疑似承認
擬似的に承認欲求を満たすこと。
造語。
特に自分の成果を不特定多数向けに公開する、あるいはしておくこと
そうすると「いつ誰に見てもらえるかがわからない」 → 「見てもらえているかもしれない」
見てもらう可能性がゼロであることよりは、承認欲求が刺激される
しかし、実際に見てもらえていると判明している場合には当然劣る
疑似承認は両者の間くらいsta.icon
実際に満たせてるわけではなく、擬似的に満たしているような状態
例: 見ている人もいなそうなのに、淡々と公開している人
ブログでもXTwitterでも動画でもなんでもいいが、そういう人はごまんといるし、あなたも一度くらいは見たことがあるだろう
あれらは、疑似承認を満たしているということもできる
別の例:
疑似承認ではないが、人の多いところに出かけたがる心理はわかるだろう
これも「直接満たしてもらうほどではないが、漠然と何かが起きる "かもしれない"」ことを期待して出かけている節がある
実際起きなかったとしても、ある程度は満足できている
疑似承認と同じ考え方である
さらに別の例:
宝くじ
確率的に当たることはまずないと言っていいが、「かもしれない」だけでもそれなりに満足できるものである
低性能は性能が低くて満たしづらいし、無闇に勝負しても批判や非難ばかりで逆に落ち込みがち
なので疑似承認も適度に取り入れるといい
承認欲求を満たすことは、擬似的に取り入れてでも大事である
Ans: 自己肯定感を増やすから。
低性能は性能が低いからこそ、ストイックな生活基盤、自分なりの羅針盤、不適性から逃げるフットワークなどが必要だが、これら行動力は自己肯定感によって支えられる
自己肯定感が低いと何をしてもダメだと卑屈になって動けなくなる