講義はアドリブ
そういう私ですけれども実は、PowerPointもKeynoteも、大学の授業では全く使いません。大学外からご依頼いただくセミナーの講師をするときなどは使います。しかし、自分が100%運営できる大学の授業では、1998年に大学の教壇に立って以来、16年くらい、使っていません。
それは先ほど言ったような理由です。面白くないから。話の内容があらかじめ決まっていたり学生の手元にあったら、面白くない。
私は、大学の授業を学生達との対話で進めていきますから、どういう方向に話が展開するかは、自分でも予測がつかないんですね。もちろん、今日はこれとこれを伝えようという予定とか心づもりはあります。でも講義ノートは一切ありません。私が学部の学生の頃は、茶色くなった講義ノートをお持ちになって、滔々と語る大学の先生がいらっしゃいました。
私は講義ノートのような準備は一切なく、すべてアドリブで、その場で言葉を紡いで話をしています。今日も、何の用意もありません。あるのはこの画面だけです。学生との対話で講義を展開していくと、自分では予想できなかったようなところで学生がつまづくことがわかるのです。あるいは、想像しなかったような疑問を学生が抱くんだ、ということがわかる。
そうしたら、そこを理解してもらえるよう、その場で適切な例を考えたりたとえ話を作ったりします。民法の話をしている途中で憲法とか刑法の話に展開することも結構あります。学生が民法ルールと刑法のルールを混同している、ということが授業中に判明したら、そこはきちんと峻別できる
ようになるまで説明することが必要だからです。民法の前提となる憲法の理解が足りなかったら、それもやっぱり説明します。そうして1コマ終わってしまうこともある。つまり、「予定」していたことをこなすのではなくて、目の前の学生たちに今一番必要な情報を話し、理解してもらうことを最優先しているのです。
私はPowerPointもKeynoteも自分できちんと使えるし、実際、ものすごく面白い内容のものを作ります。便利ですしカッコいいのも分かっています。けれども自分の授業は一貫して従来型。黒板かホワイトボードを使って、チョークにまみれて、ホワイトボードのマーカーのインクを手にあちこち付けて、そういうカッコよくないやり方で、3年前の2011年までは行っていました。その理由は、PowerPointやKeynoteによる紙芝居方式では、従来のそれを使わなかった以上に興味を引く授業を、少なくとも私はできないからです。