AIでコードが書ける時代に、なぜプログラミングを学ぶのか
2026-04-24
最近、42Tokyoでプログラミングを勉強していて、周りと話していると、結構よく聞く言葉がある
「もうAIの方が自分よりコード書けるしな…」
「今から頑張っても、AI以上になれる気がしない」
「だったら、もう勉強しなくてよくない?」
これ、気持ちはかなりわかる
実際、LLMはかなり速い
ちょっとした実装とか、調べ物とか、ある種の整理とか、普通に人間より速い場面がたくさんある
だから、焦る
というか、普通にヘコむ
自分も、そういう空気を感じることが増えた
AIが強くなっても、「学ぶ意味」がなくなったわけではない
もちろん、もっと先の未来はわからない
いわゆるAGIみたいな、もっと汎用的で、人間を大きく超えるAIが出てきたらどうなるのかは、正直まだ全然わからない
でも、少なくとも今の時点で思うのは、
AIが強くなったからといって、人間が学ばなくてよくなるわけではない
ということだ
むしろ逆で、
AIが強い時代だからこそ、人間側の「引き出し」が前より重要になっている
気がしている
AIは答えを出せても、何を解くべきかまでは決めてくれない
このことを強く実感したのが、ミニカーバトルに出たときだった
ラジコンカーを自動運転させる大会で、自分たちのチームは50何チーム中4位だった
かなり健闘はできたと思うが結構悔しい
でも、1位のチームが本当に強かった
何が強かったのかというと、単純に「コーディングがうまい」とか「機械学習に詳しい」とか、そういうことだけではなかった気がする
制約を整理して、現実に合わせて問題設定するのがめちゃくちゃうまかった
大会って、当たり前だけど制約だらけだ
予選や決勝まで、あと何日あるのか
機体は何円までなのか
当日の照明やコース環境はどうか
チームメンバーは電子工作にどれくらい慣れているのか
どれくらい練習時間が取れるのか
実験環境を再現するには、どれくらいお金がかかるのか
センサーは何個載せるべきなのか
センサーの位置はどこがいいのか
機体を重くしたら、どれくらい曲がりづらくなるのか
こういうのを全部踏まえた上で、
「そもそも自分たちは何をやるべきなのか」
を決めないといけない
でも、AIに聞くと、そこをすっ飛ばしてそれっぽい答えが返ってくることがある
たとえば
「自動運転したいなら機械学習ですね」
みたいな話
もちろん、それ自体は間違っていないかもしれない
でも、
その前提が本当にこの大会、この予算、この期間、このチームに合っているのか
は別の話だ
速くコードを書く力より、前提を見抜く力の方が効く場面がある
実際、1位のチームは機械学習ではなくルールベースでやっていた
それも、なんとなくではなくて、ちゃんといろいろ試して決めていた感じがあった
センサーは何個がよさそうか
位置はどこか
どういう条件だと安定するか
限られた期間で、何を優先して検証すべきか
そういうことを、評価実験みたいに一つずつ積み上げていた
あれを見て、
「ああ、強いな」
と思った
コードを速く書けることや、AIにうまく実装させることももちろん大事だと思う
でも、大きい課題を解くときに効いてくるのは、それだけではない
まず何を疑うべきか
どの条件が本質なのか
何を先に捨てるべきか
みたいな判断の方が、最後は勝負を分けることがある
AI時代に価値が出るのは、人間側の「引き出しの多さ」だと思う
今って、ある意味みんな同じようにAIを使える
でも、
何を聞くか
どの前提を疑うか
何を比較するか
どこを実験するか
何を先に捨てるか
そこは結局、人間側の理解に依存している
これって、別にプログラミングに限らないと思う
数学でも、物理でも、デザインでも、研究でもそうで、
何かを学ぶって、
単にその場で速く答えるためだけじゃない
自分の中に引き出しを増やして、問題の見方を増やすこと
なんだと思う
だから、
「AIの方がコードを書くのが速い」
と
「人間がプログラミングを学ぶ意味がない」
は、全然同じ話じゃない
プログラミングを学ぶことは、コードを書く訓練以上の意味がある
たとえば、小学生が
「電卓あるんだから、四則演算なんてやらなくていいじゃん」
と言うかもしれない
でも実際には、計算を学ぶことって、単に暗算を速くするためだけではない
その先の数学の土台になるし、
数の感覚を持つことにもつながる
プログラミングも、それに少し似ている気がする
コードを速く書けることだけが価値じゃない
コンピューターの中で何が起きているのか
アルゴリズムの違いで何が変わるのか
メモリやデータ構造や制約がどう効いてくるのか
実務的に予算との兼ね合い、将来追加や変更されるかもしれない機能や要件
そういうことを理解していると、
あとで大きい課題に向き合う時に効いてくる
正直、自分も昔は、
「社会課題を解決したいのであって、技術そのものに興味があるわけではない」
みたいな感覚がかなりあった
でも、実際にいろいろ作っていくと、
技術そのものを地道に学ぶことが、結局は課題解決の土台になっている場面が本当に多い
自分より賢い存在がいても、自分の問いまで消えるわけではない
もう一つ思うのは、
たとえ自分より頭のいいAIがいたとしても、
たとえ自分より優秀なエンジニアが世界中にたくさんいたとしても、
それは、自分が学ぶのをやめる理由にはならない
ということだ
なぜかというと、
解きたい問題は人によって全然違うからだ
たとえば、ものすごく優秀な人がいたとしても、
その人が自分の近くにいる誰かの困りごとを解きたいと思っているとは限らない
地元の小さな不便かもしれない
友達の困りごとかもしれない
自分の生活の中でずっと引っかかっていることかもしれない
その問題に気づけるのは、自分かもしれない
それを解きたいと思えるのも、自分かもしれない
もちろん、人を巻き込めるなら巻き込めばいい
自分より得意な人と一緒にやれるなら、それは素晴らしい
でも、
自分が解きたい課題に対して、自分の手でも少しずつ前に進められる
というのは、やっぱり大きい
いま役に立つかわからない学びが、あとから効いてくることがある
有名な話だけど、ジョブズのConnecting the dotsの話が自分は結構好きだ
スタンフォード大学での2005年のスピーチで、点は先を見てつなぐことはできず、後から振り返って初めてつながる、と語っている。
これ、きれいごとっぽく聞こえるけど、実際かなりそうだと思う
自分も、オンラインのディベートサービスを作ったことがあるけど、
別に最初から「将来そのサービスを作るためにディベートをやっていた」わけではない
同じように、
「将来この問題を解くためにプログラミングをやっていた」
わけでもない
その時その時で、
なんか面白い
なんか気になる
なんかやってみたい
と思って積み上げてきたことが、
あとからつながる
そういうことは本当に多い
だから、
「これって将来何の役に立つんですか?」
を、その瞬間に完璧に説明できなくても、そんなに変なことではないと思う
むしろ、そこを考えすぎて手が止まる方がもったいない
だからAI時代こそ、学びはやめる理由より増やす理由になる
今は、すごく優秀な秘書みたいなものが手元にある時代だと思う
だったら、
「自分はもう何も知らなくていい」
ではなくて、
その秘書に渡せる材料を、自分の中にどれだけ持てるか
の方が重要になってくる
たくさん学ぶ
たくさん試す
自分の中の引き出しを増やす
そうするとAIは、その引き出しを増幅してくれる
だから自分は、
AIが来たからこそ、勉強の価値はむしろ上がっている
と感じている
もちろん、30年後にこの文章を見返したら、
「全然違ったこと言ってるな」
と思うかもしれない
でも、少なくとも今はこう思っている
自分より賢いAIがいても、自分より優秀な人がいても、学ぶことをやめる理由にはならない
むしろ、だからこそ学んだ方がいい
引き出しを増やした人ほど、AI時代を面白く生きられる
そんなことを、最近かなり思う