その他副産物・経過置き場
最近作ったgif
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阪急乗ってて、前の人のスマホの画面が車窓に映ってて、つい見てしまったんだけど
スロットやってた。
めちゃめちゃやってた。すげーー虚無な感じでひたすらボタンを押してた。
でもパチンコとかの演出ってすごい人間の心理に作用するようにできてるって言うじゃん。
多分スロットもそうで、
めちゃめちゃ動いてるものがピタッと止まる時とかすごい気持ちいいじゃん、
なんかそういうの制作に応用できないかな。
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創作のヒント:
GPTとシンセサイザーの発想がどちらもダイヤル式なところから、似ているなと感じたのでChatGPTに聞いてみたところ…
なんか湧きそう!!
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wiredのメンバーシップ入るべきでは?
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クオリア
→個体の中で主観的に立ち現れる感覚意識体系
(未来をつくる言葉ーわかりあえなさをつなぐために:ドミニク・チェンp.24)
⇒oupe ecにクオリアが出来上がったら面白い。でも本当に必要な要素かは検討
豊田 そういった環境に宿るAIに身体性は要ると思いますか? さらに言えば、身体性が固定されていなければならないでしょうか? つまり、ある部屋のAIがほかの部屋に移ってもAIとしてちゃんと機能してぼくらとコミュニケーションできるのか、ということです。『攻殻機動隊』の少佐のように完全にネットに溶けてしまえば身体性はないですよね。ぼくはああいったエージェントがアイデンティティをもちうるとは正直思えなくて。
金井 身体性というと、物理的な身体という観点もありますが、一方でアクションができることが大事だと思うんですね。ただ観察してすべてを認識するだけではなくて、その空間の中にいる人に働きかける。音を鳴らすとか空調をかけるとか、それしかできなくても、インタラクションがあるという意味では抽象化された身体性だと言えます。こうしたインタラクションがないと、現実をうまく認識できないんです。AIの機能を上げていくなかでも、新しい知識を得るためにアクションが必要だという要素があります。だから、自分からどんどん学んでいくような目的をAIに与えると、ある種の自発性といったものが勝手に生まれてくる可能性はあると思います。
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たとえば、機械と人間の違いって再帰構造の有無だと思っていて。原動機においては、代謝するエンジンという鋼でできた存在と代謝されるもの、エネルギー源としてのガソリンが完全に分離していますよね。だけど人間とか生き物って、食ったものを燃やすことによってその食うという動作を行うわけです。糖分は燃やされ、タンパク質やアミノ酸は身体そのものの一部になる。逆に何も食わない飢餓状態だと自分自身の筋肉とかタンパク質を燃やして自分自身を動かし続けたりする。
そこには代謝するものと代謝されるものの区別が厳密にはなくて、散逸構造としての生命というものがある。食うものと食われるもの、主体と客体がないまぜになった状態で、自分自身のエネルギー源として自分自身を自己消化し続ける。意識もそうですよね。僕らは何かについて考えると同時に、考える自分という存在についても考えている。そこには本質的に再帰という構造が含まれているんだみたいなことを、『ゲーデル、エッシャー、バッハ』のダグラス・R・ホフスタッターは言っているわけです。
プログラマーが再帰という構造によって何かを記述することが好きなのって、再帰というものが秘めている生命性というか、複雑さというものに直感的に惹かれる部分があるんじゃないかと思っています。人工知能の分野でも、知性の模倣をするためには、自己再帰性というものがその実装に使われるプログラミング言語に備わっていなくちゃいけないんだという考え方があったような気がしていて。
往年の人工知能研究で使われていたLispという言語があります。普通はプログラミング言語によって処理できるのって、エクセルの関数を見てもわかる通り、数値や文字列のようなデータだったりするんですが、Lispにはマクロという、プログラムの操作の対象をプログラム自身に向けることができる面白い機能があるんです。そういったある種の再帰性をもったシステムじゃないと、人間の知性みたいな複雑なものというのは構築することができないんだというドグマがある時期の人工知能研究にはあったんじゃないかって想像しています。
(橋本麦)
→今読んでる(ちょっと古いけど)「情報と生命 : 脳・コンピュータ・宇宙」
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という本があって、ここで初めて、自分がoupe ecに抱いてる「情報なのに生命を感じる」現象について迫れた気がした。
上記の橋本さんの人間と機械の違い(私は生き物と機械の違いに感じたけれど)が再帰構造の有無であると言っていたこととリンクするなと思いました。まあ、後編のインタビューでGPTの登場でその神話が崩れたって言ってたけど。
触ってみたい。面白そう。
(橋本麦)
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6/12にクロステックの石川啄也先生のゼミに潜ってきたが、ゼミそのものの形がVCDとは違って興味深かった。
まず学科的な性質だろうが、彼らのアプローチはデザイン<アート、哲学的模索であるように感じた。
もちろん、プロセスにはデザイン的な思考があって(一応情報デザイン学科の世代)ヒトの営みを大事にする感じとかはとてもデザイン分野らしい印象だったが、反面制作過程は非常に自由で幅広く、検証に向かう科学的な姿勢と、表現的なアート感があった。
グリッドのグの字のない進行をする少人数ゼミで、驚くべきことに私が参加した日には3人もの一年生が参加していた。
(まあそれは石川先生が今年で居なくなるかどうかが不確定で、先生目当てにクロスに入ってきた子達は「今しかねえ」状態でやってくるわけだが。)
数卓合体した机の上には有線イヤホンが繋がれた録音機材にAI文字起こし、机に広げられた堅揚げポテト(ブラックペッパー)。
1回生に対してはお悩み相談に乗り、4回生に関しては経過報告という流れだった。
同学年他学科の成果発表を聞く機会はなかなかない。半ばスパイのような気持ちで参加していたが、ここは自学科と同じように各々詰まっていたり、制作したがうまくいかなかったり。また、その場で体験型テストをしていた子もいた。
ただうちのゼミと違うところは、1:3(先生が1)で責任を持って見ている点だと思う。
もちろん我々の学科のゼミにはそれはそれで良いところがあるが、
のような感じで、毎度変わる責任者に対して説明しなければならないことが、よく作用することもあるだろうが、時間が限られているのが災いして、浅い成果発表になっていくような気もしている。
まあ、自分が持っていくものも明瞭じゃないから、この形式で今この感じなのは仕方ないとも思う。(coreを見直す)
超域を一人の人間に求めるか、それぞれのエキスパートで分担して担うかの違いなのかもしれない。
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qubibiさんのブログ初めて読んだけどおもろ。
2013の時点でリアルタイム生成とかの技術って確立してたんだなあ。何も知らないや。
自分AI使って制作してるけど、仕組みの理解をすっ飛ばしてChatGPTにプログラム組んでもらってるから、本当に情けないというか、効率の悪いやり方をしているなと思う。最近になってようやくYoutube漁るようになったけど、
https://youtu.be/y7NQiNER6r4?si=Qcr1KFPD2eX7ZkO3
こう言うところからスタートだなと思う。解説わかりやすすぎ。
qubibiさんは多摩美出てwebの仕事をずっとしてのだと聞く。やっぱこうやって手を動かしつつ感覚に従っていったら今の地点に行き着いたんだろうなあ。デザインとプログラミング。自分もそちら寄りなんだろうか。
ブログ関連でいくとimoutoidのブログ
も面白い。どんだけ賢い高校生だったんだろうと思うし、とんでもないクリエイターだなと改めて思う。
当時のブログ文化にそこまで入り込んでいた訳ではないけれど(2ちゃんねるも)
寺田創一さんのブログを読んでいたときに(どの記事か忘れたけど)、若き日のきくおさんであろう人物の書き込みがあって胸が熱くなったことも思い出した。
https://scrapbox.io/files/683befcc825e06da3fb2586b.png
↑京都来てて感動して行ったよね。マジで年齢感じない若い人だった。超・超いい人。
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小学生でニコニコ動画やフラッシュ、ブラウザゲー、初音ミクに出会ってから、そこそこインターネットの人間だったが、プログラミングをしたいと思ったことはなかった。タイピングが周りと比べて少し早かったくらいで、別段友人のように自作PCに興味があってマザーボードがうんたらとかCPUGPUがうんたらとかいう話に何も魅力を感じてじなかった。
ただ、MMDは触ってみたいなと思ってたし、vitaのproject DIVAシリーズとかで動画のエディットの機能があって、きくおの「テクノロジーに夢乗せて」のMV作ってみたり、そういうのはやってたなと思い出した。
そもそもproject DIVAのMVを見るのが好きだった。モデルはアーケードとかps3(ドリーミーシアター)の方のACミクが好き。
もうマジで
https://scrapbox.io/files/683be8ddcf0efff8eb23f0b4.png
マジでこのモデルが好きすぎる。円盤を買って何度眺めたことかわからないけれど、このリアルなのにキャラクターで現実とバーチャルが曖昧になる佇まいがたまらない。
ここにいるけどここにいるはずのない造形がたまらない!!
そして、大感謝祭の頃のミクは挙動が絶妙におかしくても最高にそこが可愛い。髪の毛の物理が変だったり、口パクがずれててももう愛でしかない。
この熱をいつか、どうにか昇華したいと思ってる。ずっと想ってる。
タイムスリップしてみてみたいなと思うのは、queenのライブ(モントリオールかハマースミスかレインボーシアターのやつ)とミクの日大感謝祭。