学生たちが「学ぶ」授業とは
しかし例外があるのです。何の授業だと思いますか?
(会場:先生の授業。)
私の授業ですか。ありがとうございます。確かにたぶん私の授業は例外だと今日は感じて頂けると嬉しいですけれども、もっと一般的に、例外あるんです。
(会場:演習?)
演習ですね。演習という授業あります。演習、ゼミ。おっしゃる通り、私のゼミなんかは、学生たちがどんどん議論を進めて、私の出る幕がほとんどない。なのですけれども、演習にもいろいろあります。多くのゼミでは大体毎週1人、報告者というのが当たっていて、その報告者の学生が前に出てしゃべる。話し手が教員から学生に替わっただけであって、実体は同じです。他の学生はただ聞いている。報告が終わって、教員が「なにか質問ある人いる?」と聞いても、教室内はシーンとしている。そこで教員がコメントして、おしまい。状況は同じなのです。名前は演習ですけれども、前に出て語る学生にとってはひとつの普段にはない経験ではありますが、教室の様子は同じです。私のゼミの学生が他のゼミに行くと、そういう経験をして、残念がっています。さあ、例外、何でしょう。
(会場:試験だ。)
試験! 試験ですね。確かに試験では教員はしゃべりませんね。おっしゃる通りですね。思いつきませんでした。どうもありがとうございます。では科目で言うとなにか例外があります。
(会場:語学。)
語学。いいですね。語学は学生達がやりますね。学生たちが実際にしゃべって書きます。他にはありますか?
(会場:体育。)
素晴らしい。そう、そう、体育です。体育の授業で、先生だけがずーっとしゃべる、あるいは先生だけがエクササイズをする、そして学生達はシーンと座ってずっと見学している、という授業、ありえないですよね。
小学校以来、大学でも体育がありますけれども、体育の授業で実際にエクササイズするのは学生です。生徒です、児童です。教員は、そのアドヴァイスをするとか、模範を見せるとか、課題出すとか、そういう役割です。教員はスキルを身につけるスキームを与えるわけです。理論を説明する時間もあるけれども、基本的には言葉よりも行動で示す。それを学生はまさに「真似て」、「学んで」、やってみるんです。
ほとんどの場合、教員よりは上手くできない。もっと上手くするにはどうしたらいいのかなと考える。工夫する。教員からアドヴァイスを受け、「あ、そこをもうちょっとこうするといいよ。」「あぁ、なるほど」というやりとりをして、習熟していくのです。