「授業は体育」を実践する方法
そうすると学生はどうですか。発言します。当然その前に考えます。私はその授業のプロセスで学生たちが声を出すためのウォーミングアップできるように工夫します。例えば条文を開いたら、教室内の全員で声を出して読みます。ここに六法があります。授業のとき例えば「私がこのカメラを学生に1万円で売るという契約をしましょう。」と言ったらば、民法555条の売買契約に該当するので、5条を全員で読むわけです。みんなで5条を開けて、「せーの」で「売買は、当事者の一方がある財産権を相手方に移転することを約し、相手方がこれに対してその代金を支払うことを約することによって、その効力を生ずる。」と全員で声に出して読むんです。
体育です。後ろの方に座って声を出さない学生もいますので、「体育ですよ」と繰り返し言う。だいたいみんな声に出して言うようになります。それから条文を書き写します。書き写してどうするかというと、私(shio)が学生にカメラを1万円で売るという売買契約に登場した、shio、学生、カメラなどを、書き写した条文に代入していくんです。条文に代入できれば、その条文に合致する、その規定をその事実関係に適用できる、ということがわかるのです。
ですから、毎回条文が出てくるたびにそうやって条文の読み方を教え、実際に行ってもらうことによって、学生達は常に何らかの作業を求められることになります。書く、考える、書き込む。書き込んだ結果を、200人、300人といった全員分、私自身が毎回確認することはできませんから、隣の学生同士で見せ合って確認してもらったり、内容によっては5人くらいで見せ合って、議論してもらうのです。ここの「これ」には何が入るんだろうね、などと議論するわけです。
ある程度議論してもらったら、私から質問します。「グループ内で見解が割れた部分はありますか?」と聞くんです。条文を見ながら進めましょうか。授業中もこうやって条文をデジタル黒板に表示するんです。もちろん学生達はみんな手元に六法を持っていますけれども、こうやって実際にデジタル黒板に表示できるんです。今日はこの話ですからね、表示した方がいいですね。条文。
そうして「この『売買は、当事者の一方がある財産権を相手方に移転することを約し、相手方がこれに対して......』にある『これ』という指示代名詞には何が入る?」と問う。そこが、ほとんどのグループで意見が割れて議論になるのです。みんな見解が違うんですね。「これ」は「カメラ」かな?「カメラを引渡すと約したこと」が入るのかな?あるいは「shio」が入るのかな?と議論します。そういう議論の時間をもったあと、それぞれグループごと個別に議論していますから、既にどの学生も何らかの意見を持っている状態になります。ですからそれを全体に言ってもらいます。いろんな意見が出ます。
そういうやりとりの中から、真理を発見していく。こういう授業をするわけです。つまり、教えるという行いは、この教壇から義を講ずる、知識を伝達する、情報を伝えるということではなくて、学生達が自分たちで解を発見できたと思えるような仕組みで運営をしていくというわけです。もちろん私の方から情報を伝達するという側面は多分にあります。演習的なものは先ほど言ったようにほとんど私がコミットメントしなくても学生達が自主的に進めていくことができるようになっていますが、大教室の授業はそうではない。私が、主体的に運営していきますので情報の伝達も当然いたします。しかしそれは、滔々と教え、伝える方法ではない。
このように「教える」プロセスも一般の講義とは違う。なぜなら、学生達が自分達で「学ぶ」、実際に身体の一部を動かして、自ら訓練をして、繰り返して、転んで、学んでいく、学び取っていく、体得していく。会得していく。そういう時間にするための教え方なのです。それを一言でいえば、「授業は体育だ」ということなのです。