『知るということ 認識学序説』 雑記メモ
1章 現象
1.1節 感覚と知覚
アリストテレスの時代では区別が曖昧
感覚と知覚を区別するのは...?
哲学と心理学の知覚と感覚の捉え方は違いそう
デカルトは目からビーム..!?
1.2節 他に一を見る
マッハ・バンド
生得的なバイアスの基盤!
側抑制
生まれた時にも既にそのような回路が出てくる
昆虫や動物の眼は大きく異なる
行動の機構
1.6節 能動的知覚
後ろから2段落目
自分の生存に関係あるものを、生存に価値あるものを見ることができる
そういう意味で、生得概念というものは能動的知覚、能動的知能というものの根本のひとつの要素
どういうこと?
生得概念があるから世界の分節ができる
世界の文節があるから行為・行動が取れる
能動的であれる
これはカントなどの最初は真っ白、という説に対する反論
生得概念がないと、能動的知覚はできないだろ
2章 存在
2.1
言葉の構造を分析することで、世界の構造を分析する
存在は述語として扱う
判断/言明の論理構造 ⇨ 認識構造 ⇨ 存在構造
元々は観念として捉えたり議論されていた
⇨ 言語の公共性(言葉で私たちは意思疎通できる):言語を使って我々は世界を見ているだろう (フレーゲの論理学)
言葉
⇨ 論理学における述語論理が上手くいく
P(a):aは性質Pである/性質Pを持つ
個体・実体:主語/固有名、指標詞:
属性・性質:述語/形容詞、動詞:人間性、走る性...
このような哲学の捉え方でいけば、最初に世界に分類する構造が決定されているようになっている。
⇨ 渡辺はこれを崩そうとしている
⇨ パターン認識
これまでの哲学的議論では、最も存在が確定できそうなもの(我思う故に我あり)があるから、他者があって、世界がある、といった構造になっていた。
しかし、これは論理的導出ではなく、裏付け(すなわち)で繋がっている
2.2 言語とパターン認識
人間の言葉の形式:主語+述語
人間の認識・理解の基本形式:主語+分類述語
パターン認識:述語という分類箱に主語に当たるものを入れる
例:「進藤は人間である」
疑問;主語にあたる個物は存在するか
2.3 存在論
存在すると言えるための条件
「存在するとは変項の値になり得ることである」
P(x) : xがPに束縛された変項
哲学的存在論/形而上学からの卒業宣言
P(a)という方式で存在論は考えていくべきだ
P(a)のaに入るようなものが存在なんだ
理論(科学理論・神話・物語)の採用
2.4 自己同一性
クワイン流存在論の前提
1. 述語の存在
2.変更の値になり得る
3.個物の自己同一性
3の例:名前が同じ2人は違う人間(自己同一性)
この3つはどれも維持できないかも
この先の展開は、3を崩して2も崩れていく
20世紀の革命:一般名詞の述語化
一般名詞が支持する普遍者・一般者なしの存在論をたてられる
名詞同士の論理的な関係も、同じようにP(x)で表現できる
ここから3「自己同一性」崩していく
実体:数的同一性・唯一性のあるもの
しかし、実態を出来事連鎖に還元する考え方もある
⇨ 自己同一性の消去
⇨ 個物の存在の消去
統計力学は「状態の数を数え上げる」
「個々の電子の状態を全て捉えてこういう状態」という視点で望んでしまうと、熱力学と整合しない
マクロな世界だと事物の同一性は言えそうだけど、ミクロな部分で同一性はない
物理全般的に言えるのは、区別できないもの(電子)をラベル付け(「こと」として捉える)してしまうと不都合が生じる
2.5 個物と一般者
これまでのP(a) で存在を捉える考え方のまとめ
個物aを一般者Pに連結する
2.6 実在論と唯名論と観念論
一般者Pは存在するのかしないのか?
個物のりんごが3つある。この時、一般者「りんご」は実在するのか?
実在論:存在する(プラトン:イデア、アリストテレス:エイドス)
唯名論:Pは外延の名称、内包の否定 (ホッブス、バークリ、オッカム)
概念論(観念論):存在しない、Pは人間が使用する概念 (ロック)
謎めく一般者
一般者を認めるとラベル付はやりやすいが、その存在は不可能に思える
ロックは経験論に立脚するので、三角形の数学的定義みたいなものを一般者として捉えるのは棄却してくる
第4の立場:類似性説
Pは類似性、類似した個物の集合
渡辺の考え
P(a) : aを観測してPと認める
a(個物)も述語化:観測してQも認める
2.7 パラディグマ
渡辺の認識観/パターン認識
子どもの学習:有限な個物例・実例から、クラス・一般者を学ぶ・知る
パラディグマ(パターン, プロトタイプ)の学習・認識
プラトン形相もパラディグマ?
アリストテレス:第3の人間批判
述語を個物のように「人間イデア」として捉えてしまうと、無限後退していく
例:人間が歩いているとする
人間イデアHIが存在する (1人目)
人間イデアを分有する人間染谷HSが存在する(2人目)
HIとHSの両者は人間なのだから、両者が分有する人間イデアイデアが存在する (3人目)
パラドックスを生むのは:述語(一般者)「人間である」を人間イデアとして捉えていることによる
クラスとインスタンスを混同しないようにする。
個物と普遍者とを混同⇨論理的パラドックス
しかし、パラディグマの「ヌエ的性格」こそ人間の認識の本質
個物でありかつ全体・一般である
以下のいずれの認識もパラディグマ的
知覚認知(パターン認識)
機能的推論、機能的思考
対象得意的なニューロンの発火(パラディグマ的象徴)
お婆さん細胞にて、お婆さんからお爺さんのグラデーション画像を見せると、ガクッと発火が変わるのではなく、ゆっくりと発火が落ち着いていく
このようにパラディグマとして捉えると、論理的なパラドックスを生むので哲学的な議論では、個物が先か一般者が先かという論争があったが、渡辺はそこではなく、このパラディグマ的なものこそが人間の認識の本質
プロトタイプ概念:エレノア・ロッシュ
3章:確率と論理
フレーゲ:論理
パース:確率
渡辺:傾向性論理を使うと、両者のいいとこどりが可能!
フレーゲ的なのは二値論理:真偽の間は無い
渡辺は、この間を期待値や曖昧性という新しい概念で詰めていこうとしている
論理学
ゲーデル:論理学の巨人
フレーゲによる論理学の改革
二値原理:どんな命題でも真か偽のいずれかが成り立つ(A U 簸体)
しかし、認知論理には問題が...
Fuzzy : あいまい性、程度問題
「はげ」はどこからハゲなのか
砂山のパラドックス:砂山から砂を抜いても砂山。全部抜いても砂山!?
このパラドックスは、真か偽の二値で考えてしまうから起こる
未来に関する記述
現時点では真か偽か決まらない
確率文
天気予報:「30%で雨が降る」とは真か偽か? (将来的には確定するけど...)
嘘つき文
「この文は偽である」: これを真とすると偽になるし、偽とすると真になる
パースは上記のようなことから、二値論理ではなく確率を持ち出した。
プラグマティズム:やってみてどうか?
ダイヤモンドが「硬い」のは、傷つけようととして「固い」かどうかが判定される
フレーゲ的に「固いという(既に存在する)集合の中に、ダイヤモンドが入るかどうか」ではない!
条件文による論理:「ダイヤモンドをハンマーで叩いてみたとき、傷がつかないから硬い」
量子力学的
渡辺はどちらも拾う!「傾向性論理」
3.3
特性関数f:二値論理では命題P(a)を入れると 0 or 1 を返す関数
Fuzzy論理
値が 0 <= f(P(a)) <= 1
二値論理の重要な性質である f(A U 否定A) = 1は成立する!
Fuzzyにも、フレーゲ的かパース的かで解釈が異なる
フレーゲ的:
パース的:
確率にも、主観的(ベイズ)と頻度論があるが、渡辺は頻度論的だ
期待度というと、主観的に感じるかもしれないが、そういう誤解される可能性があるため「傾向性」と捉える
確率を中心として、条件を入れることで傾向性論理
2章でパターン認識的なことをやったけれど、条件を入れることで論理的なこともできるぜ
後半は2章的な方針になりつつも、論理が出せることを証明する
p.63~65
p.63~64の一連の法則に「分配律」を含めると「ブール束」
しかし、「不確定性原理」とかを考えると、分配律は強い条件
分配率は一見自然にみえる
不確定性原理で分配率が成り立たないことを確認してみる
A:右に動く
B:左に動く
C:運動量をもつ
渡辺は代わりに「A=not B」という条件から「AUB=□」「AかつB=空集合」という条件を導く
これは10章にて「相補性」として伏線回収される
A = 粒子、B = 波 とすると、一方だけを見ていると一貫性がある
両方をごっちゃにすると破綻する
しかし、一方だけを見ているだけでは完全ではない
4章:客体の述語
4.5 みにくいアヒルの子定理
a_1, a_2, ..., a_n に対して、どのようにa_i, a_jを取っても、a_i, a_jが最も類似していると主張できる
例:平岡と進藤
人間
北大生
…
しかし、平岡と椅子の方が似ているとすることもできる
すなわち、どのような組み合わせでもその組み合わせが最も似ているとすることができる
では、何がこのような変な状況を生み出しているのか?
それぞれの傾向に重みがついていない
例:クォーキー性
クォーク:
ターキー(七面鳥):
クォーキー:
フレーゲ:0 or 1 (ハゲでない or ハゲである)
Fuzzy : 0~1 (ハゲの程度)
パース:観測a → Pである
渡辺:ハゲ(期待度、0である確率、1である確率)
7章:パターンとエントロピー最小の原理
1節
ツァリスエントロピー
対数型エントロピー、多項式型エントロピーはツァリスエントロピーの特殊系
KL ダイバージェンス:
厳密な意味での距離ではない
距離の公理を満たしていない
1. d(p,q) = d(q,p)
2. d(p,q) = 0 ⇄ p=q
3. d(p,q) + d(p,r) >= d(p,r) : 三角不等式
一応、満たそうと思えば満たす事ができる
2節
パターン認識の2種類の問題
クラスタリング(教師なし学習)
合体によるクラスタリング
分離によるクラスタリング
実例つきパターン認識(教師あり学習)
3節
部分空間法
例えば二次元のパターン認識の場合、1次元に投射してその投射した点をもとに確率分布を求め、そのKL距離を最大化(=エントロピーが小さくなる)ようにする
パラディグマに話が再来
実例が先にあって、パターン認識が起こる
(2.7節 p.52) パターン認識は有限な個物から実例であると同時に一般者
4節
共変行列
因子分析
主成分分析:先に軸を作っちゃう
部分空間法:
N : 個物
n : 特徴次元?
「こと」:「であること」という意味でとった方が良い
性質や述語:個物を記述・規定する事であれば何でも良い
500cmである「こと」(特徴)、りんごが赤い「こと」(形容詞)、進藤が走っている「こと」(動詞)
「もの」:個体、客体
「こと」:一般者、述語
「もの」と「こと」を入れ替えても認識が変わらない!
計算が楽になる方を使えば良いだけ
「もの」から入る例
アヒル(「もの」)⇨白い、黄色い嘴、鳥、羽がある(「こと」)....
白い、黄色い嘴、鳥、羽がある(「こと」)....⇨アヒル(「もの」)
8章:
因果とは「初期条件」の設定による
「認識については不可逆だが」
9章:
9.1 因果律について
ヒューム:原因と結果に先験的に論理的なものはない
「手を上げた時に、指名される」という事象
そこに現象のパターンがあるだけであって、論理的な関係ではない
カント:哲学 = 因果的に説明する。目的によって説明するのではない。
9.2 初期条件と終期条件
因果律は人間の行動と関連している
人間的条件を離れると、初期条件と終期条件が因果律で結ばれる (科学的因果性)
変数は人間が選択する(= 因果律の成立は変数の取り方に依存する)
変数の取り方によって、逆因果律が成立(9.3節)
しかし、人間の認識なしに世界に因果があるかどうか、という命題について棄却しているわけではない(これだけでは分からない)
ジュディア・パール
マクスウェルの悪魔
悪魔も含めた系を含めて考えるとエントロピーが増大している
9.3 逆因果律
9.4 因果律と非決定性
説明論を実際に証明することはできない
10章
ファイグルのアイデンティティ理論:心脳同一説
還元主義の極地(心的な現象は物理現象に還元される)
現在の心の哲学では正直”古い理論”
批判例:シャーレに載せた神経に「痛み」は生じるか
機能主義に移行していったが、意識などを関数で捉えるのは「主観性」が考慮されていない?
その後「表象主義」が出てくる
エナクティヴィズムやEcologicalは「表象」を批判するが、この「表象主義」が乗り越えてきた(心の哲学の王道)「アイデンティティ理論」や「機能主義」とは別の方向からの批判であり、エナクティヴィズムや生態心理学にこの王道の批判を当てると噛み合わなくなる
哲学者は心身問題について論じるときに、心的な性質があるかどうかから始める事がある
そもそも問いが変?
渡辺は心的な性質があるということは疑っていない
ちなみに渡辺は非還元的 (物理学者だから還元的というわけではない)
FEPはどうなの?
猿に三角形を見せる
渡辺の議論では以下の二つが3章におけるA, Bにあたる
脳神経の反応
三角形という生得概念
二つの立場が許される、どっちも見ないと完全ではない
FEPは内的信念(Q)
力学系(SensoriMotor)は内部状態(I) (物理的なもの、神経など)
これらの間には「自然な対応」がある
10.4節
バイオコンピュータ:今で言うコネクショニズム的なもの
松本元