Notiz über den „Wunderblock“
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フロイトに「『不思議メモ帳』についての覚え書き」(« Notizüber den ʻWunderblockʼ »、一九二五年)という有名な小論がある。不思議メモ帳(Wunderblock)とは、「マジックスレート」や「お絵描き板」といった名前で日本でも昔から売られている子供向け玩具である。蝋板とパラフィン紙と透明なセルロイド板(最近のものは素材をプラスチックなどに変えているが)を重ねて、セルロイド板の上からペン代わりの尖筆で文字や絵を書き込む。書き込まれたパラフィン紙を持ち上げて蝋板から離すと、記入面が新(さら)になって何度でも書いたり消したりできる。
「快感原則の彼岸」(1920)や「自我とエス」(1923) を書いていた当時のフロイトは、これを「心の装置」の格好のモデルとして取り上げている。透明なセルロイド板は、尖筆で書き込む入力の圧力を受けとめて、外部刺激からの「保護」の役割を果たしている。その下の薄いパラフィン紙は、入力が文字や絵として表象化される「知覚-意識」の層。それよりも下にある蝋板 は、痕跡が「記憶」として貯蔵される「無意識」の層にたとえられる。
「不思議のメモ帳は、一度消去されてしまった文字をその内部から「再生する」などという事も出来ない。万が一、我々の記憶と同じ再生能力を有するのなら、それこそ真に不思議のメモ帳と呼ぶに値しよう。」
フロイトの説を延長するなら、現代人は、i-Padのような「心の装置」の補助具を携えて、メディアに結びつき生活していることになる。外部世界からの刺激情報をメディア端末を通して受け取り、意識にとどめて表象を生みだしては、記憶の層へ次々に送り込んでいる。「不思議メモ帳」(Wunderblock)の英語名がmagic padであることを思えばこの一致は、さらに意味深く思えてくる。私たちの「知覚-意識」に現れる現象は、私たちの心の装置の蝋板へと送り込まれると同時に、コンピュータやサーバーのメモリーに送り込まれて蓄積され、それぞれの記憶の層から呼び出されたり消去されたりしつづけている。
筆圧の高い記録は何度消しても、新しいペンでなぞった瞬間フラッシュバックする