中島隆博
13行の真理が書かれた書
暗唱させられた中国古典がインターネットによって無駄になった?
国文学の授業で和歌をやった時:全部暗記させられる
記憶力とは何か
A I、デジタル技術の誕生:
思考するとは何か?:「共同行為なのでは?」:私たちが、、、:友情と共に哲学する(ニヒリズムの打倒?)
(あるいは身体と共に?)
インテグリティ:完全性=完成性?、分割できない、関係=外在的
ーーインテグリティの絶対化
思考=所有物
ヒューム曰く、理性というのは感情の一般的な穏やかな規定でしかない
=感情の制御が問題になるーー人為的な変更が必要
ドゥルーズを引用:自然な社会性として存在する共感の中に矛盾が露呈している。共感を、、、その他の感覚と統合していく:自然を超えた形而上学として問うていかなければならない 戴震:孟子の概念をたどるーー能動的で、関与する読解 礼とは情の問題だ。情が厚くなっていかなければいけない。そのための規範として存在するのだ。 忍びながら忍びざるような思い。仁の再考。Human co-becomingというザラザラな英語。英語に教える。(マイナー文学) 他者と共に人間になりゆく。
デカルトの我思う故に我ありって、「共にある」ことが前提だとあり得なくない? 「もの思う」ーものは客観的な対象なのか?ものとは何か?(そういう間がある)=そのエージェントとして客観の「私」
:一人称複数代名詞
仏教修行:誰かと一緒に向かい合わなければならない。一人で悟ってしまう場合もあるが、他の人に確かめてもらわなければならない。
贈与のための説法=知識は「蓄える」べきものではない
禅においては、「わけ与えて共有する」知であるべきだ。 ・AIについて考える
現代において、知は外在化されている。
ーーならば
ーー道義的な責任は?
マイルドな悪に開かれたAI
我々としての自己ーself as we ーインタラクションの中での変遷ー自己とは、全体の中で構成されるもの(意味の場の必要性)
ーーweが悪い場合
動物について、アニマル人(奴隷ー主人としての規定) intimateな関係
古典とはその最終章が常に読者によって書かれるものだ・(蓮實重彦) 自分に対しても、古典に対しても共有すること。それが教養のあり方ではないか。 読むー書くとは「傷がつけられる」ことだ。
ここの「諦め」=どうでもよさ、粘り強く。
時代を超えて繋がるーー
さとりとは何か、ではなく「how」ではないか。行為遂行的なものが必要。
古典とは、読む人を揺さぶる:めくることを拒ませる:次は何が来るのか:壮大さ
文字=真似ごと=身体=単語をアルフベットに分解ー身体
アニミズムとの関わり
無理強い、ザラザラ感を原典で感じるーテクストにたえる
古典を読むことによる、リズム:転調の発生