特設艦船
特設水上機母艦
特設特務艇
氷川丸級貨客船
特設運送艦船
特設運送艦
特設運送船
「商船はしょせん商船である。いくら武装しても大して役に立たない。太平洋戦争中でもやはり商船は輸送任務にこそ真価を発揮したのであって、補助軍艦としては戦果に資したことはいくばくもないことを知らねばならない。」 「建造計画のはじめから、軍艦――この場合航空母艦――への改装が条件付けられていたのであるから、豪華客船「橿原丸」はいずれ戦闘に参加せざるを得なくなること位は艤装担当者にはわかっていたはずだ。戦闘用の艦船にはあれこれという装飾問題は生じなかったであろう。だが、しかしなのである。艤装担当者達は「橿原丸」という、まだ目鼻だちのはっきりしない娘に対して「想い」のたけを込め、担当者間でその意気の高さを無言のうちに競い合ったのではあるまいか。戦闘に向かえば、必ずや凱旋するという保証は、もとより客船としての体軀だからなおさらなかったであろう。 人が「死に赴く生」を生きる時に似て、「死に赴く生」に人が形を与えてゆく過程は、近代的な効用論を超えて成立する。そして、それは「気高さ」を湛えてしか成り立たない。まさしく己の内の「散華」の美学が「橿原丸」という娘の「旅装」に託されていたのだと思えてならない。」
「上掲の写真は公試時のものだが、船体には既に軍艦色が塗装されている。唯、船体の白線と白い上部構造、大の字マークは、船主と造船所が薄幸の娘に施した餞の化粧とみることが出来よう」
「新田丸型は欧州航路用として、北独ロイドの新造船ポツダム、グナイゼナウ、シャルンホルストに対抗するため建造されたもの。一万七千トン、速力二ノット。新田丸、八幡丸、春日丸の頭文字を取るとNYKになる。非常にモダンな設計で普通下層甲板にある食堂をプロムナード・デッキに移し、眺望をよくしてあった。三隻とも海軍に買上げられ、航空母艦になった。新田丸、八幡丸は竣工後それぞれ一航海だけ米国航路に就航したのだが、折角の善美を尽した客室設備を容赦なく、スクラップされるのは見るに耐えなかったとは立ち会った工務担当者の話であった。八幡丸のソファその他備品の一部は貰って来て飛田給の運動場の応接間に使った。せめてもの記念という意味であった。新田丸は沖鷹となり、八丈島沖で、八幡丸は雲鷹、南支那海で、春日丸は大鷹、比島沖で、米潜水艦の雷撃で撃沈された」 「昭和初期、可能な限り欧米のしきたりや技術を取り込んで国威の発露たらんとした「浅間丸」型は、多くの要人や著名人をのせて太平洋を往来し、時代の推移を陰で支え、時には自ら表に立った。日の丸船隊の花形とうたわれながら、それでも現実は順風満帆とはいかなかった。この3隻こそ、日米戦の無謀さを最も熟知していた船だったはずだ。外交とは何か、平和とは如何にして得られるべきか。自らの時代に、忌まわしい流れを別の方向へと変えることはできなかったのか。日本という場所に生き得たものは、果たしてどうあるべきなのか……。暗い深淵で、彼らは今なお自問自答を繰り返しているかもしれない。ただ、空母という戦争の道具になりかわらず最後まで客船という本来の姿を通しおおせたことで、彼らは平和の尊厳を未来まで明快に体現する力を手に入れた。あなたには深淵の声が聞こえるだろうか」