C4Q/C4P
in the blue shirt アリムラ氏の提唱する概念
雑な理解
C4Q: Create for Quality
C4P: Create for Personality
主張①良いクオリティを求めて制作すること(C4Q)と、個性の表出のために制作すること(C4P)は、本質的に異なるふるまいである
主張②C4Pではお金を稼げるとは限らない(まず無理なことも多い)が、全員C4Pをやったほうがいい
自分領域/市場需要の話の続きで、「じゃあそれが重ならない人間は何を支えにして創作活動を続けていくべきなのか」という問いの答えを見つける言語化なのではとsanokazuya0306.iconは感じている 以下Xに書いたこと
最近「『産業』の外にいるおれたちがどこから『産業』に入るのか問題」についてずっと考えていたが、アリムラ氏のC4Q/C4P話と結びつけて考えられる気がしてきた
たとえば「クリエイティブ産業」でなんとかやろうとするから苦しいのであって、それがたとえば「民泊産業」とかに入ってしまえば意外となんとかなる場合がある、そういうところではなぜかC4Pが金になったりする、全然需要のわからねー飲食店が生き残っているのはC4Pだからであったりもする
しかし「なぜかC4Pがカネになる」であれば、こちらも以前アリムラ氏がまとめていた「できることとカネになること重ならない人間どうすんねん問題」に対する回答になっていない、結局できることがカネになってよかったねとなり、そうでない人が(その尺度では)救われないままである、C4Pはその回答だろう
産業の話に立ち返ると、C4Q/C4P話は「自分のやりたいことがカネにならなかった人間が、それでもつくることを続けるべき意味」の議論である(と解釈している)ので、やりたいことが産業に位置付けることがどうしても難しいなら、できるだけ産業から離れたとこに置こうぜ、ということになるのかな
この世の果てこと広告業界から出てきたので「C4Qをカネにできないのは気合いが足らんから」という感じにすぐなりがちだが、それを楽しくやれるならやればいいし、やれないのであれば単に無理してやらないほうがいい、素直に別で稼いで健康にやりなさい、という話かもしれない
けど最近は「常軌を逸したレベルで(≒ちゃんと)やれば(お金になることを含めて)わりとなんか実る」ということもわかってきたので、もし頑張れることならそれをやってみる価値はあるかもしれないとも思う、C4PであるままC4Qの需要に応えるということかな。C4Pが好きな人には無関心な人も多いかも。