『言語が消滅する前に』を読んで考えたこと
2022年1月5日22時32分
Twitterのタイムラインでとても話題となっていたので、購入しました。
タイムラインを見ていたら、感想を短くまとめたツイートがリツイートされてきましたが、とても自分にはそんなに短くまとめることはできませんでした。
ここで、断片的な感想を書こうと思います。
■『言語が消滅する』ことについて
本の表紙には、他にもさまざまなテーマが書かれています。
情動、ポピュリズム、安全至上主義、エビデンス主義、グローバル資本主義、弱体化する言葉……。
気になるテーマがいくつかありましたが、私はその中でも、第四章で触れられていた「弱体化する言葉」についての一節がとても気になりました。
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國分 フーコーの 『言葉と物』( 新装版、 新潮社、2020年)だと、17世紀の古典主義時代のエピステーメーでは、 言語は透明な媒体として捉えられていたので、言語そのものの存在が見えていなかった。 それが 19世紀に入ると、ヘルダーリンの詩などが 参照されながら、ゴツゴツとした岩のような物質としての言語が発見されたという話になっていきますよね。
そこから考えると、現代の言語は17世紀に戻っているようにも見える。17世紀と違っているのは、コミュニケーションが必ずしも言語に依拠せず、非常に情動的なものになっているという点かもしれない。
千葉 情動的表現が前面に出てくると、解釈が必要な言語は邪魔なわけですよね。 もっと直接に情動を表現できる絵文字、 エモティコンが 幅を利かすようになる。 エモティコンは、エモーション(emotion)とアイコン(icon)からなる造語で、表情や感情を表す絵文字のことです。この言葉が示すように、 現代では言語の弱まりとともに、イメージを使った、直接的な情動喚起の時代へシフトしてきていると思うんです。
國分 LINE や WhatsApp でわかったのは、日常のコミュニケーションにはスタンプや絵文字などのエモティコン だけで十分だったということでしょう。それはしっぽを振って喜びを表現するタイプのコミュニケーションに近づいている。そして、以前も話した通り、それと並行してメタファーや無意識の弱体化が起こっている。
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友人とLINEやTwitterでやりとりをする時に、エモティコンはなくてはならないものです。
私の場合は、文字だけでは足りない情報を補足するために使います。
(相手によってはまったくエモティコンを使わずにやりとりをする場合もありますので、場合によって細かく使い分けをしています)
文字だけだと、やはり「冷たく、きつい印象」になってしまうことがあるので、相手からエモティコンを使ったメッセージが届いた場合には、必ず、おおよそ同じくらいの分量のエモティコンを使うようにしています。
文字だけだと、どんな感情をこめてその言葉を伝えようとしているのかが伝わりにくい、と感じる人が、どのくらいの割合かはわかりませんが、いらっしゃるのではないか、と感じます。
「言語が弱くなった」のか、それとも「以前よりも言語を使う人が増えたために、伝わりやすくする工夫が必要となった」のか、どちらなのだろう……と考えることはあります。
言語は、「言語だけで書きあらわす美しさ」はあると感じます。
小説や論文のような、ある程度の長さがあって、段落がわかれている文章を読むときに「字面の美しさ」が気になることがあるからです。字面の持つ魅力に惹かれて文章を読むことが、個人的にはよくあります。