仲里尚樹(1995年文学部卒:主将)
一番の思い出は大学4年の時に主将として迎えた最後のシーズンだ
仲里 尚樹(1995年卒:主将)
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当時は1年、2年時は東京都リーグ1部に在籍、3年の時は2部に在籍し、1部への入替戦で東洋大に惜敗。4年時は是が非でも1部に復帰し、「関東リーグ復帰への足掛かりを」という背景だった。
最終的には2部を3位で抜け、立教大との入替戦を1-0で制し、1部復帰を果たしたシーズン。 サッカーの技術、戦術的な部分は当時の菊池浩一監督、松尾尚之、田村真治両コーチやOBの諸先輩方から指導を受けており、不自由は感じなかったが、部員60名強をいかに一つにまとめるかが最大の課題であり、最も苦心した点である。
Aチーム、Bチーム、部員60名様々なモチベーションがある中で、いかに最終目標であるトップチームのリーグ昇格のために、チームとしてまとまるか大いに4年全員で話し合ったことが鮮明に思い出される。
特に紛糾したのは、部則に対する違反である。私はこれが部を預かるものとして、どうにも許容できなかった。注意不足に起因するものはまだよいが、確信犯的な、この程度なら大丈夫だろう、といった甘えからくる違反が許せなかったのだ。いま思えば、あの程度のことで、といった内容である。杓子定規に捉えていた感も否めない。
「思ったことを意見で出し合おう、ただ最終的にチーム方針を決めたら、その舵を切った方向に全員が向かおう」ということを当初から4年で決めており、見事に同期全員が実践してくれ、4年がブレることなく後輩に対応できたからこそ運営できたということ、同期に非常に感謝している。
個性の違う4年全員が意見を出し合い、右か左か舵を切り、その判断に責任をもつといった経験は、社会人となっても大い役立っており、苦しかった経験の方が多いものの、主将としての経験が私の拠り所となっているのは紛れも無い事実である。
こうして思い起こしてみると不思議なもので、直近の4年間より、大学サッカー部の4年間の印象の方が鮮明であることに自分でも驚いている。前述の話し合いのシーン、入替戦の勝利の瞬間、リーグ最終戦で入替戦進出を決めた同点のPKを蹴る前の静寂とゴール後の歓喜。改めて情熱を注いでいたな、と懐かしく思う。もし現役の選手が読んでくれたら、君たちはいまその時代をまさに生きていることを自覚してもらえれば幸いだ。
話は変わるが、40歳の前後辺りから同窓会というものが増えた。懐かしいメンバーと会うことも多くなったし、成蹊大学蹴球部のOBと会う機会も、若い時に比べると圧倒的に増えた。この小さな大学出身というだけで、例えばお客様に成蹊出身者がいれば、蹴球部でなくとも身内のように可愛がってくれる。成蹊とはそういう稀有な大学であると私は捉えている。その中においても毎日ともにいい時も悪い時も共有した仲間は、例え世代が違ったとしても同じ看板を背負って闘った仲間であり、「身内以上」なのだ。だから私は成蹊大学蹴球部のOBであることに誇りを感じている。
いまでも毎年同期14,5人と忘年会を開催している。日程を半年前に決定しているため驚異の出席率誇り、学生時代さながらの飲み会を李朝園を皮切りに繰り広げている。話すのは今のお互いの境遇より、当時の思い出話だ。あと40年はみな元気で集りたいものである。
以上