七戸博子
初代女子マネジャーに就いて
七戸 博子(1973年文学部卒・旧姓田村)
(黄色○印が七戸博子氏)
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2015年度OB総会時の写真(吉祥寺第一ホテルにて)
私は、1969年団塊世代も終わり、学園闘争真っ只中(東京大学入試も医学部以外中止になってしまったほど)の成蹊大学入学でした。高校(清泉女学院)時代のクラブ活動はソフトボール部、大学1、2年は海外研究部に入部しておりました。
3年生の時、当時中古のガタガタしたコロナで通学していたことで、体育会本部を通して蹴球部から、ボールを車で運んでほしいとの声がかかり、何も考えず気軽にお引き受け致しました。
4年生主将志村誠一郎さん、主務小野進さんのもと、試合のある時のみボール運搬、他にOB通知の作成発送の手伝い程度の仕事でした。数ヶ月後に一年生の坂本由起子さん(75年卒)も加わり、二人でのんびり参加させていただきました。この年、志村さん、小野さん、三年主務山田邦男さん達と、サッカー部の文集を作ろうということで「桃蹴」を編集発刊しました。体育会蹴球部はあくまで男子スポーツ、女子マネジャーには期待せず、このような程度の立場で充分と今でも考えは変わっておりません。
時代も変わり男子部員の人数が増えたにしろ、現状の10数名の女子マネジャーは少々多すぎるのではないかと考えます。それでも試合結果をしっかり出しているのであれば、それはそれで話は別ですが。こんなことを書きながら、先に記しました仕事ぶりの初代女子マネジャーでは、申し訳ないかぎりです。
今般寄稿文を書くに当たり、思い出そうにも、もう50年近く前のこと、2回の引越しで当時の資料も何処へやら。試合結果等細かいことは忘却の彼方です。幸い大学卒業後も、経済学部助手として大学に5年間奉職させていただいたので、サッカー部の学生達との交流もあり、面白くて楽しかった想い出ばかりが残っております。
現在は私たちの学生時代に比べ、サッカー人気も格段に高く、学生の技術も更に向上しているように思います。くれぐれも健康やケガには注意を払い、思う存分グランドを走り回り、活躍して青春のすばらしい想い出をたくさん作ってほしいと願っております。
最後になりますが、同期副将だった夫、七戸一生(2013年5月急逝)が、ここに元気でおりましたら、100周年記念のお祝いをどんなにか喜び、大騒ぎをし、張り切ったことと思います。これまでに皆様に大変よくしていただいたこと、感謝致しますとともに、心より厚く御礼申し上げます。