1964年成蹊高校サッカー部東京代表で関東大会初出場
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【1964年(昭和39年)8月成蹊高校サッカー部東京代表で関東大会初出場!】
1960年頃の成蹊高校サッカー部は、学園の特色として付属の成蹊中学校があり、課外活動の部員がそのまま進学してくるため、他の私立や区立の高校と比べてサッカーを経験した選手が多く、チームとして強いほうでした。
当時、サッカー部を保有する東京の高校の数は、約80校であり、2回戦を勝利するとベスト16、3回戦でベスト8でした。従って、成蹊高校の成績は常時ベスト16の位置にいました。
1962年の関東大会東京都予選で成蹊高校はベスト8に進み、準々決勝で当時強豪だった小石川高校と対戦しましたが敗れてしまいます。
しかし、1964年5月~6月関東大会東京都予選の1回戦で対両国高校を4-1、2回戦で対豊多摩高校を5-1、3回戦で宿敵対小石川高校を2-1で勝利しベスト8となります。準々決勝は、国民体育大会で全国4位になった駒場高校です。この試合に勝つとベスト4になり、群馬県館林市で開催予定の第7回関東高校選手権大会に出場することが出来ます。
この時のチーム(主将御厨雅宏)は、前年の国民体育大会東京都予選大会で初の東京都ベスト4になっており、関東大会出場を目標としてきたため絶対必勝!の覚悟で試合に挑みました。
果たして、1964年6月21日大泉高校グランドで対駒場高校と戦い、1-0で撃破し、成蹊高校として、初のベスト4、初の東京代表となりました。
次の準決勝は、対城北高校で0-3で敗退してしまいましたが、成蹊高校として初の東京代表の名誉は部員達にとって一生の宝物になりました。その関東大会の概要について次に記します。
第7回関東高校選手権大会のプログラム
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1964年7月24日 顧問 平田博則先生 同行
・東武浅草駅 10:06出発 ・館林駅12:05着 ・駅前旅館「吉野家」へ ・館林高校グランドを視察
7月25日
・神奈川県代表 対 湘南高校(館林高校グランド)
13:10キックオフ。相手のキーマン奥村を徹底マークし、3-1で快勝する。湘南高校は、強豪校であり湘南高校の勝利が大方の予想であった。35度を超える真夏の太陽の下、成蹊の選手は”走り勝ち”で完勝する。今、思い出しても良く走ったな!と感心するとともに、日頃の苦しい練習の成果であると確信しています。
7月26日 
千葉県代表 優勝候補の対 習志野高校(館林市三の丸グランド)
15:00キックオフ。シード校である習志野は、後に日本代表になる田辺選手を有し、初戦の勢いで向かってきました。
昨日の湘南高校との戦いの疲れで選手の体が重く、習志野ペースの試合で進行する。
結果は、0-5の完敗。実力が違うことを痛感する。
その後、習志野は勝ち進み第7回大会の優勝校となりました。
同日、19:39発 館林駅を出て帰京する。一生の良い体験でした。この時の3年生(御厨、伊藤、近藤、中澤、山本、藤倉、牧野)は、来年度の大学受験のため、この試合を最後に引退しました。
これは、当時のサッカー部では、恒例のことでした。この「文武両道」は、成蹊学園サッカー部の伝統となっています。
【「試合終了後、配布された新聞記者用の戦況表とメンバー表」】
{メンバー表}
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{対湘南高校戦}          {対習志野高校戦}
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