僕という受験生について、その哲学
僕は自分を「受験生」として、自分のアイデンティティ=仮面として同一化させたことがない。このことは、少し他の受験生と僕とを隔てている特徴だったらしい。僕はフィロソファーだったのかもしれない。ソフィストのような見返りはあまり僕の求めるところではなかったようだ。
それでも受験というのはある程度はストレスフルなものだ。結果が出ないというのは、人に不快感を与える。
文学の実効を与えてくれたのは辻村深月の傲慢と善良だった。カズオイシグロの日の名残りもそうだが、思い返してみれば、僕はあの時期、僕の内面にいた信用できない語り手を現前化させてくれるような、そんなものを求めていたのかもしれない。
そして、受験生の時、というか、野球部を引退してから内面化したもう一つの重要なフィロソフィーが、エリートの傲慢さだ。これは石井光太の誰が国語力を殺したのかとか、彼女は頭が悪いからとか。
村谷くんが僕に与えてくれた影響
学校後遺症