然とした態度を取ろうと努める人も出てくるだろう。逆に、本当にやましいことがある入国者がAIの盲点を突く対策**(例えば表情筋を意識的にコントロールする訓練や、緊張を和らげる薬を服用する等)を講じる可能性もある。いずれにせよ、感情監視システムの存在そのものが人々の振る舞いを変容させ、「規範的な情動表現」を演じさせる効果を持つと考えられる。
また、抵抗の声も無視できない。市民社会やプライバシー擁護団体は、国境での感情AI導入に対し法的・政治的手段で反対している。EUのAI法案審議では、欧州議会が感情認識の公共空間での使用禁止を検討するなど、ある程度の規制強化が図られつつある。iBorderCtrlも市民からの批判と透明性要求に晒され、結局試験実施のみで正式導入には至っていない。技術への不信と恐怖が高まれば、人々は制度に協力せず抵抗する可能性もある。例えば、極端な場合は「感情センサーに引っ掛かるくらいなら入国自体諦める」といった萎縮効果が生じるかもしれないし、不当な判定で入国拒否された人々が訴訟などを起こせば制度は立ち行かなくなる。国境警備当局内でも、科学的根拠に乏しいシステムに頼ることへの反発があり得る(実際、米国のSPOTでは現場職員の支持が得られなかった)。したがって、情動解析技術を用いた統制には常にそれへの「抵抗」とのせめぎ合いがあり、その帰趨は社会的受容性と技術の信頼性次第と言える。
以上のように、ソーシャルメディア利用者も国境通過者も、アフェクティブ・コンピューティングによる情動監視・誘導のもとで従属(無自覚な追随)と適応(戦略的順応)、抵抗(批判的反発)の複雑な相互作用を示している。重要なのは、こうした情動を介した行動調整が個々の場面の問題に留まらず、社会全体の統治のあり方と結びついている点である。次節では、その統治性について理論的に考察する。
情動を媒介とした統治:フーコー的統治理性とアルゴリズム的管理社会
ミシェル・フーコーの提唱した統治理性(governmentality)は、近代権力が法や暴力だけでなく人々の振る舞いを能動的に導く「合理性」として機能することを示した概念である。統治理性の下では、国家や組織は人々に直接強制を加えるのではなく、社会の隅々に働きかける規範や知識体系を通じて、個人が自らを規律し望ましい行動を取るよう仕向ける。アフェクティブ・コンピューティングを介した情動の管理は、まさに21世紀版の統治理性の発現と捉えることができる。
ソーシャルメディアにおいて、膨大なユーザーデータと高度なアルゴリズムは人々の関心と感情を精密に捉え、注意資源を再配置する一種の「見えない手」として機能している。個々人はニュースフィードを自由にスクロールしているかに見えて、背後では無数の最適化計算が働き受け取る情報とそこで形成される気分を調節している。この状況をベンヤミン的に言えば「アーキテクチャによる行動誘導」ならぬ**「アルゴリズムによる情動誘導」であり、ユーザーはいつの間にかアルゴリズムの論理に沿った主観(主語)へと形成される。Angela Xiao Wuはこれを「情動コンピューティングのアンビエントな政治性」と呼び、中国のSNSにおける「いいね」ボタンや感情分析ツールの普及がオンライン世論の在り方を変質させた過程を分析している。彼女によれば、技術のデザインそのものよりもそれが社会に展開され再文脈化される過程(ambient politics)が重要であり、複数のアクター(国家、企業、市民)が情動技術を自らの目的に合わせ再解釈・再利用する中で感情表現の規範が書き換えられていく**。これはフーコー的視座で言えば、新たな統治理性=情動を介した人口管理の合理性が形成されつつあることを示唆する。ソーシャルメディア企業は「ユーザーエンゲージメント最大化」という経済合理性のもとに情動誘導を行うが、その結果として生じる世論の変容や集団心理の動員は政治的効果を持つ。フェイクニュースの流布や民主主義への影響まで含め、アルゴリズムは我々の感情を通じて行動の地平を構造づけている。
国境管理のケースでは、情動解析技術は国家による「危険な他者」の選別という統治目的に沿って投入されている。ここでも統治理性の変容が見て取れる。かつて国境検査は人間の職員がパスポート情報と尋問によって行動を監視する典型的な規律権力の場だった。しかし、アフェクティブ・コンピューティングが導入されると、統治の様式はより精密な「生政治(バイオポリティクス)」的様相を帯びる。すなわち、旅行者の表情筋の動きや皮膚の発汗といった生命体的な徴候までを計測し、そこから統計的に潜在的脅威を確率評価してフラグを立てるという、生体レベルでのふるい分けが行われる。これはアルゴリズム的政府(algorithmic governmentality)とも呼ぶべきもので、データ駆動型の判断が人間の主観的判断と組み合わさり、全体としては「危険/安全」という人口統計学的管理がなされている。フーコーの言う統治理性は本来、産業化以降の人口管理や経済統計の発達に着目した概念だが、現代ではそれがアルゴリズムによるリアルタイムなリスクスコアリングという形で再現されているといえよう。iBorderCtrlの分析者たちが指摘したように、こうしたシステムは技術的には機能不全でも**「国境における主体(入国者)」の類型化と管理という政治的機能を果たしてしまう。つまり、「AIに嘘を見抜かれてしまうかもしれない」という威圧そのものが統治効果を生み、旅行者を萎縮させ国家権力への服従を内面化させるのである。
さらに広い視野で見ると、情動の調整はネオリベラル的な主体形成戦略とも結びつく。資本主義社会では自己啓発や感情労働の重要性が説かれ、人々はポジティブ思考や感情コントロールを自己責任で行うことが推奨されてきた。プラットフォーム上でもユーザーは「いいね」欲しさに陽気で魅力的な自己像を演出し、負の感情は隠す傾向がある。中国における「正能量(ポジティブエネルギー)」キャンペーンは、政府がネット上の肯定的言論を奨励し否定的感情の表出を抑制する典型例だ。これは感情の統治(emotional governance)**として分析されており、国民の不満や不安といった政治的に不都合な感情を表面化させないよう情動規範を操作する試みといえる。西側のソーシャルメディアも露骨さこそないものの、アルゴリズムがユーザーの注意を特定の情動に囲い込むことで、結果的に社会秩序を維持または攪乱する役割を担っている。たとえば、プラットフォームが高揚感や連帯感の強いコミュニティを増幅すれば社会統合に寄与しうるし、逆に怒りや恐怖を増幅すれば社会不安を助長し政治的不信を煽る。このように、情動をめぐるテクノロジーと統治の関係は一方向ではなく、相互に構築し合うプロセスだと考えられる。
最後に、「アルゴリズム的管理社会」(あるいは「制御社会」)との関連について触れておきたい。フーコーの後を継いだジル・ドゥルーズは、21世紀の権力様式を「環境そのものが連続的にモジュレーションされる制御社会」と表現した。まさにSNSのパーソナライズドフィードは環境の一部として絶えず調整され(モジュレーションされ)、ユーザーは意識しないままその環境変化に合わせて行動する。アルゴリズムは各個人に最適化された環境をリアルタイムで作り出すため、従来の画一的なマスプロパガンダでは達成できなかった精巧な誘導が可能となっている。これは制御社会の最たるものであり、人々はもはや檻の中に閉じ込められるのではなく、データという見えない鎖で一人一人がカプセル化され誘導される。情動はその鎖に取り付けられた餌とも言えよう。我々がクリックしたくなる興奮、購買したくなる欲望、同調したくなる安心感——それらすべてがデータとして収集・予測され、次の瞬間に提供される情報に反映されていく。このフィードバックループの中で、個人の自由意志や判断も情動レベルから影響を受けるため、支配はますます見えにくく巧妙になっている。
もっとも、こうしたアルゴリズム統治には依然として人間の社会的介入や権力関係が刻印されていることも忘れてはならない。アルゴリズムは中立ではなく、設計者や運用者の価値観・利益が埋め込まれている。Facebookの「怒り」重視も収益優先の企業戦略から出たものであり、中国の「ポジティブエネルギー」も政権維持のイデオロギーに根ざす。つまり、情動を介した統治は依然として権力作用そのものであり、その背後にある政治経済的動機を監視・問責することが重要である。現在、EUのAI規制や各国の個人データ保護法制などを通じて、感情AIの乱用を抑制し人間のエージェンシー(主体性)を守ろうという試みも始まっている。また学術界や技術コミュニティでも、倫理憲章の策定や技術的説明責任の追求が進められている。情動という最も人間らしい領域がテクノロジーの介入を受け始めた今、その扱い方次第で社会は抑圧的にも解放的にもなりうる。フーコー的視点が教えるのは、我々自身が自らの情動とそれに働きかける力学をどれだけ批判的に認識できるかが、未来の統治の形を左右するということであろう。
おわりに
本稿では、アフェクティブ・コンピューティングがソーシャルメディアと国境管理という二領域でどのように実装され、人々の行動と権力関係に影響を与えているかを考察した。FacebookやXのアルゴリズムはユーザーの感情データを収集・予測し、エンゲージメント向上のためにフィード内容を情動面から最適化している。これはユーザーの情報摂取や感情表現を変容させ、世論形成や政治過程にも影響を及ぼしうる。国境管理では、感情認識AIが安全保障の文脈で導入されつつあるが、その精度や倫理性には大きな疑問符がつく。それでもなお技術が推進されるのは、情動を介した微視的な統制が新たな統治モードとして魅力的だからだろう。
ユーザーや市民の側にも、情動アルゴリズムへの迎合と抵抗が交錯している。SNS上では多くの人が知らずにアルゴリズムに従属し感情を増幅させられているが、一部には操作に気づき抵抗する動きもある。入国審査においても、旅行者は平静を装ってAIをやり過ごそうとするかもしれないし、逆にこのような監視に社会的批判が集まれば導入が撤回されるかもしれない。重要なのは、情動という人間の内面的領域がデータ化・操作可能な「政策対象」になりつつある現実である。それは統治の新たな地平を開くと同時に、人間観や社会契約の再定義を迫るものである。私たちはテクノロジーが感情に触れることの恩恵と危険を直視し、民主的なコントロールのあり方を追求する必要がある。情動を巡る技術と権力の関係性はまだ流動的であり、今後の研究と社会的対話によってその輪郭が形作られていくだろう。
参考文献・出典(一部):
• Jane Dwivedi-Yu 他, "Affective Signals in a Social Media Recommender System," Proc. of KDD '22 (2022)
• Washington Post, "Five points for anger, one for a ‘like’..." (2021)
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• OECD.AI, "Twitter Algorithm Amplifies Anger and Polarization, Study Finds" (2023)
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• Vidushi Marda & Ella Jakubowska, "Emotion (Mis)Recognition: is the EU missing the point?" (EDRi, 2023)
• Javier Sánchez-Monedero & Lina Dencik, "The politics of deceptive borders: iBorderCtrl," Information, Communication & Society (2020)
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