仮想現実(VR)アートの歴史的展開
仮想現実と芸術の出会い:導入
仮想現実(Virtual Reality, VR)はコンピュータにより生成された仮想空間に利用者を没入させる技術であり、その芸術への応用はメディアアートの中でも特に没入型の体験を創出する領域である。VRアートは、ヘッドマウントディスプレイ(HMD)や没入型の投影空間を用いて観客に新たな美的体験を提供するもので、現実の制約から解放された「もう一つの現実」を作品として提示する。その表現はインスタレーション、インタラクティブアート、パフォーマンスなど多岐にわたり、テクノロジーの発展と歩調を合わせて進化してきた。本稿では、VRを主題としたメディアアートおよび美術作品の歴史的展開を初期から現代までグローバルな視点で概観し、技法や技術の進化、観客体験の変遷、社会文化的文脈の変化について分析する。
初期の萌芽:VR技術の黎明と芸術的想像力 (1960年代〜70年代)
VRアートの源流は、コンピュータ時代以前から人類が追求してきた没入的な視覚体験に遡ることができる。1962年、映像技師モートン・ヘイリッグは「センソラマ (Sensorama)」と呼ばれるマルチモーダルな映像体験装置を試作し、視覚・聴覚のみならず匂いや振動などの感覚を組み合わせた没入型シアターを実現した。センサラマはデジタル計算機を用いないアナログ機械であったが、「体験シアター」と称されたその装置は後のVR概念を先取りする世界初期のVR的アート作品とも位置づけられる。続いて1968年には、コンピュータ技術者アイバン・サザランドが頭部に装着するディスプレイ(HMD)の原型を発明し、「究極のディスプレイとは物質的現実そのものを制御できる部屋である」というビジョンを語った。サザランドの装置(後に「ダモクレスの剣」と渾名される)は軍事研究から生まれた技術であったが、その発想は仮想世界に人を没入させる究極の環境を示唆し、VRの歴史の幕開けとなった。
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こうした技術的黎明期と並行して、芸術領域でも没入環境への関心が芽生えていた。1970年代にはマイロン・クルーガーがカメラとスクリーン投影を用いて仮想空間内のオブジェクトと人間の影をインタラクションさせる実験的環境「ビデオプレイス (Videoplace)」を制作し、「人工現実感 (Artificial Reality)」というコンセプトを提唱したとされる。クルーガーの作品はヘッドセットを使わないものの、人の身体動作をデジタル環境に反映させるインタラクティブな仮想世界を創出しており、後のVRアートに先鞭をつけるものであった。また、MITが1978年に開発した「アスペン・ムービーマップ」は、実在都市の景観を撮影してユーザが自由に歩き回れるようにした初期のハイパーメディア/VRシステムであり、芸術作品ではないが技術デモとして仮想環境ナビゲーションの可能性を示した。このように、1960〜70年代にはVRの概念的・技術的土台が築かれ、芸術的想像力と結びつく素地が生まれ始めていた。
https://www.youtube.com/watch?v=d4DUIeXSEpk
https://www.youtube.com/watch?v=Hf6LkqgXPMU
VRアートの黎明 (1980年代後半〜1990年代前半)
1980年代に入ると、コンピュータの性能向上とともに本格的なVRシステムが登場し、芸術家たちもこの新技術への関心を高めていった。アメリカではジャロン・ラニアが1984年にVPLリサーチ社を設立し、データグローブやHMD EyePhoneなどVRデバイスを次々に開発してVRの普及に貢献した。ラニアは1989年のインタビューで「VRではあらゆることが可能になる」「現実と同程度にリアルなもう一つの世界を作り出せる」とその重要性を強調し、SF作家や研究者のみならず多くの芸術関係者にも刺激を与えたと伝えられる。1989年にはサンフランシスコで開催された「Texpo’89」において一般向けに「バーチャルリアリティ」という言葉が紹介され、一大ブームの兆しが見え始めた。この時期、北米の研究機関や芸術祭ではVRの可能性を探るイベントが相次ぎ、1990年のアルスエレクトロニカではラニアやミンスキー、ティモシー・リアリーらを招いたVRシンポジウムが開催されるなど、VRと芸術の交差が国際的な注目を浴びた。
https://www.youtube.com/watch?v=7zgaYOHeBYI
こうした技術的熱狂の中、世界初のVRアート作品群も1980年代末〜90年代初頭に登場した。フランスの芸術家ニコル・ステンジャーはVPL社の機器協力のもと、仮想空間内を飛翔する体験を提供する「Angels」(1989–91)を制作し、観客に詩的なサイバースペース旅行を体験させたと言われる。ドイツではモニカ・フライシュマン&ヴォルフガング・シュトラウスがベルリンの壁崩壊後の都市像をテーマにしたVR作品「ベルリン–サイバーシティ」(1989–91)や、思想家の脳内世界を旅する「Home of the Brain」(1989–91)を開発し、1992年アルスエレクトロニカで黄金のニカ賞を受賞するなど高い評価を得た。これらは当時最新のグラフィクスコンピュータとHMDを用いた初期の芸術VRインスタレーションであり、制作費が数百万ドル規模に及ぶプロジェクトもあった。こうした黎明期のVRアートは企業(VPL社など)や研究機関(カナダのバンフ・センター等)からの支援を受け、極めて実験的な色彩の濃い作品が中心だった。
https://www.youtube.com/watch?v=jqHyqAXOBCY
https://www.youtube.com/watch?v=8oTliJIF-FE
https://www.youtube.com/watch?v=uMAA6GYLJPU
北米でも同時期に注目すべきVRアートの試みが行われた。代表例の一つがブレンダ・ローレルとレイチェル・ストリックランドによる「プレイスホルダー (Placeholder)」(1993)である。この作品はカナダ・アルバータ州のバンフ・センターで制作・公開され、参加者はHMDをかぶり岩やカラスなどの精霊に憑依してバーチャルな自然環境を探索するというマルチユーザ型VR体験を提供した。またアメリカの美術家マット・マリカンは、巨大スクリーンとHMDを組み合わせたインスタレーション「Five Into One (The World Unframed)」(1991)を制作し、自らの想像上の都市空間に観客を誘った。日本でも1990年代前半にVRへの関心が高まり、1991年には服部桂による日本初のVR解説書『人工現実感の世界』が刊行されている。もっとも当時の日本におけるVR活用は研究や商業アミューズメント(SEGA社のVRゲーム開発など)が中心で、純粋な美術作品としてのVR活用は限定的であった。しかし八谷和彦による実験装置「視聴覚交換マシン」(1993)のように、二人の装着者がお互いの視界を交換することで自己と他者の境界を問い直すVR的体験を生み出した作品も現れており、日本のメディアアート作家たちも独自の切り口でVR技術を芸術表現に取り込み始めていた。
https://gyazo.com/1964b9eaa1036a61e6a363e6b003859a
Placeholder
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Five Into One
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視聴覚交換マシン
没入型アートの成熟と批評 (1990年代後半)
1990年代後半になると、VR技術の改良とともに芸術家たちはより洗練された没入体験を創出し始め、その表現テーマも多様化していった。中でもカナダ人アーティストのシャル・デイヴィス(Char Davies)は、VR技術を用いて人間の内面的・精神的体験を表現する作品を生み出し高い評価を得た。彼女の代表作「オスモーズ (Osmose)」(1995)は、カスタムHMDとモーショントラッキングスーツを用いた没入型インスタレーションで、参加者は呼吸とバランスの動きによって仮想空間を浮遊・移動する。オスモーズの仮想世界は森林や水中などの半抽象的な自然空間で構成され、視覚のみならずゆったりとした呼吸音や心拍音が同期することで瞑想的・没我的な感覚を呼び起こすよう設計されていた。デイヴィスはこの作品で「VRは物理的な映画体験ではなく精神的体験を生み出す」ことを志向し、哲学者ガストン・バシュラールの言葉「我々は場所を移動するのではなく本質を変容させるのだ」を引用して自らの理念を語っている。オスモーズは1995年8月にモントリオール現代美術館で公開されると大きな反響を呼び、6週間にわたり満員の来場者が詰めかけたと記録されている。鑑賞者は一人ずつ専用のHMDを装着して私的な没入を体験する一方、会場の外ではその様子がプロジェクションで映し出され、他の観客も間接的に作品世界を追体験できる仕組みが取られた。このようにVR体験者の主観と周囲の観客の共有体験を両立させようとする展示手法も考案され、VRアートが美術館で受容される形が模索されたのである。
https://www.youtube.com/watch?v=54O4VP3tCoY
同じくデイヴィスによる続編的作品「エフェメレ (Ephémère)」(1998)は、生成と腐朽をテーマに自然界のサイクルを象徴的に体験させるVRインスタレーションで、オスモーズと並びメディアアート史に残る作品となった。一方、欧州ではモーリス・ベナユンの作品「ワールドスキン (World Skin)」(1997)が話題を呼んだ。フランスのメディアアーティストであるベナユンは、戦争報道写真をコラージュした3次元空間をCAVE式の大型投影空間に構築し、鑑賞者に模造カメラを手渡して内部を歩かせるというインスタレーションを制作した。観客がシャッターを切ると、その視界に写った戦場の景色が写真としてプリントされると同時に、対応する仮想空間上のオブジェクトが黒い影を残して消失する。すなわち「写真撮影という行為が対象を消し去る兵器になる」というコンセプチュアルな仕掛けであり、無数のシャッター音によって戦場の風景が次第に影だらけの虚無へと変貌していく様は、戦争の残酷さとメディア報道の関与を批評する強烈な寓意となっていた。ワールドスキンは1998年アルスエレクトロニカでインタラクティブアート部門のグランプリを受賞し、VRアートが社会的・政治的メッセージを内包し得ることを印象づけた。
さらにこの時期、テクノロジーと美術の交差を探る大型展覧会も各地で開催された。たとえば「仮想現実と芸術」をテーマにした展覧会がカナダのバンフやドイツのZKMなどで企画され、欧米の美術館・ギャラリーはVR作品を展示プログラムに取り入れ始めた。しかし同時に、VRアートに対する批評的議論も生まれている。1990年代末の評論家たちは、VRによる没入体験が「観客を孤立させるのではないか」 、「視覚偏重で他の感覚が疎かになる」 といった問題を指摘した。また、オスモーズのような作品が示した精神性の深化に対し、多くの追随者たちの作品は技術デモの域を出ず視覚効果ばかりが先行しているとの批判もあった。Oliver Grau (2003) は著書『Virtual Art: From Illusion to Immersion』の中で、VRアートをバロックの天井画や19世紀パノラマ画など歴史的な没入表現の延長線上に位置づけつつも、その芸術的価値は「観客の美的体験に対する期待をいかに拡張し得るか」にかかっていると論じている。このように1990年代後半には、VRアートがひとまず技術的成熟を見せる一方で、その文化的意義や鑑賞体験のあり方についての真摯な省察が始まったと言える。
https://www.youtube.com/watch?v=XCWaMll0leI
https://www.youtube.com/watch?v=I6NRSD7fBTw
停滞と転機:2000年代のVRアート
2000年代に入ると、VRは一度ハイプの沈静化を迎える。コンピュータグラフィックスの進歩に比べてHMDデバイスの解像度や操作性が追いつかず、一般市場でのVR普及が停滞した影響はアート分野にも及んだ。この時期、美術館やギャラリーで大々的にVR作品が発表される機会は減少し、代わってインターネットアートやインスタレーション、拡張現実(AR)など他の新興メディア表現に注目が移っていったと言える。しかし裏側では、VR技術自体の研究開発は継続して進み、立体視ドーム型シアターやCAVEシステムといった装置が科学館や大学研究所で整備され、教育・サイエンス用途の体験展示に利用されていった。アートの文脈でも、アメリカUNC大学やイリノイ大学EVLで開発されたCAVEは幾つかの作品制作に応用され、ベナユンのワールドスキン以降も大型没入空間を使った表現の探求が続いた。またネットワークを介した複数人同時参加型のネットVRアートの試みも萌芽している。例えばオーストラリアの芸術家ジェフリー・ショーはインターネット経由で共有可能なVR作品を構想し、「ライドシミュレーターとVRを組み合わせた遠隔参加型イベント」などを実験的に手がけたと伝えられる。ただし一般的には、2000年代のVRアートは「冬の時代」とも言うべき停滞期であり、メディアアートの主舞台はむしろWebやインタラクティブ映像装置へと移っていった。
https://www.youtube.com/watch?v=61l7Y4MS4aU
そのような中でも、VRならではの没入性に固執し批評的テーマの表現を追求する作家も存在した。ブラジル出身のエドゥアルド・カックは、「Rara Avis」(1996)という作品でVRと遠隔ロボットを組み合わせ、観客がテレプレゼンスを通じて鳥かごの中のオウムの視点を体験できるようにした。また日本ではメディアアーティスト藤幡正樹がGPSとVRを組み合わせたプロジェクト「Field-Works」シリーズ(1992-)に取り組み、現実世界の地理情報を仮想空間に可視化する実験を続けた。藤幡は「見えないものを可視化する」というコンセプトのもと、仮想空間内に現実のデータを重ね合わせる試みを行い、VR技術を芸術的データ表現に応用した pionieer の一人である。さらに、日本のNTT ICC(インターコミュニケーション・センター)では開館(1997年)以降、国内外のメディアアート作品を展示する中で度々VRやインタラクティブな仮想環境作品を紹介してきた。例えばICCの初期展示には、観客が仮想空間の絵本の中に入り込む藤幡の「ビヨンド・ぺージズ」(1995)や、映像とセンサースーツで仮想身体感覚を探る三上晴子の「Molecular Informatics」(1996)などが含まれ、直接HMDを用いない形ではあるがVR的発想に基づく没入型作品として位置づけられるものもあった。このように2000年代はVRアートが表立った流行ではなかったものの、水面下では次世代の飛躍に備える技術的・表現的な蓄積が続いた時期であった。
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藤幡正樹 - Masaki Fujihata
復興と新展開:2010年代以降のVRアート
2010年代に入り、VR技術は飛躍的な復興を遂げる。きっかけの一つは2012年に発表された低価格HMD「Oculus Rift」であり、その後HTC ViveやSonyのVRシステムなど高性能デバイスが相次いで市場投入された。これにより一般ユーザでも高品質なVR体験が可能となり、多くのクリエイターがVRコンテンツ制作に参入した。ゲームエンジンUnityやUnreal Engineの普及も相まって、芸術家が比較的容易にVR作品を開発できる環境が整い、VRアート第二のブームが生まれた。2010年代半ば以降、欧米の現代美術シーンではVRを活用する作品が一躍注目を浴び、著名美術館での展示や国際アートフェスティバルでの受賞が相次ぐようになる。
例えばアメリカの現代美術家ジョーダン・ウルフソンは、2017年に衝撃的なVR映像作品「リアル・バイオレンス (Real Violence)」を発表した。この作品は観客にHMD越しに暴力行為の現場を目撃させるもので、その生々しさと倫理性が議論を呼び、ニューヨーク近代美術館で展示された際には「VR芸術がもたらす没入と麻痺」について批評家の活発な論争を惹起したと言われる。カナダ出身のジョン・ラフマンも同じく2016年に「View of Pariser Platz」というVRインスタレーションを制作し、当時の最新VRデバイス(Oculus Rift)を用いて観客をベルリンの風景とネット上の断片映像が交錯する不穏な空間に誘った。ラフマンやウルフソンの作品は、VRの没入感がかえって現実感覚の喪失や暴力性の増幅に通じることを指摘し、VRメディアそのものへのメタ批評を含んでいる点で新しい潮流を示していた。このように欧米の現代アーティストたちはVRを単なる表現ツールに留めず、テクノロジー批評の文脈で用いるようになっている。
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Jordan Wolfson - Real Violence
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Jon Rafman - View of Pariser Platz
一方日本でも、2016年頃から「VR元年」と言われる盛り上がりを受けてメディアアート領域でVR作品の制作・発表が増加した。特に若手作家を中心にVRならではの身体感覚や語りに挑む作品が登場し、その成果も現れ始めている。顕著な例として、現代美術家小泉明朗のVRインスタレーション「縛られたプロメテウス」(2019)が挙げられる。この作品は、第二次大戦後の日本社会における個人の記憶と国家の物語を題材に、観客がHMD装置を装着して擬似的な劇空間を体験するものだ。小泉は演劇的手法とVRを融合し、鑑賞者を「他者の身体を通じて歴史を追体験する一人称視点」へ誘導する独自のアプローチを開拓した。その結果、「縛られたプロメテウス」は2020年の文化庁メディア芸術祭で大賞を受賞し、日本の美術館(東京オペラシティアートギャラリー等)でもVR作品の個展が開かれるなど、日本においてもVRアートが専門機関に認知されつつある。他にも、日本のメディアアート集団ライゾマティクスが手がけた「multiplex VR」(2021)は、HMDと専用チェアによる振動フィードバックを組み合わせて運動感覚までも欺く実験的VRアートとしてICCに展示された。またVRプラットフォーム上で活動するバーチャルアーティストも現れ、例えば関口愛美はTilt Brushなどを駆使してVR空間に直接絵画を描くVRペインティングのパフォーマンスで注目を集めている。このように日本においてもVRアートは新世代の芸術家によって多様な展開を遂げている。
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縛られたプロメテウス
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multiplex VR
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関口愛美
グローバルな視点で見ると、2010年代後半にはアート業界とテック業界のコラボレーションも進んだ。ロンドンのAcute ArtやコペンハーゲンのKhoraといった企業は著名アーティスト(マリーナ・アブラモヴィッチ、オラファー・エリアソン等)と組んでVRアート作品をプロデュースし、美術マーケットにも流通させている。さらに美術館・ギャラリーの展示にも変化がみられる。VR作品は一人用デバイスゆえ展示方法に工夫が必要だが、ニューヨーク近代美術館やロンドンの王立芸術院などはVRを使った展覧会を開催し、VRブースを複数設置して回遊させる形式や予約制で鑑賞者を回転させる方法などを導入している。また、オンライン上のバーチャル美術館やVRアートフェスティバルも各地で企画され、地理的制約なく人々がアバターで芸術体験を共有できるプラットフォーム(例:VRChat内のギャラリー)が登場した。こうした動向は、特に2020年前後のパンデミック禍で一層加速し、VRによる遠隔鑑賞が現実の美術体験を補完・拡張する新しい文化として市民権を得つつある。
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Olafur Eliasson - Your view matter
観客体験と社会的文脈の変遷
以上の歴史的展開から明らかなように、VRアートにおける観客体験は技術進歩とともに大きく変容してきた。初期のVR作品では、鑑賞者は重いHMDを装着し装置に繋がれて孤独な没入を体験するスタイルが主流であった。観客は仮想世界に没頭する反面、外界から切り離されるため、他者と体験を共有できないというジレンマが常につきまとった。このため、先駆的なVRインスタレーションの多くは「傍観者のための可視化」に工夫を凝らし、HMD利用者の視点映像を大型スクリーンに投影したり、光学式のぞき穴から第三者が覗けるようにしたりといった方法で共有性の確保を図っていた。例えばオスモーズでは、没入者の動きをリアルタイムで映写する「イマージョン・スクリーン」を設置し、他の観客が鑑賞できる二重構造の展示空間を実現していた。しかし21世紀に入りネットワーク技術が発達すると、仮想空間内で複数人が同時に出会い一緒にアート体験をすることも可能となりつつある。近年のVRアート作品には、離れた場所にいる観客同士がアバターを介して一つのVR作品世界に参加できるものも登場しつつあり、VRの孤立性を克服する方向性が模索されている。
また、社会的・文化的文脈もVRアートのテーマ選択や受容のされ方に影響を与えてきた。1990年代の第一次VRブームは、サイバーパンク文化やマルチメディア革命の高揚感と結びつき、VRアートもしばしばテクノロジーへの楽観やサイバー空間への憧憬を背景に制作されていた。当時の作品タイトル(「天使たち」「サイバー都市」「データグローブの舞踏」等)には未来志向の色彩が濃く、観客も未知の仮想世界への探検をポジティブに受け止めていた。しかし現代では、VRはもはや特別な未知の技術ではなく、ゲームやエンタメで普及した日常的メディアとなりつつある。そのため近年のVRアートは、より社会批評的であったり現実世界の問題意識とリンクしたテーマ設定が増えている。前述のウルフソンや小泉のように、VRの異化効果を利用して現実社会の暴力性や記憶の風化を告発する作品が現れる一方、逆に超現実的な美の体験を通じて現実の捉え直しを促す作品(例:森林破壊をVRで追体験させ環境意識を喚起する作品など)も登場している。このようにVRアートは技術の進化だけでなく、時代ごとの社会状況や文化潮流を反映しながら、その表現内容を更新してきたのである。
おわりに:VRアートの現在地と展望
仮想現実を用いたメディアアートの歴史を振り返ると、それは技術革新の歴史であると同時に、人間の知覚や存在の問いを巡る芸術的冒険の歴史でもあった。初期のVRアートは、新奇な装置で観客を魅了する技術実験の側面が強かったが、次第に芸術家たちはこの媒体で何が表現できるのかを深く模索し始めた。没入感そのものを主題化し、「現実とは何か」という根源的問いに挑む作品もあれば 、VRを用いて社会の暗部やメディアの暴力性を可視化する批評的作品もある。また、観客体験においても、個人の主観的トリップから共同参与型の体験へと広がり、VRアートの形態は年々多彩になっている。
21世紀に入りメタバースやXR(クロスリアリティ)といった概念が注目される現在、VRアートは単なる視覚的体験を超え、社会や文化とのつながりを深める新たな表現手段として期待されている。実際、オンライン上のVRアートコミュニティでは国や言語の壁を越えてクリエイターと鑑賞者が交流し、仮想世界上のアートギャラリーが運営される例も出てきている。他方で、技術的課題(デバイスの重量や視野制限、VR酔い等)や倫理的課題(過度な没入による心身への影響、プライバシー問題等)も依然存在し、VRアートの発展にはそうした克服すべきハードルも残されている。
総じて、仮想現実を主題としたアートの歴史は、新技術によって芸術の地平が拡張される様を如実に物語っている。それは「絵画の中に入り込む」という古くからの夢をデジタル時代に実現する試みであり、同時に人間の知覚や現実認識の限界に挑む哲学的実験でもある。アメリカ、日本、ヨーロッパと各地で多様な展開を見せてきたVRアートだが、共通して言えるのは、芸術家たちが常に技術と創造性の狭間で格闘しながら、観客に未だかつてない体験を提示してきたという点である。その歩みを踏まえ、これからのVRアートはより多くの人々に開かれた形で進化し、現実と仮想の境界を問い直す芸術表現として一層成熟してゆくだろう。
参考文献(References)
• Grau, O. (2003). Virtual Art: From Illusion to Immersion. Cambridge, MA: MIT Press.
• Hattori, K. (1991). 人工現実感の世界 — バーチャルリアリティ最前線. 東京: 朝日新聞社.
• 【8】 Ideelart (2017). アートにおけるバーチャルリアリティ - 強力な新しいゲームチェンジャー . (オンラインマガジン記事)Retrieved from Ideelart website.
• 【11】 Radiance VR Art Archive (n.d.). 1990s Pioneers – Pioneers of the 1990s. Retrieved from Radiance website.
• Spampinato, F. M., & Catricalà, V. (2021). Contemporary Art and Virtual Reality: New Conditions of Viewership. Cinergie – Il cinema e le altre arti, 19, 121-134 .
• 【1】【2】 Stylyマガジン (2021). VRは美術館にいかにインストールされるか?(事例紹介記事) .
• 【3】 @RAIN (2024). VRアート:技術と表現が織りなす新たな芸術世界(ブログ記事) .
• 【25】 Patterson, K. (2014). World Skin by Maurice Benayoun (1997) (オンライン記事).
• その他参考:Wilson, S. (2002). Information Arts: Intersections of Art, Science, and Technology. Cambridge, MA: MIT Press. (ベナユン作品に関する言及あり)