「死にたい」とつぶやく
中森弘樹
ネットワーク社会論
フロイトは死への欲動というような言葉を使ったけれど、人間は「生きたい」気持ちから、自殺願望を導き出してしまう、あるいはその二つが共存することがある。このような自殺の不思議に関しては、なぜ心はこんなにも脆いのか(進化心理学)や人はなぜ自殺するのか、などで扱われている。ここでは、死にたい、という気持ちはある種の「心のエラー」のようなものとして捉えられるのだけれど、本書はその「コミュニケーション」としての、要するにプラグマティックな用法を考える。
佐藤優さんが、「死にたい」がそのままテロリズムに悪用される可能性があるというインテリジェンス的な目的性からも、自殺対策は重要であるというふうに書いたけれど
それにしても「死にたい」人にとって、「生きる」という目的を持って生きる人とコミュニケーションするのは難しい。彼らは、「生きて」いないわけではない。しかし、積極的に生きてはいない。極めて中動態的なアンビバレンスとしての行為以外に彼らにはあり得ないのだ。
特にX(Twitter)で「死にたい」と呟くことが最悪の形で機能してしまった、座間九人殺害事件の分析から始まる。この事件は、その手口から多くの注目を集めたものの、秋葉原のそれや永山則夫のそれよりも、「忘却」されている。
統計的なデータ解析を試みる。
シェアハウスへとフィールドワークする。
全く知らなかったけれど、メンタルヘルスに問題がある人同士が集う
カジュアルな「死にたい」もあれば、本当に自殺に至ってしまうような場合もある。
リテラルに言葉を捉えることはいかに可能なのだろうか。
九鬼修造がいきの構造で、
メンヘラの語源
死にたいと言われたら
イノッチの電話