『<現実>とは何か』雑メモ
現われないものをどうやって知ることができるのか? → おかしい!
「おかしい」のは、不可知論だから?
ここでいう「現れ」というのは、圏でいう「射」に当たるのか?
このように捉えるのは確かにあってるかもしれないけれど、こう捉えてしまうと「現れ」というものが固定的なものとして捉えられてしまいそう。
圏論的にも、「射」が先にあって、「対象」が定義されてくる
スナップショット的なものがあって、プロセスで結ばれると考えてしまいそうだけれど、それは逆。生態心理学的にもこの捉え方の方が整合する。
視点の固視微動による
「同一性」と「同じさ」の使い分け
「同一性」:identitical 全く同じ性
「同じさ」:the same
f(g(x)) : g◯f
恒等射
これがあることで全て射でかけちゃう。
池田譲(琉球大学)の研究
スクリーンと3Dプリントした物体のタコの学習
「場」について、数式的表現が実体ではない、といったことと、今回の「現れ」を捉えることは「圏」を捉えること、といった話は矛盾しないことなのか?
可逆性としての同型 105-108 頁
不可逆過程の特殊例。不可逆な過程の特徴を捨象して、いわば「粗視化」(そめ)して規定される性質
例えば、時間とか?
教訓
異同は二項対立ではない。自明に「異」な多様な現われのなかに、われわれの置く基準に応じて「同」が現われ出てくる。
われわれの置く基準とは、1章でやった動きの相対性みたいなもの?さいころの例でいえば?
2+3=5というのは、2の集合&ネットワークと3の集合&ネットワークを重ね合わせて、5の集合&ネットワーク
「関手」や「自然変換」は一方向的?
定義から行くと、逆はすなわち成り立つわけではなさそう。
逆側からの「関係づけ」も見て初めて、同系?(同系は関手や自然変換には使わなさそう)
モデル論、モデルは、モデル化する人が見たい自然の要素を取り出す。関手。
一方で、モデルから自然は関手?ここで、関手は真理とは関係ないのか?(if-then)
自然変換圏:確かにありそう
というより、構造が保存されているのでどこまでもいけそう。距離-速度-加速度みたいに、それを定義する有用性があるかどうか、ってだけで。