ベル研究所におけるコンピュータ・アートの先駆者:マイケル・ノルの作品と実験
はじめに
コンピュータ技術が芸術表現に取り入れられ始めた1960年代初頭、アメリカのベル研究所(Bell Labs)はその革新的な舞台となった 。エンジニアであり芸術家でもあったマイケル・ノル(A. Michael Noll, 1939年生)は、この研究所で世界初期のデジタル・コンピュータ・アートを創始した人物である。ノルは1962年にコンピュータ・プログラムによって視覚的パターンを描画することに成功し、これが実質的な「コンピュータ・アート」の始まりと見なされている 。本稿では、ノルの主要な作品と実験について批評的に考察し、オプ・アートやバウハウス、抽象芸術といった芸術運動との関係性、コンピュータによる芸術創造の理論的背景、同時代のアーティスト(フリーダー・ナケ、ゲオルク・ニース、ハロルド・コーエンら)との比較、さらにベル研究所という実験環境の意義について論じる。文章は学術的な論文調でまとめる。
ノルの主要作品とその分析
図1: マイケル・ノル《Gaussian-Quadratic》(1963年)(1965年にプリント)ノルの代表的作品の一つ『Gaussian-Quadratic』は、数学的アルゴリズムと乱数を組み合わせて生成された初期のコンピュータ・アートである 。この作品では、水平方向の座標を疑似乱数のガウス分布から、垂直方向の座標を二次方程式(クアドラティック)から計算し、得られた線分を次々とプロッタで描画している 。縦方向の値が一定範囲を超えると1024のモジュロで折り返し、再び下から上昇するようプログラムされており、その結果、複雑に絡み合った折れ線の束が生成された 。ノル自身、この像がキュビスム期のピカソの絵画『マ・ジョリ』(1911-12年)を想起させ、お気に入りの作品であると述べている 。ランダムさと数理的構造の融合によって生まれる抽象美は、当時の手作業では困難な高度な造形表現を可能にしたと言える。
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ノルのもう一つの代表作『Computer Composition with Lines』(1965年)は、オランダの抽象画家ピート・モンドリアンの作品とコンピュータ生成画像を比較する大胆な実験として知られる。ノルはランダムに配置した水平・垂直の黒線からなる画像をコンピュータで生成し、モンドリアンの抽象絵画《Composition with Lines (1917)》と並べて鑑賞者に提示した 。この実験では、多くの鑑賞者がコンピュータ生成の画像を「モンドリアンの作品」と信じ込み、元のモンドリアン作よりも好むという結果が得られた 。ノルのコンピュータ作品はEdmund Berkeley主催の1965年「コンピュータ・アート」コンテストで一等賞を獲得しており 、芸術創造におけるコンピュータの可能性を示す象徴的事例となった。これは美術版チューリング・テストとも称され、機械が人間の芸術家に匹敵する作品を生み出しうるかという哲学的問いを早くも提起したのである 。
芸術運動との関係:オプ・アート、バウハウス、抽象芸術
ノルの作品世界は、同時代あるいは先行する様々な芸術運動との共鳴を示している。特に顕著なのがオプ・アート(Op Art)との関係である。1960年代半ばに台頭したオプ・アートは、幾何学的パターンによる視覚的錯覚効果を追求したが、ノルもその潮流に刺激を受けていた。例えば彼の作品『Ninety Parallel Sinusoids with Linearly-Increasing Period』(1964年)は、イギリス人画家ブリジット・ライリーの代表作《カレント(Currents)》に触発され、平行する正弦波曲線をずらし配置することで動的なうねりを生み出したものである 。コンピュータによって精密に制御された波線が規則正しく変化する図像は、人間の手では困難な視覚効果を実現し、まさにコンピュータ時代のオプ・アートといえる 。
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図2: ノル《Ninety Parallel Sinusoids with Linearly-Increasing Period》(1964年) – 平行する正弦波を徐々に伸長させたパターンは、ブリジット・ライリーらのオプ・アート作品を想起させる 。ノルは「コンピュータという新たな芸術的パートナー」を得たと考え、FORTRAN言語で自作のサブルーチンを駆使して、このようなアルゴリズム美を追求した 。
一方、ノルの作品に流れる幾何学的・構成的な美学は、バウハウスやデ・ステイルの流れを汲む20世紀前半の抽象芸術とも通底している。直線と直交構図による構成(コンポジション)という点で、ノルがモンドリアンの作品を取り上げたこと自体がデ・ステイル的な幾何抽象へのオマージュであろう。バウハウス的な観点から見れば、ノルの試みは芸術とテクノロジーの統合という理念の先鋭的実践とも位置付けられる。バウハウスの教師モホリ=ナギは1920年代に既にライトモデュレーター等の機械的装置による芸術を試みたが、ノルはコンピュータという最新技術を用いてその精神を継承したと言える。さらに、ノルの『Gaussian-Quadratic』にピカソのキュビスム的要素を見出すことも可能であるように、彼のコンピュータ・アートは20世紀初頭の前衛芸術(抽象絵画やキュビスム)からの影響をデジタル手段で再解釈したものでもあった。こうした歴史的文脈において、ノルは過去の美術動向に対する理解と敬意を持ちながら、それらをコンピュータという新媒体で刷新する先駆者だったのである。
コンピュータ芸術の理論的・美学的背景
ノルの活動はまた、コンピュータを用いた創造行為の理論的・哲学的背景とも深く関わっている。1960年代当時、欧米では芸術の客観的評価や生成を数理的に捉えようとする試みが興っていた。ドイツの哲学者マックス・ベンゼは「情報美学(Information Aesthetics)」を提唱し、芸術作品を手続きと情報量の観点から分析・生成できると考えた 。ベンゼの下で学んだフリーダー・ナケやゲオルク・ニースらは、美を数学的に定式化することでコンピュータによる自動生成を正当化しようとしたのである 。ノル自身はベンゼから直接の影響を受けたわけではなかったとされるが 、彼の作品群もまたアルゴリズムによる美の探究という点で情報美学的議論と軌を一にしていた。実際、ノルの初期作品は「数学的方程式と疑似乱数の組み合わせ」による生成と彼自身が述べており 、これは芸術表現を数学的規則(アルゴリズム)と確率論にもとづいて構築するアプローチであった。
さらに、ノルはコンピュータを用いた実験的美学の研究も行っている。前述のモンドリアン比較実験は、人間の審美的嗜好を定量的に測定しようとする心理学的試みであり、美学の科学的探究として画期的だった 。ノルは他にも、秩序とランダム性を組み合わせた画像を2次元およびステレオ3次元で見せてどちらが好まれるか調べる実験(1965-66年頃)や、疑似乱数の量を変化させた一連の画像への嗜好を測定する実験を行い、鑑賞者の美的選好が訓練の有無によらず各人で異なることなどを報告している 。これらはフェヒナー以来の実験美学の系譜にも位置づけられ、コンピュータを用いることで美の問題に新たな光を当てたと言えるだろう。
ノルの哲学的スタンスとして重要なのは、「コンピュータは芸術家にとって新しい創造的パートナーである」という考え方である 。彼は単に機械に作品を描かせるのではなく、アルゴリズムというプロセスを設計することで人間の創造性を拡張しようとした。コンピュータ・プログラムによって生み出される偶然性や複雑性は、芸術家自身の美意識と対話しうる存在となりうる。これは人間と機械のコラボレーションとも言うべき発想であり、のちのジェネレーティブ・アートやAIアートの理念を先取りするものであった。ノルの実践は、「創造とは人間固有のものか、それともアルゴリズムに内在し得るのか」という根源的な問いに対し、作品という形で示された一つの回答でもあった。
同時代のアーティストとの比較:ナケ、ニース、コーエン
マイケル・ノルと同じ1960年代にコンピュータ・アートの黎明期を築いた人物として、しばしば3Nと総称されるドイツのフリーダー・ナケ、ゲオルク・ニース が挙げられる。さらに少し遅れてイギリス出身のハロルド・コーエンも独自の方向からコンピュータ芸術に取り組んだ。ノルの業績を理解するために、彼らとの比較を概観しておきたい。
フリーダー・ナケ (Frieder Nake, 1938年生) は数学者でもあり、シュトゥットガルト工科大学在学中にマックス・ベンゼの情報美学思想に触れた 。ナケは1963年頃からプログラミングによる図形生成を始め、平面プロッタを用いて多くのドローイング作品を制作した。彼の作品《Hommage à Paul Klee》(1965年)や《ランダム行列》シリーズは、アルゴリズムによって抽象画家パウル・クレーの様式や数理的パターンを再解釈したもので、ノルのモンドリアン模倣と通じる発想である。ナケは1965年にシュトゥットガルトで開催された世界初期のコンピュータ・アート展「Computer-Grafik」に出品し、1966年にはノルと同様にComputers and Automation誌のアートコンテストで一等賞を得ている 。ナケの場合、理論的にはベンゼの枠組みに則って美の構造を分析・生成することに意識的であり、作品はしばしば数学的な厳密さと遊び心を併せ持つ点が特徴的である。
ゲオルク・ニース (Georg Nees, 1926–2016) はドイツの計算機科学者で、ナケと並び最初期にコンピュータ・グラフィックスによる美術作品を公開した人物である。ニースもシュトゥットガルトでベンゼの薫陶を受け、1965年2月に同地で開催された自身の個展「Computer-Grafik」が世界初のコンピュータ・アート展覧会となった 。ニースの作品はランダムな乱数系列によって図形要素(線や四角形など)を配置・変形する実験的なもので、例えば《Schotter(瓦礫)》(1965年)は整然と並んだ正方形が徐々にランダムさを増し崩れていく過程を描いた作品として有名である。ノルの『Gaussian-Quadratic』が秩序と乱調の動的バランスを示したように、ニースもまた秩序だった幾何構成を計算的に攪乱することで新たな造形美を探求したと言えよう。ノル、ナケ、ニースはいずれも1965年という同じ年に作品を公に示し始めたパイオニアの同世代であり、互いに独立しながらもコンピュータ・アートという未知の領域を切り拓いた点で共通している 。
ハロルド・コーエン (Harold Cohen, 1928–2016) はロンドン出身の画家で、少し遅れて1960年代末からコンピュータと関わり始めた。コーエンは渡米後、スタンフォード大学のAI研究に影響を受け、自ら絵を描くプログラム「AARON」の開発に着手する。1970年代に登場したAARONは人工知能による自律的な作画システムであり、抽象的なライン描画から徐々に具象的なシルエットや彩色へと発展していった 。コーエンのアプローチは、ノルやナケらの作品生成がもっぱら抽象的造形に焦点を当てていたのに対し、創造過程そのものをプログラム化しようというもので、より認知的・人工知能的な色彩が濃い。コーエンは美術家としての感性を持ちながらプログラミング言語を駆使し、人間の芸術行為をアルゴリズムでシミュレートするという大胆な試みに挑んだ。したがって、ノル=ナケ=ニースの世代が「アルゴリズムによる造形美の探究」だとすれば、コーエンは「アルゴリズムによる芸術家の創作プロセスの探究」とも位置づけられる。いずれにせよ、ハロルド・コーエンは1970年代以降のジェネレーティブ・アート/AIアートの隆盛を先駆けた存在であり、ノルら初期世代の成果に触発されつつ異なる方向性を切り開いた点で重要である。
ベル研究所という実験環境とその意義
マイケル・ノルの創作と研究が花開いたベル電話研究所(ニュージャージー州マレーヒル)は、1960年代当時、科学技術と芸術が交差する独特の環境であった。ベル研究所はAT&Tの研究開発部門として最先端のコンピュータ設備を擁し、巨大なメインフレーム計算機IBM 7090やストロンバーグ・カールソン社製の高速プロッタSC-4020を備えていた 。当時コンピュータは非常に高価で一般の芸術家には手の届かないものだったため、研究所という場でなければノルのような試みは不可能だった。実際、ノルは音声分析プロジェクトの一環でSC-4020プロッタを使う機会を得た際、その副産物として得られた図形の「乱れ」に着想を得て意図的にコンピュータ・アートの制作に乗り出したという 。このように研究目的の外で生まれた創造的実験にもかかわらず、ベル研の上層部は理解を示し、AT&T社内からの批判に対しても擁護したと伝えられる 。ウィリアム・ベイカー研究副所長やジョン・R・ピアース所長といった人物は、コンピュータ・アートやアニメーションの可能性を真剣に捉え、ノルたちの活動を支援した 。こうした寛容で先見的な企業研究所の文化が、コンピュータ・アートの黎明を支える大きな要因となった。
ベル研究所では、異分野の研究者同士の交流から新たな芸術的刺激が生まれた点も見逃せない。ノルと同僚のベラ・ユレズ(Béla Julesz)は視覚認知研究のためにランダム・ドット・ステレオグラムを制作していたが、そのパターンの美術的面白さがニューヨークのハワード・ワイズ画廊の目に留まり、ノルのコンピュータ・アート作品と併せて「Computer-Generated Pictures」展(1965年3月)として公開される運びとなった 。これはアメリカにおけるコンピュータ・アートの初公開展であり 、同年11月にはラスベガスで開かれた情報処理学会の大会(FJCC)でもノルのデジタル作品とM.メイソンのアナログ計算機アートが並んで展示された 。このように、ベル研発の作品は科学技術の文脈だけでなく美術界からも注目を集め始めたのである。さらに1966年には、ビデオ・アートの先駆者ナムジュン・パイクがベル研究所を訪れ、ノルやマックス・マシューズ(電子音楽の父)と交流し、デジタル技術による視覚芸術の可能性を探った 。ベル研の技術者ビリー・クルーヴァーは現代美術家たち(ジャン・ティンゲリーやロバート・ラウシェンバーグら)と協働し、1967年には「E.A.T.(芸術と技術の実験)」を立ち上げるなど、研究所内外でアートとテクノロジーの橋渡しが積極的に行われた。ノルの存在と成果は、こうした動きにおいて触媒的な役割を果たしたといえる。ベル研究所という場は単に道具立てを提供しただけでなく、技術革新と芸術探究が互いに刺激し合う創造的コミュニティそのものだったのである 。
結論
マイケル・ノルの作品と実験は、コンピュータ・アートの草創期において技術と芸術の交差点を切り拓いたものとして評価される。『Gaussian-Quadratic』や『Computer Composition with Lines』に代表される作品群は、アルゴリズムと乱数による新しい造形美を提示し、芸術創造のプロセスに計算機を介入させることの可能性と美学的意味を示した。その背後には、数理的美学や情報美学といった理論的潮流への共鳴があり、ノル自身も実験を通じて美の本質に迫ろうとする科学的好奇心を持ち合わせていた。ノルと同時代のナケ、ニース、そして後続のコーエンらとの比較から浮かび上がるのは、コンピュータ時代の芸術家たちがそれぞれの立場から「創造とは何か」「アートとテクノロジーは如何に融合し得るか」という問いに挑んだ姿である。中でもノルは、企業の研究所という特異な環境を活用しつつ、自らプログラムを書き、美術作品を生み出し、さらにその鑑賞実験まで行った点で極めて先駆的であった。ベル研究所の実験的風土に支えられたノルの活動は、後のデジタル芸術の発展に大きな影響を与え、現在のジェネレーティブ・アートやメディアアートの礎石の一つとなっている。コンピュータという新たな媒材を得て、人類の創造性はどこまで拡張し得るのか――マイケル・ノルの作品と実験は、今なお我々に創造と技術の未来を考えさせる貴重な遺産である。
参考資料
A. Michael Noll “Human or Machine: A Subjective Comparison of Piet Mondrian’s ‘Composition with Lines’ (1917) and a Computer-Generated Picture” (The Psychological Record, 1966)