ビッグファイバーエンジニア
できるエンジニア、特にソフトウェアエンジニアのビッグファイブには以下の傾向がある 以下をすべて持っている:
情緒が安定している
知的好奇心が高い
劣等感がなく自分の実力を正しく捉えている(自己ギャップが小さい)
できるエンジニアとは
以下をすべて満たす:
実力を発揮している
会社で昇進しているか、独立している
基礎能力が高い
Webサービスやゲームをつくって運用する程度ならできる
社会性を備えている
パートナーがいて、職場の人間関係も良好で、外部イベントにもよく参加する
新卒で5年以内、長くても10年以内に満たせる
あるいは熱心な趣味として行う学生であっても複数を満たせることがある
これを筆者はビッグファイバーエンジニアと呼んでいる(造語)
できるエンジニアになるには、これらの資質が必要だ、と言えるかもしれない
別の言い方をすると、以下の人はたぶんできるエンジニアにはなれない
情緒が安定していない
知的好奇心が低い
劣等感がある、または尊大で自分の実力を正しく捉えられてない(私は凄い、等)
実際、学生から熱心な趣味として取り組み、エンジニアとして働いてもきたからこそ痛感する
デバッグやトラブルシューティングの泥臭さ、技術を理解しない無知無能に通じない歯がゆさ、テキストでやりとりすればいいのにわざわざ会議をしたがる精神性などに情緒を乱されてはいけない
一生かけても学びきれないボリュームがあり、かつ新しい技術も次々に出てきて、さらに仕事のために組織や顧客の事情も深く理解しにいく必要があり、好き好んで読書して勉強して機械をいじるような好奇心がないととてもやってられない
エンジニアも職人であり、スキルと態度には人一倍の誇りがあって、実力を正しく認識できない痛々しい者には容赦がない。もちろんこれには「実力がないなら、ないなりに頑張らねばならない」ことや「実力があっても尊大であることは許されない」こと等も含む。HRTなんて言葉もある。つまりは実力に応じた適切な振る舞いがあり、自己ギャップが大きいとこれができない。できない奴は相手にされない etc そもそもエンジニアに限った話ではない。特に情緒安定と低自己ギャップは、何の仕事においても必要な資質ではある
元々エンジニアは特需であり、ITがわかってプログラミングできる者は希少で、多少性格が破綻していても働けていた
しかし現代はチームの時代であり、業界も潤ってきて「できる者」はそれなりにいる。加えて水準も向上して、性格破綻を許さない機運も高まってきた。たとえば優秀だが口が悪い奴を(Netflix発で)ブリリアント・ジャークと呼び、採用はおろか追放されかねない害悪とみなされる。またマサカリ(正論や率直な指摘を相手が誰であろうと遠慮なく投げること)も許容されづらくなっており、現代でやるとハラスメント扱いされかねない
低性能との関係
Ans: 特に関係はない
強いて言えば、低性能は性能が低いせいで成長や成功を積み上げられず、どこかでくじけるため、これら3資質も鈍っていく
そういう意味では「なりづらい」と言えるだろう
実際、筆者も学生時代から熱心な趣味として取り組み、エンジニアとして働いてもいるが、📝平均の壁を超えられず後続に抜かされ、仕事や独立の水準にも応え続けられなくて、折れてしまった。今では情緒も脆く、知的好奇心も大してなく、そのくせ努力量だけは大きい(大きかった)ので自己ギャップも大きい怪物となってしまっているsta.icon