自分は本当にコンピューターが好きなのか?
自分は本当にコンピューターが好きなのか?
「好きかどうかわからない」で検索すると恋愛の話ばかり出てくる
困ったなあ
発表が近づくにつれてやる気がなくなる
高専を受験するか迷っているときからこの問題は顕在化してきた
誰かに褒められたり、趣味仲間を作ったりすることのほうが好きなんじゃないかなって
博士課程に進学すべきか?みたいなチェックリストをネットで見たが、それにも「誰かに褒められるために進学しようとしていないか?」みたいな項目があった
勘違いしていたのかなあ
また、これを支えるもうひとつの着想を国語の授業中に得た
いま発表が怖い
LTや勉強会ではちょっと緊張するけどそれほどでもない、慣れた
しかしながら、評価を受けるような発表の前はすごくなーバスになる
ええい例を上げてしまおう
SH365の最終発表会
いまこのリストを書いているのはそれの3,4日前
数日前には夢の中で発表して「それってどこに独自性があるの?」と突き詰められる悪夢を見た
作ったものに自信がない
この辺の詳しい話はpplogに書いた
今年のプロコン前
帰りたい帰りたいって言ってた
「処刑」という言葉がしっくりくる
刑場に向かうバス・新幹線
やっぱり支えるものではなくて否定するものかもしれないという思いもある
まだ単純に慣れていないだけじゃないかということ
プレゼンそのものに対する姿勢のように
というかプレゼンには慣れているのかな?
発表するネタを自分で作れるようになったのもありそう
LiTではわりとニコニコした感じで成功体験として記憶されている
授業中に発言したりするのは昔は結構よくやっていたけれど今では板書の間違いを指摘するために声を上げるだけでも動悸がする
これはどういうことなんだろう?
終わってみると最悪のケースは逃れられるんだけど、不安は消えない
心を読みすぎる、考えすぎる
話をコンピュータに戻す
現にコンピュータに向かっていても文書書いたりTwitterしたりしているわけですよ
SH365の作業が進んでないのを見るのが嫌なだけで、コンピュータというのは主語が大きかったかもしれない
受験期に考えていたことを思い出してみる
黒いRollbahnか緑のノートに載っているかもしれない
怖くて開けられないが
やっぱり「寝食忘れて」という経験を7年で一度もしていないのをふとした瞬間に意識してしまう
本当にこういう経験にみんななるのだろうか
当然自分はない
勉強から逃げている
傷の舐め合い
そういうことなんだろうか
大学出るまでは好きじゃなきゃいけないとか思ってたけど、もしいますでに好きでないのならそれは無理そう
好きではないという前提で動いていけばいいのかもしれない
好きではないけど、単純に勉強として続けていく…
そして別の好きなことを探す…
コンピュータという捉え方から離れられていないのかもしれない
一度外に出ないと捉え方を変えられないのだろうか
分節化の方法を間違えたか
コンピュータが好きなのではなくて、たとえばものを動かしたり、デザインしたりという切り口で捉えるべきだったのかもしれない
深い浅いというのは絶対的でなくて、「どこから」浅い深いのかを考えなければいけないというのが持論
それと同じように、浅く広く・狭く深くの「広い狭い」についても「どの面から見て」広く狭いのかということを考えなければいけないのかもしれない
ホットケーキは上から見ると円く広いが、横から見ると四角く狭い
横から見るというのはあくまで一例で、別に60度ぐらいから見ても良い
狭く見ることができると、範囲が限定されてわかりやすいかもしれない
狭く見たときに、その形にはどういう名前がつくのだろうか?
好きか好きじゃないなんてことを考えている時点で…という再帰的なつらさに襲われることがある
これは正しいのか?自省と呼べないのか?
情熱に自省は必要ないのか?
好きなことを小さな単位で書き出して見る必要がありそう
言語・単語は難しいなあ
ただ、何をやってもどこかでこういう疑問に当たる気がする