共感する場はオンラインでは限界
コロナ禍のもとで、人間同士がペアを組み、共感する場をつくるのは難しいのではないか、と疑問を持つ読者もいるかもしれません。私は、デジタルの映像を介した場合、身体性を共有したときと同様の共感を生むことに限界があると考えています。
見る対象が映像であっても、鏡のように相手の行動を自分に映す神経細胞であるミラーニューロンは反応します。ミラーニューロンが反応すると、人間は、他者の動作、感情、知覚について、自分が同じ状態を経験するのに使うのと同じ領域を使って理解します。オンラインでは五感すべてを駆使することができず、相手との相互作用が限られるため、対面での 2人称で共感し合う関係性を代替するのは難しいのです。
産業界は今、オンラインコミュニケーションに加え、AI(人工知能)やデジタルトランスフォーメーション(DX)の導入を急いでいます。
AIは人間の能力を拡張する存在であり、これからはAIと共創する時代だと考えています。しかし、AIは生命体ではなく機械であり、AIの記憶はリアルな感覚を生じさせる物語をつくり出せません。AIは人間を補助するツールでしかありません。
DXにしても、デジタルかアナログかという選択をする必要はありません。「あれかこれか」の二者択一を迫る「二項対立」ではなく、「あれもこれも」という「二項動態」の発想で、相互に補完すればよいのです。ただし、起点となるのは身体性を伴うアナログな直接経験であることを忘れてはいけません。