「正解の呪縛」からの解放
話を戻すと私は、ともかく学生達の発言を全部褒めます。それから、法律学においては「人が10人いたらば答えが10個ある」という価値観が大前提にある、ということを各授業の最初に伝えます。ともすると法律というのは、法的な紛争の法的な解が1個ボンッと存在するというイメージを持ちがちです。
特に学生達は人生経験が少ないですからそういうイメージを持ちます。18歳までの体験、大学受験までの体験が、「答えは1個」である、「正解はいつも1個」という世界で生きてきているからです。社会経験が豊富なみなさまは、そんなことない、社会に起こっている問題には色々な解決法がある、ということを熟知されていると思いますけれども、学生達はそうではないのです。絶対に正解が1個あるんだ、と思っているのです。
でも違う。法律問題の解は、10人いたら10個ある、といこうことを学生達に伝えます。信じません。いや、そんなはずはないだろう、とみんな半信半疑です。そこで「では、その法律問題を裁判所に訴えてみよう。裁判って何回できるの?」ときいてみる。基本は3回できます。地方裁判所、高等裁判所、最高裁判所で、法律の超プロである裁判官が3人とか5人か15人とかで合議して出す判決が、一審、二審、三審でまちまちです。つまり、法律の超プロが合議して出している結論であるのに、地方裁判所、高等裁判所、最高裁判所の結論はすべて異なる。あるいは、結論は共通であったとしても、そこに至るロジックが違う。全く同じであることはまず無いです。全部違います。
「行列のできる法律相談所」というテレビ番組、ご存知ですか。弁護士が4人出てきて、みんな違うことを言いますよね。どれが正解って、無いのです。ありません。法律問題の解に正解はないんです。存在しません。
ですから、それが最初に学生達に伝わり、かつ彼らがそれに納得すると自由を得ます。正解が1個あるとの思い込みを「正解の呪縛」と私は呼んでいます。大学受験までは正解が1個あるという世界でずっと生きてきた学生達が、社会はそうではないんだ、答えは沢山あるんだ、ということを知ると「正解の呪縛」から解放されます。「正解の呪縛」から自由になると、本当に柔軟な解がたくさん出ます。