デジタル・アート・マイル2025の開催:2024年との比較による考察
概要と背景
デジタル・アート・マイル(Digital Art Mile)は、アートバーゼル期間中にスイス・バーゼル市内で開催されるデジタルアートの新興アートフェアであり、2024年に初開催された。同イベントは伝統的な現代美術の巨大見本市であるアートバーゼルに呼応しつつ、デジタルアートの美学的探究と市場での位置付けを再考する場として企画されている。2025年の第2回開催ではアートフェア(ギャラリー出展)、キュレーションされた展示、そして公開カンファレンスという3本柱のプログラムが用意され、デジタルアートの過去・現在・未来を一望する野心的な内容となっている。本稿では2025年版の内容を前年2024年と比較し、キュレーションの方向性、注目すべきアーティストやギャラリー、展示される技術(NFT、AI、VR等)、会場構成やプログラムの変化、そして市場の期待と反応について批評的に考察する。
キュレーションの方向性:過去と未来の橋渡し
2024年(初回)のデジタル・アート・マイルは、NFTブーム後の「ポストNFT」時代におけるデジタルアートの新たな展示アプローチを模索する場であった。複数の会場(Rebgasse通り沿いのギャラリースペースや地下シネマなど)を活用し、単にスクリーンに映像を流すだけでない多面的な展示が試みられた。デジタルアート作品を「デジタル通貨に付随するものではあるが、それに定義されない美的対象」と位置付け直し、物理的な素材やインスタレーションと組み合わせることで、従来の美術界にも理解しやすいかたちで提示するキュレーションが行われた。例えば、ジェネラティブアート作品をプリントやタペストリーといった有形の形で展示したり、観客参加型のインタラクティブ作品を取り入れるなど、デジタルとフィジカルの融合が図られた。こうしたアプローチにより、デジタルアートの歴史性と物質性を強調し、単なるNFT=投機という先入観を越えた価値を示そうとしたのである。
一方、2025年のキュレーションではデジタルアートの歴史的文脈と最先端技術の対話がより明確に打ち出されている。具体的には、1960年代の初期コンピュータアートや歴史的な描画マシン(プロッター)といった「前史(prehistories)」に焦点を当て、それらが現代のジェネラティブアートやNFTアートに連なる系譜を示す試みである。ロンドンのメイヤー・ギャラリー(Mayor Gallery)は南米デジタルアートの父とも称されるブラジルのウォルデマール・コルデイロ(Waldemar Cordeiro)の作品を展示し、幾何学的抽象からコンピュータアートへ1968年に至った先駆的事例を紹介する。コルデイロの作品は現代ジェネラティブアートの参照点となっており、そのグローバルな広がりを歴史的に示すものでもある。このように2025年版では、デジタルアートの黎明期から現在までを俯瞰し、その多様な歴史と今後の可能性を併置するキュレーションが特徴となっている。
注目のアーティストとギャラリー
2024年には、NFTプラットフォーム主導の展示やデジタルアート専門ギャラリーが多数参加した。アートメタ(ArtMeta)社の呼びかけで、Objkt(テゾス系NFTマーケットプレイス)、MakersPlace、fx(hash) といった主要プラットフォームが各々独自にキュレーションした展示を持ち寄り、分野横断的なアーティストの作品を紹介した。オブジェクト(Objkt)のブースではキュレーターのキカ・ニコレラが、プラットフォーム出身の新鋭作家群と、ブラジルのデジタルアート先駆者アナリビア・コルデイロおよびレジーナ・シルベイラの歴史的作品を並列展示した。また、fx(hash)のスペースではジェネラティブ・アーティスト、アンドレアス・ラウの織物タペストリー作品と連動した音響・映像インスタレーションが披露されるなど、多彩な顔ぶれが揃った。加えてスイスの団体やギャラリーも参加し、Sigg Art FoundationのブースではAIやVRを駆使する作家(グレゴリー・シャトンスキー等)の作品が紹介されるなど、新技術と美術を横断する作家が取り上げられた。初回である2024年は総じて、ブロックチェーン発の新進作家とデジタルアート黎明期からの先駆者とを交錯させ、新旧のギャップを埋めるようなギャラリーラインナップであった。
2025年は、参加ギャラリー・プラットフォームが約11に拡大し、初参加組も数多く含まれる。まず前回に続きチューリヒ拠点のケイト・ヴァス・ギャラリー(Kate Vass Galerie)は、ナイジェリア人デジタルアーティストのオシナチ(Osinachi)の初期から最新までを網羅する個展「Iconoclast」を出展する予定である。オシナチはNFTアート界で注目を集め、アフリカ出身者として初めてサザビーズでNFT作品が競売に掛けられた作家でもあり、その鮮烈なデジタルペインティング表現が紹介される。またフランス発のNFTプラットフォームLaCollectionも参加し、ジェネラティブ・アートの旗手タイラー・ホッブス(代表作「Fidenza」)の新作シリーズを披露する。伝統的現代美術ギャラリーであるメイヤー・ギャラリー(ロンドン)は前述のコルデイロ生誕100周年記念展を手掛け、1960年代末にIBMコンピュータで制作された南米初期コンピュータアートの名作群を展示する。さらに、サンフランシスコ拠点の暗号芸術ギャラリーブライト・モーメンツ(Bright Moments)も加わり、ロボット工学やAI美術の進化をテーマとするグループ展「Automata」を展開する。加えてObjktは前年に続き出展し、キュレーターのアニカ・マイヤーによる「We Emotional Cyborgs: On Avatars and AI Agents」と題するグループ企画を実施する予定である。この企画ではアバターやAIエージェントが自己同一性や真実性の揺らぎに与える影響を問い直す内容であり、デジタル時代のアイデンティティ問題に切り込むものとなる。こうした顔ぶれを見ると、2025年はNFTプラットフォーム系と伝統ギャラリー系が混在し、地理的・文化的にも多様な作家(ヨーロッパ、アフリカ、北米、南米など)を取り上げることで、デジタルアートの国際性と包括性が一段と強調されていることが分かる。
展示技術とメディアの焦点
デジタル・アート・マイルで扱われる技術媒体も、この1年で深化・拡張している。2024年は、NFTアート(ブロックチェーン上のデジタル作品)が中心にありつつ、それを物理化・体験化する工夫が随所に見られた。多くの作品はスクリーン上のピクセルアートに留まらず、印刷物や布地、彫刻要素を伴って展示された。例えば、ジェネラティブアート作品を高精細プリントや織物として提示し、観客が直接購入・持ち帰れる形にする試みはその代表例である。実際、fx(hash)によるジェネラティブアートのキオスク(自動販売機)では、デジタル作品から生成した一点物のアートプリントが販売され大きな反響を呼んだ。またAR/VR的な要素やAIとの対話的インスタレーションも導入されており、Sigg Art Foundationの展示では人工知能やVR技術を用いた映像作品や写真が紹介されている。総じて2024年は、NFTやジェネラティブ・アートといった新領域の作品群を、物質性を持つインスタレーションやパフォーマンスと組み合わせ、鑑賞者にとって直感的に訴える展示技法が採用された。
2025年になると、展示技術のレンジはさらに拡がっている。まず目玉の一つが、1980年代に映像制作を革新したデジタル・ペインティング装置「Quantel Paintbox」の再登場である。今回の企画展「Paintboxed」は、このヴィンテージなデバイスを実際に動態保存し、現代のデジタルアーティスト(グラント・ユン、ブライアン・ブリンクマン、ジャスティン・アヴェルサーノ、イヴォナ・タウら)に操作させて新作を作らせるというユニークな試みである。生成された作品は物理的なライトボックス(発光パネル)として展示販売され、同時にテゾス・ブロックチェーン上でNFTとして発行される。これは過去の技術遺産と最新のNFT技術の融合と言え、デジタル制作ツールの歴史を顧みつつ現在のクリエイティブ表現につなげる意義を持つ。
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Quantel Paintbox
さらに2025年は、AI(人工知能)とロボット工学が大きなトレンドとして押し出されている。ヒューマノイドロボットや自律型AIエージェントが作品やパフォーマーとして登場する予定であり、機械による創造性や身体性の問いが提起される。例えばBright Momentsの企画「Automata」はロボットの進化やAIの創作をテーマに掲げ、人間と機械の関係性を芸術的に探求する。一方Objktの「We Emotional Cyborgs」展は、アバターやAIエージェントというバーチャル存在が我々のアイデンティティ感覚をいかに揺るがすかに焦点を当てており、ディープフェイクやメタバース時代の「真実」と「信頼」の問題に技術的側面から光を当てる。こうしたテーマ設定からは、2025年のデジタル・アート・マイルがデジタルアートを取り巻く最新テクノロジー(AI、ロボティクス、ブロックチェーン)と社会・文化的課題とを結び付けて論じようとしていることが読み取れる。
会場構成とプログラムの進化
会場は2024年・2025年ともにバーゼル市中心部の歴史地区Rebgasse周辺に設定されているが、その構成規模と演出には変化がみられる。2024年はRebgasse通り沿いの複数ギャラリースペース(例えばSpace31など)と地下映画館(Kult.Kino)を組み合わせて使用し、「1マイル」にわたる回遊型の小規模フェア空間を作り出した。この名称通り歴史的市街地を1マイルのデジタルアート回廊に変容させる試みは、都市空間とデジタルアート展示の融合として評価された。一方2025年も同じRebgasseでの開催だが、参加者の増加に伴い展示拠点の充実が図られている。歴史的建造物を含む複数の会場を連結し、前年以上に街全体を巻き込む展示動線が構築されるとみられる。無料公開のフェア形式で観客を惹きつけつつ、同時並行で専門家向けのカンファレンスを開催する二層構造も維持されている。
特筆すべきはカンファレンス・プログラムの拡充である。2024年にも地下シネマにてパネルディスカッションが行われ、デジタルアート市場やNFT、アートとテクノロジーを巡る議論が交わされたが、そのプログラムは2025年に一段と拡張された。2025年は会期中4日間にわたり日替わりで主要テーマを設定し、各界の専門家を招いた講演・討論が組織されている。例えば初日は「デジタルアート市場の現状」がテーマで、アルネット(Artnet)副社長のゾフィー・ノイエンドルフや批評家ケニー・シャクター、アーティストのタイラー・ホッブスらが登壇する。2日目は「美術館とデジタルアート」に焦点を当て、HEK(バーゼル電子芸術センター)館長ザビーネ・ヒンメルスバッハやホイットニー美術館デジタルアートキュレーターのクリスティアーネ・パウル、NFTアートでも知られる作家ケヴィン・アボッシュらが議論する。3日目は「企業コレクションとデジタル時代」と題し、BMWグループ文化部門トップのトーマス・ギルストやDesignboom編集長ソフィア・レッカ、UBSデジタルアートミュージアム館長ウルリッヒ・シュラウトなどが登壇、企業によるデジタルアート支援の在り方を探る。最終日は「ジェネラティブアートとAI時代の創造性」に焦点を当て、メディアアートの旗手的存在である映像作家ヒト・スタイヤルとコンセプチュアル・アーティストのサイモン・デニーが対談し、人間とAIの創作関係について論じる予定である。このように2025年のカンファレンスは、美術マーケット・公共文化機関・企業・アーティストという多角的な視座からデジタルアートを論じる場として設計されており、プログラムの質量ともに前年より充実していることが明らかである。
マーケットの期待と反応
デジタル・アート・マイルの創設と発展は、美術市場におけるデジタルアートの位置づけに変化が生じつつあることを示唆する。2024年当初、デジタルアートは依然としてアートバーゼル本体の周縁に置かれ、「グランド・メッセ(展示ホール)の外側」で細々と扱われる存在だった。NFTバブル期の過剰な投機や環境負荷への批判も相まって、大手アートフェアはNFT色の強いデジタル作品に慎重姿勢を見せていたのである。そうした中、テゾス財団の支援を受けたデジタル・アート・マイルという独立系サテライトイベントが誕生した意義は大きい。結果として2024年のマイルは、物理的には本会場から数街区離れた場所ながら、その内容の成熟度によって「一歩後退に見えたものが二歩前進となった」と評された。実際、展示の質と多様性は伝統的アート関係者にも好意的に受け止められ、アートバーゼル編集部長ジェニ・フルトンはジェネラティブアートのプリントを自ら購入し自宅に飾る意向を示すなど、旧来の美術界のキーパーソンがデジタル作品を積極的に評価する場面も見られた。案内役を務めた詩人でアーティストのサシャ・スタイルズも「デジタルアートが美術界において触覚的で現実的な存在となった」とその意義を強調している。また、当イベントにはセプティン・ギャラリーズのディレクターであるハンス=ウルリッヒ・オブリスト(現代美術キュレーションの世界的権威)が訪れるなど、著名キュレーターやコレクターの姿も確認され、市場関係者の注目度が高かったことが窺える。もっとも、参加アーティストの一人であるレアンダー・ヘルツォークは「いずれ主流になる兆しだが、ここはスイス、物事はゆっくり進む」と述べており、伝統的美術市場への統合にはなお時間を要するとの慎重な見方もあった。
2025年に向けては、こうした肯定的反応を受けてマーケットからの期待も一層高まっている。アートバーゼルと同時開催というタイミングと歴史地区というロケーション自体が、デジタルアートが既存アート経済の中で重要性を増している証左である。実際、「オーセンティシティ(真贋性)」「価値評価」「テクノロジーによる作者性」といった現代コレクションの核心問題がデジタルアートを通じて浮上しており、コレクターや美術館、市場プレーヤーがこれに強い関心を寄せ始めている。デジタル・アート・マイル2025はそうした問いに応答する形で企画されており、デジタルアートの美学的進化と商業的位置づけの双方を映し出す場となることを目指している。テゾス財団などWeb3業界の継続的な支援により、NFTマーケットは投機熱が落ち着いた後も一定の持続性を示しており、本イベントで発表される作品の一部は実際にNFTマーケットプレイス(Objkt等)を通じた販売が予定されている。加えて、歴史的デジタル作品の紹介や企業・美術館関係者の議論を通じて、デジタルアートの文化的価値と市場価値の再評価が進むことが期待される。こうした動きに対し、美術市場は慎重な様子見から徐々に前向きな姿勢へ転じつつあり、従来は周縁的存在だったデジタルアートが主要なアート経済圏に組み込まれる転機となる可能性が指摘されている。
結論
デジタル・アート・マイルの2024年から2025年への発展は、デジタルアート分野の成熟とその美術界における定位の変化を如実に物語っている。初年度はNFT以降の混乱期にあってデジタルアートの存在意義を再定義する実験の場であり、物理的展示手法や歴史的文脈づけによって一定の成功を収めた。2年目の2025年版ではその路線を発展させ、歴史の検証と未来展望を同時に提示することで、美術史におけるデジタルアートの位置を確固たるものとしようという意図が見て取れる。また、市場面でもアートバーゼル来訪者や国際ギャラリーの関心を集め、デジタルアート専門フェアが文化的にも商業的にも一定の信頼性を獲得し始めたことが示唆される。もっとも、この潮流は始まったばかりであり、伝統的アートワールドとの融合にはなお時間が必要との指摘もある。デジタル・アート・マイルは、そうした過渡期における貴重な実践の場として、テクノロジーとアートの接点における批評的対話を促進している。今後この試みが継続・拡大することで、デジタルアートの制度的評価や市場環境がどのように変容していくのか、引き続き注視する必要があるだろう。
以上のように、デジタル・アート・マイルは単なる展示会ではなく、美術批評的な問いを孕んだ文化的プラットフォームへと成長しつつある。その意味で、2024年と2025年の比較を通じて見えてくるのは、デジタルアートが「一過性の流行」から「美術史・美術市場の対話相手」へ脱皮し始めた姿にほかならない。