展開する授業が面白い
ですからスライドを使うと、授業の中で私たち教員が学生に問いかけて、その学生との間でさまざまなやりとりをしながら話が発展し、膨らみ、予定していない方向に進展する、という可能性を削いでしまいます。あらかじめ、「今回のプレゼン、今回の講義は、こういう順番でこの話をする」ということをすべて決めておいて、それ通りに進めなければいけない。予定調和です。
プレゼンにはいろいろな目的があります。例えば、新製品の発表のようにたくさんの情報を一方的に正確に伝えることが目的なプレゼンはスライドを使うのがふさわしい。でも授業はそうではない。授業が面白くなくなる原因の一端は、スライドを使うことによってすべてあらかじめ決まってしまうというところにもあると思います。教員と学生とのリアルなやり取りから話が発展していく可能性が無いのです。
従来、大学の講義や講演でスライドが使われるようになる前から、小学校、中学校、高校といったあらゆる学校で「授業」が行われてきました。そこでは普通、黒板を使ってきました。あるいはホワイトボードです。
黒板もホワイトボードも、授業が始まる時はまっさらな状態です。何も書かれていない。そこから話が始まって、必要があれば黒板に書く。「ん?この言葉の漢字が分からないの?その漢字はこう書くんだよ。」などと、学生とやりとりしながら必要に応じて書く。その日の授業の梗概とかトピックの関係図などを書いたり、式をグラフを書いたりします。話をしながら話を補充する視覚情報を描く。そういった役割を黒板やホワイトボードは担っているのです。
だから板書は、授業の進展に従っていかようにも発展可能なように、まっさらな状態から始めるのです。予定調和ではない。あらかじめ決まっているわけではない。その場で、リアルタイムで話が進展して、発展していく。授業とはそういうものです。板書の内容も、その話に即して充実していく。
スライド全盛の時代になる前は、どんな方向に発展するか分からないという面白さとか期待感が授業にはあったはずなんです。でも最近のスライドを使った授業、あるいはプレゼンテイションでは、話があらかじめ決まっている。スライドもあらかじめ決まっている。