『<現実>とは何か』第二章
日付:1/22(木)
担当範囲:2章(p.65~p.90)
担当者:進藤
第二章:「数学」とは何をすることなのか
本章では、「数学とはいったい何をしているのか」という根源的な問いに対し、「非規準的選択(non-canonical choice)」という概念を鍵として、数学的真理の成立過程と「現実」のダイナミズムを解き明かす。
1. 数学における「非規準的選択」
非規準的選択:虚数単位 $i$ を例に
数学における最も身近で深刻な「選択」の例として、虚数単位 $i$ が挙げられる。
非規準的選択の不可避性: $-1$ の平方根には $i$ と $-i$ の二つがあるが、どちらを $i$ と呼ぶかについて数学的に一義的に決まる「定められた(canonical)」あり方はない。数学を進めるためには、あらかじめ決まっているのではない何かを、それでも「これ」として選び取らなければならない。
非規準的選択(non-canonical choice):「何かを選ばなければならないが、一義的に決まるわけではない選択」
選ぶ前後の対称性
選びとる前の「曖昧さ」: 方程式 $x^2 + 1 = 0$ の解として求められる段階では、二つの解は「入れ替え可能(対称)」であり、どちらかに決まっているわけではない。
一方を $i$ として選びとり、方程式の一部として使い始めた瞬間、もはや入れ替えは不可能になり、数学的に明確に確定される。
**反論1:**数学者ならば、「決まっていない」が、「どれくらい決まらないか」は確定されうる、というかもしれない。
**応答1:**重要なのは、「どれでもいいどれかを選ぶ」行為それ自体は、数学的に確定できるものではない、ということ。
反論2:「選択公理」はどうなのか?
これに応答するために、まず「どれかを選ぶということは、関数を構成することだ」ということを説明する。
選択公理
選ぶとは関数を構成すること: 「どれかを選ぶ」ことは、集合から要素を取り出す「関数」を構成することに等しい
例:3つのグループA,B,Cからそれぞれ代表者を1人選ぶ場合。
$f(A) =$ “山田“, $f(B) =$ “秋本“, $f(C) =$ “鈴木“
選択公理の役割: 関数の具体的な構成の仕方は不明でも「そのような選択(関数)が可能である」と主張するのが選択公理。
応答2: この公理もまた、単に「選択ができる」と主張するだけであり、その選択自体を確定しているわけではない。
必然的な非規準性:二つの側面
非規準的選択について、重要な以下の2つの点を指摘する。
1. 不可欠性: 数学の表面には現れないが、不可欠な操作である。体系を成立させるために実際に行われているが、それを明示できないので選択公理という形で「なされたこと」として処理されている。
2. **現れることができない:**不可欠であるにもかかわらず、数学の表面に現れることができない。完成された体系からは排除される。
この2つは以下で詳しく見ていく。
2. 非規準的選択と普遍性
「痕跡」としての非規準的選択
出来上がった「所産としての数学」には、非規準的選択のプロセスは明示されない。選択公理などによって「なされたことになっている」という完了形の痕跡としてのみ、その選択は存在し続ける。
ここに数学学的活動(動的)と数学的形成体・所産(静的)の間に「ずれ」が生まれる。この「ずれる瞬間」こそが重要である。
この「ずれる瞬間」は、言い換えれば、活動としての数学と形成体としての数学を結びつける「媒介」を表す。
「媒介」そのものは見えない。媒介自身が見えなくなることによって、形成体・所産としての数学的体系が見えるようになる。
非規準的選択
「選択」というのは、「或る何か」が選ばれなければならない、という点がポイントである。
何か特定のものを選ぶという点にポイントがあるのではなく、選ばれるのは何でもよい。
たとえどのようなものを選んだとしても、これだけは言える、というのが「定理」として確保される。
数学の理論としての強みである「普遍性」は、「非規準的選択」を通してしか成立しない。そして、「普遍性」を成立させるためには、「非規準的選択」がみずから「自分を見えなくする」ことが必要である。
普遍性の根源
"Let $f$ be a function such that..."($f$ を…を満たす関数とする): 数学の論文でよく見られるこの表現は、「…を満たす関数を一つとる」ということ。「…」を満たしている限り何でもよいが、そのような関数の「全部」を一気に考えているわけではない。
それにもかかわらず、結果的にはそれを満たす「全部の」関数について言えることを確定する。
数学の「普遍性」はここに根ざしている。
普遍性の成立プロセス:
1. 条件を満たす「或る一つ」を非規準的に選択する。
2. その選択(特定の性質)を自ら消去する。
3. 「何をとっても(どの選択でも)成り立つ」という普遍性に到達する。
「選択」と「対称性」を振り返る(重要)
「どちらでもよい」選択肢($i$ と $-i$)がそのようなものとして見えてくることそれ自体が、非規準的選択を必要とする 。
「選び取る前は対象だ」ということが言えるのは、最初の選び取り(非規準的選択)によって、対称性が見抜かれた後である。(何も選ぶことなく、「対称性」について語ることはできない。)
選ぶことにおいてのみ、どちらでもよいことが分かり、それが分かったときには、最初に「どちらを選んだか」は特別な性格を失う。
非規準的選択は、まさに非規準的なものとして、規準的な体系から消去される。
「どちらでもよい」という対称性、より一般的にいえば「置き換え可能性」が見えてくるということ、そのこと自体は、非対称的で置き換え不可能な仕方で起こる。
3. 置き換え可能性の成立――一般構造へ
ここでは、特定の選択に基づきながら、その選択に依存しない「普遍性」が立ち上がる一般的な構造を分析する。
序数(順序)と基数(個数)の関係
序数から基数への転換: 基数の概念は、何らかの順序づけという序数的なものを通じてしか成立しないが、特定の順序づけには依存せずに成立する。
例:序数的な習得: 子供に数を教える際、必ず「たろう、はなこ、ゆうすけ」といった特定の順序(序数)で数えるしかない。その後、「どの順番でもよい」が理解できて初めて、数の概念を習得したと言える。
転換の構造: 時間的な習得過程(特定の選択)を通じてのみ概念が成立し、成立した段階ではその過程を無視して「一般構造(静的な体系)」のみが論じられるようになる。特定の選択は、基数が成立した段階から見れば「非規準的(それでなくてもよいもの)」になる。
多様な表現を通して「同じこと」をつかむ
記号表現の必要性: $1+1=2$(10進法)と $1+1=10$(2進法)は、表現は異なるが数学的に「同じこと」を指している。(特定の選択によらない。)
直観の媒介: いかなる記号も使わずにその「同じこと」を直観したり他者と語ったりすることはできない。つねに何らかの記号的表現を通してしか「同じこと」をつかむことはできない。
TFAE(同値定理): 数学の定理に多い「以下の事柄はすべて同じである(The followings are equivalent)」という形式は、多様な表現を媒介としてのみ「同じこと」が意味を持つことを示している。
一般構造としての「構造=出来事」
動的な働きによる静的な普遍性: 普遍的な「置き換え可能性(interchangeability)」は、平面的・無時間的にあるのではなく、非規準的なものを「消す」という積極的で動的な働き(遂行)として成り立っている。
何らかの記号なしには数学はありえない(始まらない)が、所産としての数学体系では、数学は特定の記号には依存しない。
構造出来事: 「時間的/非時間的なもの」、「動的/静的なこと」といった対比を超え、普遍性が成立すること自体が極めてダイナミックな出来事であるという構造。
数学は特定の表現や順序に依存して始まるが、その活動の中で自らを見えなくする(非規準的なものを「消す」)形で「置き換え可能性」を獲得していく。
メモ:現象学・生態心理学における知覚、スポンジの柔らかさ
4. 時間と空間
数学的活動に見られた「構造出来事」は、日常的思考の根本にある「時間」や「空間」の成り立ちにも深く関わっている。
時間の空間化と「現在」の唯一性
直線の時間のイメージ: 我々は時間を「直線」として、各時点が並列しているように捉えるが、これは時間を「空間的」に捉えたものである。
時間的現在の本質: 本来の「現在」は、その都度生じては過ぎ去る入れ替え不可能な唯一のものである。一次元的に並べて(空間の特徴)、入れ替える(対称的に扱う)ことはできない。
比較不可能性の消去: 「唯一の現在」を直線上の「比較可能な点」として捉えること自体、現在の「比較不可能性(唯一性)」を自ら消去して比較可能なものにするという、数学と同型の「構造=出来事」である。
空間性の本質としての「置き換え可能性」
行き方と到達点: 地点Aから地点Bへ行く際、どのような「行き方」を選んでもよいという「置き換え可能性」こそが空間の本質である。(以下図1)
空間性の成立: 到達プロセス(個別の経験)の違いに注目するのではなく、その違いを区別せず「同じ点に到達した」という「同じさ」に着目するとき、はじめて「空間性」が立ち現れる。
ある点には、必ずある一つの行き方で到達しなければならない。また、同時に複数の行き方は不可能であるが、どの行き方でもたどり着けることを理解している=空間の理解
「空間的」な見方: 本来入れ替え不可能なものを、あるレベルの差異を無視して「置き換え可能性」のみを認める見方に立つこと。これが「空間的」な理解を可能にする。
点としての時点: 空間における「点」が特定の移動経路を消去した痕跡であるように、時間を直線的に考えることは、時間を空間化された(=置き換え可能な)時間として考えるということである。
5. 真理について
ここでは、真理がいかにして「妥当」し、数学的真理が普遍的でありうるのかを論じる。
条件付の普遍性:ピタゴラスの定理を例に
永遠性と発見: ピタゴラスの定理は、ピタゴラスによる「発見」以前から正しいとされるが、それは特定の前提(ユークリッド幾何学)の内においてのみ成り立つ。
「もし〜ならば」の真理性: この「もし……ならば」という前提と帰結の関係は、前提が真理であるかどうかに関わらず成り立つ。
その前提を共有するなら、その帰結も認めなければならない、という意味での「普遍性」
非規準的選択と置き換え可能性の再統合
前提の選択: 真理を証明し、あるいは予想するためには、まず何らかの前提(「こうだったら」)を非規準的に選択しなければならない。この選択なしには何も始まらない。
真理とは: 「厳然と変えられない」「元からそうだった」という真理の性格は、同じ前提を仮定すれば「誰がやっても同じ」「どの証明法をとっても同じ」という置き換え可能性のことである。
発見か創造か ―― 二項対立を超えて
創造的な発見: 真理は単にそこにあるものを「発見」するだけでも、勝手に「創造」するだけでもない。「その真理は元からあった、つねに成り立っていた」と言える事態そのものが、主体的な活動(非規準的選択)を通じて創造されるのである。
「発見(誰でもそこに到達できる普遍性)」と「創造(一度限りの主体的活動)」は対立せず、非規準的選択という一つの出来事の二つの側面として統合される。
結論:数学とは何をすることなのか
数学とは、「非規準的選択」によって、あらかじめ決まっているのではないところから「これ」を選び取り、その選択自体を消し去ることで「普遍的な置き換え可能性(真理)」を立ち上げる活動である。
これは数学に固有ではなく、一切の出来事の根幹たる「時間」を規定している原構造であり、「空間」の成り立ちを根本から理解可能にするもの。
「数学とは何か」を問い詰めることによって、「現実がどのようにして現実として捉えられるのか」という問いの核心に踏み込む。
これは逆に、「数学」がいかに深く現実の核心に根付いているかをも表す。