2026/7/6
https://youtu.be/2JKX_QtGo6Q?si=QkLUFwCZjYZ2pI3d
最近見ている動画ってなんですか?と聞かれたらもうこれしかない
1週間くらいこれを聴いている
先日、discordに掲げている「メンションお願いします」について聞かれたのだが、これはもうマジでメンションを気軽に飛ばしてほしいという意味合いで、別に忙しいのでメンションでしか連絡受け付けられませんという意味合いではない あと、僕は優先事項がバグり散らかしているため、申し訳ないが自分への諸用で催促する場合、躊躇なく送ってほしい、むしろリマインドを送ってくれるのは相当助かるといった趣旨も含む。 人間そのものはあまりにも生命体で、警戒なくして視界に入れることはできない。 だから僕は、住宅街を歩いているとき、上階の窓から見えるほのかな蛍光灯や、カーテン越しに拡散するリビングの光に思いをはせ、幸福感を得る一方で、そこに人間の姿が入ることを許せなく思うのだろう。
人間なくしてその幸福は得られないというのに、そこに発生する体温は直視したくないというのは非常に不合理だ
あまりにも、人の姿というのは受け止めなくてはならないとされる情報を多く含んでいて、苦しさが増す。
@blogdexjp: ナードコアというと『Quick Japan』23号のナードコア特集を誰もが思い描くと思いますが、その前に15号(1997-08-31)で伊藤剛さんがXROGER『偽・水色時代』を取り上げたコラム記事があって、それ読んで初めてそういう世界があるって知ったんですよね https://pbs.twimg.com/media/HMdsYNvbkAATQjP.jpg
https://pbs.twimg.com/media/HMcZ6bYbAAEphHK.jpg
これが何を示しているかわかっていないのだが、何か類似性のあるユーモアがリプライで展開されていて、しかし実際何のことかわからないという感じ
スメルズライク?とは
https://www.youtube.com/watch?v=fQpllFPm8fw
ようやくわかった……
元ネタがわかるとかなり全体的にリプライの主旨がわかる!!!!めっちゃ不思議だ……
このリプライがまじで主旨をわかるか否かでまったく精度が異なるの本当にすごい
「名前がカート・コバーンに似ている」ということを知らなかったらむしろこのツイートはかなり混乱を招くのだが、知るとかなり共感がある
Signal Continuum
2026.7.5 (Sun)
Open / Start 18:00 Close 22:00
六本木CUBE
出演者紹介をしていきます…!
この投稿のツリーで紹介していきます
ご予約
話さないこと
仲間、組織論、チームビルディング
発想術、心構え(散歩をするとか)
美意識(空、玄、わび・さび、間)
起源と動きの原理(ゾートロープ、リュミエール、Walt Disney, Illusion of Life)
「AIによってモーション・グラフィックスはどう変わっていくか」
「どうこの先生きのこるには」
なぜなら:退屈だから
怒りはしないけど、↑の方が仰ってる論点は自分もわかる気がする
1Fにあるのは「キネティックスカルプチュア」であって、gggという権威ある場で、「モーショングラフィックス」そのものを展示する絶好の機会をスポイルしたこと
1F作品がすべてコラボレーションワークだったことや、B1Fの釣りブース、置かれていた極厚GASBOOKの「bro感」含め、「井口皓太とその愉快なダチたち」展に思えたこと
その意味で、ちゃんと「モーショングラフィックス」の展示がなされていたのが、唯一ガラスもたれCinema Displayたちだった
1F作品がすべてコラボレーションワークだったことや、B1Fの釣りブース、置かれていた極厚GASBOOKの「bro感」含め、「井口皓太とその愉快なダチたち」展に思えたこと
これはまあ、そうだなーーーとも……まあありふれた話かなと思うんだけどね
特にGASBOOKは、まあ何か、ガックシくるものだった。別にそこにいるのは人間だとわかっていても、もう少しクールというか、ちょっとこの手の世界の体温は低くあるものだと思いたかった。 巨大な資本の渦中にある水準を持つ人間がこちらを幻滅させて面白がってくるの、本当にやめてほしい。本当にやめて欲しいんだよ俺は。
面白がっているかどうかはわかんないんだけどさ。
最初にGASBOOKを見た時は、「あ、これ関係ない本か」と思って閉じたくらいだった。
美術館とギャラリーに違いはあると思うとしても、やっぱり何か、居心地の悪さは常にあった
これは勘違いしてほしくはないのだが、展示としては面白かったし、別に見ごたえもあるものだと思うし、好きな作家の作品をたくさん見られてうれしいな、とは率直に思った。
葛飾出身氏はバンドのライブを一度見に行ったのですでに本人を目にしたことはあったのだが、その日は初日ということもあり在廊していて、そしておそらく面識のあるであろうプロモーター的な立場の人と色々話していたのが印象的だった。良い意味で、違う次元の世界というのを肌で感じた。
同伴していた人から、「挨拶しないんですか」と聞かれたが、1ji.iconは葛飾出身氏との面識はない。しいて言えば音MADLIVE.XXXのジングル制作をお願いしたり、音MAD DREAM MATCHで多少事務的なやり取りをした、といったぐらいか。大昔の関わりなのもあるので、何かアプローチをかけるのは少し違うかと思っている。 とはいえ、cloudyさんがファンとしてサインをもらっていたのはかなりうらやましいなとも思った。そういうふうに、僕も話せたらよかったなという後悔がある。距離は別に近くなくて良い。 心理的な距離を無視して物理的な距離を近く持てる機会というのは、それ相応のかかわり方もあるはずだ。
ご本人様もいらしていたのでサインも書いていただきました。大切にします🙏
あと、カセットテープを自分は買わなかったものの、同伴していた人間が買って、それを自分の家でいっかいラジカセで聞いてみた。
曲が普通によかった。なんで俺は買わなかったんだという後悔もある。
お金がないといえばないのだが……。
その一方で思ったのが、やはりギャラリーという空間へのいけ好かなさはより強調されたという感じだった。
500円はカード、1500円はアクリルスタンドといった具合
また、大きな作品も売られていれば、展示として化物語のED用に作られたラフスケッチをそのまま手に取って見られる(これは本当にすごいことで、かなり感心した)フロア、こまごまとしたグッズの販売もあり、ギャラリーの展示としても、そしてグッズ販売の在り方としても、この極端な振れ幅が同居するボリュームで、本当に素晴らしかった。
かなり印象的だったのは来ていた人が全種類分の入場者用カードが欲しい(全5種類ランダムであった)として、受け付けている人に話しかけていたのだが、それに対して2500円で全種類大丈夫ですよといった旨の受け答えをしていたことだった。いたく感動した。
こういったアニメ系、サブカル系といったものを中心に扱う画廊やギャラリーは、これくらい、「お店」でよい。
画廊と美術館の違いはかなり明確にあるはずで、僕は圧倒的に美術館のほうが好きなのだが、画廊は画廊の距離感がある。その、人の往来も激しく、かつ大型の作品はそこまで置けない狭い空間にある都心の画廊ならばなおさら、「そこには人がいる」ことをいかに呑むかという話なのだろう
すでに渋谷と銀座の移動で巨大な経済圏と活発な世帯への息苦しさを疲労としてため込んでいた自分にとって、井口皓太展のブランドっぽさとそのあえて泥臭い部分も見せるみたいな部分を同時に見たとき、もういよいよ耐えられなくなってしまった。経済と、その経済の中に組み込まれた作家と作品という仕方なさに対する憎しみが爆発してしまった。
佐藤可士和展くらい、もうプロダクトに組み込まれた展示であるならどれほどよかったことか。中途半端さが際立つ空間であった。 美術館やギャラリーに存在する作品の姿というのは別にそれが本物らしさを発揮するわけではない。あるいみ、周りに何もない壁の中で額装だけが宙づりになっている空間というのは、完全に作られた空間だ。そうなると、作品だけを見に行くという向き合い方だけでは説明のつかない不合理をギャラリーや美術館、いわゆる展示空間は含んでいる。展示空間である以上、展示空間を作ろうとした人間の意図は否定されてしかるべきではないと思っている。
一つの切り替えとして持つのも重要とは思うが。ここでフォローしたいのは、「作品と作者を切り分けて見る」という姿勢に対しては自分は否定はしないということだ。ただ、僕はそれはトピックの一つとして掘り下げる観点の一つでしかないと割り切っているところもあるが。
僕は本当に「作る」という示され方でしか通用しないそれらの物に対して、価値の比重だけが膨らんでいく様子に、どうやら受け入れがたいものがあるらしい。僕はとことん、「作る」なんて言葉に頼りたくはないが、その一方で無上の憧れを抱いているのだと、非常に悲しくなった。
帰り道、スナックの立ち並ぶ裏道をよろめきながら「経済終わってくれー!」とのたまいながら活発な人間を避けるように新橋から帰らざるを得ないほど、消耗していた。
頭に焼き付いた無数の世帯の姿をかき消すように銭湯で気絶した。
1ji.iconはどうやら自分の思っている以上に、美術館、美術という感覚の残りカスを引きずっていて、ごちゃごちゃと展示空間を見渡すことをまるで格ゲーのように楽しんでいる節があり、厄介な野郎だなとも自戒がある