テストが僕に要求してきたもの
僕は、というか、東大生一般に対して言えることでもあるが、「テスト」というものに自分を「成形」するのに、たくさんの時間を費やしてきた。これはどういうことを意味するのだろうか。
まず初めに言っておくとすると、これは全く悪い種類の経験とも限らないということだ。限られた時間の中で、最大限の点数を獲得するんセンティブは少なからず人を成長させてくれる。ゲーミフィケーションの文脈でよく指摘されるように、数字というのは人をやる気にさせる(そして時に来るわせる)テクノロジーだ。(貨幣システムなんかにも同様な考察を付すことができる)そしてこの「問題解決のための脳の演算処理の計画」をする能力というのは、現代社会において重宝される能力である。
- 考えておくべき問題
今まで培ってきた「演算処理」の能力をさらに上のレベルで、より副作用の少ないような方法で鍛える方法というのは存在しないだろうか。そういうような「知性的空間における狩り」みたいなシステムを設計できないだろうか。(ゲーミフィケーション)
高校時代を思い出してみる
記憶の階層化