印南裕文(1985年経済学部卒)
成蹊学園サッカー部100周年に寄せる思い出
(本当はすごい85年次)
印南 裕文(1985年卒)
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この度は100周年おめでとうございます。卒業して33年?、100周年という言葉は重みがありますね。
さて、僕らの代は本当に下級生に助けられた代でした。
僕らの代は、総勢 15名、山田、森田、宗片、佐野、松本、藤本、飯村、渡辺(圭)、渡辺(伸)、坂井、香月、四栁、宮下、新田、印南。
当時の1学年の人数としては多かったように記憶しています。
ただ、僕らが3年生の時点で常時試合に出ていたのは、山田君(静岡出身、今でもあの三浦カズをアゴで使えるすごい人)くらいで、う~ん、影響力の低い代だったかなぁ? 当時の監督、コーチもそう感じていたと思います。
2年生の時に2部降格(当時、小職はセンターバック)、翌年、一つ上の4年生は非常に強力でしたが、昇格はなりませんでした。
そして僕らが最上級生になりました。みんなそれなりに危機感を感じていたと思います。春の成績、あまり覚えてないのでたぶん、大したことありません。
ただ、要所、要所に3年生2年生、またスーパーな1年生が数人いて、(4年生は3~4名?)秋季リーグ戦に向かって、チームが出来上がって行きました。
そしてリーグ最終戦。勝てば優勝、自動昇格。夢持って戦いましたが、残念ながら引き分け、2位、入れ替え戦に回りました。 試合後、主将の森田君が「あと一試合、みんな付き合ってくれ」と全員に声をかけ、解散したのを記憶しています。
入れ替え戦前日、一人の選手が居残り練習をしていました。右サイドバックの小林君(2年生か3年生、浪人、留年でよくわからない人)。右サイドからのシュート練習を繰り返し行っていました。
入れ替え戦の相手は、因縁の帝京大学。上の代がどうしても勝てなかった相手。
後半半ばまで0-0の均衡した状況が続きましたが、小林君のシュートが見事に決まり、勝利。一部復帰を果たしました。「練習は裏切らないな」と切に感じました。
試合後監督から、「4年生がここまでチームの良い雰囲気を作ってくれた。ありがとう。」という言葉がありました。なんか解放された瞬間でした。
【一部昇格】という明確な目標のもと、議論したことはなかったけど、一人ひとりが自分の存在意義を理解し、その役割を果たした結果が出たのだと思っています。
今全員が集まることはないけど、まとまった代でした。
最後に『自分はなぜ今ここにいるのか? なぜならば・・・・・・』夢ある現役諸君にはそれを問いかけ、OBとしては、これからの50年、100年、200年と我らがサッカー部の存続・繁栄を望み、筆を置きたいと思います。
以上
1984年度秋季リーグ最終戦後(対 成城)
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1984年度秋季リーグ 1部との入替戦後
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