幸田露伴の「菓子」
幸田露伴の「菓子」というエッセイがある。青空文庫には今のところ入っていないが、講談社文芸文庫の『雲の影・貧乏の説』と『珍饌会 露伴の食』のどちらにも収録されている。
タイトルの通りお菓子についての文章だが、書き出しは「煙草は必要でない」からはじまる。
続けて〇〇は必要でない、〇〇も必要でない、と不必要なものが列挙されていく。
大正六年十二月にこのエッセイが発表された当時、世間では物事について必要か否かで論じる風潮があった。露伴は本題に入る前にその風潮について検討していく。ユーモラスな調子ではあるが、半ページほどかけて、しつこいくらいである。実際、露伴が本当に語りたいのはお菓子よりも、この世論についてかもしれない。
「不必要と必要とで物を論ずるのは面白くないと感じている吾人も、菓子を然程に必要の物であるとも思っては居らぬが、菓子があるのと無いのと、どちらがよいかと云えば、ある方がよいと思って居る。」
こう結論付けて、ようやくお菓子について語っていくのだが、自分が好んで食べるお菓子について語るのではなく、世の中にあるさまざまな菓子について容赦なく批判していく。饅頭は蒸し菓子なのに冷えた物を出すのはいかがなものか、Aは甘過ぎる、Bも甘過ぎる、Cも甘過ぎる、Dは油過ぎる、などなど。
物事を必要・不必要という二項対立的観点から裁くのではなく、不必要なものかもしれないが、それが存在する方が良いという判断へと着地させる。不必要なものの筆頭としてたやすく挙げることのできる菓子に対して、分析し批判し多くの言葉を重ねていく。不必要とジャッジされる可能性がある多くのものの中には美術も、文学でさえも、ありうる。露伴のこのエッセイは、剽軽な風を装いながら、案外真面目な批評のデモンストレーションだ。言葉を重ねることは、物事が切り捨てられることへの抵抗であり、その言葉自体が、その物事が存在するゆえに生み出された豊かさである。
2024.2