ガンビアーラの技芸――メディア芸術・修理文化・南のテクノロジー論
ブラジルには「ガンビアーラ (gambiarra)」と呼ばれる独特の即興的作法が存在する。これは、同国を含む第三世界の多くの地域で見られる、資源や知識の不足を創意工夫で補う文化的慣習である。ガンビアーラとは、本来必要な道具・部品・材料・知識が手元にない状況下で、手近にあるものを用いて問題を解決する即席の工夫全般を指す概念であり 、役に立たなくなった物品に創造的な手を加えて新たな価値を与える「日常のイノベーション」であるとも評されている。例えば、テレビの受信状態を良くするためアンテナに金属たわしを巻きつける、切れたサンダルの鼻緒をクリップで留めて応急処置する、といった日常的な小発明が典型例として挙げられる。この実践はブラジル社会に広く浸透し、“ブラジルらしさ”の体現と見なされるほど伝統的なものであり(しばしば「ブラジル流のやり方(jeitinho brasileiro)」と混同されることもあるが、それとは異なる)。
ガンビアーラは当初、日常生活の問題を解決するための応急的な策として認識されてきた。しかしその発想はより広範な文脈にも適用可能である。現代では、ソフトウェア開発における非公式なバグ修正から、美術(ファインアート)に至るまで、様々な領域でこの即興の論理が見出される。特にメディアアートの分野では、高度な技術とインタラクティブ性への過剰な要求への反動として、不安定だが感覚に訴える工作的手法が積極的に取り入れられつつある。それは完成度の高い洗練された美よりも、あえて粗野で未完成なプロセスを見せることで観者の官能性や参与を促す試みである。元来は資源の欠如に対処するための知恵であったガンビアーラは、こうして創造性の象徴として再評価され、ブラジル文化のアイデンティティの一部となるとともに、新たな芸術的・社会的表現の源泉として注目されるようになっている。
ガンビオロジアの実践と代表例
「ガンビオロジア (gambiologia)」とは、ガンビアーラ的発想をテクノロジーと芸術の文脈で体系化し、創作実践へと昇華しようとする試みである。その語源的意味から「ガンビアーラ学(makeshiftology)」とも表現され、創造的即興術を研究・実践する一種の“科学”として電子技術と結びつけられている。同時にガンビオロジアは、それ自体がアーティスト集団の名称でもある。フレッド・パウリーノ、ルーカス・マフラ、パウロ・エンリケ・“ガンソ”・ペソアの3名から成るこのColetivo Gambiologia(ガンビオロジア集団)は、即興の技芸とDIY文化、電子テクノロジーとを融合し、身近な機材で独創的な電子工作物を生み出している。彼らの活動はローカルな民衆文化の延長上にハッカー精神を投影したものであり、日用品に異機能を与えたり異なる部品同士を繋ぎ合わせたりすることで「不格好だが効果的な一体」を作り出す、いわばオブジェクトに対するハッキングを提案するものだ。そうした姿勢はブラジルのフォークロア的創造性と深く結びついている。
ガンビオロジアの代表的な成果として、2010年にブラジル・ベロオリゾンテで開催された展覧会「ガンビオーロゴス2010 (Gambiólogos 2010)」が挙げられる。ガンビオロジア集団の中心であるパウリーノ自らが企画・キュレーションしたこの展覧会には、ブラジル国内外から20名以上のアーティストが参加し、そのテーマは「デジタル時代における即席術(Kludging in a Digital Era)」と銘打たれた。展示された作品群は、電子技術と多分野にわたる即興的手法を駆使して、廃品や身近な素材を改変・再発明したオブジェやインスタレーションで構成されている。すなわち、適切な部品がない状況で手に入る素材を組み合わせ、新たな機能を引き出す「テクノロジカル・ガンビアーラ(technological gambiarra)」の概念が作品制作の核となった。パウリーノらガンビオロジア集団自身を含め、参加作家たちは皆それぞれの手法で低コストかつ自発的な創造性を発揮し、「問題解決のために代替的手段で物事を作り変える」というブラジル発の美学を提示したのである。
この展覧会で発表された作品には、多様なアプローチが見られたが、いずれも低技術な素材や中古部品を組み合わせて新たな機能や美的効果を生み出す点で共通していた。例えば、サンパウロ出身のベテラン作家グト・ラカズの作品《Furadeiras(ドリル)》は、手動式ドリルと電動ドリルという異なる世代の工具を一本の軸で連結した非常にシンプルだが示唆的な作品である。互いに逆向きに繋がれた旧式ドリルと最新ドリルは空回りを続けるほかなく、この「異世代ドリルの奇妙な出会い」は技術進歩の自己循環性や計画的陳腐化への風刺となっている。すなわち、低技術(ローテク)と高技術(ハイテク)が文字通り噛み合わないまま無限ループに陥る様を示しつつ、それでもなお旧式と新式のツールが協調的に共存し得ることをアイロニカルに提示している。
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Guto Lacaz - Furadeiras
一方、ガンビオロジア集団自身による作品《ガンビオシクロ (Gambiociclo)》は、「マルチメディア移動放送ユニット」と称する三輪自転車型の装置で、公共空間に映像やデジタル・グラフィティを投影する移動式インスタレーションである。この乗り物は、ブラジル各地で物売りや政治宣伝に使われる手押し式屋台から着想を得て設計されており、電子アートとグラフィティ、そして多数のガンビアーラ的装置を組み合わせたパフォーマンス作品として制作された。強い「ブラジル的アクセント」を帯びたこの装置は都市の路上で人々との対話を生み出すことを意図しており、実際に展示空間の外に持ち出して使用された際には、デジタル技術による落書きや映像投影に不慣れな通行人たちが驚きつつも強い親近感を示し、自ら進んで装置に触れたり写真を撮ったり乗り込んだりする姿が見られたという。ガンビオシクロに人々が直感的な愛着を抱いたのは、この作品が地元に根ざした即興の美学を体現しており、誰もが子供の頃から慣れ親しんできた「日常的な工作」の感覚を呼び覚ましたためだと指摘されている。なおガンビオシクロは2011年のアルス・エレクトロニカ国際フェスティバルで栄誉賞(Honorary Mention)を受賞しており 、ガンビアーラ的発明が国際的デジタルアートの舞台でも評価されつつあることを示す。
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興味深い例としては、展覧会準備段階で生まれた即興作品も挙げられる。招待作家パウロ・ワイスベルグは、当初この展覧会の舞台美術を担当する予定であったが、提供された中古ディスプレイと映像素材を利用して開幕直前に急遽インスタレーション作品《Eles Estão Vivos(「彼らは生きている」の意)》を作り上げた。幾台もの旧式モニターに瞬きをする人間の巨大な眼の映像を映し出したこの作品は、廃棄されるはずだった機械に文字通り「命を吹き込む」ことで、リサイクルを超えた再創造(re-creating)の可能性を示したものとなった。同時に、展示会場で不要機材が思いがけないアートへと即興的に生まれ変わったこのエピソード自体が、展覧会全体に貫かれていた自発性と創造精神を象徴している。
ガンビアーラ的実践のメディアアートへの影響
ガンビアーラ的な手法は、メディアアートの領域にも新たな影響と潮流をもたらした。前述の「ガンビオーロゴス2010」は、デジタル技術を用いるアート表現にガンビアーラの美学を取り入れた先駆的事例であり、ブラジル現代アートの一部で低技術の即興性を資源とする動向が台頭していることを示した。同展は公式な美術館ではなくオルタナティブな文化空間で開催されたが、それはブラジルにおいて「現代美術」と「デジタルアート」が交わる機会が稀であり、既成の文脈に収まらない実験的試みだったためである。キュレーターのパウリーノは、作品をその形態や制作方法・素材によって編成し、デジタル文化と即席工作の実践に直接結びつけるという意図的な方針を採った。このようにして、ガンビアーラ的な発想が従来別個に扱われていたデジタルアートと現代美術の領域を横断し、新たな表現の場を開拓したのである。
その後、ガンビアーラ的美学の浸透は着実に進み、2014年にはベロオリゾンテ市の文化施設Oi Futuroにて第2回展覧会「ガンビオーロゴス2.0」が開催された。この第二弾の企画では、ガンビアーラ的実践がもたらす芸術表現上の示唆が三つのテーマに整理されている。
電子芸術における即興性の重視(メディアアート作品に敢えて低技術・不安定な手法を採用し、それ自体を形式上の選択肢とすること)
廃棄物の集積による「収集(コレクション)」概念の再考(今日の世界にあふれる過剰な廃棄物を素材として蓄積・再利用し、創作の資源とすること)
美術における大衆文化・手工芸の影響の受容(ファインアートの文脈にポピュラーカルチャーやクラフト的要素を取り込み、その影響を積極的に認めることの是非)
これらの観点は、それまでのメディアアートにおいて十分に意識化されてこなかった切り口であり、ガンビアーラ的な即興・修繕・雑多な美学が芸術の文脈で formal に論じられる段階に達したことを示している。実際、Gambiólogos 2.0展ではブラジルのみならず海外からのアーティストも数多く参加し、ガンビアーラ的発想をキーワードにグローバルな議論が行いうる土壌が築かれた。パウリーノは「多くの創作者たちが自覚しないまま実質的に“ガンビオロジスト(ガンビアーラ実践者)”となっている」と語り 、ガンビアーラ的な創作哲学がブラジル国内に留まらず世界各地で共有されつつあることを示唆している。このように、「その場にあるもので何とかする」という作法はメディアアートの新潮流として国際的にも認知され始めている。
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修理・即興・応急接続の再評価
ガンビアーラの根底にある「壊れたものを直す」「あるものを組み合わせて代用する」という態度は、現在、社会的・美学的に再評価を受けている。大量生産・大量消費の先進技術信奉への批判や、サステナビリティ(持続可能性)の観点から、修理することや即興で繋ぐことの価値が見直されているのである。ブラジルのメディア活動家フェリペ・フォンセカは「修理の文化 (repair culture)」という概念を提唱し、物を修繕・再利用・再目的化する行為そのものを技術文化の中核に据えるべきだと主張する。彼は、これこそが新奇性ばかりを追い求めがちな現代のメイカー文化に対する批判となり得ると指摘し、実際「新しいガジェットを生み出して称賛を得る」ことに囚われたモノづくり志向を転換すべきだと論じている。フォンセカによれば、物を修理し使い続けたり転用したりする行為は人類の長い歴史の中で培われてきた伝統であり、本来はごく当たり前に行われてきたものだったが、産業革命以降ごく最近になって社会的に忌避されるようになったに過ぎない。したがって修理という営みを放棄することは、日常の問題に対して無数に存在する解決策を見出す実践知の蓄積を失わせ、結局は「作り手」である一部のデザイナーと「使うだけ」の大多数の一般消費者という根本的な分断を生み出しかねない。創造性が私たちの日常生活から奪われ、専業の「メーカー」だけに委ねられてしまう未来に対し、彼は警鐘を鳴らしている。
こうした「修理の文化」は、単に懐古的な手仕事の推奨ではなく、有機農業や自然出産、アップサイクル、持続可能な移動、フェアトレード、デジタル・コモンズの擁護など、多様なオルタナティブ運動と結びついた包括的文化と位置づけられる。言い換えれば、修理文化は工業化社会が発達する中で生じた余剰的現象ではなく、人間の創造性がすべて市場原理によって商品化されてしまうことに抗する、一種の分散的かつ持続的な抵抗運動の核なのである。ガンビアーラ的な即興工作もまさにこの文脈に属する。実際、ガンビオロジアのパウリーノは、美術において「もはやApple製品のようなクリーンで洒落た美学にはうんざりだ、新品の電子機器にも飽き飽きした。だからこそ我々はリサイクルやリミックス――“古い”ものと“新しい”ものの概念自体を作り変えること――を楽しんでいるのだ」と述べており 、消費社会の画一的な新製品志向に対して廃材利用や再構成による美学的実践で応答する姿勢を明確に示している。メディアアートに限らずデザインや日常生活の領域でも、壊れたものを直し使い続けることや、手持ちのもので代用・接続して問題を切り抜ける創造力が、持続可能で人間的な営みとして再評価されていると言えるだろう。
グローバル・サウスの技術文化としてのガンビアーラ
ガンビアーラはまた、「グローバル・サウス(南半球)の技術文化」を語る上で重要な概念ともなっている。先進国が主導するハイテク開発とは異なり、南側の文脈では限られた資源を最大限に活用し、廃物に創造的価値を見出す技術観が育まれてきた。ブラジルでは2000年代初頭に、ガンビアーラの精神を社会開発に応用する草の根プロジェクトとしてメタヘシクラージェン (MetaReciclagem)が誕生した。この名称は「メタ再生」「再利用のその先」といった意味合いを持ち、同プロジェクトは捨てられ山積していた中古PCを回収・修理し、自由・オープンソースのソフトウェアを導入して再活用することでデジタル格差の是正や市民ネットワークの構築を目指した。発足当初、ブラジル各地の有志がインターネット上で繋がり、使われなくなったコンピュータに手を入れて蘇らせ、それらを持ち寄って独立した無線通信網を作るというサイバーパンク的な構想が掲げられた。実際に2000年代半ばにはブラジル各地に半ダースほどの自主運営ラボが生まれ、寄贈された古いPCを修理して何らかの用途に役立て、地域の社会プロジェクトや市民団体に提供するといった活動が展開された。メタヘシクラージェンはやがて「テクノロジーを社会変革のために批判的に活用する (critical appropriation of technologies for social change)」ための緩やかなネットワークであると定義づけられるようになり 、その方法論は場所や人を問わず誰もが採用し共有できる開かれたものとなった。実際、このネットワークから生まれた知見は行政の情報政策にも影響を与え、情報技術と社会に関する公共政策への提言にも寄与していったという。
メタヘシクラージェンの活動の背景には、ブラジルにおける伝統的な協働作業の精神と即興の智恵が横たわっている。同プロジェクトの発起人たちは後に、自分たちの行動は「ガンビアーラとムチラオン(mutirão)というブラジル文化の実践」に深く支えられていたと語っている。ムチラオンとは、例えば家族が増え家を増築する必要が生じた際などに、近隣や親戚や友人が集まって皆で労働力を提供し合い助け合うという伝統的な相互扶助のダイナミズムであり 、そうしたコミューナルな協働と、ガンビアーラ的な「足りないものは工夫で補う」即興力とが結びつくことで、テクノロジーを地域社会の文脈に適合させ再創造する独自のアプローチが形成されたのである。ここではテクノロジーは決して完成品として与えられるものではなく、状況に応じて作り替え可能な「ブラックボックスを開けて中身を書き換える」対象として捉えられている。それゆえグローバル企業の製品や中央集権的インフラに依存しなくとも、人々が身近に入手できる機器やオープンソース技術を用いて、自律分散的に情報環境を構築しうる可能性が示されたのである。
このような「南からの技術論」は、グローバル北側のイノベーション談義とは異なる価値観を内包している。先進国においては近年「メイカー文化」に代表される新たな産業革命の物語が喧伝され、プロトタイプ量産やスタートアップ的な未来志向が礼賛される傾向が強い。だがブラジルの論者からは「プロトタイプは本質的にガンビアーラ(即席の実用解)とは正反対のものだ」という指摘もなされている。プロトタイプ(試作品)は将来の大量生産製品の単なる予行演習であり、それ自体では不完全な「廃棄物」に過ぎない。一方でガンビアーラ的な工作は、今この場で役立つ具体的な解決策を生み出すことに主眼が置かれ、しかも複数の既製品を組み合わせ当初の目的とは異なる機能を発揮させるなど、創意によってモノに第二の生命を与える。持続可能性や本質的価値を模索する現代社会において、使い捨て前提の層状のプロトタイプを累積するよりも、ガンビアーラ的実践がもたらすものの方が多いという指摘は傾聴に値する。実際、極限状況においては周縁の即興力が決定的な強みとなり得るとの見解さえあり、ガンビアーラはグローバル・サウス発の技術文化として世界に逆転的な示唆を与えうるとも論じられている。モノを壊さず長く使い、不足を創意で乗り越える――南から生まれたこの技術文化のエートスは、現在の地球社会が直面する課題に対し、新たな価値観と創造的実践の可能性を示すものとなっている。
結論
ブラジル発祥のガンビアーラは、欠乏を母胎とした即興的問題解決の知恵から出発し、21世紀に入り芸術表現や技術論の領域へと射程を広げている。本稿で見てきたように、ガンビアーラ的な実践はガンビオロジアという形でメディアアートに影響を及ぼし、高度消費社会の美学への批評となる作品群を生み出した。その背景には、物を「作り替える/修理する」ことへの価値付与がある。それは新製品を崇拝するテクノロジー観へのアンチテーゼであり、創造性をエリートから大衆へ取り戻す民主化の営為でもある。グローバル・サウスの現場から培われたこの文化は、サステナビリティ志向やオープンテクノロジー運動と響き合いながら、グローバル時代におけるオルタナティブな技術観を提示している。ガンビアーラの思想は、単なる「ラテンの奇策」ではなく、人間がテクノロジーと関わる方法を再考する批評的枠組みである。それは過剰に洗練された未来像ではなく、足元の現実から創造性を掬い上げることで、新たな社会的・美的価値を紡ぎ出そうとする試みなのである。
参考文献(References):
1. Felipe Fonseca, “Gambiarra: Repair Culture,” Resilience, May 18, 2015 .
2. Fred Paulino, “Gambiologia, the science of apocalypse,” Medium, Oct 15, 2016 .
3. Regine Debatty, “Gambiologia, the Brazilian art and science of kludging,” We Make Money Not Art, July 16, 2011 .
4. Coletivo Gambiologia, Gambiólogos 2.0: A gambiarra nos tempos do digital(展示カタログ), Oi Futuro Belo Horizonte, 2014 5. Vazio S/A, “gambiologos / kludgeology” (Exhibition design statement for Gambiólogos 2.0), 2014 .