プラグマティズムと記号学
Author : 笠松 幸一, 江川 晃
Journal : 本につき省略
preprint URL : 本につき省略
Date : Apr 14, 2026
Comment: 進藤稜真.icon パースの記号論勉強用。1,2章だけまとめる。
第1章 プラグマティズムと記号学
p.4
パース「人間の思考と認識は本質的に記号過程(semiosis)にある。私たちは何かものごとを考えるとき必ず記号を用いており、すべての思考は記号のうちにあり、したがって精神とは推論の法則に基づいて発展するところの記号過程である。」(『人間に備わっていると主張される諸能力に関する問い』, 1868)
探求(inquiry):「疑念」(doubt) から「信念」(belief)にいたる思考過程(努力)のことであり、その唯一の目的は信念を確定することにある。
疑念は信念へ到達しようとする不満足な状態。探究を生じさせる刺激であり直接的な動機でもある。
信念の形成とは、疑念という興奮状態を静め、私たちにある一定の「習慣」(habit)が成立することでもある。習慣は私たちに定着した行動の規則である。
信念が確定されるための具体的な4つの方法。
(1) 固執の方法:自己の主観的願望にかなうか否か
(2) 権威の方法:特定の共同体(社会)における権威を基準とする
(3) 先天的方法:人間に共通に備わっていると見なされる「理性」にかなうか否かを基準とする
(4) 科学の方法:すべての人が究極的な意見の一致に到達しうる方法。
パースの立場は、科学の方法こそが究極の実在(真理)に到達しうる、という実在論的立場に基づく。
この科学の方法が記号過程に設定される。これは、デカルト以来の近代哲学の方法(理性的直観による明晰判明な認識を基準として知識を求める方法)を批判克服する狙いがある。
探究の目的は信念の確定であり、これを実現するための方法、つまり観念を明晰にする方法をパースは提示した。
「私たちの思考を明晰にするには、その思考がいかなる習慣(行動の規則)を生み出すか、ということを明確に把握すればよい。」
「プラグマティズムの格率」:
「我々の概念の対象が、実際的な関わりがあると思われるどのような結果を及ぼすとわれわれが考えるか、ということを考察せよ。そのとき、このような結果についてのわれわれの概念がその対象についてのわれわれの概念のすべてである。」
つまり、私たちの概念は、行為と関係づけられることによって初めてその有意味性を持つことができる。
第2章:パースの記号学 -- 知識進化の記号学
p.19
パースの記号学の主題:記号過程を記号(sign)、対象(object)、解釈項(interpretant)の三つの項に分け、そこに成立する還元不可能な三項関係(triadic relation)を分析することにある。
パースの記号学の独創性:彼独自のカテゴリーを記号過程の三つの項に関連させて、記号の多様性を解明し、記号が担う知識進化の過程を明らかにした点。
p.20
1. 新カテゴリー表
パースは、人間は判断を論理的に分析することから、人間の認識が本質的に記号的にして推論的であることを主張。
カント「内容なき思考は空虚であり、概念なき直感は盲目である」として、感性と悟性との協働による認識の成立を主張した。
パースはカントのカテゴリー論を以下のように把握した。
「概念の機能は、感覚的印象の多様を統一へともたらすことであり、ある概念の妥当性とは、その概念の導入なしには意識内容を統一することが不可能であるということのうちにある。」
カテゴリーとは私たちの経験的認識(判断)の成立を可能にしてくれる範疇であり、判断する誰もが持つもの。
カントは、『純粋理性批判』において、私たちの経験的認識は命題の形をとる判断であると捉えた。アリストテレスの判断表をもとに、命題の論理学的分析からカテゴリー表を導出した。
パースは経験的認識を命題の形で捉えるという点ではカントの考えに従うが、経験的認識を可能にするカテゴリーは命題の一般形式「主語 - 繋辞 - 述語」という三つの項の関係から導出されると主張した。
五つのカテゴリー
パースのいう5つのカテゴリー
例:命題 "This stove is black" で考えてみる。
命題とは、ある質がある実体に結びつくことを示す
実体 (substance) : 命題の主語 "This stove" にあたる
質 (quality) : 命題の述語"black"に対応し、「実体がその存在へともたらされる判断という作用において、最初に必要とされる概念」
関係 (relation) :
表象 (representation) : 媒介的表象。解釈項への言及。
存在 (being) : 繋辞"is"であり、命題における主語と述語の結合により実体の感覚的多様を統一へともたらしている
対象(stove)に対する、質(blackness)の適用は、一つの独立した抽象(blackness)の具現を対象に結びつけること。
この独立した抽象を「根底(ground)」と呼び、質を「根底への言及(reference to a ground)」と呼ぶ。
いかにして質の認識がなされるのか?
「対照(contrast) そして一致(agreement)において、ある事物はある相関項(correlate)との関わりを得る。・・・根底への言及(質)という概念を導入する場合は、相関項への言及である。」
相関項(correlate):言及する対象(stove : 関係項)とは別の対象。
私たちは、ある質を他の質との対照または一致により認識する
これが次の「関係」というカテゴリーになる
パースは、相関項への言及は明らかに比較(comparison)によってなされると述べている
「比較」は「表象」と関わる。「比較」についてのパースの見解について確認する。
「pとb」の例
pを回転させてbに重ねたとき、我々は二つの文字のイメージ、それらの間を媒介する新しいイメージを作る
pが回転してbに符合するとき、そのpの回転のイメージが媒介的表象(解釈項)である。
比較は、この「媒介的表象」に依存し、この媒介的表象はあたかも通訳の役割を果たすゆえに、パースはそれを「解釈項」と名付けている。
進藤稜真.icon pを回転してbに重ねるそのイメージ(媒介的表象 = 解釈項)が「比較」を成立させる。ということ?
結局、「表象」のカテゴリーとはこの媒介的表象のことであり、「解釈項への言及」である。
この「表象」のカテゴリーにより、私たちは一つの記号(p)をもう一つの記号(b)として解釈することができる。
媒介的表象は比較をする際、表象の三項関係を可能にする。
ここに記号過程を認めることができる。
2. デカルト主義批判
4つの能力の否定
パースの認識論は、伝統的認識論にどのような位置を占めるか?
自我の理性的直観を持って哲学の第一原理とする立場を否定し、さらに理性が明晰かつ判明に認識するものは真理であるという第二原理も否定する
デカルトの直観主義を批判。「我思う、ゆえに我あり」という近代的自我の否定。
伝統的哲学者が人間に備わっているとする直観能力の存在を吟味、そして否定。
デカルト主義が認める四つの能力、それを直観主義として、以下のように否定する
(1) 私たちは内観の能力を持たない。内的世界に関するあらゆる知識は、外的事実からの推論により仮説的に導かれる
(2) 私たちは直感の能力を持たない。全ての認識は、以前の認識により論理的に限定される。
(3) 私たちは記号なしに考える能力を持たない。
(4) 私たちは絶対に認識不可能なものの概念を持たない。
p.25
内観・直感の否定
以上の四点に対するパースの論拠を見ていく。
(1)
デカルト主義者「内観において、私は内的世界の直観的知覚を意味する。」
この直観的知覚をパースは否定し、推論を強調する。
「赤さ」(redness)の感覚は、ある外的事実(例:トマト)の述語である「赤い」からの推論によって得られる故、ある感覚はある外的対象について述語的に規定することから把握される。
内的状態に関する知識もまた、デカルトが認めたような内観という直接的近くによらず、むしろ外的事実の知識から推論によって導かれる
(2)
デカルト主義者の直観について、次のように批判
「直観とは、同じ対象に関する以前の認識に限定されない認識を意味する」ものであり、推論を経ることのない直接的瞬間的認識である
パースは、この直観の存在を直接には問うことをせず、むしろ「与えられた認識が直観であるかどうかを私たちは直観的に知ることができるか」を問題にする。
しかし、我々が直観を持っていることの証拠は、我々に直観能力があるように感じること以外にはない、として批判する。つまり、直観的認識の存在を直観によって判定することはできない。
したがって、直観的認識の存在は推論によって証明されなければならない。
例:自己意識 (我々自身についての知識)
私たちが私たちが自己をいかにして知るのか?
パースによると、幼児ははじめ自己意識を持っていないが、成長と共にその子供は無知や誤謬を知ることになる。
そこで、無知や誤謬が生じるところの自我をお想定せざるを得なくなる。
人間は無知や誤謬の経験において自己の存在を推論するようになる。
つまり、デカルトのように直観的な自己意識の存在を設定する必要はない。
p.27
思考記号
(3)
私たちの思考は、「記号のうちにある思考」である。
内的な世界に関する知識は、外的事実からの推論によって認識される。
それ故に、認識されうる唯一の思考は記号のうちにある思考である。
進藤稜真.icon?
さらに、「すべての思考は他の思考に語りかけねばならず、他の思考を限定しなければならない、ということが記号の本質である。」
したがって、思考は他の思考の中で解釈されなければならないということが帰結する。
これは記号過程そのもの。
(4)
「絶対に認識不可能なもの」は経験の中に生ずることはできない。=いかなる概念も得られない。
ところで、言葉が意味を持つためには、その語が概念を持たなければならない。
したがって、概念を持たない「絶対に認識不可能なもの」は無意味。
「認識のかなたには、未知ではあるが可知的な実在がある」
現在時点では不可知、未知であっても、知識の進化発展とともに認識されるようになる。
p.28
3. セミオーシスと科学的探究
三項関係
パースの記号論は、「科学的探究」(= 実在の真なる表象を「科学的知性の共同体」において作り出す過程)と密接に結びつく。
パースは「実在」について次のように述べる
私たちが実在的なものの概念を初めて持つのは、非実在的なもの、虚妄を発見した時であり、私たちが自らの誤謬を訂正した時である。
「実在とは、情報や推論が遅かれ早かれ最終的にそれに帰着し、私やあなたの気まぐれから独立したものである」
したがって、実在という概念には、知識を明確に増大させることを可能にさせる「共同体」という概念が含まれており、実在は、この共同体の究極の決定に依存するものである。
パースは「セミオーシス」について以下のように述べている。
「記号(sign)ないし表意体(representation)とは、その対象(object)と呼ばれる第二のものとその解釈項(interpretant)と呼ばれる第三のものとを規定することができるように、真正な三項的(triadic)関係にある、第一のものである」
「その真正な形式で、第三次性(thirdness)は、記号、その対象、そして解釈する思考(interpreting thought)の間に現存する三項的関係である。また、それ自身、記号である解釈する思考は、記号たる容態を作るものとして考えられる。記号は解釈項である記号とその対象の間を媒介する。」
進藤稜真.icon 解釈項それ自体も思考であり、すなわち記号であると。
セミオーシスとは、記号それ自体、記号の対象、その解釈項における三項関係である。
例:森の中で「剥がされた皮」の木を見て、近くに鹿がいると思った場合
記号:剥がされた皮
対象:鹿の存在
解釈項:鹿が木の皮を剥ぐという思考
ここで、以下の二つの命題に着目する必要がある。
1. 鹿は木に「剥がされた皮」をつくる。
1の場合、「鹿」と「剥がされた皮」の関係は、あくまでも二項的(dyadic)因果関係の事実の記述。
2. 「剥がされた皮」は鹿の存在の記号である。
2の場合、「剥がされた皮」(記号)は私たちにある解釈項を生じさせる能力を有しており、1の事実は2の説明の部分として役立っている。
もし、1が示すような鹿の習性についての信念が修正されるならば、2の記号過程は成立し得ない。
したがって、記号解釈は記号-対象間の関係についての意識的反省、信念に依存している。
しかし同時に、このことは、記号の誤解釈の可能性を内包する。
したがって、記号過程においては、より妥当な解釈と根拠のないそれとが区別され、さまざまな解釈項が形成されて、やがては記号の正しい解釈に到達することになる。
進藤稜真.icon 圏論や
このようにして、記号は実在と私たちの認識を媒介することによって、科学的探究を可能にする。