「集中」の価値化
空気の価値化は、社会構造の変化(主に資本主義や産業革命)の「外部」としての、都市における大気汚染だったり、(杉の大量植林による)花粉症であったりを解決するための手段を学際的に考えることなのかもしれないけれど、この動画を見ている限り、集中力も問題化されるべきではないかということだ。ベルクソン的な用語体系で「持続」について考えてみるというふうに言い換えてもいいかもしれない。
そもそも、(たとえば福嶋亮大がメディアは人間であるで喝破しているように)集中=注意というのは、近代的な労働が生み出した概念である。ChatGPTやGeminiのような大規模言語モデルの基盤技術となっているTransformerが発表された最初の論文のタイトルは"Attention is all you need"。これを人間の「注意」と相同なものとして扱うのはいささか飛躍があるように思えなくもないが、少なくとも人間の思考を大きく発散思考と収束思考と分けた時、アメリカの高度な新自由主義体制が開発したAIはこのうちの収束の部分を担うと考えるのは、それを利用する人の実感としてある程度感じられることであろう。「壁打ち」というのは、散乱している暗黙知(マイケルポランニー)を言語化された形に整形する、形式知への「翻訳機」(そもそもTransformerは本来、翻訳のために作られた道具である)なのである。
技術用語をあえてそのまま考えてみる
(たとえば、リキッド・モダニティでは「重量」というような概念を持ち出している。収束というのは本来「重い」仕事なのだ)
資本主義は前傾姿勢を求める。
昇進(promotion)、進歩(progress)、プロジェクト(project)、見通し(prospect)、専門(professional)、処理(process)...
全て共通の接頭辞proである。こんなことを星野太 待つに書いてあったりしたわけだ。
ハーバートサイモンは、「集中力は次の世紀最も重要な価値になるであろう」と言ったし、それに追随して鈴木祐はヤバい集中力なんかを書いていたけれど、
https://www.youtube.com/watch?v=tYtl2N54inw