2025/12/1
もう何も思ってないな最近は
この対比を思う
この二つに到達できない1ji.iconが生きていい理由は何だ?
1ji.iconは元気がないと自分を思っているのだが、このイメージが満場一致だったことに感動した
ただたくさん喋ってたくさん動いているだけで、元気ではない と言われたが、全くその通りだと思う
そもそもやりたいことがないままに時間が経過するとこうなるのも自然と言えば自然
どうにもならんだろとも思うんで、別に「もっと元気になりたいな」とかはない
ただ、「元気じゃなさそうだな」と思われるとちょっとデメリットがありそうなのでそれは何とかしたいが、かと言って何ともならんかという諦めもある
元気ないだけで、別にめっちゃ健康だし今の人生は非常に幸福だと思ってますよ!
病んでるって言われるのも結構この辺が原因なのかなあー 正直、全然病んでるなあみたいな実感はない
世の中もっとシリアスに病みと格闘をしている人はいるはずだ
それに比べると、眠たい時に寝て、ご飯食ってる時間がどんどん幸せに思えている1ji.iconの現状は全く健康だと思う
マジで僕は子供のころとかがなかったんじゃないか?と思えるレベルで感性が欠落しているのを最近痛感する
ものを視覚的に捉えていることをよく言及されるのだが、それ自体は嬉しく思いつつも、実はただ気づいていなかっただけなんじゃないかと思える 例えば先週土曜日、僕は街の木がデカいことに対して感動しており、通話先から「感性が鋭い」とその時言われた
その時思ったがこれはまったくの逆で僕は感性が極端に鈍い
ただただ、30年間木がデカいことに気づいておらず、気づいた時にビックリしただけだ 僕の発言には結構全体的にこういうことが言える
むしろ1ji.iconの普段の感性が死に切っているという方が近い
真にビジュアルに聡い人というのは、そこからの紐づけや的確な提示ができる人のことを言うのであって、木を見て「木がデカくてすごい」とか空を見て「空って何もなくてすごい」とか言っている30代はハッキリ言って人生をボケボケ過ごしすぎだろうと思う。
1ji.iconが三段組の本を読むとき「NとZの目線の動きが多くて読み慣れてないから難しい」とか言ってたのも大概バカすぎないか?と今になって思う
質感を理解することは見どころを増やすことと重なりそうだ
セル画時代のアニメと現代のアニメのルックを比較するときは、Twitterにスクショを貼りつけて比較するのは不完全で、
ブラウン管モニターに映したセル画時代のアニメと、現代のモニターに映した現代のアニメを横に並べて比較して、初めてルックの比較ができるといえるでしょう。
誠実だ
とにかく、好きとは何なのだろうか?と考える三日間だった
そんなことを考えている場合では一切ないが
もっと具体的に言えば、好きなキャラクターだ
夏色花梨のファンイラストやギャルヤドンの絵が回ってきて、ふと「どこからがこういうキャラを描いても納得される基準なのだろうか」と思った たとえば、ストーリーが評価されるようなアニメやゲームのキャラクターのイラストを描く場合、そのゲームをプレイしているか否かで周囲から描いていることの妥当性は変わっていくとは思う ファンメイドを公開する本人への指摘がしたいというより、第三者としての1ji.iconが見るファンメイドのファンの部分、第三者の感覚の話だ
おそらく、そんなことを思わずに描きたいものを描くことは別に特別非難されすぎることもないが、しかし受け入れらているようにも見えない
別物として処理し、ファンメイドの領域には踏み込んでないといういたって率直な判断だと思う
1ji.iconは別に言わせたい台詞がない
アニメくん合作に2度参加しているが、正直力量が全く足りてないと実感する
別に力量を求める空気感を常に帯びているわけでもないのだが、こと合作参加となると明確に他人の意図と意匠が隣り合うために比較が顕著になる
それは視聴の際の態度としては好転することがあっても、参加の際にはやはり「できないことが浮き彫りになって悔しい」といった感情は、1ji.iconには常にある。
感じる必要のないネガティブな僻みとか、そういうのではなくて、むしろ自身に紐づけたいと思える反省だ。
まあシンプルに言うと、1ji.iconが行う特定IPを題材にした音MADは「面白くない」ということだ
これかなり自虐っぽく見える文面だが、マジで自虐じゃない
ただ曲の尺に合わせて会話を圧縮し、それに即して邪魔しないような雰囲気の映像をくっつけようとしているだけになる
それに際しての達成されているか、不足がどれほどあるかは他人の判断に委ねるにしても、個人的な指針はそれに尽きる
ウマ娘競奏曲 ミホノブルボン
邦ロックの音MAD 荒川アンダーザブリッジ(パート一部分)
春アニメくん ラザロ
夏アニメくん ホテル・インヒューマンズ
(ただ、夏アニメくん合作は僕が明確にミスをしており、正直これはかなりの反省だ……)
もっとさかのぼると宝石の国の音MADはそこにあたる原初の挑戦であるが、ある意味ここからは発展していない(会話の圧縮)
まあ、最終的にはそれでも良くね?ということは言えるのだが、ここはそういう許容を広げる話をしたいわけではない
おそらく現時点でここが最もうまく行ったのは邦ロックの音MADの荒川アンダーザブリッジパートだ
自分でも信じられんくらいアニメMADのアプローチに近い
荒川アンダーザブリッジにおけるニノとリクの関係性を重点に抽出 銀河という楽曲の要素に絡めた「夜」を状況の置き換えとして行っている この、特定の要素に紐づいた置き換えというのがMAD、ファンメイドらしい部分なのではないか?
原作にないシーンを組成できるという点で……
原作から離れた描写をすることがファンメイドとして是ではないのかもしれないが、それでもまず「面白いファンメイド」はそれがある気がする
納得する要素がその動画単体にいくつもあるという点では僕の思い描くところのアニメMADの評価軸のイメージに近い。
話をキャラクターに戻すと、キャラクターというのは一度何かに惹かれて好きになったとしても、物語以上の描写というのはそこにはなくて、そこに妄想という補完でそのキャラクターを多角的に愛おしく思えるという欲求がある人もいる。
もちろん、そうでない愛着の示し方もあるとは思う。そこに描かれたものをそれとして受け続けることもあるだろう。
これらの欲求自体が発生する動機、トピック、それらに共感を示すことはあっても、いざ為手としてそれを振られた場合には1ji.iconは何も言えない キャラクターにまつわる妄想の補完が1ji.iconにはまるっきり抜け落ちていると言っても良い
こと音MADにおいては「言わせたい台詞」や「聞きたい台詞」がない
1ji.iconは音MADでセリフを扱う場合、実のところほぼ何も考えていない。上記のもそうだが……。まあこれは映像面でもそうで、僕は自らに選択肢を設け、それに即して行う以上のことはない
したがって、たとえばミホノブルボンのパートも、その次のパートがライスシャワーである上で、「ミホノブルボンがライバルとしてライスシャワーへ向けた言葉の範疇」から「楽曲のテンションにあった、情緒のある静かな台詞」を選択し、それをBPM上、または文章の展開上なるべく破綻がないように圧縮してペーストしただけとなる
一見すると普通のことを並べているが、このプロセスに対して特に苦労もなければ面白さも見いだせていない また、ここに対する疑念がない
なぜそのようにしたいのか?はほぼ考えられない。自動的に決まる。
というのは、おそらくだが僕自身がそこに潜む魅力を個人的にかみ砕けていないからだとも思う。
https://pbs.twimg.com/media/G5doRaJagAAWzm1.jpg
この漫画を提示されたが、こういった会話劇のはさまるイラストに対し、おもしろいなあ、良いなあ、このキャラがこういう感じになるのはわかる(わたなれは未視聴、まちカドまぞくはアニメのみ視聴の段階という、キャラの偏見じみたイメージだけで感じ取っているが)
が、むしろこれが作られたものであることや、一方であることに対しては特別に思えるわけではない
当たり前に発生した物として受け止めてしまう
この言い方は尊重を欠如したいわけではない!のだがどうしてもそうとしか今のところ1ji.iconは言えない
説明が難しいところかもしれないが、例えば僕は一定の時期まで音MADが作られたものとして認識はできなかった。(2009年~2012年ごろ)
その間も松岡修造や日常など音MADが目に入っていた時期はあったのだが、それは子どものころに眺めいたテレビのニュースや、もしくは当然のようにそろっている生活用品のように、「特別なもの」ではなかった。そこにただあって、それを当たり前に見ていく、逆に言えば、何も引っかかってはいない。肯定的な好奇心はその日常には芽生えづらかった時期があるように
そういう意味での「当たり前にあるようなもの」として、こういった「原作にはなかったキャラクターの会話」がある
1ji.iconの気質上そうなのだが、認識に際して、そこから踏み込むためには「それが作られたものである」「それがどのように組成されているかイメージを持つ」ことが入り口にならなければならないというのがある
本当に全く思いつかない。
繰り返しているが、行動としては、妄想、あるいは置き換えというところだ
描かれたキャラクターに対する仮定のプロセスが発生しないので、シチュエーションを変えた場合のキャラクターのパフォーマンスは自発的には全く想像できないというのが結構苦しい
会話の流れでそのキャラならそういうことするよね 的な応答をすることがあっても、それもどちらかというと偏見を扱った揶揄的なアプローチに近づいてしまうので、上記のようにポジティブに笑顔で見られるような狙いの妄想とはちょっと異なる方向へ行く
もっと具体的なことを言えばよく見かける部類の置き換えとして「特定のキャラクターにポケモンをあてがったイラスト」があるが、これは仕手として見るとかなり難しい! ポケモンは自分もヘビーなユーザーでないにしろ、その属性の察知自体は容易なモチーフだと思っているが、それでも○○がポケモントレーナーだったら?という非常に身近で限定的なお題に対してですら、何も思い浮かばないのが現状だ……。
おそらくぼくがかたてわざ兄貴になぜか感銘を受けるのは、真逆の在り方だからなのかもしれない そもそもなんでこういうことをテーマとして人に話したり聞いてみたりしているかと言うと、1ji.iconは最近になってようやく「好きな作品」や「好きなキャラクター」があると思えて来たからなのではないかとは振り返る
おっぱい合作の 爆乳パート、梅喧はその一例でもあり、上記の「ストーリーを圧縮した」アプローチとは異なる、ほんのわずかの労力だが自分にとってはあまりにも今までにない体験であったところだ 1ji.iconは梅喧が好きだと思っているのだが、正直これをアピールする術が全く引き出しになく、上記のおっぱい合作でもただ流動していっただけのパートに映ったと思う むやみにアピールしたいわけでもないのだが、なにか面白味に欠けてしまうのだ。
おそらくこれらの話をまとめた場合1ji.iconが梅喧の隣に何のポケモンを置きたいか?という問いへ率直に応えられるようになると、「キャラクターが好き」である際の姿勢として示し方に楽しみが発生しそうだ 無理にするものではないだろうという承知はありつつ、やはり自分にとってそれが遠くにある位置であった場合、その移動距離を楽しみたい気持ちは発生する
こんなことを入力しているうちは到底難しそうだが