『身体性認知とは何か』雑メモ
第1章
体は物質なんだけど、ただの「モノ」とは異なる
様々な出来事や性質がどのように現れるか
運動志向性
プラグマティズム
生物学の哲学の源流を持っている
生き物が環境の中でどうやって生き残っているかを人間にも当てはまる
行為を主体
生きるという過程に結びつく哲学
概念の意味はどのように使われるか
分析哲学の中での身体論
水槽の中の脳
どういう水槽が必要か?
脳髄液の循環
栄養補給
ホルモンとか内分泌系
代謝過程
結局、水槽が身体と同じじゃない?
:身体がいかに重要なのかを逆説的に説明する
反論もある:
地球上の認知を考えるとそうだけど、地球外などの考えられる意識を考えれば体は本当に必要なのか?
概念的な可能性を考えると、「可能的な意識」
再反論:それを意識と言えるか?
第2章:身体性認知のフィールド
Wilsonの6つの見方(分類)
身体性認知の個々の理論はこれらの主張のいくつかを強調し、それ以外を拒絶する
理論というよりは研究プログラムであって、関与し主題とするところはかなり不明瞭だ
Shapiroの定める3つの目標
ここまでのポイント:
身体性認知が包括する主題、論点、アプローチの幅広さに気づくこと
身体性認知の項目数を減らそうとすれば「身体性認知の新規性と目されるものが台無しにするくらい、一般化する危険性」
この本ではとりあえず、「4つのE」を取り上げて議論を進めていく
「4つのE」の間でも異なる説明が展開される
さらに、「4つのE」以外の説明もある(Ecologicalなど)
さらに、各Eの中でも統一的な見解はない (例えば、第一のEにおける「Embodied」では、弱い身体性認知 vs 強い身体性認知)
つまり、「身体性認知」と一口に言っても、あまりにもバラバラ
強いて共通点を挙げるならば、「認知における 脳-身体-環境 の関係を重要視する立場」と言える
オフライン認知とは:
頭の中で考える思考とか推論
環境と切れているという意味でオフライン
第6章:第四のE エナクティブ認知
事前に用意する質問:
①
・p.103, l1
・操作的閉包とは.. ただし、これは有機体が環境に対して因果的に閉じていることを意味するわけではない。
・むしろ、有機体は環境と構造的にカップリングされており、環境からエネルギーを引き出し、変化しつつある状況に適応するのである
とあるが、「第3のE 拡張性認知」では、
・p.85, l1
・統合は、身体による環境の能動的な操作によって引き出される循環的で因果的な結合、すなわち一種の能動的カップリングを前提とする
とある。
ここでいう「カップリング」の用語の使い方の違い。
構造的カップリングについて、再度確認したい。
能動邸カップリングとの違いとは?因果性を考慮する/しないりゆうとは?
②
p.103, l5~
・「生命と心の連続性」についての理解の確認
・適応性とは、安定して力動的な生存可能性を維持する上で、有機体が自己自身を調節する不安的なプロセスを含む
・環境と作動しつつ関与することは、基本的認知の形態と考えられる
・すなわち、環境の差異を登録することができるような、意味形成の一形態である。
・したがって、基本的認知は、有機体の環境への反応、あるいは環境との適応的なカップリングの仕方として定義される
・「自らの感覚運動的な観点から環境に出会い」ゆう意味とみなすものを産出する
・環世界、生活世界
③
p.107, l1~
・「感覚運動随伴性」についての理解の確認
・身体運動に関わらず、感覚運動のパターンは法則的な仕方で変化する
・⇒ 行為主体がそのような随伴性把握することが、知覚を構成するものの本質的な一部。
※ここでいう随伴性とは、「身体運動に法則的に感覚運動パターンが付いてくる」という理解でOK?
⇒ それゆえ、知覚主体が知覚するのは感覚過程と運動家庭のパターンを取り結ぶ関係の機能
例:眼球運動
例:頭を動かす
・知覚と行為のカップリング:随伴性が生じると予期⇒随伴性を「追跡」(予期通りに動いたか確認ってこと?)
例:頭を動かすと景色がどのように変化するかを(無意識的に)予期⇒行為⇒そのように動いた(整合していることを確認)。そうでなければサプライズ
p.105~
1.ダイナミカルな統合
感覚運動随伴性に関する夢の中の議論:随伴性からdependencyに変更
構成(constitute):因果的に何かを作る
すなわちの関係:
見えが変化しているということは、すなわち運動しているということなんだ
因果ではない。alva noeの表現で知識として知っているのではなく「技能」として
構成もactionとして使える
メカニズムだと因果になってしまわないか?
メカニズムも因果だけではない:構成と呼ぶ派閥がある(明確に因果とは呼ばない)
構成だと因果じゃない派閥もある
第6章 第2節 「表象なしで行う」
p.112, l8
「約束手形を所持するにとどまっている」
⇨ エナクティビズムの説明だけでは、実証はおろか、哲学的に十分に議論された説もないと言える
デネット「純粋にsensori-motor」から「我々の心」に至るまでに表彰が密輸入されている
表象の旨味:外界と切り離されていても、脳内に持てる
縮小(deflated):中身をスカスカにする
Foderの言うような、命題的表象が頭の中にある、と言うのは「行為」をどのように導くのかに答えられないことから
⇨ 行為志向表象
① 共変(covariance):外と内の1対1の関係。因果より弱い
②フィクション:表彰が持つのは意味論的なものというより、構文論的で形式的なもの(スティッチ)
③無内容:構文論的な性質を表象と見ましょうという立場
認知科学において複数の表象概念が稼働している
命題的なもの
運動制御に役立つ行為志向の最小の表象
など
内容のハードプロブレム:
表象のメカニズムがいかにして内容を備えるに至るか、世界の情報をいかに取り込み運搬するか、
志向性を自然化する必要がある
起源:ミリカンの目的論的な説明が有力?
乗り物によって運搬:表象がどのようにして用いられ、認知を実現するか?
いかにして問題となるのか:なぜそういった表象の問題が重要なのか
p.113
①なぜenactiveは表象を受け入れないか
②非表彰主義的でエナクティぶな説明とはどのようなものか
(立場としてはラディカルエナクティヴィズムの立場)
p.113
行為志向表象:
行為特定的であり、文脈依存的である
オンライン
環境とのフィジカルなつながり
意味論的にも重くなく、命題的でない
訳の間違いがある
p.114
自己中心的運動地図:
環境の中に埋め込まれた表象(Forder的な表象とは別のものになっている)
p.113では行為志向表象を行為特定的であり、文脈依存的と言っていたが、p.114では「」
個々の運動はもちろん力学的に記述できる
一方で、あらゆる行為に利用できるモデルとして未来の状態を代理する表彰
p.126 3 間主観性
エナクティブな観点からすると、間主観的な相互作用に関する考察は、単に社会的認知や他者理解に関連するだけの二次的または周辺的な問題ではない
むしろ、間主観的な意味形成において私たちが他者に関与する仕方も含め、広義の社会的認知に関する論点は、知覚・記憶・行為・問題解決などを理解するうえで本質的な関連性があると考えられている。
認知的アプローチ(Mind-Readingなど)とは対照的に、間主観的相互作用を完全に身体化された知覚的・運動的プロセスとして捉える
エナクティヴィストと発達研究
「一次的間主観性」
幼児は養育者とともに、情動性と行為の意図を反映する身体運動と表現を含む、双方向的、二人称的で、往来するやり取りに関与する
「間身体性」の一形態
運動的および運動感覚的に共鳴する仕方で他者を知覚することに基づく
幼児は生後二か月で他者の注意に合わせる
幼児は、「他者の発声とジェスチャーに(情動的かつ時間的に)合わせている」様に見える仕方で声を出し、身振り手振りをする
ミラーニューロンも、心的シミュレーションのミラーリングではなく、他者の運動意図を知覚すること、また、知覚された行為に対して後続する反応を具体的に準備することに付随する神経過程の一部として理解される
現象学的な心にて、ゴールドマンがシミュレーション説の根拠としてミラーニューロンを捉えるなら、行為を導く知覚としてなぜ捉えないのか
重要なのは、一次的間主観性を構成する相互作用が自動的な手続きではないということである
幼児は他者が自分に注意を向けているときだけ、その相手に対して反応する傾向がある
補足、反射のような自動的に生まれるものではなく、自ら能動的に働きかけて互いに形成するもの
サルトルの存在と無における、愛撫の例
「二次的間主観性」
文脈と社会的環境も寄与してくる
幼児が共同注意と共同行為に関与できるようになる時期であり、豊富な実践的および社会的な文脈の下で他者の行為の意味を把握し始める
二次的間主観性を定義する特徴は、対称または出来事が人と人の間で焦点となり得ることにある。対象と出来事はコミュニケーションの主題になりうるのである。
エナクティブな知覚がまずもって「行為のため」と理解できるとするなら、間主観的文脈における知覚はたいていの場合他者との相互行為のためである。
知覚に導かれる相互行為が社会的認知の原理となり、「参加的意味形成」のプロセスにおいて意味を想像する
認知主義アプローチとエナクティヴアプローチの違い
「理論説」
ご信念課題の実験を社会的認知における重大な発達的変化の証拠であるとしばしば主張する
三歳児および自閉症児は心の理論を獲得していないという。寄って四歳から心の理論モジュールが発達
エナクティヴ
ご信念課題は、他者の行動について観察者の立場に立つことを含め、三人称的理解の特殊な実践について判定するものに過ぎない
子供は相互行為をしていないのに、抽象的に答えを求められる
三歳児は、三人称的視点から特定するのは難しいが、典型的には実験車と関わるうえであらゆる種類の合図を拾い上げる
これらは、三歳児が実験者との間で実際に可能な身体的関与である
最近では、13ヵ月児が他者のご信念に対する感受性を示すことが分かっている
質問ではなく、行動指標を用いる
この成功は、心の理論モジュールが誤信念課題の実験から得られた想定時期よりも速く成熟するため、それとも、幼児が1念を通して現実の人間と相互作用してきたため?
得なくてぃびすとは、幼児による他者の行動の把握は、「社会的アフォーダンス(相互行為の可能性)」の知覚に依存すると主張。
それでは、なぜ4歳児が急激に誤信念課題をパスする?
一次的・二次的間主観性から、マインドリーディングに転換する?
そうではなく、一次的・二次的間主観性による相互行為は、私たちが他者に関与する一時的方法として存続し続ける
要因は、子供はコミュニケーション的でナラティブ的な能力を獲得し、他者に対してより容易に三人称的観点を取ることができるようになる
「ナラティブ実践仮説」:
私たちは他者との相互行為を通じてナラティブを形成するようになるのだから、ナラティブは相互行為から生じるというべきである。
四歳ごろになると、何らかの出来事について自分が知っていることと、他人が知っていることを対照させる
ナラティブ訓練は、誤信念課題の正解率向上に寄与する
一次的・二次的間主観性がナラティブと統合され、幼児は出現しつつあるナラティブ構造の内部で事物と人々を理解する準備が整う
(?)一律で発達する点については、どのような反論が言えるか?
ナラティブ実践は日常におけるやり取りも含める
どう思う?とか。
しかし、心理学ではあまり心の理論におけるナラティブ実践はあまりインパクトがない
となると、他者理解は学習されるもの?
全部学習されるというより、他者理解は拡張されるもの
4. 意味形成(Sense-making)
意味形成はエナクティヴにおける基本概念
他者の意味を理解すること、他者と意味を形成することは人間における意味形成の本質的部分をなしている
オートポイエーシス的エナクティヴィズムにおいて、認知は完全に身体化されている
特定種類の身体は、有機体が継続して存在する上で関連する環境内の構造と属性を決定、または制定する
「世界との交換は認知主体にとって本来的に意義ある物で、この点が認知主体を定義する属性となる。すなわち、意味の創造と評価あるいは短く言えば意味形成である」
この点から言うと、人間と動物は、身体も、生きる社会的・自然的環境も異なるのであるから、認知も異なる
人間社会の文脈では、間主観的相互作用が「参加的意味形成」をともなうということである。
「展開する相互作用プロセスとそこに関与する個人との間の交流を通じて、意味は生成し変容する」
このような意味で、参加的意味生成は、二次的間主観性の概念と密接に関連している
参加的意味生成は、私たちの間主観的相互作用がいかにして意味の構成へと参与するかという点に、また、意味のある世界の共同構成に言及するものである
次の問いに答えを提供
「私たちは互いに相互作用しながら、どのようにして世界の意味を一緒に構成するのだろうか」
この問いは社会的認知をめぐる論点に関わり、共同注意と共同行為によって形成される共同の文脈において、私たちが他者と関わるという前提の下で、私たちがいかに他者を理解するのか説明することを助けてくれる
方法論的個人主義(ミラーニューロンや心の理論モジュールなど)という標準的観点では解決できない問題として枠づけ直される
むしろ、そこに関与する個人を超えて広がる相互作用のプロセスが、説明の重要な一部として取り上げられるのである。
社会的相互作用は個別エージェントの自律性を含んではいるものの、「部分の総和には還元できない集団的ダイナミクスから生じる特徴」へと帰結する
相互作用の大浪カルナ側面は、参加者の強調の歴史に依存し、特定可能なコミュニケーションのパターンの形成にも寄与するが、相互作用主体が互いを理解する仕方に影響するのである
エンアクティぃぶな間主観性、田中
センスメイキング
ダブルミーニング
他の人の関わり合いの中で、世界に対する意味の見出し方が作られていく
意味構成的な出会いにおける相互作用ダイナミクスの役割については、エスノグラフィと会話分析によって支持されている
「強調ダイナミクス」という大浪カルナ分析方法
異質な空間・時間スケールを横断する強調によって典型的にまとまるような相互作用のパターンに応用することができる
自閉症の場合、コミュニケーション過程における協調ダイナミクスが大きな差異を示す
5. 複雑認知
エナクティブ理論家の複雑認知を説明する共通の戦略は、複雑認知を基本認知と連続的なものとし、それが同一または同等のスキルを含むと考えることにある。
概念的分析や合理的問題解決のスキルは、「概念的・言語的な性質を備えたアフォーダンスの操作をともなうもの」として考えることができる
例えば、数学における問題解決は、運動的・知覚的に「事物を動かす」ことを意味する
例:方適式の変形や図形・立体の構築
この点で、エナクティブ認知は拡張性認知と同じく道具や人工物の使用を強調する
科学的モデルを「拡張した物質的相互作用を通じて操作可能な物体」と考えれば、科学的認知と基本認知は連続的だとみなせる
私たちは科学的探究を他者とともに進めモデルを提示し、それについて議論するという点において、「モデルは、人間活動の間主観的領野が何らかの仕方で物質に住み込んだもの」であり、参加的意味形成の所産
(議論)「概念的・言語的な性質を備えたアフォーダンス」:これはちょっと危うい?
メンタルアフォーダンス:ある信念を引き起こすアフォーダンス(新たに提唱されつつある)
Evan Thompson : 記憶と想像について取り上げ、非表象的なバージョンのシミュレーションを知覚過程の再上演とする説明を行っている
記憶は、不在の何かを現前へともたらす、あるいはその現前を呼び起こすような、(再度)活性化された現前的活動
「限定されかつ修正された仕方で再上演することで、ある活動を再現(represent)することー例えば、モデル化はするものの抹消の感覚運動システムを通じて連関することはないような内部過程として」」
記憶や想像を「知覚プロセスの再上映」としてしまうと、表象的な表現になるのでは?
むしろ、記憶や想像に対しては、Radical Enactivism の「夢」に対する反論が使えそう
記憶や想像は知覚する(過去の)経験が無い限りは出てこない
既に「Sensori Motor Contingency」を持っている
夢の中では、この「Sensori Motor Contingency」に似た弱い活動が起こっている
感覚運動のスキーマが維持されている
Perceptial Process を 脳活動に限定せず、Sensori Motor におけるオンラインの予測に依拠させることが重要なのではないか?
Daniel Hutt : 「エミュレータが心的イメージについての最良の説明のひとつだとして、その機能の仕方を詳細に説明すると、それが表象的内容の操作を含むと判明するとしたら」エナクティヴィズムにとっては敗北となるだろう
エナクティヴな説明は、想起されたり想像されたりする事象に含まれるプロセスのより近くにとどまらねばらない
複雑な過程へとスケールアップするよりも、より基本的な過程へと複雑なものをスケールダウンすべきなのである
知覚と行為には記憶と想像がすでに含まれている
例:意思の切片を用いて用具を作っていた、中期石器時代の人の道具制作能力
(運動習慣の形態での)記憶と(終了後の生産物を予期するという形態での)想像との緊密な統合を要求する
心的過程、知覚、想像、記憶は、道具をつくるという行為のうちに統合されている
このような物質的関与において、手は脳から分離されていないし、操作している物体からも分離されてはいない
人がこうした基本的記憶と想像的過程からより複雑な認知形態を構築する上での出発点とみることができる
生態心理学における高次表象
例:共同研究室にいながら、札幌駅の場所を指し示す:これは「知覚」
このとき、「時間的に引き伸ばされた知覚」「あらゆるところに同時にいる」
厳密には想起(remembering)とは区別されていて、想起には別の説明を当てている
エピソード記憶を「メンタルタイムトラベル」とする認知心理学における記憶研究に整合しているかも
高次認知について説明できないことは、enactivismについてどれだけ致命的か?
今回の章:
オートポイエティックエナクティヴィズムよりは、Sensori Motor Enactivismに重心?
社会的認知や高次認知に向かっているためか。(ギャラガー自身がそういう)
Alva NoeやDunn Huttなど
Autopoieticな話は早々に終わらせている。こっちの話は吉田さんの本の方が適しているね。
第7章:因果関係、構成、自由エネルギー
7.1節 C-Cの誤謬
これまでの議論で未解決のまま残されていた問題:
7-1. 「因果-構成の誤謬(C-C fallacy)」への対処: (今回 12/19)
7-2. 予測的処理(PP)との統合の可能性: (次回 12/26)
7.1 C-Cの誤謬 (The C-C Fallacy)
【批判者の理屈】 (Adams & Aizawa、Block、Prinz)
Extended mindは「因果的な寄与」と「構成的な要素」を混同している(C-Cの誤謬:ch.5-1)。
同様にEnactive approachも同じ混同がある。
因果-構成の誤謬(The Causal Coupling-Constitution Fallacy)(5-1章)
1. C-C Fallacy
因果・結合(Causality/Coupling): あるプロセスを⽀援したり、可能にしたりする条件。
構成(Constitution): そのプロセスの「動作部分(operative part)」として機能すること。
両者は厳密に区別されるべき。
2. オットーのノートの事例
Embeded cognitionの⽴場からの批判: オットーがノートを使うとき、ノートは認知を⽀援(scaffold)するが(=「因果関係」または「可能にする条件」)、認知そのものを構成しているわけではない。
Extended cognitionの⽴場からの擁護: 外部要素(ノート)が内部の神経プロセスと同等の「能動的な因果的役割」を果たしているならば、それは認知を構成していると⾒なせる。
【反論1: 眼球運動の事例】 (Gangopadhyay & Kiverstein (2009))
知覚における眼球運動のような感覚運動的な随伴性は、単に知覚を⽣み出す「原因」にとどまらず、知覚的注意そのものを「構成」している。
注意という認知操作は、タスクに関連した眼球運動としてembodyされた、環境へのカップリングのあり⽅そのものである。(MY: 注意には眼球運動を対象に向けるovert attentionと、周辺視野に注意を向けるcovert attentionがあることに注意。ここではむしろ、「シーン知覚」を指しているように読める)
もし眼球運動の能⼒が損なわれれば、⼊⼒と出⼒を結びつける法則的な関係が崩れ、知覚内容⾃体が成⽴しなくなる。(MY: 逆さ眼鏡の例)
この深刻な影響は、感覚運動的な振る舞いが経験の内容に対して、単なる因果関係を超えた「真に構成的な寄与」をしていることを⽰している。
【反論2: 不可分性の議論】 (Clark (2008)ら)
⾝体化された感覚運動プロセスと認知プロセスは切り離すことができない。
⾝体と環境のカップリングなしには、ある種の認知プロセスは⼈間に利⽤不可能になる。
批判者の再反論: たとえプロセスが不可分であっても、「因果関係」は「構成関係」ではない。(例:⽕を起こすのに酸素は不可⽋だが、酸素(燃焼という現象)は⽕そのものではない)。
【反論3: Enactive approach】
因果関係と構成関係の区別は、批判者たちが考えているほど厳密ではない。
補足例:車の走行について、「道路」は車の構成単位ではないが、走行を構成する要素だと言えそう。(見方によっては因果とも捉えられる)
特定の種類の因果性を内包するような「構成」の概念を擁護する。
これを理解するために、批判者(Adams & Aizawaら)の議論が依拠している「ニュー・メカニズム論」(Bechtel, Craverら)について説明する。
補足:Adams & Aizawaは、認知を構成する単位は脳神経過程であるという大前提。それ以外のユニットは派生的だという立場。
これに対し、Extended支持者は認知の構成単位を脳神経に持ってくる前提がおかしいと反論。
【ニュー・メカニズム論の⽴場】
構成(Constitution): 構成とは、メレオロジー的(部分と全体論的)な関係である。
「共時的(synchronic)」な関係であり、下位レベルの部分が「⾮因果的」に上位レベルの全体を構成・実装 implement する。(「創発(Emergent)」という言葉は出てきていないね。)
因果(Causality): 因果関係は同⼀レベル内で⽣じる⽣産的なプロセスである。
結論: 因果関係は「レベル内」、構成関係は「レベル間・⾮因果的」という厳格な区別がなされる。
図1:(Craverによるメカニズムの階層構造)
下位レベル: 構成要素(X1〜X4)がそれぞれの活動(φ-ing)を⾏い、それらの間で因果的な相互作⽤を持っている。
上位レベル: これら下位の活動が全体として、上位の現象(S)の活動(ψ-ing)を⾮因果的に構成している。
このメカニズム全体を「問題を解く⼈」と⾒なし、下位要素(X4)として「鉛筆で書くこと」のような⾮神経プロセスを含めること⾃体は許容する。
しかしそれが認められるのは、あくまでこの厳格な「メカニズム論的構成(⾮因果的・共時的)」の定義に当てはまる場合に限られる。
(MY: 下位レベルが因果的な相互作⽤を持っている、という考えを取り外すべき。「因果」という概念はパーソナルなレベル(⾏為者による介⼊のスケール)では意味をなすが、それよりミクロなところでは、システムを原因と結果に分離するという不必要な区分を導⼊しており、さらにミクロなところまで⾏けば、因果は消える。)
【ニュー・メカニズム論者が因果と構成を区別する哲学的理由】
1. 独⽴性の⽋如(Mereological reasoning):
因果関係が成⽴するためには、原因と結果が互いに独⽴した存在でなければならない。
部分は全体に含まれているため、部分と全体は独⽴していない
例:ティーカップの取っ⼿はカップの⼀部であり、カップの原因ではない)。
よって部分と全体の関係は因果関係にはなり得ない。
2. 時間的関係(Temporality):
因果関係は通時性を必要とする(原因が先にあり、結果が後に続く)。
部分と全体の関係は共時的に成⽴する。
(MY: 因果に時間的経過を前提とするのは、ビリヤードの球のような線形的因果を想定する難点がある。これは後述。)
【ニュー・メカニズム論内部での問題点】
双⽅向操作可能性: Craverは構成関係を経験的にテストするために「双⽅向操作可能性 Mutual Manipulability」という基準を提案した。
双⽅向操作可能性の基準: 部分を操作すると全体が変化し、逆に全体を操作すると部分が変化する(双⽅向に操作可能)ならば、それは構成関係である。
問題点:
Craverは「操作」の説明に、Woodwardの「介⼊主義的な因果性」の概念を⽤いた。
介⼊主義によって、レベル内の因果は抽出できるが、レベル間の構成も因果的になってしまう。
ここは持って回った表現になってる: "inter-level constitutional relations are not supposed to be causal"
これによって、部分-全体の構成関係(⾮因果的であるはずのもの)の基準に、因果性が導⼊されるように⾒える。
【問題への対策: 通時的な構成】 この混乱を解決するための、ニュー・メカニズム論内部での議論:
通時的な上位レベル: 上位レベルの現象(S ψ-ing)を、時間的な幅を持つ「通時的」なプロセスとして捉える(Krickel 2018)。(共時性という条件を緩める)
時間差のある構成: 初期の下位レベルのプロセス(原因)が、その後継起する上位レベルのプロセス(結果)に対して因果的に関係する。
帰結: 双⽅向操作可能性の基準を満たす「通時的な構成」を構想できるようになる(Kirchhoff 2017)。
(MY: レベル内もレベル間も通時的、因果的とする解決法よりは、すべてが共時的、⾮因果的なカップリングとするほうがよいと思うけど。)
【エナクティビズムにおけるダイナミカルな構成】 このような「通時的な構成」の⾒⽅は、エナクティビズムでのダイナミカルな構成の概念とよく⼀致する。
動的カップリングとしての構成:
認知プロセスを有機体と環境の相互作⽤と⾒なす場合、そのシステムは動的なカップリングのプロセスを通じて構成される。
そこには、単なる線形因果だけでなく、全体が部分に再帰的に影響を与える「⾮線形な因果関係」が含まれる。
このような因果関係には、有機体の外部にある要素やプロセスも含まれ得る。(=> Extended cognitionの正当化)
カップリングは実際に因果的であるが、脳-⾝体-環境の異なる時間スケールに分散した各認知過程を構成するのである(Varela 1999)
(MY: Varela 1999は「因果」という⾔葉をほとんど使っていないが、該当する部分でも、⾮線形的な因果に限定している。(ビリヤードボール的な線形因果ではない)
(MY: この種の⾮線形的な因果は、Woodwardの介⼊主義的な因果テスト(=> Pearlの因果推論)では扱えないことにも注意。ビリヤード的な線形因果しか扱えない。因果が閉じていると介入テストできない。)
ギャラガーが「因果(causation)」という言葉を簡単に使っている。
ニューロンの発火の時間レベル、それらのまとまりによる脳の処理における時間レベル、環境とカップリングする認知プロセスの時間レベル、これらは異なる時間スケール(通時的とする重要性)。一方で、この環境とカップリングした認知プロセスがニューロンのレベルに非線形的な因果を与えるという意味でvarelaは消極的に「因果」という言葉を用いている。
Varela 1999 でのpresent-time consciousnessの神経現象学:
三つの要素が同等に重要な役割を果たすことが明らかになった:
1. 神経⽣物学的基盤
2. 主に⾮線形⼒学に由来する形式的記述ツール
3. 還元論的枠組み下で研究される⽣きた時間的経験の本質
これら三要素は 構成的 に絡み合っている。
それは制約と修正の効果が効果的に循環し、双⽅を実りある相補性をもって変容させる active link である。
(動的システムにおいて) 過去 は (invisibleあるいはsubtleと表現するのが最も適切な 因果性causality) をもって 現在 に作⽤する。
現在の状態は過去なくしては成⽴しないが、過去は実際に現在に存在しない(⾮線形因果性 である)。
C-C誤謬の回避:
Chemero (2009), Palermos (2014): 継続的な相互作⽤ループ(⾮線形な因果関係)が、客観的な構成の基準となる。
エナクティビズムは(動的カップリングとして) 構成 を再定義することで「C-Cの誤謬」という避難に耐える immune ことができる。
7.2 ⾃由エネルギー原理とエナクション (The Free-Energy Principle and Enaction)
【統合の可能性と課題】
第5.3節ではExtended cognitionと予測的処理(PP)の統合の可能性が⽰唆された。
ここではEnactivismとPPの統合の可能性を問う。
⽤語上・概念上の⼤きな相違:
神経中⼼的な内在主義
推論・内部モデル・表象といった概念
PPは、アフォーダンスや同調(attunement)、共鳴(resonance)といったエナクティブなプロセスを受け⼊れることができるか。
【表象戦争における「休戦」の提案】 Constant, Clark, Friston (2021)
役割分担を導⼊することで統合は可能
脳内の推論プロセスにおいて、以下の2つを区別する。
(MY: ここでの以下のギャラガーの理解は間違い。端的に逆である。後ほど原⽂に当たって訂正。)
1. 感覚⼊⼒の予測: (信念と⽣成モデルで定義される、純粋に内部的なプロセス)
2. 感覚⼊⼒を引き起こすhidden causeの予測: (エージェントと世界のカップリングのレベルで定義される)
PPには (1) モデル上の成功と (2) カップリング上の成功という2つの層がある。
(1)は表象的であり予測誤差最⼩化に適している
(2)は動的であり、能動的推論(active inference)やエナクティブなプロセスとしてモデル化される。
(2)の⾮表象的なプロセスは義務的⾏為 deontic actions (= 規範的制約に導かれた⾏為)を説明できる。
(2)の成功条件は世界とのカップリングであり、介在的な推論や結果の表象なしに、直接的な⾏為として成⽴する。
deontic valueとは?
辞書的な確認:
deontic = (⾔語学、哲学においての) 義務に関する
It must be rain. のmust は「にちがいない」と「でなければならない」の2つの意味があるが、前者がepistemicで後者がdeontic。
(たぶん)初出: Constant et al (2019)
Constant A, Ramstead MJD, Veissière SPL and Friston K (2019) Regimesof Expectations: An Active Inference Model of Social Conformity andHuman Decision Making. Front. Psychol. 10:679. doi:10.3389/fpsyg.2019.00679
https://scrapbox.io/files/69596c4939646664eee6f91a.png
信号の例:
「午前4時に⾚信号で⼀⼈きりになり、道を渡るべきか否か」
元々は、⾏動 $\pi$ によって、私の位置という状態がどのように更新されるか ($s_{t-1} -> s_t$) を推測して、そのとき信号が⾚という観測( $O_t$ )をするだろう、という反実仮想している。
(これがスタンダードな能動的推論の形)
しかしこれが繰り返されると、⽌まるという⾏動 $\pi$ と信号が⾚という観測( $O_t$ ) との間に直接的な関係が学習される。
これが、deontic value: $P(\pi|O_t) = \frac{P(O_t|\pi)P(\pi)}{P(O_t)}$
こうして、環境を利⽤して社会的に最適な⾏動⽅針を学習することで、主体は計算コスト(すなわち複雑性)を節約できる
このとき、信号が⾚という観測( $O_t$ = deontic cue)があれば、⽌まるという⾏動 $\pi$ をするものだ(他者でも)という規範性が⽣まれる。
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状態(state)をすっ飛ばして、行動と観測に直接的な関係が生まれる↓。規範性、Denotic Value。
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【MYコメント】
知覚的推論においては、観測 O_tは厳密にセンサーの値(環境そのものではなく、環境とagentの境⽬)であった。
しかし能動的推論の議論では、観測 $O_t$ として「信号の⾚」を選んだうえで、これが環境の情報にすり替えられている。これは妥当ではない。「信号の⾚」も外界の状態の推定であり、環境に実在する情報(アフォーダンス)ではない。
Constant, Clark, Friston (2021) の構成
表象的なFEP: Active inferenceにおいて、知覚は感覚⼊⼒からその隠れた原因を推定する。⾏動計画は隠れた原因と⾏動から帰結する感覚⼊⼒を推定する。どちらともに「隠れた原因」を操作する点で表象的である。
Fig.2
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⾏動⽅針 π は、「隠れた原因sが⾏動⽅針 π によってどのように時間発展するか」の推測(とVFEの最⼩化)によって決まる。
⾮表象的なFEP: いっぽうで、能動的推論における⽣成モデル内のdynamicpathwaysにおいては、⽣成される⾏動の根底にある認知プロセスを説明するために、世界の隠れた状態の表象の操作に訴えるものではない。
動的主義的⾒解は、⾏動を「何かを実⾏する」という処理のみを必要とする⾒解である。つまり、⾏動シーケンスは観測データ(感覚⼊⼒)に直接条件付けられる。
義務的⾏動 Deontic Action とは、感覚⼊⼒によって引き起こされ、内部的に⼀貫した⾏動に直接つながる、利⽤可能な(つまり妥当な)⽅針である。重要なのは、義務的⾏動の選択が、世界の状態や関連する感覚的結果に関する表象的信念を迂回するということだ。
Fig.3
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⾏動⽅針 π は、「⾏動⽅針 π がどのような観測データo を⽣み出すか」の推測(とVFEの最⼩化)によって決まる。
それらは脳プロセスとしての成功条件を持たず、むしろ主体と世界の結合プロセスとしての成功条件を持つ。
「世界を上手く推測できたか」ではなく、「上手くカップリングしているか」が成功条件
それらは単純な観察-⾏動ループであり、豊かで再構成的なポリシー選択ループではない。
それは義務論的プロセスが期待⾃由エネルギーの計算を回避するためである。
義務論的⾏動は予想される⾃由エネルギーを迂回するため、(能動的)推論としての計画を排除する。単に観察に基づいて⾏動するだけだ。
例えば、アスリートの⾏動はしばしば複雑であるが、アスリートは事前に計画しているようには⾒えない。(例:決勝シュートについて問われたサッカー選⼿が「わからない、ただ流れでやった」「ゲームプランを実⾏しただけだ」と答える場合)。
図3の⼆重側⾯アーキテクチャは、表象主義的経路と動的経路が互いに補完し合いながら共存し得ることを⽰している。
【MYコメント】
表象主義かエナクティヴィズムか、は隠れ値の推定( $S_t$ )を介するかどうかの問題ではなくて、確率論的にベイズを使うかどうかの問題。だから、そのそもConstantらのやり⽅はエナクティブではない。
観察と行動が各列の推定をすっ飛ばしたとしても、ベイズを使う時点で観察と行動のそれぞれ一方向のベイズ推論であって、ダイナミカルなカップリングではない。
ダイナミカルな記述では微分方程式に変数が2つある一方、ベイズだと事後分布に変数一つ
ベイズ的な記述だと、「対応表」的になってしまう。これはカップリングではない。
カップリングは「眼球運動」と「見え」が因果的に作用しあうのではなく、同時に起こる現象というイメージ。
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翻って、⽣態学的⼼理学においても、隠れ状態を計算するのではなく、観測を直接⽤いて⾏動したからといって、それは⾮計算主義にはなってないのでは?)
直接知覚の問題。野球のフライキャッチの例。
28:00~
【Gallagherによる批判】
Constantらの提案は「(表象ハングリー問題に関わる)⾼度な認知」とより基礎的な知覚運動プロセス(例:クラーク&トリビオ 1994)との妥協点を⾒出す従来の和平交渉を越えてない。
知覚-⾏動ループに関してでさえ、エナクティブプロセスは⾃動的で反復的な義務的⾏動ではない。
赤信号の例などは習慣的な話。そもそも習慣にならないと隠れ状態の推定をすっ飛ばせないという点については、どう答える?
よってenactiveな習慣, 注意深いheedfulな習慣、intelligentな習慣をどのようにこの図式に適応するかも不明。
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51:15~
【FEPとオートポイエーシスの抽象的統合】 Allen, & Friston (2018), Bruineberg, Kiverstein, & Rietveld 2018; Kirchhoff & Froese 2017).
PPとエナクティビズムを統合しようとする別の試みとして、Fristonの⾃由エネルギー原理(FEP)を⽣命そのものに適⽤する、より抽象的な枠組みがある。
エネルギーを下げつつエントロピーが高いのが、化学などにおける「自由エネルギー」
FEPによれば、⽣物学的システムはエントロピー(死)に抗う傾向によって定義される。
このFEPの原理は、⾃⼰組織化によって存続する「オートポイエーシス」の概念と整合的。
Bruineberg et al. 2018: 能動的推論としての⾝体化された⾏為
FEPの枠組みの中で、実際に「驚き」を最⼩化する役割を担うのは「⾏為」である。
KirchhoffとFroese (2017): 特定のバージョンのFEPは、⾮表象主義的なラディカルエナクティビズムを⽀持する。
「共分散としての情報(information-as-covariance)」には内容としての情報がない。
ここは共分散というよりは、「共変」では?
複数の変数がパターンを持って変化しているということ自体が情報を担う。
「共分散としての情報」への適応的応答が⽣命・認知システムの本質的特性である。
以上の仮定に基づけば、精神性はいかなる表象的内容の処理の問題ではない。 この⾒解によれば、⾏動は脳内で起こる現象ではない。環境との相互作⽤における⽣物全体の営みである。
Attunement的なものである
【吉田先生コメント】
このような考え方に親和的。
『行為する意識』では「アシュビーの良い制御器定理」を持ってきた
「最善の制御器は外界のモデルである」
共変が起こっているだけで表象ではないんだけど、「あたかも」表象しているように見える
これこそ「モデル」である
したがって、これまでの確率的な話をenactiveの話と繋げられそう(習慣化された後の話)
【Di Paoloらの批判】 Di Paolo, Thompson, Beer (2022)
PPとエナクションには互換性がない。
オートポイエシス的システムでは、不変の要素としての組織化(organization)と、可変的特徴としての構造(structure)が区別される。この区別はFEPの議論では維持されていない。
組織化: システムが特定のクラスに属することを定義する抽象的な関係群。
構造: システムの実際の実現形態であり、システムを構成する具体的な要素と、それらの間の実際の具体的関係。
⽣体恒常性の扱い:
FEPでは、⽣体恒常性は構造(システムの構造的完全性)
オートポイエシス的理論によれば、⽣体恒常性は組織を指す。
歴史性 historicity:
PP: 階層的なコンパレータ
エナクティブ: 動的な「歴史依存性」(刺激処理という最も基本的な神経科学的シナリオでの)
補足:
FEPでは「マルコフブランケット」という概念を用いてオートポイエーシスが成り立っていることを主張するが、enactive理論家からはそれは成り立たないと反論。
表象と特に因果の問題。(FEPはマルコフブランケットによって、オートポイエーシスの組織を定式化したように主張するが、マルコフブランケット導入時点で「因果的」な構造になってしまっている。)
自由エネルギー原理を力学系と親和させる取り組み:ベイズ力学系
右の図は人間を含め、この世界を全て「モノ」的に見た世界(力学系的な時間発展)
その中で、左の図のように、「あたかも」外界を推定し信念を持っているように見える記述が可能になる
このとき、その方法が自由エネルギー最小化にあたる
アシュビーの「良い制御器定理」と似たような話かも。
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【創造性と新規性の問題】 Schwartenbeck et al. 2013 など:
Schwartenbeck et al. 2013: もしシステムの主⽬的がサプライズの最⼩化であるなら、なぜ⼈間は新規性を求める⾏動をするのか。なぜ芸術やユーモアのような⾼次レベルの志向性を説明できるのか?
Andy Clark (2018): FEPが固定⽬標で定義されない創造的・新規的・即興的⾏動を⼗分に説明できないと認めている。
Gallagher (2022): Constantらの「義務的⾏為(deontic action)」は、⾃動的で規範に導かれた⾏為であり、創造性や即興性を説明する余地がない。
Andy Clark (2018): 創造性を説明するために環境や⽂化的要因に訴える。
しかし彼⾃⾝が認めるように、こうした要因は創造性や新規性の可能性を制限しうる。
問題は、(⽂化的)実践 practice workが創造性を可能にする場合、その仕組みはどうなっているのか。
上記のPPに親和的なenactivistはこの問題に取り組んでいる。
ギャラガー: ⾝体性、情動、環境との結合に焦点を当てることは、実際にはPPから離れ、よりエナクティブな説明へと向かわせるものである。
Di Paoloら: 運動創造性の起源にdynamical configurationsの変化に伴う変動性variabilityを考える。
これは歴史依存性の概念なしに考えることはできない。
ギャラガー: 舞台芸術に不可⽋な運動創造性は、主体の歴史と技能を反映している。
熟練した技能と確⽴された習慣(⾃動性や反復性ではなく注意深い柔軟性を伴う)に基づく。
パフォーマーは制御された関与を超え、ある種の不確実性や驚きを受け⼊れることに⾄る。
これによりシステム(脳・⾝体・環境)は予測不能で驚くべき動きを遂げる――次の展開を予測することはせずに。
実際の次の展開は、脳・⾝体・環境が新たな⽅法でカップルして、予測不可能な何かを「エナクト(創出)」する。
8章 結論:いくつかの実践的含意と応⽤ (Conclusion: Some Practical Implications and Applications)
【芸術分野への影響:】 創造性や即興演奏の研究は、4E cognitionのアプローチによって再構成されつつある。これには、⾳楽、ダンス、演劇、映画の研究が含まれる。
【教育分野:】 仮想現実(VR)や全⾝没⼊型の学習環境を⽤いた介⼊が、科学概念の学習、⾔語学習、数学教育などで実践されている。
【⽂学と⼈⽂学:】 EC、分散認知、歴史的⽂学研究に関する国際会議や書籍。
【建築:】 空間の再構成は⽣きられた⾝体(lived body)や空間経験を調整するものとして捉えられている
【経済学: 】 経済的推論への⾝体化されたアプローチとしてExtended mindが採⽤。認知的制度の働きに関するエナクティブ・アプローチおよび拡張的な⾒解が⽤いられている。
【精神医学と臨床推論: 】 Embodiedとenactiveは精神疾患の様々なパターンに寄与する社会的・⽂化的要因を含む多様なプロセスと要素の統合を強調する。⼼理療法の実践への影響。
【医学と理学療法: 】 Embodiedは理学療法での臨床的推論の再考に貢献。医療実践や教育における「有機体と環境のカップリング」の重要性が強調。
【総評: 】 これらすべての領域において、ECは既存のパラダイムに挑戦する傾向がある。
これらの応⽤事例は、EC理論の実践的含意を整理するのに役⽴つだけでなく、ECの視点からは、これらの実践的プロジェクトが理論(4E理論)の発展にフィードバックを与える。