南米におけるコンクリート・ポエトリーの興隆:1950〜1970年代の背景とコンピューターアートとの関連
背景:ブラジルを中心とした興隆の社会的・芸術的要因
1950年代から1970年代にかけて、南米(特にブラジル)で「コンクリート・ポエトリー」と呼ばれる前衛詩運動が台頭した。この運動は、言語そのものを素材(マテリアル)と見なし、文字・語を従来の意味伝達の器から解放して視覚的・空間的に構成し直す試みである。コンクリート・ポエトリーはほぼ同時期にヨーロッパ(ドイツ・スイスなど)とブラジルで生まれた国際的現象であり、その成立には第二次大戦後の急速な社会変革とモダニズム芸術の影響が背景にあった。
ブラジルでは1950年代後半、ジュセリーノ・クビチェック大統領のもとで「5年で50年分の進歩(50 anos em 5)」を掲げた開発主義政策が推進され、首都ブラジリア建設をはじめ国家的な近代化・産業化が加速した。ブラジルがこのめまぐるしい都市化・工業化の時代に突入したタイミングと符節を合わせるように、コンクリート・ポエトリーも国内で文化的脚光を浴び始めた。詩人たちは自国の急速な発展とグローバル化に伴う期待と不安を抱え、詩の形式によってそれを表現しようとした。実際、ブラジルのコンクリート詩には国家的発展と世界市場との緊張関係が反映しているとの指摘がある。例えばデシオ・ピニャタリの代表詩「Beba Coca Cola(コカ・コーラを飲め)」は、当時浸透しつつあったアメリカ資本主義の象徴であるコーラの広告文句を解体し、ブラジルの発展が向かう先への詩人の不安を表現している。また同時期のロナウド・アゼレードの「Velocidade(速度)」(1957年)やジョゼ・リーノ・グルネワウドの「Preto(黒)」といった作品も、自動車産業の隆盛や自国資源の略奪への懸念など、発展政策の光と影を示唆している。このように、南米の社会経済環境(高度成長とその陰で進行するグローバル化への疑念)が、コンクリート・ポエトリー興隆の土壌として重要であった。
芸術的背景としては、欧米モダニズムからの影響とそれを独自に発展させようとする南米の意志が挙げられる。ブラジルの具体派美術(Concrete Art)の潮流と並行し、詩の分野でも具体的表現を追求する動きが起こった。スイスの詩人オイゲン・ゴムリンガーは、画家マックス・ビルが提唱した「具体芸術」の理念に触発され、1953年に詩集『コンステレーション(星座)』を刊行し、活字を星座のように紙面上に散りばめる実験を行った。この頃、ブラジルでも若い詩人たちが従来の抒情詩から離れ、言語を構造的・視覚的に再構成する試みに着手していた。サンパウロでは1952年、ノイガンドレス(Noigandres)という同人誌が創刊され、オウグスト・ジ・カンポス、ハロルド・ジ・カンポス、デシオ・ピニャタリの三人を中心とするグループが結成された。Noigandres とは英米詩人エズラ・パウンドの詩に由来する造語であり、彼らがパウンドら先行世代の前衛詩に傾倒していたことを示している。実際、ノイガンドレス派の理論的文章では、ステファヌ・マラルメの散文詩「骰子一擲」やエズラ・パウンド、ジェイムズ・ジョイス、E・E・カミングスらの実験詩が先駆として頻繁に言及され、彼ら自身をそうした欧米前衛の正統な後継者と位置付けていた。このような高度に「博学的(エリュディート)」な伝統への意識と、同時に「新しい世代の詩」を創造する野心とが、ブラジル具体詩人の思想的支柱となっていた。
1956年はブラジルのコンクリート・ポエトリーにとって一つの画期となった年である。この年、サンパウロ近代美術館で開かれた「第1回国際具体美術展」において、視覚美術の具体派と並んでノイガンドレスの詩作品が公式に発表され、詩における「具体」なる概念が広く認知された。同年、ゴムリンガーやブラジルの詩人たちは自らの手法を「コンクリート(具体)詩」と呼ぶことに合意し、以後この呼称が国際的に定着してゆく。つまり南米に端を発した実験は、同時期の欧州の動きと呼応しつつ、「Concrete Poetry」という共通の旗印のもとでグローバルな前衛運動へと発展したのである。
代表的作品と理論的文書の批評的検討
コンクリート・ポエトリーの理念は、ブラジルではノイガンドレス誌上のマニフェストや理論的エッセイによって明文化された。その代表例が1958年にノイガンドレス派が発表した「コンクリート・ポエジーのパイロット・プラン(Plano-Piloto para Poesia Concreta)」である。この文書で詩人たちは、新しい詩の原理を「詩は自己の構造をそれ自体でコミュニケートするものであり、“構造=内容”である」と定式化した。従来のように詩句が何か別の意味内容を指示・記述するのではなく、詩の言葉の配置構造そのものがメッセージとなるという主張である。「コンクリート詩はそれ自体が目的物(オブジェ)であり、物質的な言葉である」という宣言に彼らの革新性が端的に示されている。このような理論的立言は、当時の詩壇に強い衝撃を与え、1950年代末までにブラジル国内で具体詩は文壇の“古典”として認知されるまでになったと言われる。
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ノイガンドレス誌(Noigandres)の創刊号および続刊の表紙デザイン。1952年創刊。当初より誌名やレイアウトから視覚的実験性が現れている。誌上ではマニフェストのほか詩作品も発表され、第五号(1962年)では「詩的言語の歴史的アンソロジー」として具体詩以前の詩(例えば象徴派詩や未来派など)の再評価も試みられた。
ノイガンドレス派の具体詩人による詩作品もいくつか挙げておこう。初期の代表作のひとつが、オウグスト・ジ・カンポスの詩集『Poetamenos(ポエタメノス)』である。これは1953年までに制作された視覚詩シリーズで、「詩人マイナス(poeta menos)」すなわち「詩的要素を極限まで削ぎ落した詩」という意味の造語タイトルを掲げている。収録作品では文字・音節がページ上に幾何学的に配置され、意味より造形と響きが重視されている。例えば「OLHO POR OLHO」(目には目を)という詩では、「OLHO(目)」という語形が視覚的に幾何学模様を成すよう反復配置され、言葉がイメージそのものになることを狙っている。詩集『Poetamenos』の造本は手製小冊子の体裁で、タイポグラフィによるミニマルな美を追求したものだった。
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オウグスト・デ・カンポス『Poetamenos』(1953年)の表紙とページ例。極限まで言語を削ぎ落としたミニマルな造形詩であり、「具体詩」誕生期のマニフェスト的作品集と位置づけられる。
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デシオ・ピニャタリの「Beba Coca Cola」(1957年)は、ブラジル具体詩の知名度を高めた象徴的作品である。これはポルトガル語の「Beba Coca-Cola(コカ・コーラを飲め)」という広告コピーを素材にした視覚詩で、白地に赤いコーラ社ロゴ風のタイポグラフィで配された単語が徐々に変形してゆく。読み手は紙面上を視線でたどるにつれ、「Beba Coca Cola」という語句がbeba coca cola → babe cola → beba coca → babe cola caco → caco cola → cloacaと綴り替えられていく過程を追うことになる。ポルトガル語で「caco」は破片、「cloaca」は汚水溜めを意味し、甘美な清涼飲料のイメージが最終的に「金属片まじりの汚物」へと転化する。 この倒錯した言葉遊びにより、ピニャタリは大量消費文明への批判と、グローバリゼーションの波に対する警鐘を表現したのである。広告の視覚的インパクトをそのまま利用しつつ逆効果に転じるこの作品は、「反広告(Anti-Ad)」とも評され、当時急速に進行していた商業メディア化への詩的抵抗と見ることができる。
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他方、オウグスト・ジ・カンポスの「Cidade / City / Cité」(1963年)という作品は、ピニャタリとは対照的にグローバル都市文明に対するある種の楽天性を示した詩である。彼は「cidade(葡)、city(英)、cité(仏)」という3言語の「都市」という語を鍵として、各種の接頭語断片を連結し長い文字列を作るという手法で詩を構成した。例えば「capa」という断片に「-cidade/-city/-cité」を付加して「capacidade/capacity/capacité(容量)」とし、「simpli」から「simplicidade/simplicity/simplicité(単純さ)」を作る、といった具合である。こうして生まれた単語群は異なる言語間で同じ意味を共有し、言語の壁を越えて読者に「都市(city)」を通じた国際共通の観念を想起させる。都市というモチーフ自体が当時の世界的な文化交換の中心であることを踏まえ、言語のバリエーションを肯定的に組み合わせたこの詩は、ピニャタリの批判的作品と並んでブラジル具体詩の多面的な姿勢を示すものとなっている。
以上のような実践により、ノイガンドレス派は詩と視覚芸術・デザインとの新たな関係を切り拓いた。しかしその一方で、彼らの作品と言説には批評的観点からいくつかの問題も指摘されてきた。第一に難解さ・大衆性の欠如の問題である。ノイガンドレス派は理論面でも膨大な評論やマニフェストを発表し、自らの詩学を正当化・体系化しようとしたが、その内容は高度に専門的・知的なもので一般読者を遠ざける結果にもなった。彼らの詩を真に味わうには「共有された文化的基盤」が必要だとさえ言われ、また理論ばかり先行して肝心の詩作品への直接的鑑賞が妨げられたとも評された。現にブラジル国内では、具体詩は一時「文学教育の必修項目」扱いされながらも読者には敬遠され、一般大衆よりは知識人層の前衛実験として消費された経緯がある。第二に社会性・政治性の問題がある。1964年の軍事クーデター以降、表現の自由が制限され社会が抑圧的になる中で、芸術家にはより直接的な政治抵抗の姿勢が期待された。ノイガンドレス派の詩は一見するとフォルマリスティック(形式至上)的で政治的メッセージ性に乏しいと批判され、実際ハロルド・ジ・カンポスら自身も「読者が現代詩から離れて大衆メディアへ流れてしまった」ことに危機感を抱いていた。彼らは読者との新たな接点を求め、テレビとの融合や映像詩の制作、ポップカルチャーとの協業なども試みたが(例えば音楽家とのコラボや、詩を題材にした短編映像の制作など)、大衆的成功には至らなかった。その結果、1960年代末にはむしろ現代文明への「抵抗と拒否」という立場に回帰し、難解さを維持したとも言われる。他方でノイガンドレス派から距離を置き、詩の政治性を前面に出した新グループも現れた。リオデジャネイロで1967年に起こった「ポエマ・プロセッソ(詩=プロセス)運動」は、ノイガンドレスの元メンバーであるワラジミール・ヂアス=ピノらが提唱したもので、詩作の過程(プロセス)自体を重視しつつ明確に反体制的・政治的なメッセージを打ち出した。この運動は、具体詩の手法を継承しつつより急進的な方向へ押し進めたものと言える。加えて1970年代前半には、ノイガンドレス派の詩人たち自身も地下文化・対抗文化との接点を模索し、トロピカリズモ(熱帯主義)運動の芸術家と協働して雑誌『Navilouca』(1974年)を刊行するなど、新たな展開を見せている。総じて言えば、南米のコンクリート・ポエトリーは当初こそ純粋芸術志向が強かったものの、時代状況の変化に応じて次第に社会的発言へ軸足を移し、内部からの自己変革や別グループの離反を通じて、多面的な展開を遂げていったのである。
コンピューターアートとの関連:美学的・技術的影響
コンクリート・ポエトリーが興隆した1950〜70年代は、コンピューター技術と電子メディアが勃興した時代でもある。詩人たちも当時新たに登場した情報理論やサイバネティクス(人工頭脳理論)といった学際的知見に刺激を受けており、それが詩の美学に影響を及ぼしたことは否定できない。実際、ブラジル具体詩の理論には記号論や情報美学の語彙が散見され、国際的な前衛詩人ネットワークの中核にいたドイツ人思想家マックス・ベンスの影響も指摘されている。ベンスはシュトゥットガルト工科大学で数学・哲学を講じ、1950年代後半に詩と造形芸術を論理的・計量的に再構築する「情報美学」の運動を主導した人物である。彼の元では世界で初めてコンピューターを用いて詩を自動生成する試み(テオ・ルッツによる乱数詩の実験、1959年)が行われ、またベンスに共鳴した詩人・タイポグラファーのハンスイェルク・マイヤーは詩と計算機図形の融合を図る作品集を制作している。ブラジルの具体詩人たちもベンスやヨーロッパの同時代詩人と文通・交流を重ねており、例えばハロルド・ジ・カンポスは1965年にマイヤーの作品を「タイポエジー(文字詩)」と名付けて紹介した。デシオ・ピニャタリも「詩人とは言語のデザイナーである」と述べ、詩作を一種のエンジニアリングになぞらえている。このようにブラジルの具体詩運動は、当時勃興期にあったコンピューターアートや情報社会論と美学的・思想的に共振していた。
技術的側面では、1960年代〜70年代の新しいツールやメディア環境が具体詩に与えた恩恵も見逃せない。たとえばレタセット(Letraset)や謄写版などの簡易印刷・転写技術が普及したことで、詩人やアーティストが自らタイポグラフィ実験を行いやすくなった。レタセットによってプロの組版業者に頼らず多様な書体配置を紙上で試せるようになり、印刷物としての詩の物質性・デザイン性が一段と意識されるようになった。実際、当時各国で刊行された具体詩関係の小雑誌やアンソロジーは、そのレイアウト・紙質・タイポグラフィが作品の一部となっており、詩とメディア技術の結びつきの強さを物語っている。ブラジルでもノイガンドレス誌以降、先述の Invenção(革新)誌(1960年代半ば刊行)や、造本そのものがオブジェ的な詩集 Poemobiles(1974年、折り畳み細工の詩作品集)など、新技術を駆使した詩媒体が次々に生み出された。さらに、具体詩人たちは映像メディアにも関心を示し、文字が動くビデオ詩の制作やテレビ番組での視覚詩紹介といった試みにも関与した。これらはコンピューターグラフィックスとは異なるものの、「詩を動的な視覚情報として提示する」発想は共通しており、詩と映像技術の融合を先駆けて模索したものと言える。
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Poemobiles
思想的観点から見ると、ブラジル具体詩は当時胎動期にあった「情報社会」への批評的まなざしを持っていたと評価される。Nathaniel Wolfsonによれば、具体詩運動はブラジル軍事政権下で国家が構築しようとした管理社会(データネットワークによる統制)に対し、美学を通じたクリティカルな介入を試みていた。たとえば前述の「Beba Coca Cola」や「Preto」といった作品に見られるように、具体詩人たちはグローバル資本主義の記号(商品名やスローガン)を素材として用い、それを分解再構成することで支配的コードへの批評を行った。こうしたアプローチは現代のカルチュラル・ハッキングやメディアアートにも通じる先鋭性を持っていた。また、「形式=内容」という彼らのスローガン は、コンピュータープログラムにおける「コード=プロセス」の思想にも似た自己言及的構造を指向しており、後のデジタル詩やソフトウェアアートを先取りしていたとの指摘もある。事実、1960年代当時から「具体詩はデジタル時代のライティングを先取りしたもの」と見る論者もおり、電子計算機による詩生成や実験的タイポグラフィとの類似が語られていた。たとえばイギリスの詩人・神父ドム・シルベスター・フーデ(Dom Sylvester Houédard)は具体詩に傾倒し、タイプライターで「タイプストラクツ」と呼ばれる作品を作りつつ、コンピューターと言語の関係について講演を行っている。彼は「動き(運動)のある詩=キネティック・ポエトリーによって、著者の死後に機械が詩を生み出すポスト作者的な空白へ踏み出せる」と述べ、マラルメ以来の偶然性の導入がコンピューターでさらに推し進められる可能性に言及した。このように当時の前衛的詩人たちは、詩とテクノロジーの交錯領域に高い関心を寄せており、ブラジル具体詩人もまた国際的議論の一翼を担っていたのである。
総じて、南米(ブラジル)のコンクリート・ポエトリーと同時代のコンピューターアートは、「構造への意識」という美学上の共通点を持っていた。両者とも要素の配置・組み合わせそのものに意味を見出し、人間の恣意的感情を排して客観的・普遍的なフォームを追求しようとした。この志向は、冷戦期の科学技術信仰やグローバル化への期待と不安という時代精神と深く響き合うものであった。また具体詩のヴィジュアルな実験は、後のデジタルメディア上で文字や記号を自在に扱う表現(デジタル・ポエトリーやコンピュータグラフィックス詩)の嚆矢とも評価されている。こうした歴史的文脈を踏まえ、南米におけるコンクリート・ポエトリーは単に詩史上の一エピソードに留まらず、20世紀後半のテクノロジーと芸術の交錯点を象徴する文化現象であったと言える。
結論
ブラジルを中心とする南米のコンクリート・ポエトリー興隆(1950〜1970年代)は、急速な近代化と情報化が進んだ時代において、詩という伝統的表現を刷新しようとする野心的な試みであった。その成立には、モダニズム芸術からの影響と、それを自国の文脈で発展させようとする強い意志が横たわっていた。ノイガンドレス派の詩人たちは言語を物質とみなし、その視覚的・音響的構造を直接読者に体験させることで、新時代に相応しい「詩のデザイン」を創造しようとした。生み出された作品群は、国際的には形式面の革新性で高く評価され、後続の視覚詩・電子詩に多大な影響を与えた。一方で母国ブラジルでは、その難解さゆえに受容が限られたり、政治的メッセージ性の乏しさを批判されたりもした。しかし運動内部からも変革は起こり、他分野の芸術や大衆文化と連携しつつ自己を更新していった点に、この前衛運動の柔軟さが見出せる。コンピューターアートとの関連においては、具体詩は電子時代の美学的課題(情報の構造化、創作の自動化、メディア横断性など)を先取りしており、その意味で20世紀後半の「テクネーと詩学」の結節点として再評価できるだろう。コンクリート・ポエトリーは南米の社会的文脈から芽生えた芸術運動でありながら、時代のグローバルな問題意識に応答し、後のデジタル時代の芸術表現にも通じる普遍的問いを提起したのである。各種の代表作・理論文書の批評的検討を通じて浮かび上がったのは、「言語芸術の現代化」という彼らの壮大な試みとその遺産であり、それは今なお詩とアートの境界を越えて我々に刺激を与え続けている。
参考文献・出典:本稿では以下の資料を参照し、内容を考察・引用した。
• Archivo Lafuente「Concrete poetry and poema/processo」による運動史・資料解説
• Unicamp JornalによるPaulo Franchetti『具体詩の諸相』解説記事
• Artscape「コンクリート・ポエトリー」解説(沢山遼、2024)
• Getty Research InstituteによるConcrete Poetry展関連記事
• LA Review of Books「Endless Constellations: Women in Concrete Poetry」記事
• Stanford大学講演「Concrete Encoded: Poetry, Design and the Cybernetic」案内文
• Jamie Hilder『Designed Words for a Designed World』抜粋(Yumpu版)
• その他、研究書・論文(Simanowski 2004 等、Engineering the Futureプロジェクト資料 )より適宜引用。