メタバースの源流:技術・概念・文化の視点から
はじめに
メタバースという概念は、一般には1992年のSF小説『スノウ・クラッシュ』でニール・スティーブンスンが造語した用語として知られている。同作ではインターネットの後継となる没入型の仮想世界「メタバース」が描かれ、ユーザは「アバター」と呼ばれる分身で活動する。しかし、その技術的・概念的・文化的源流はこの造語以前の数十年にわたり蓄積されてきた。本稿では、メタバース的世界の起源を探るため、初期の仮想現実技術のビジョン、ハイパーテキストやサイバースペースなどの概念的背景、SF作品からの影響、そして1980~90年代の商業的・芸術的な多人称参加型仮想世界の実験例を、専門的観点から整理・分析する。特に、「メタバース」という言葉が登場する以前から存在した多人称参加型仮想世界、ネットワーク化された空間、アバターによる自己表象、および仮想世界と現実社会との文化的接続といったテーマに焦点を当て、その歴史的な展開を明らかにする。
初期の没入型コンピュータ空間のビジョン
メタバースの技術的源流の一つとして、コンピュータによる没入型空間のビジョンが1960年代以降に提唱されている。計算機科学者アイバン・サザランドは1965年の論考「The Ultimate Display」において、究極のディスプレイとは「コンピュータが物質の存在を制御できる部屋」であり、その中に表示された椅子は実際に座ることができ、手錠は手を拘束し、銃弾は致命的な力を持つだろうと述べた。この未来的構想は、のちの「ホロデッキ」(SFシリーズ『スタートレック』に登場する仮想空間装置)のような没入型仮想環境を予見していると評される。実際にサザランドは1968年、世界初のヘッドマウント型ディスプレイ「ダモクレスの剣」を製作し、ユーザの頭の動きに連動して3次元のワイヤーフレーム空間を表示する実験を行った。このような初期VR装置は技術的制約から大掛かりなものであったが、「現実と見紛う人工世界をコンピュータ内に作り出す」というメタバース的発想の原点といえる。
続いて1970年代、アメリカのコンピュータ・アーティストであるマイロン・クルーガーは、ヘッドセットやグローブなどを用いずに人間の身体動作を取り込んでインタラクティブな仮想空間を実現する試みを行った。彼の代表的プロジェクト「ビデオプレイス (Videoplace)」は、複数の利用者の姿をビデオカメラで撮影し、そのシルエット像をスクリーン上に表示することで、ユーザ同士が仮想物体を介して相互作用できる「人工現実 (Artificial Reality)」環境を作り出した。例えば、異なる部屋にいる2人のユーザはスクリーン上でお互いのシルエットを確認しながら、仮想的な物体を一緒に動かしたり、触れ合ったりすることが可能であった。クルーガーの実験では、スクリーン上でシルエット同士が接触すると思わず身を引いてしまう参加者もおり、視覚的フィードバックだけでも強い「存在感 (presence)」を生み出せることが示された。クルーガーは1983年に著書『人工現実 (Artificial Reality)』を出版し、こうした体験型コンピュータ環境の思想をまとめている。これは後の仮想現実 (VR) 技術やインタラクティブアートの先駆的理論として評価され、メタバースの技術的・概念的源流の一つとなった。
ハイパーテキストとサイバースペースの概念的背景
メタバース的な発想を支えた概念的源流として、ハイパーテキストとサイバースペースが挙げられる。ハイパーテキストとは、情報同士を電子的に結合し自在に行き来できる仕組みを指し、現代のウェブの基盤ともなっている概念である。その萌芽は1945年、ヴァネヴァー・ブッシュによる架空の情報機器「メメックス (Memex)」の構想まで遡る。ブッシュは「人々の知的記録を高速かつ柔軟に検索・関連づけできる机上装置」としてメメックスを描き 、人類の知的活動を強化するビジョンを提示した。これは電子計算機時代の到来を先取りしたものであり、後にテッド・ネルソンがこの着想を発展させて「ハイパーテキスト」(hypertext) や「ハイパーメディア」という用語を1965年に提唱する契機となった。ネルソンは著名なエッセイ「われわれは考えるべきことを考えたか? (As We May Think)」で提示されたブッシュの概念に触発され 、世界規模でテキストやメディアを相互参照・リンク可能な情報ネットワーク (プロジェクト Xanadu) を構想した。このハイパーテキストの思想は、サイバースペースやメタバースにおける「情報空間を自由に航行する」概念の下地となった。
一方、サイバースペースの概念は1980年代のSF文学で明確に形を取った。アメリカの作家ウィリアム・ギブスンは1984年の小説『ニューロマンサー』において、世界中のコンピュータのデータが集積された仮想空間「サイバースペース」を描写し、この語を一般化させた。作中でサイバースペースは「日常的に何十億もの合法的なオペレータが体験している合意幻覚…人類システムに属するあらゆるコンピュータの情報をグラフィック化した表現。想像を絶する複雑さで、精神の無空間に並べられた光の線列とデータの星団 」として描かれている。この有名な一節が示すように、ギブスンはネットワーク化された情報の集合体をあたかも物理的な宇宙空間のように捉え、人々がそこに意識をダイブさせて活動する未来像を提示した。ギブスン自身は「サイバースペース」という言葉について「それっぽい響きのする効果的な流行語に思えたので使った。自分にとって明確な意味があったわけではなく、何かを示唆するが実体はない言葉だ 」と後に語っている。しかしこの用語は瞬く間に現実世界のコンピュータネットワーク文化で使われるようになり、インターネット上の仮想空間全般を指す比喩として定着したと言える。実際、ギブスンは1982年の短編「燃えるクローム (Burning Chrome)」でも既にこの言葉を初出させており 、1980年代前半にはサイバースペースの着想を練り上げていた。
ギブスンと並び、ネットワーク仮想世界の概念を先取りした重要なSF作品にヴァーナー・ヴィンジの『真名 (True Names)』がある。1981年に発表されたこの中篇小説は、ハッカーたちが「その他の面 (Other Plane)」と呼ばれるコンピュータネットワーク上の仮想世界に潜入し、お互い“真名”(現実の正体)を隠して戦う物語である。『真名』はサイバースペースという言葉こそ使っていないものの、今日で言うVR空間とそこでのアイデンティティの問題を真正面から描き、後続のサイバーパンク作品や現実の技術者にも大きな影響を与えたと評価される。事実、同作はハッカー文化やインターネットの未来像に深く関与するコンピュータ科学者らによって高く支持され、2001年には技術論文集を付した特別版が刊行されている。このように、ハイパーテキストによる情報結合の思想と、サイバースペースとして描かれたネットワーク仮想世界のビジョンは、メタバース概念の概念的土台となった。
SFにおける仮想世界の原型
前節で触れたギブスンやヴィンジに加え、1990年代初頭のSFは直接的にメタバース像を形作った。中でもニール・スティーブンスンの小説『スノウ・クラッシュ』(1992年)は、メタバースという語そのものを創出し、その後の技術者や研究者に多大な着想を与えた。『スノウ・クラッシュ』におけるメタバースは、直径が地球を一周する長大な仮想都市「ストリート」を中心とする三次元空間であり、ユーザはターミナルやゴーグルを使ってその世界に入り込む。主人公のヒロ・プロタゴニストは現実では荒んだコンテナ暮らしだが、メタバース内では一流のハッカー兼侍として名を馳せ、高級不動産にアクセスできる特権的存在として描かれる。このようにメタバースは、貧しい現実から逃れ理想化された自己を演じられるサイバースペースとして提示されており、同時代の他のSFに見られるメタバース類似の仮想世界と比べても完成度の高いビジョンであった。スティーブンスンはこの作品で、仮想世界内での経済活動やハッキングバトル、ウイルスによる情報汚染など、仮想空間が人類社会に与えうる光と影を描き出している。『スノウ・クラッシュ』は発表当時こそフィクションであったが、その後のシリコンバレーにおいて技術者たちの共通言語となり、メタバースの「預言的」作品とみなされている。事実、Amazon創業者ジェフ・ベゾスをはじめ多くのIT起業家が同作に言及し、2021年にはFacebook社(現Meta社)が自社を「メタバース企業」へ転換すると宣言するなど 、現実のテクノロジー界がこのSFの予見に追いつきつつある状況さえ見られた。
他にも、映画分野では1982年のディズニー映画『トロン』が人間をコンピュータ内の電子世界に取り込む物語を描き、視覚的にはしょぼいながらも「サイバースペースにダイブする」コンセプトを大衆に示した早期例といえる。また1999年公開の映画『マトリックス』は、人類が仮想現実に囚われているというディストピアを映像化し、これも広義のメタバース的世界観として語られることがある。しかし『トロン』や『マトリックス』はメタバースの文化的背景に影響を与えたものの、多人称でネットワーク化された仮想世界という点では当時の実システムとは隔たりがあった。そこで次節では、実際に1980年代から90年代にかけて運用・体験された多人称参加型の仮想世界の歴史を概観する。
1980年代:多人称参加型仮想世界の誕生
1980年代には、インターネット以前の環境下で多人称参加型の仮想世界が誕生している。草分けとなったのは、テキストベースのマルチユーザダンジョン(MUD)である。最初のMUDは1978年、イギリス・エセックス大学の学生ロイ・トラブショウとリチャード・バートルによって大型計算機上に開発された。MUD1と呼ばれたこのシステムでは、複数のユーザが同時にログインし、文書で記述された地下迷宮の世界を探検しつつチャットなどで交流できるようになっていた。以降、1980年代を通じてMUDの派生系が大学ネットワークやパソコン通信で広まり、疑似的なファンタジー世界やSF世界を共有するオンライン・コミュニティが各地で出現した。これらテキスト主体の仮想世界では、ユーザはコマンド操作で行動し、自分のキャラクターになりきってロールプレイングや会話を楽しんだ。視覚的要素こそないものの、多人数が同じ「サイバースペース」に集い相互作用するという点で、MUDはメタバース実現への初期ステップと位置づけられる。実際、MUDコミュニティ内では独自の文化や規範が育ち、後述するグラフィカル仮想世界の社会実験に先行する知見が蓄積された。
1980年代半ばになると、技術の進歩とパソコン通信の発達に伴い、グラフィカルな多人称仮想世界が実現し始める。その嚆矢となったのがルーカスフィルム社のHabitatである。Habitatはルーカスアーツのゲーム部門とQuantum Link(後のAOL)の協業で開発され、1986年に米国でパイロット運用が開始された。対応端末は当時普及していたコモドール64という8ビット家庭用パソコンであり、低速の電話回線モデム経由でサーバに接続する形態であった。制約の多い環境ではあったが、Habitatは世界初の大規模グラフィカル・オンラインコミュニティとして数千人規模のユーザを単一のサイバースペースに受け入れることに成功した。画面上にはリアルタイムに更新されるアニメ風の二頭身キャラクター(アバター)が表示され、ユーザは自らのアバターを操作して仮想世界を移動したり、他のアバターと会話やアイテム交換、戦闘など多彩な活動を行うことができた。Habitatの開発者チップ・モーニングスターとランディ・ファーマーは、「数千人のユーザが単一のサイバースペースを共有し相互作用する」ことを目標に掲げ 、その実現によって現代のMMORPGやメタバースの原型を提示したと言える。
Habitatにおける社会的経験は極めて豊富であった。その仮想社会では、ユーザ同士がゲームプレイのみならず恋愛・結婚・離婚、ビジネスの起業、宗教団体の設立、戦争と反戦運動、自治政府の試みなど現実さながらの出来事を次々と起こした。例えば、あるユーザは仮想教会を建立したが、礼拝堂の花を他のユーザに盗まれて質屋に売却される事件が相次いだため、開発者が教会の扉に鍵をかける措置を取ったという。また、暴力行為や盗難の横行に悩まされたコミュニティは自主的に保安官 (Sheriff) を選出し、秩序維持のルール策定について活発な議論が行われた。もっとも最終的な合意には至らないまま、Habitat自体は商業的採算の問題で1988年にサービス終了となった。だがその短い運用期間にもかかわらず、Habitatから得られた知見は多く、後年の開発者や社会学者に大きな示唆を与えたと報告されている。モーニングスターらは1990年の「サイバースペース国際会議」でHabitatの経験を発表し、論文「ルーカスフィルムのHabitatの教訓」にまとめた。そこでは「サイバースペースとは、それを構成する技術よりもむしろ参加者同士の相互作用によって定義される」という本質的教訓が示されている。この洞察は、後のメタバース研究においてもしばしば引用される重要な指摘である。
Habitatは技術的にもいくつかの画期性を持っていた。例えば、開発チームはユーザの画面上に表示されるキャラクターを「アバター (Avatar)」と呼称し、オンライン上の分身という現在まで続く用語を定着させた。モーニングスターとファーマーが「Avatar」という言葉をオンライン文脈で採用したのは1986年であり 、その語源はヒンドゥー教における神の化身だという。当時はプレイヤーが電話回線を介して「銀の糸」でゲーム世界に手を伸ばすイメージだったため、「プレイヤーという神が電話線を糸に人形(アバター)を操る」というコンセプトから発案したとファーマーは述懐している。この新語は当初コンピュータ雑誌の紹介記事で定義が説明され 、その後1992年にスティーブンスンの『スノウ・クラッシュ』が小説内で広めたことにより普及が加速した。なおスティーブンスンは自作のペーパーバック版において、Avatarの造語者としてモーニングスターとファーマーに謝辞を呈している。こうしたHabitat発の文化は、のちの仮想世界全般に受け継がれていった。
Habitat終了後も、その思想は別形態で存続した。1988年にはLucasfilmが運営費回収のため機能縮小版「Club Caribe」を発表し、さらに日本の富士通がライセンスを受けてパソコン通信サービス「富士通Habitat」(FHabitat)を1990年に開始した。これはHabitatの技術と世界観を受け継いだ日本版メタバースとも言うべき存在で、日本国内で当時一部のユーザに親しまれた。また米国でも1995年、富士通とElectric Communities社によってHabitatの流れを汲むWorldsAway(後にDreamscapeと改称)がCompuServe上でサービス開始され、アニメ風アバターとチャット中心の仮想世界を提供した。WorldsAwayでは各ユーザに専用アパート(「ターフ」)が与えられ家具などで内装を自由に飾れたほか、ユーザ商店による経済活動も見られた。このように、Habitatを原点とする多人称仮想世界は細々と受け継がれ、後の大規模3D世界につながる一系譜を形成した。
1990年代:商業的・芸術的仮想空間実験の広がり
1990年代に入ると、インターネットの普及とマルチメディア技術の発展により、グラフィカルな仮想世界が相次いで登場した。特に1994~1996年頃は第一次仮想世界ブームと呼べる状況で、多人数参加型の3D/2Dコミュニティ空間が商用サービスや研究プロジェクトとして数多く試みられた。
Worlds Chat(ワールズ・チャット)はその代表例で、1995年4月にWorlds Inc社(旧Knowledge Adventure Worlds)がリリースした3Dオンラインチャットである。Worlds Chatはインターネット上で広く利用可能になった初期の3Dアバター空間の一つであり、ユーザはWindows上の専用クライアントを用いてサイバースペース風の「宇宙ステーション」内にテレポートし、FPSゲーム『Doom』に似た3D一人称視点でルーム間を歩き回りながら会話できた。サービス開始当初、無料デモ版が配布され誰でも参加可能だったことも手伝い、Worlds Chatは当時のネットユーザに「3次元CGで他人と会える場」という新奇な体験を提供した。初期のWorlds Chatには20ほどのチャットルーム(宇宙ステーション内の部屋)が用意され、感情名を冠した「Sadness」「Glee」といった仮想空間も存在したという。その後、同社は発展版としてWorldsPlayer(別名 Worlds.com)を1998年に投入し、ボイスチャット機能やユーザが独自の世界を構築できる機能を追加した。Worlds Inc社のプラットフォームは細々と2020年代前半まで存続したが 、商業的成功は限定的であった。しかしWorlds Chatが残した「3D空間でのアバター交流」というモデルは、その後も様々な仮想世界サービスのベースとなった。
Active Worldsもまた1995年に始まった先駆的3D仮想世界である。Active Worldsは当初「AlphaWorld」という名称でWorlds Inc社がWorlds Chatと並行して開発していたプロジェクトで、1995年6月に一般公開された際にActive Worldsと改称された。特徴はユーザ自身が仮想世界内にオブジェクトを配置し、土地を開拓できるビルド機能にあった。AlphaWorld(Active Worlds)の公開当時、その運営企業は巨額のベンチャー資金を投じたものの、1997年には資金難に陥り人員整理が行われた。その後、開発スタジオ「Circle of Fire」がアセットを買収し体制を立て直した末、1999年にはNASDAQに株式上場するまでに至っている。Active Worldsは商用的には大成功とは言えなかったものの、技術的には当時先進的だったVRML(後述)を利用したオープンプラットフォームであり、ユーザ生成コンテンツの可能性を示した点で重要である。またActive Worlds内のメイン世界「AlphaWorld」は広大な仮想土地がユーザによって建設され、一種の電子フロンティアとなった。そこでは有志による建築コンテストやコミュニティイベントが盛んに行われ、現代のメタバースプラットフォームに通じるユーザ主体の空間デザイン文化が育まれた。
同時期に登場したThe Palace(パレス)も興味深い事例である。The Palaceは2次元グラフィカルチャットシステムで、タイムワーナー・インタラクティブ社から1995年11月に公開された。ユーザは「パレスサーバー」と呼ばれる仮想の館にアクセスし、各部屋の背景画像の上で小さな画像アイコン(アバター)として他の参加者と対話する。各パレスは特定のテーマやコミュニティに沿ってユーザが自由に運営でき、背景画像やオブジェクト配置、ルール設定をカスタマイズ可能であった。The Palaceのアバターは初期状態では球形の黄色いスマイリーフェイスだが、ユーザは「プロップ (props)」と呼ばれる小さなビットマップパーツを組み合わせて好きな見た目を作成できた。1990年代後半には10代の若者を中心に「ドールズ (Dollz)」と称する着せ替え人形風の凝ったアバター文化が流行し 、自作アバターを競うファンコミュニティも勃興した。The Palaceはテキストチャットに吹き出しを採用するなどポップな演出が受け、最大で全世界に数百のパレスサーバーと数十万規模の登録ユーザを得たとされる。しかし2000年代に入りFlashチャットやSNSに押されて衰退し、公的サポートは終了した。それでもオープンソースのクライアントにより現在も有志運営のサーバーが存続しており、その意味でPalaceは早期のメタバース的文化を保持するレガシーな空間となっている。
テキスト時代からの発展系としては、MOO(MUD, Object-Oriented)にも触れておく必要がある。これは従来のMUDにオブジェクト指向拡張を加え、ユーザ自身が仮想世界内にオブジェクトや部屋をプログラミングして追加できるようにしたシステムである。代表例のLambdaMOOは1990年にPavel CurtisがXerox PARCで開発したもので、カリフォルニアの彼の自宅を模した家屋から始まるテキスト仮想世界だ。LambdaMOOはインターネット黎明期に大学や研究者の間で人気を博し、ユーザ数千人規模のオンライン社会を形成した。特徴は高度にユーザ自治的なコミュニティ運営で、参加者による議会システムや管理者選出が試みられた点にある。しかしLambdaMOOは有名な事件「バングルの一件 (The Bungle Affair)」に象徴されるように、仮想空間上のハラスメントや暴力といった社会問題にも直面した。ジュリアン・ディビベルは1993年、この事件を克明に記したエッセイ「サイバースペースにおけるレイプ (A Rape in Cyberspace)」を発表し、現実の法律の及ばない仮想社会で倫理と秩序をどう維持するかという難題を提起した。LambdaMOOコミュニティは議論の末に「世論投票による加害者の幽閉」という独自措置を講じ、以後も試行錯誤しながらユーザ民主制による運営を続けた。最終的に運営者のカーティス自身は1990年代後半に統治構想を放棄し、以後は最低限の介入のみ行うスタンスとなったが、LambdaMOOは現在まで世界最古のMOOコミュニティとしてボランティアにより維持され続けている。このようなテキスト系仮想世界で蓄積された社会実験の知見は、後年のグラフィカル世界に少なからず活かされた。例えば仮想世界におけるガバナンス、コミュニティガイドライン策定、ユーザの権利と安全といったテーマは、今日のメタバースプラットフォーム運営にも通底する課題であり、1980~90年代のMUD/MOOコミュニティが初めて直面したものであった。
1990年代後半には、インターネット標準化の動きの中で仮想世界関連の技術規格も策定された。その代表がVRML (Virtual Reality Modeling Language)である。VRMLは「3D版HTML」とも呼ばれ、ウェブページ上にプラットフォーム非依存で3次元オブジェクトやインタラクティブな仮想シーンを記述・共有するための言語として設計された。1994年の第1回WWW国際会議において、Mark PesceやTony Parisiらが中心となり最初の仕様案が発表され 、以後VRML1.0(1995年)および改良版VRML2.0/97(1997年)が策定された。VRMLファイル(拡張子.wrl)はテキスト形式で3Dシーンを表現し、リンクを介して他のVRMLワールドやウェブリソースにも飛べるため、メタバース的な「相互接続された仮想世界」の実現を目指したものだった。実際、先述のActive Worldsは初期にVRMLベースで実装されており、Blaxxun社などはいくつかのVRML対応多人数ワールドを開発している。しかし当時のインターネット接続はほとんどが低速なダイヤルアップ回線であり 、巨大な3Dデータを転送するVRMLワールドは表示に時間がかかって実用性に乏しかった。また共通規格ゆえの技術的限界もあり、各社は独自クライアントで特徴を打ち出す方向に流れたため、VRMLそのものは一般ユーザには広まらず専門用途のデータ交換フォーマットにとどまった。とはいえVRMLは「オープンなメタバース技術」を模索する先駆けであり、その後継規格X3Dや近年のWebXR/Web3Dの基盤概念を提供した点で意義が大きい。
仮想世界における文化と社会
以上見てきたように、メタバース的な仮想世界は技術面だけでなく、そこに集う人々の文化的・社会的営みによって形作られてきた。初期のHabitatから既に、人々は仮想空間内に現実社会の縮図とも言えるコミュニティを築き上げていた。そこでは結婚式や新聞発行といった文化活動が生まれ、盗難や暴力といった犯罪も発生し、自治政府の樹立という政治的試みまで行われた。こうした出来事は単なるゲーム上のイベントに留まらず、現実の参加者に喜怒哀楽や倫理的葛藤という「本物の経験」をもたらした。仮想世界における出来事が現実の心理や人間関係に影響を及ぼすことを、人々は次第に理解し始めたのである。LambdaMOOの事件に対する議論や、Habitatでの保安官選出の試みは、その端的な例であろう。これらは「仮想世界にも現実社会と同様の規範やルールが必要である」ことを突きつけた。そしてコミュニティ自身がそれを模索するプロセスそのものが、新たなデジタル文化の形成過程でもあった。
アバター(分身)の概念も、文化的観点で重要である。アバターは単なるキャラクターではなく、ユーザの自己を体現する存在だ。Habitat以来、仮想世界の住人たちは自らのアバターに名前や見た目を与え、しばしば現実とは異なる人格や創造性を表現してきた。The Palaceにおけるドールズ文化は、主に若年層の女性ユーザがピクセルアートでファッションやアイデンティティを競い合った現象であり 、従来の現実社会では得られない自己表現の場を提供した。また匿名性や仮想身体を介して他者と関わることで、ジェンダーや人種といった現実の属性から自由になれる半面、逆に偏見や差別が持ち込まれる場合もあった。例えばLambdaMOOでは、現実の性別とは異なるキャラクターを演じるユーザも多く存在し、そうと知らずに起きた人間関係のもつれが議論を呼ぶこともあった。こうした「誰もが好きな自分になれる」という解放と、「仮面の陰でのモラル低下」という危険性は、メタバース文化の二面性として当初から指摘されてきた。
さらに、仮想世界と現実社会の接続という視点では、文化イベントや経済活動の相互浸透も無視できない。Habitatではユーザ発の新聞が毎週発行され、仮想世界内外のニュースや物語が掲載されていた。これは現実のファンジン活動と仮想空間文化の融合例といえる。また後年の例になるが、1990年代末には仮想世界での結婚式が現実の法的結婚に結びつくケースや、仮想通貨が現実の金銭的価値を持って取引される事例(例えばUltima Onlineでのアイテム売買など)が現れ、物議を醸した。これらは今日のメタバースで語られる経済圏やリアル連携の原型とも言える現象である。
結局のところ、メタバースの源流に横たわる最大のテーマは「技術が創出した仮想環境の中で、人間がいかに社会と文化を営むか」という点にある。モーニングスターの言葉を借りれば、「サイバースペースを規定するのは技術そのものではなく、その中で生きる人々の相互作用」である。1980~90年代の大小さまざまな仮想世界で蓄積された成功と失敗の物語は、この教訓を繰り返し裏付けてきた。それらはメタバースの歴史における貴重な財産であり、現代にメタバースを構想・構築する上でも学ぶべき示唆を与えている。
おわりに
本稿では、メタバースの源流を技術・概念・文化の観点から辿り、主に英語圏の資料に基づいて考察した。アイバン・サザランドやマイロン・クルーガーによる没入型コンピュータ空間のビジョンは、仮想現実の技術的基礎と可能性を早くも提示していた。ハイパーテキストやサイバースペースの概念は、情報と空間を結び付ける発想を生み出し、ネットワーク上にもう一つの現実を構築する思想的下地となった。SF作品、とりわけ『ニューロマンサー』『スノウ・クラッシュ』『真名』といった作品群は、メタバース像を大衆文化と技術コミュニティ双方に浸透させ、その後の現実の技術開発を触発した。そしてLucasfilm Habitatに始まる1980~90年代の仮想世界実験は、ユーザが集うデジタル社会で何が起こりうるかを実証し、多くの教訓と文化を育んだ。
21世紀の現在、メタバースは改めて脚光を浴び、巨大IT企業からクリエイターコミュニティまで巻き込んだ次世代プラットフォーム論議の中心にある。しかし、その未来像を論じる上で忘れてはならないのは、メタバースは決してゼロから突然生まれた概念ではないという点である。そこには本稿で述べたような長い積み重ねが存在し、技術革新だけでなく人間社会の営みが幾度となく関与してきた。メタバースがもし「インターネットの次」に相当する革命となるならば、過去の成功例と失敗例から学ぶことが重要であろう。多人数参加型仮想世界を巡る数十年の知見は、仮想空間で人間らしい文化と社会を築くための指南書となり得る。モーニングスター&ファーマーのHabitat報告の結びにあるように、「技術ではなく人間こそが仮想世界を形作る」 のであり、メタバースの未来もまた、人間理解とコミュニティ醸成の上に開かれていくに違いない。
参考文献(References)
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• その他引用元: Wikipedia等のオンライン資料 および各種報道・記事。