魚より漁法を伝えたい
成蹊大学の機関誌に「ZELKOVA」という冊子があって、年4回発行されております。そのZELKOVAの最新号、今年の2014年夏号にですね、とてもいい言葉が出ていました。「働く成蹊人」というページに「魚を与えて1日を養い、漁法(すなどり)を伝えて一生を養う。」とあります9。お腹が空いている人に魚をわたしても、その日はお腹が満たされるけれども、明日からやっぱり飢えてしまいます。もし漁法を、魚の捕り方を教えたらば、その漁法が身につけば、明日以降も教わった漁法を使って自分で魚を捕ることができます。つまり、一生を養うことができるわけですね。
教室は、教育は、学校は、そうあるべきと思っております。知識の伝授は、魚によって1日が養われたのと同じ程度の価値しかない。なぜなら知識というのは、常に過去の情報だからです。学生達は新しい未来を創っていくのであって、過去を知ることに価値はもちろんありますけれども、新たな社会、新たな人間関係、そして新たな付加価値を生み出していくための手法、スキル、方法論こそ学校で身につけるべきです。実際に使える力をこの学校で学生たちが身につけて、社会に出ていく。学校とはそういう場であるべきだと思うのです。
これは相対的な話ですので、知識の伝授ももちろん致しますが、それは手段であって目的ではない。ここでいう「漁法」とは法学部でいえば、法律を使って新たな契約をするとか人間関係を構築するとかビジネスをするといったスキルに該当します。その漁法を伝えることが我々教員の使命であり、教室はそれを実践する場であると考えています。ですから教室では、学生達が実際にスキルを身に付けるためのさまざまなアクティヴィティを現実に行うという発想で授業を運営しております。そしてそれは非ITで、ITを使わずにも充分にできることであり、ITを使うとそれをより実り多いものにできる、と考えるのです。
ちなみにこの格言というか箴言、もしご存知の方がいらっしゃったら、教えて頂きたいのですが、出典が分からない。出典が分からないものを使うというのは学者としては非常に心苦しい。ここにはこのNGOの理事長がおっしゃったと書いてあるのですが、その方が作った言葉ではなくて、古今東西色んなところで言われているのです。一説によると老子だ、と。しかし調べてみますと、老子は五千字しか残していなくて、五千字の中に魚という字は1回しか出てこない。その1回しか出てこない魚は、別のことを言っている。だから老子では無い。とかですね、色々調べたのですが、残念ながら出典が私はいまだに分かりません。だから、出典が分からない限りは本当はこれは講演で使いたくなかったんです。
しかし、成蹊大学のZELKOVAに載っていたので使わせて頂きました。もしも出典をご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えていただきたい。本当の出典が分かれば胸を張って引用ができる。私、実は著作権法が専門なので、他人の著作物を使うときは著作権法の32条に基づき引用したいですし、引用するには著作権法48条に「出所の明示」というのが義務付けられておりまして、出典を明示できないと使えないのです。ただし学校の教育の課程であれば教員はいろいろと使っていいという35条があるのですが、論文とかに引用ができないのです。ですので、もしご存知の方がいらっしゃったら、ぜひ出典をご教示いただければ嬉しく思います。
ちょうどお時間でございます。私が実際に行っている授業の方法論と、その背景にある思想をお話しをさせて頂きました。ご静聴いただきまして、どうもありがとうございました。
2014年10月15日武蔵野地域五大学共同講演会
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9) 島村隆一「働く成蹊人」, ZELKOVA, 2014年夏号, 17ページ